2-11 救済者と吸精者
立ち上る硝煙に歪む世界、鼻の粘膜を突き刺す火薬の臭いに眉根をひそめる。
イズガルト西部の山間部で僕達は地面にひれ伏す大人達を見つめていた。
「彼らは道具ではありません。亜人……いえ、血や容姿の違いだけでなく種族の差異で不当に扱うことはあってはならないんです。貴方達が同じように扱われれば、彼らと同じように憤り、内側に秘めた激情をぶちまけるでしょう」
僕の言葉に、答える者はいない。
ただただ頭を地面に擦りつけたまま、沈黙を保つ。
「黙ってりゃいいってもんじゃねぇぞ」
「静かに」
僕の背中で小さく愚痴を零すアリエルを嗜め、右方に視線を移す。
「騙されんぞ。ワシらは散々こき使われてきたっ! 謝罪だけでは飽き足らん、ワシらが道具のように扱われたように、ニンゲン共を使ってやるのダ!」
「待て待て、痛みを与えるべきダ。そう、ワシらと同じくらいの背丈にダな」
「そうじゃそうじゃ、まずは手足から……」
苛烈な口ぶりで野次を飛ばす亜人、もとい〈醜顔火薬族〉達。
背格好は人間の平均身長よりも低く、丸い顔に潰れた鼻、尖った耳とお世辞にも綺麗な造形の顔とは言えない。声も老人のようにしゃがれて年齢が読めない。
口々に吐き出されるのはヒトへの怨嗟、憤怒の塊。
「ダメです。そんな暴挙に出るなら今度は貴方達を止めます」
言い放ち、睨む。〈醜顔火薬族〉が発する殺気に反応して、僕の背中に控えるアリエル、イージェスが携えた霊剣の柄に手を伸ばす。
「止めろっ!」
叫ぶ。時間が止まったように、誰もが凍りついた。
僕は瞼を閉じる。大きく息を吸い、吐いてから辺りを見渡す。
「また、争ってどうするんですか。残念ながら、数の上で人間と貴方達は圧倒的な差があります。僕達は屈服しろ、と言っているわけではありません。このイズガルトは自然との調和を目指し、他種族との共存に理解を示している国です。共に生活していくには、その関係性は対等でなければならない。見下し合い、争うばかりでは戦いが連鎖するだけです」
「じゃが、ワシらの怒りは……」
「分かっています。だからこそ、僕達が叩き潰した。その痛みをもって、貴方達が受けた傷は、吐き出され解放されたはず。それでも、まだ争うのですか? まだ痛みを与え合い、血を流し傷を抉って負の感情を受け継がせるのですか」
「ぬぅ……」
〈醜顔火薬族〉が顔をしかめて一歩、二歩と後ろに下がる。
既に彼らも、亜人と道具のように使っていた者達もクラッドチルドレンの力を見せつけられていた。守られた力が自らに害をなす。その恐ろしさが身に染みている。
結局は、力をさらなる強大な力で屈服させているだけ。
分かっていても、この場を納められるならば利用してやる。
沈黙した両者をまた見比べて、僕は溜息を吐く。
「くれぐれも、忘れないで下さい。どちらも、無用な争いを引き起こすならば何度でも止めます。然るべき仕事には、見合うだけの賃金を与えること。種族の違いで差別しないこと。痛みを痛みで返すような考えを捨て、共生の道を歩むと約束すること」
大人達が顔をあげる。顔色から伺えるのは、これ以上の苦痛を拒絶する懇願と畏怖。
僕は小さく首を振る。こんな顔を見るために、刃を振るったのではない。
何度も何度も、こんな表情を見てきた。
小刻みに体を震わせながらも、大人達の一人がゆっくりと頭をあげる。
「ち、誓いますっ! 必ず、必ず約定は守りますから、どうか」
「……貴方達が、不当な境界を取り払って共に歩むことを期待します」
また大人達が地面にこすり付ける勢いで頭を下げる。
僕は瞼を閉じ、視界を黒に塗り潰して振り返った。
瞼を開き、自ら引き連れる者達の顔を見る。
アリエル、イージェス、そして新たな二人の〝アークチルドレン〟。
四人と視線を交わし、声をかけることなく歩き出す。
先頭に立ち、進む僕達の前に集まってくる人々。
「あ、有難う御座います。これで安心して夜、眠ることができますっ」
「是非ともまたきてください。今度はきちんとしたお出迎えの準備をします故!」
「どうか、お元気で……」
「私達も、考えます。姿かたちが違っても、同じ世界を生きるものですから」
立ち止まる。かけられた言葉の中で一際胸を打ち鳴り響いたもの。
僕を見る若い女性を見つめる。
感謝の言葉や、先を行く無事を祈る言葉よりも聞きたかったもの。
それこそイズガルトにあって、自然に溶け込み全てと一体化する意志。
事件を解決しても、変わろうとする意志がなければ前には進まない
マイナスを是正してもゼロに戻るだけで、プラスにするには当事者達が歩き出すしかない。この言葉が聞けたのならば、安心できる。
「すぐに分かり合うことはできなくても、きっと共に歩く道が見つかるはずです」
「はい、きっと。だから、あなた達の行く先にも多くの幸せが訪れますように」
「……有難う御座います」
小さく言葉を零す。
見送りの拍手と感謝の声に包まれながら、住人達の作る道を抜けて森の中へと入った。
言葉なく歩き続ける。アスファルト舗装ではなく、人の足や車輪で何度も踏み鳴らされた街道を進んでいく。
「あー、そろそろいいよね。隊長様?」
「何か言いたいことでもあるのかな」
「大有りですよ。連中、ブチ殺しといた方が今後問題にならずに済んだのでは?」
アリエルの言葉に、僕は小さく息を吐いた。
「一体、何度言えば分かるのかな。僕達の目的は、反抗する力を奪うこと。そこからは話し合い、譲り合うんだ。彼らが、〈醜顔火薬族〉を自分達と対等に扱うように」
「でも、結局決起した亜人共を抑えて隊長様が連中の用心棒を潰しましたよねぇ」
「……結果論だよ」
「事実として武力で押さえつけたじゃぁないですか。なら徹底的にやるべきだったんですよ。絶対に反省してないですよ、あいつら。単に俺らクラッドチルドレンが怖いだけ」
言われなくても、実際に会話した僕自身が一番理解している。
さらにアリエルが気だるそうに言葉を連ねていく。
「掃除すりゃ良かったんだ。連中がゴブ共を引っ張ってきたのは奴隷商だっていうし、ルートごと潰すべきなんだよ。でないと俺達みたいになっちまう。なぁ、イージェス」
「……ん? ああ。カミサマの加護があるはずのオーリェンでも、同じような私利私欲の塊がゴロゴロいたからなぁ。本当にカミサマなんて崇高なモノがいるなら、なんでこういう害悪を放逐するのかね。そうか、試練って奴か。幸福になるための」
話を振られ、イージェスが皮肉交じりに言葉を吐く。
一年前、アリエルもイージェスも唯一神オーリャを頂く信仰厚い国、オーリェンで家族を失った。今や、そんな自らの境遇さえも毒を含ませる。
「お前はどうよ、エリス連合国で飼われてた犬の剣奴さんよぉ」
「犬じゃない。〈人狼〉だ……阿呆が」
「あぁ?結局は鼻の利くイヌッコロじゃねぇか」
「かみ殺してやろうか? それとも引き裂いてやろうか?」
「やめるんだ、アリエル。エピタフも」
立ち止まり、お互いに得物を引き抜きかねない険悪な空気。
これも何度も繰り返していることで、相変わらず飽きないなぁ、と怒りよりも呆れが先に来る。エピタフが面倒そうに、獣のたてがみのような茶色の髪をかく。
「いつも阿呆が突っかかってくるんです。考えナシの特攻野郎が」
「クンクン匂いかいでビビるチキンドッグよりはマシだろうが」
「そう粋がって何度危険な局面を招いたと?」
「クソ、イヌで俺達より半年遅れの新入りが……」
「やっぱり白黒つけとくか?」
アリエルとエピタフが歩みを止めて向き合う。
エピタフがジャケットの内側から短刀の柄を見せ、アリエルはベルトを外して背負っていた大剣を下ろす。
イージェスも薄ら笑いを浮かべながら腰に差した霊剣の柄に手を伸ばしている。
「……やめてくださいっ!」
少女の声が響く。小さくも、力強く必死な思いが伝わる声色で。
アリエルが叫んだ少女を横目で見やる。
「臆病者は黙ってろ。チキンドッグに輪をかけた〝探査機械〟がよ」
「くだらんあだ名をつけるのはやめろ、阿呆め」
「阿呆アホウってそれしか言えないのかよっ」
「いい加減にしろ」
短く低く、僕は言葉で突き刺す。
ここで言い争いを、もとい争いあっても何にもならない。
視線でイージェスに圧力をかけると、つまらなさそうに首をすくめてからアリエルをなだめに入ってくれた。鋭い犬歯を見せながら唸るエピタフは、潤んだ瞳で服の裾を掴むウルクに止められている。
アリエルが舌打ちして、大剣を背負い直す。
エピタフもジャケットの裾を直しながら、小声でウルクに謝罪の言葉を零していた。
目を細めながら、エピタフが誰でもなく言葉を落とす。
「神なんて、意識の集合体だ。こうあって欲しい、こうあるべきだ、こうあれば救われる……そんな精神的な弱さが生み出す、実体のない像に過ぎない」
「ハッ、そこは同意してやるよ。そもそも、そんな都合のいい超越者がいるなら、俺達みたいに狂った運命を背負わされるようなのもいないだろうしよ」
「何の因果かな。国どころか種族さえも違う者達が行き会うのは」
「でも、私は感謝してます、よ。しても、したりないくらいに」
アリエル、イージェス、ウルクが口々に想いを口にする。
神様という存在がどういうものか、定義することに意味はないだろう。
オーリェンに蔓延っている略奪者からすれば、都合のいい言い訳であり行動を正当化するための手段でしかない。
たった今、鎮圧してきたような連中は異端者、即ち自らと異なる種族を虐げ果てには滅ぼすことを欠片も悪いとは思っていないだろう。
逆に自然と一体化し、高みへ昇る手段として魔術を行使するイズガルトでは異種族と迎合することが推奨される。神の存在を信じて祈るものも多く、唯一神を崇めるものだけでなく世にある数多のものに聖なる力が宿ると考える宗派もある。
エピタフが小さく首を振ってから口を開く。
「とはいえ、否定はしない。神様とやらがいるのであれば、こんな境遇に追い込んだのも何らかの意味があるのだろう。前向きに考えれば、な」
「二十歳で必ず死ぬ呪い。解呪するには一万人殺し、異性との仲睦まじき……だっけか。カミサマの悪戯って言うなら、一体俺達に何をさせたいんだよ」
「……さあな」
「おいっ!」
投げやり気味な口ぶりにアリエルが声を荒げるが、すぐにイージェスに肩を押さえられ留められた。エピタフが僕を見る。
「俺は〈人狼〉として生まれながらも、人間の数という圧倒的な暴力を前に心で負けていた。先の見えない闇から救ってくれたのは、感謝している。至るまでの道筋を神様とやらが作っているのならば、少しは信じてみてもいい」
「意外だな。てっきり神も食らうものかと思っていたが」
「神話に出るような巨狼ではない。人間より嗅覚や俊敏さ、筋力で勝るだけ……それでも一人で相手取れる数は限られる。何より、あの頃の俺に〝意味〟はなかった」
「意味、か。ああ、そうだな。無意味に、無価値に殺される寸前だった」
過去を思い返すようにイージェスが空を仰ぐ。
アリエルも同じように遠くを見ていた。
「物心ついた時には売られたモノとして扱われ、ただただ戦い続けることを強要されていた。自分がどこから来たか分からず、どこへ行くかも分からずに」
「同じさ。俺達も気付いた時には、全部無くなった後だった」
「だから、生きて戦うことに意味が持てる。誰かの悲しみを取り払い、笑顔を取り戻すことができる。そのために与えられた力なら、惜しまず出し尽くそう……ってな」
エピタフがちらりとウルクを見る。視線に秘められた熱さ。
イージェスが唇に笑みを乗せてアリエルの脇腹を小突く。アリエルもエピタフがウルクに向ける視線を確認して、意地悪そうに微笑んだ。
「誰のために力を出し尽くすって? オオカミさんよ」
「悪辣な権力者に虐げられるもの、同じように異能を持ちながら世界から弾かれるように不当な目に合う全ての者。理不尽な暴力に晒される者達のことだ」
「本当にそれだけか?」
「別に……深い意味はない」
それきり押し黙るエピタフをアリエルとイージェスが二人がかりでいじる。
口では絶えず言い争っているが、実際に戦闘になれば協力するし互いの弱い部分をフォローし合えている。急造の部隊にしては良い状態にあるのだ。
「あー、無駄に疲れた。早く休もうぜ」
「この先に、確か大きめの街があったはず」
「ストンフォレスタだ。何もなければ今日中には着くね」
「隊長様が言うと何か起きちゃう気がしますけどねぇ」
人をフラグ乱立者みたいに言わないで欲しい。
口喧嘩も収まり、落ち着いてきたところで再び歩き出す。が、ウルクだけが立ち止まっていた。エピタフが気付いて足を止める。
「ウルク、どうした?」
問いに答えず、ウルクは小刻みに震えた。ゆっくりと腕をあげて、人差し指を立てて方向を示す。向けられた方には丁度、ストンフォレスタがある。
「……呼んでます。小さい、不思議な波長を持つ女の子が」
「確かに、間違いはないんだね?」
「物凄く小さくて……あっ!」
短くも声を荒げて、ウルクが耳元で大声をあげられたように顔をしかめた。痛みに堪えるように耳たぶを小さな手で撫でる。
「微弱ですけど、魔力反応があります。何か、起こっているのかも……」
「確かめる。急ごう」
口にしながら、他の面々の顔を見ていく。
「前々から怪しいよな、ウルクの〝魔力波長を聴く〟能力」
「実際に、感知した場所では何らかの異常が起きている。役立っているだろうが」
「まー、そのくらいしか役立たないもんなぁ」
「万年血気盛んに突撃するだけしか能のない阿呆猪が語るな」
またアリエルとエピタフが睨み合い、ウルクは怯えながらも仲裁しようと手を伸ばす。
「喧嘩する暇あるなら潰しに行くぞ。また起こった〝異常〟をな」
イージェスがウルクの肩を叩き、言葉で止めた。
アリエルもエピタフも目を見開く。誰もが同じ闇から這い出た痛みを受けている。同じ呪いも、短い命の蝋燭を燃やし尽くす宿命も。
「始めよう。〈灰絶機関〉とは異なる、武を殺すための〈名の亡い部隊〉の戦いを」
舗装されていない土の街道を急ぎ走って、ストンフォレスタに入る。
間に蔦が入り込んでいるが、しっかりとした石組みの壁に囲まれた区画。旅人達が疲れを癒す空間、休息所を兼ねた料理店が立ち並ぶ。
山間部らしく森の恵みを中心としたコースがあれば、遠路から運び込んだ肉や魚を調理した豪勢な料理を用意しているコースもある。
「随分、静かだな」
「何かあったのですかねぇ」
「夕刻過ぎとはいえ、いくらなんでも……」
妙な雰囲気だ。僕達のような各地を流れる者達が逗留する場所としても有名だし、森林浴や珍しい生物を探す者など多くの人間が訪れ賑わっているはず。
一抹の不安を覚えながらも、近くの宿泊所兼食事処の看板が下がっている店のドアを引き、中へと入る。
「いらっしゃいませ」
低い声で店主らしき壮年の男性が出迎え、笑顔を浮かべた。
アリエル、イージェス、ウルク、エピタフと続いて中へと入る。
店内の席は八割ほど埋め尽くされ、様々な姿格好世代の男女が各々のグループで杯を交わし食事を楽しんでいた。
が、語らうことはなく急ぐように手を動かし、食べては飲む動作を繰り返す。
まるで機械的に決まった動きを強いられているような不自然さを感じる。
「……おかしいな」
エピタフが呟きながら店のドアを閉めた。
途端に店内にいた全員の動きが止まる。スープを口に運ぼうとする姿勢で、ジョッキを掲げたままで、肉を挟んだパンを口に運んでいる状態で、誰もが僕達を見ていた。
物言わぬまま深く暗い穴のような、硝子玉にも似た虚ろな視線をぶつけて来る。
「宿泊ですか、それともお食事のみですか」
異様な雰囲気に硬くなっていた体が動き出す。
店主の男性は柔和な笑みを浮かべながら、カウンター越しに話しかけている。
「ああ、できれば両方で――」
いつもの調子で、店主に対し無遠慮に返すアリエルの肩が思い切り引かれた。
瞬間、銃声が響き渡る。
「なっ……」
「そのまま伏せてろ」
アリエルの頭を押さえつけて、エピタフが跳ぶ。
店主の右手を蹴り飛ばし、手の中にあった鉄塊が床を滑っていく。
転がった拳銃が壁にぶつかって止まる。
ウルクが一歩引き、イージェスが前に出る。僕も自らの剣、アークスレイヴァーを抜いて構えた。
臨戦態勢、だが店内は静かだ。
エピタフが店主の腕を掴み、捩り締め上げているにも関わらず表情を崩すことなく温度を感じさせない冷たい瞳でアリエルを見つめ続けている。
和気藹々とした空気が乱されれば騒ぎ立て、混乱し泣き叫ぶような感情の波が湧き上がるものだが店内にいる客達は沈黙を保ったまま。
まるで最初から、こうなることを想定しているかのように。
「コイツ、痛覚が死んでいるのか……」
エピタフが店主を締め上げたまま、小さく言葉を零す。
店主の手が何かを探すように蠢く。取り下ろした拳銃を探しているのか。どうにも身動きが取れないと分かると、抜け出そうともがく。
「おい、お前っ」
ぎちり、ぎちと骨が軋む音が鳴る。
完全に関節を決められた状態から抜け出そうと店主が力を込めていく。
「うぐ、ぬおおおぉぉぉぉぉぉ」
「やかましいっ!」
咆哮する店主の拘束を解き、エピタフが押し黙ったままの客が囲む食卓へ投げ落とす。
重力に引かれて落下する体。料理を盛大に散らし、皿を食器を割り砕く。
客達は驚くことも、怒ることもせずに席を離れて立つ。
言葉なく動じることもなく感情の読めない瞳で、僕達を見ている。
「なんだ、この空間は……」
投げ飛ばされた店主がゆっくりと体を起こす。
本当に痛覚を失っているとしか思えないタフさ。全く人間らしい素振りを見せない客達といい、明らかに〝異常〟だ。
「人間、殺す」
ぼそり、と店主が低い声で呟いた。席から立った客達も口を開く。
「人間、ここから出さない」
「人間、逃がさない」
「人間、邪魔をするな」
低く暗く、語らされているようなたどたどしい口調。
ゆらゆらと体を揺らし、焦点の定まらぬ視線を向ける客達が手近にあったものを手に取る。食器や椅子、割れた皿の破片など即席の武器を。
アリエルとイージェスも自らの霊剣を構えて戦闘態勢を取る。
「隊長、こいつらは……」
「僅かだけど、魔力が漏れている。誰しも微弱な魔力は持っているけど――」
「絶対におかしいって! 分かっているんだろ?」
アリエルが叫ぶ。分かっている。そんなことは、とうに気付いている。
暖かいはずの場所が、冷たく陰鬱な気配を醸し出す。妙な気配が、邪な波長が充満した空間。それがヒトの悪意なのか、別の者による何かか。
判断する材料が欲しくて、待ちに徹したのは事実だ。
ウルクに視線で問う。
「……何らかの、魔力干渉を受けてます」
「んなことは見れば分かるだろうが!」
包囲するように近づいてくる客を前に、大剣を構えたアリエルが叫ぶ。
びくん、と肩を震わせるもウルクが小さく首を振って意識を探査に集中させる。
「外……彼らと繋がっている、大きな反応が」
「魔力による精神干渉、肉体操作……」
「す、ごく、黒くて深い穴のように、底の見えない……」
「ああ、面倒くせぇっ!」
怯えながらも言葉を搾り出すウルク。
アリエルが大剣の腹で客達を押し倒し、薙ぎ払って無理矢理に道を開く。
「爆ぜろ、エクスボマーっ!」
吼えながら大剣を壁に叩きつける。
爆音が轟き、刃と接触した壁が焼け落ち吹き飛んだ。破片と共に煙が舞う。
イージェスが剣で群がる客をけん制しながら続き、エピタフもウルクの手を引きながら後を追う。四人が外に出るのを確認してから僕も外へと出る。
『「人間、逃げ場ない」』
外から老若男女による輪唱が響く。
店の周りには手に槍や剣を持ったストンフォレスタの住人が控え、逃がさぬように包囲陣を敷いていた。
僕達よりも若い少年も、僧服をまとった女性も、髭面の男も揃って感情のこもらない冷え切った視線を向けてくる。
光を失った瞳が告げるもの、錘のように体に負荷をかけてくる重圧感。
「俺らが何をしたって言うんだよ!」
「アタシの領域に勝手に入り込んだからよ」
絶えかねたアリエルの声に返って来た言葉。
強い感情がこもっている。棘のように深く胸に突き刺さる、憎悪。
「あの人……が、魔力の、発生源」
「分かってる」
震えるウルクの声に、短く答えた。
取り囲む住人達の垣根を越えた先に立つ、一人の女性を視界に収める。
長い銀髪に赤褐色の鋭い瞳。人間離れした美貌と、きめ細かい絹のような白い肌。
ヒトの形をして、遥かに高い魔力を備えた存在。亜人の中でも頂点に近い、異種族の中でも際立って境界線を引くことに拘るもの。
「〈渇血の魔女〉……」
「気安く呼ぶな、人間。いや、魔殺しのアーク家に連なる下郎」
「どうとでも呼ぶがいいさ。僕も知っているよ、同族殺しのリヴェンナ」
「人間共の俗称など興味は無い。吐き気がする」
「〈渇血の魔女〉でありながら、同じ〈渇血の魔女〉を殺して回る異端者。確か同族からも追われているんじゃなかったかな?」
魔女リヴェンナは心の底から湧き出る、マグマのような悪意を隠しもせず吐き出していく。同時に体表から魔力波動を放っている。
響く頭痛、気だるさ、寄っては引いていく潮に似た内側から打ち出される苛立ち。
僕は不快感を振り払うように首を振る。
「邪魔をするな。アタシは別段、ヒトに用は無い。ヒトと交わった、まがい物が遺した汚点を消し去るだけだ。もっとも、障害は排除したけどねぇ」
「貴女の、やっていることは実に幼稚な破壊だ。気に入らないから、壊すのか?」
「同族で争い、殺し合う愚かしい人間に言われたくはない」
自分のことは棚にあげて……自らから湧き水のように発生する苛立ちとは別の、根源的な気持ち悪さを覚えた。
「てめぇがやっているのも同族殺しじゃねぇかよ」
アリエルが、僕の気持ちを代弁するように吐き捨てる。
不快そうに眉根をひそめたリヴェンナが白い指で虚空に文字を描く。
「我が同胞の魂に告げる。ありしものを書き換え、膨張を招き唸れ」
空中に〝炎〟に似た文字が浮かび上がった。
ぐっ、とぶつけられる波動が強くなる。
唇を噛んで堪えていると僕達を取り囲んでいた住人達が、びくりと大きく体を打ち震わせた。痙攣の後、ゆっくりと歩き出す。
「やはり、操られているのか……」
「アタシだって、最初は譲歩してやったさ。差し出せと、ヒトに穢れたものを引き渡せば命は助けてやると。それがどうだ。大事な仲間だとほざいて拒否した」
「だから、意のままにしたのか。やりやすいように」
「分からんな、ヒトの沸点は。何がそんなに不快だ?」
嘲笑を浮かべながら語るリヴェンナに、鸚鵡返しでぶつけてやりたかった。
仲間を守ろうとする気持ちの、何がおかしいのか。何が不快なのか。
彼らはまだ生きている……迂闊に手を出すことはできない。
「おい、隊長さんよ! どうするんだよ、どんどん迫って来てるぞっ」
「無表情で迫られると中々に迫力も気持ち悪さもあるな」
珍しくうろたえるアリエルと、虚勢を張ったようなイージェスの声。
エピタフは頭を抱えて座り込んでしまったウルクを守るように、背中を預けていた。
妙だ。ただ近づいてくるだけなら押し退けるだけで済む。
リヴェンナの目を見ると、底意地の悪い笑みを浮かべてきた。
「アタシのコープス・バイタルは完璧。さらに術式を重ねてやった。お前らを拘束したら目の前でショーを見せてやるよ。この穢れた恥さらしの処刑をなっ!」
楽しそうに笑うリヴェンナの足元でもがくもの。
人の垣根で見えなかったが、僕達と同年代と思われる少女が横たわっている。
布で口元を塞がれ声が出せず意味をなさない、悲痛な声が飛ぶ。
リヴェンナが鬱陶しそうに少女を足蹴にした。藍色の長い髪を引っつかまれ、重力に逆らって持ち上げられる。
「見なよ! この目……不快で不潔なハーフである証の虹彩異色症っ」
少女の瞳は、確かに蒼い右目に淡褐色の左目。
歯軋りしながら、リヴェンナが少女と目線を合わせる。
強制的に目を合わせられ、怯えたように少女の瞳が潤む。
「僕の目の前で、殺させはしないよ」
「おっと、動くな。でないと……」
魔女の顔面、右半分が歪んだ。邪悪な魔物そのものの笑み。
止まる気配のない住人達、その体が発光生物がそうするように光を放っている。
点いて、消えてまた点いて。明滅するのは赤い輝きで、点滅する間隔は僕達に近づくにつれて少しずつ早まっていく。
とてつもなく嫌な予感がする。これじゃ、まるで爆弾の――
「イリュージョン・ボマー」
リヴェンナの声。言葉の残滓をかき消すほどの爆音。
「ぐぅっ!」
アリエルの体が吹き飛ばされる。びちびちと何かが飛び散る嫌な音が耳に入り、鼓膜を叩く。正確に、無慈悲に情報は伝えられ視界に惨状が晒される。
転がる首、千切れた断面。まびろでた桃色の小腸、赤黒い血液を地面に撒き散らす破片。飛んで散る赤い液体、ごろごろと音を立てて地面を滑る残りの肉体。
「あは、あはは、あはははははははっ」
リヴェンナが甲高い声で哄笑する。
目の前で炸裂したモノはアリエルの体にも鮮血の化粧を施していた。
「……てめぇ」
「どうだ、どうだぁ人間。弾けた飛沫の味はどうだよ、ええ?」
「ケッ、外道が」
自らの顔を袖で拭い、より陰惨な跡を見せつける。
アリエルは事実を事実として認めながら、思考の隅に放り出していた。否、あえて考えないようにしているのかもしれない。
僕が、目の前で起こったことを認めたくないように。
視界が揺らぐ。意識を、思考する力を突き飛ばしている間にも住人達は短く早い間隔で体を内側から明滅させながら近づいてくる。
「畜生、どうせ弾け飛ぶなら先に……っ!」
「やめろおおぉぉぉっ」
住人達に向かって駆け出したイージェスを反射的に呼び止める。
が、制止の声を無視して疾駆し、剣を構えて横に一閃を見舞う。
斬りつけられた青年が血を撒き散らしながら倒れ……轟音を響かせた。
「がああぁぁぁっ」
爆風、もとい断面から吹き出した血飛沫がイージェスの顔面を直撃。
目潰しを食らった形になり、地面を転がる。
「イージェスっ!」
駆け寄っていくアリエル。その後を追うように、地面に転がりのた打ち回るイージェスの近くに住人達が集まり始める。
「くっ……ふは、ははははは」
さらにリヴェンナが笑う。
「無様、本当にくだらないな、人間はぁっ」
ぷつり、と。頭の中で何かが千切れた音が響いた。
何故分かり合えると思えたのか。人間同士ですら、争い殺し合うというのに。
思考の糸が絡まり始める。頭の片隅で囁く声を、魔殺しの一族として人に仇なすものを、〈渇血の魔女〉を滅ぼすべきだという黒い感情が湧き上がってくる。
「おいっ、隊長さんよ!」
「僕は、僕は……」
「アンタがそんなんで、どうすんだよっ!」
アリエルが叫ぶ。
イージェスを背中で庇いながら、迫り来る住人達を前に大剣を盾のように構える。
虚ろな目をして行軍する住人達の手には凶器。
切り倒せば起爆する、イリュージョン・ボマーなる魔術の領域を超えた術式によって攻撃も防御も許されぬ状況を作り出されていた。
リヴェンナの愉しそうな笑い声が聞こえる。
圧倒的な支配者、超級の力を見せつける〈渇血の魔女〉。
「さぁて、じゃ……絶望に浸ったところでショーを始めるかねぇ」
リヴェンナが石ころでも投げるように、無造作に少女を地面へ投げ捨てた。
くるくると何を描くか迷っている芸術家のように、人差し指で空気をかき混ぜる。
「串刺しかー、全身を凍結させて叩き割るかぁ、迷うなぁ、迷うねぇ」
引き裂くように口角をあげるリヴェンナ。
武を奪い、交渉に持ち込む……そう誓いながら、何もできない。
「くっそ……」
「落ち着け、イージェス」
「だがっ!」
衝撃で炸裂する爆弾と化した住人がアリエルとイージェスに近づいていく。
どちらにせよ住人達は救えない……いや、リヴェンナを倒せば術式が解除される可能性も……その前に少女を、アリエルとイージェスを助けなければ。
常人を越えた身体能力を持つクラッドチルドレンとはいえ、至近距離であれだけの爆弾を、爆風を、肉の弾丸を浴びれば耐え切れない。
「迷え惑え愚かしい人間っ! どうせ誰も助けられないし、助からないんだよ!」
「いや、助ける」
短い宣言に僕とリヴェンナの視線が一点に集まる。
エピタフが、ウルクに何事かを言い聞かせて立ち上がった。
「誰が、何を助けるってぇ?」
「お前を殺せば解決する。少なくとも〝次の犠牲〟は回避できる」
「なっ……貴様、まさか」
初めて、リヴェンナの顔に負の情動が浮かぶ。
怒りに吼えるのではなく、愉しそうに宣告するのでもなく震える声で返す。
「貴様も、ただの人間じゃない、のか?」
「俺達にも向かわせるべきだったな。刀剣がないから油断したのか?」
「問いに、問いで返すな! 人間風情がぁっ」
「残念ながら、俺は〈人狼〉だ」
リヴェンナの質問には一切答えずに、エピタフは肘を上にして顔の前に腕を掲げる。
まるで猛獣が獲物に狙いを定めて襲いかかるように。
不安げな表情でウルクが口を開く。
「エピタフ……」
「やってくれ、ウルク」
ウルクが懐から短刀を取り出す。そのまま鞘から引き抜くと刀身が細く長く伸びた。
指揮棒を振るうように、細身の剣を振りながら言葉を紡ぐ。
「……風の精、地の精に告げる。謳い踊れ、血潮を噴き出し戦場を駆け抜ける風となって」
鼓膜を震わせるのは力のメロディ。
内側から沸き立つ何か。ただの激情ではなく、もっと大切なもの。
「往くぞ、魔女」
宣言してエピタフが足を踏み出す。
一歩また一歩と地面を蹴るごとに加速し、風を巻き込んでいく。
速度をあげて鋭い風鳴りを響かせて一迅の突風となる。
「ちぃ、人間共よ、アタシを守れっ」
「遅いっ!」
慌ててリヴェンナが盾にするように、住人を操作するがエピタフは避けて跳躍して激突することなく距離を詰めていく。
イリュージョン・ボマーによって作り変えられ、炸裂する住人のことなど気にも留めずに爆風を背に受けてさらに速度をあげて前へ前へ。
最早人間の耐えうる領域を越えていた。
が、エピタフは駆ける。その体に狼のような青紫の毛皮をまとって。
超速の突風が吹き抜け、音を置き去りにして……貫く。
「かっ……」
爪を生やしたエピタフの腕が、リヴェンナの体を貫いていた。
こぽりと、口から血を零す魔女。
「この、糞異種族がっ!」
リヴェンナが右手で口元を拭い、そのまま手刀を繰り出す。
毛皮に覆われた腕が宙を舞う。エピタフは右腕を失った痛みを叫ぶのではなく、悪態をつくわけでもなく声をあげる。
「隊長。武を奪い、交渉する。確かに血を流さずに解決できれば一番だろうさ。それでも戦いは起きる。どうしようもない悪が存在する。ここに生者は五人しかいないのだから」
「なん、だって……」
「この女のコープス・バイタル、だったか。確かに操っているよ……死体を、な」
リヴェンナが舌打ちをする。
体に活力が戻り、思考の螺子がきりきりと回っていく。
エピタフの言葉に目を覚まされた。
「何故、分かった」
怨嗟のこもった声でリヴェンナが問う。
「簡単な話だ。貴様は人間を蔑み、見下している。そもそも、生かす道理がない。加えて超級の呪いだろうが、これだけ多くの人間を操るのは厳しい。死体を無理矢理動かす方がやりやすいだろう?」
「知ったふうな口を……」
「結果論だ。実際に、貴様はまんまと俺の誘導に引っかかった」
「……腐れ狼め」
エピタフの回答に、リヴェンナは不快そうに吐き捨てた。
確証があったわけではなく、予測のもと組み立てた話術だったらしい。
リヴェンナは苦い顔を浮かべる、がその上から微笑みを貼り付ける。
「分かったところで、結果は変えられないだろうが」
「ああ、連中のことか?」
そうだ。変わらず、状況は最悪。
リヴェンナを仕留めきれず、アリエルとイージェスは爆弾化した住人、もとい操られた死体の軍勢に包囲されている。
エピタフは小さく首を振る。
諦めたのではなく、問題ないと瞳で語っていた。
「お仲間を肉塊に変えてやるよ……爆ぜろっ!」
宣告される。鼓膜を打ち鳴らし、空気を吹き飛ばす爆音が轟く。
また辺りに赤黒い肉片が飛び散る。
巻き上がる土煙、二名の殺害を確信したリヴェンナの甲高い笑い声が響いた。
粉塵が引き裂かれる。鈍色の大剣が夕焼けを照らしているように橙色の輝きを灯す。
煙から姿を見せたのはアリエルとイージェス。二人とも、無傷。
「馬鹿、な……」
「タネさえ分かればこっちのモンなんだよ」
驚愕に目を見開くリヴェンナを尻目に、アリエルが大剣を構え直す。
「俺の霊剣エクスボマーは衝撃を吸収し、破壊の力に変える。つまり――」
「吸収した、のか。アタシの力をっ」
「そういうこと」
驚きから反転し、憤怒へと変わったリヴェンナが腕を振るう。
「まだだっ! 役立たずの人間に殺せないなら直接……」
白い指が虚空に文字を描こうとする寸前、魔女の手に無数の短剣が突き刺さった。
声を抑えてリヴェンナが悶える。
空を切り裂き、魔女の手を貫き裂いた刃を放ったのは、ようやく視界を取り戻したイージェス。
「悪いな。俺の霊剣エクシズブレイドも衝撃を力に変える。ただし、アリエルのとは違って、飛ばした斬撃を無数の短剣に変える対軍用の能力だが、な」
「ぐっ……」
「どれだけ馬鹿でも、術式発動の手順さえ分かれば妨害できる。大方、その理を超越した魔術……いや、魔法を使う代償といったところか。文字、描かないと使えないんだろ?」
「こんな、はずが。くそ、くそっ、畜生っ!」
リヴェンナがはばかることなく悪態をつく。想定外アリエル、イージェスの生存、さらには予測すらしなかった反撃。完全に、慢心と油断が敗北を呼んでいる。
今なら、今ならば持ち込むことができるかもしれない。
そう考えたが、エピタフの視線で制された。
「ダメですよ、隊長。それに……」
「これで、どうだっ」
がばっと、リヴェンナは手の傷にも構わず少女の首を締め上げていく。
アリエル、イージェス、エピタフ、ウルク……四人のアークチルドレンは静かにゆっくりと集まる。僕を挟むように並んでリヴェンナを見た。
「何よ……何を、見ているっ!」
「別に。殺したければ殺せば? ただし、その瞬間にお前も死ぬけどな」
絶対零度の、凍てついた声でアリエルが言葉を吐く。
当惑したようにリヴェンナの声が震える。
「助けに、きたんだろうが、人間。この穢れたハーフを助けに!」
「反応があったから来た。それだけだ」
エピタフも同様に、感情なく淡々と語った。
「微弱だけど魔力の波長を感じた。そう、魔力の……たった一つの生体反応、が」
搾り出すように、ウルクは言葉を連ねる。
そう、最初から一人しか生きていなかった。ストンフォレスタは既にリヴェンナの手によって死の都と化していたのだ。
僕は、雑巾を絞るように魂の底から感情をひねり出す。
「貴女を、止めます。貴女を救うために」
「アタシを救う? 何から? 何のために?」
「私達は、言葉を持っている。語り合える、だから――」
「分かり合える、って? 下等な人間がほざくなっ!」
吼えてリヴェンナが少女の首元に顔を近づける。
口を開き、鋭く尖った犬歯を見せた。
「何を、するつもりだ?」
エピタフが呟く。びくり、とリヴェンナが肩を震わせた。
まるで親に叱られた子供のように。
「吸血するのか、魔女? その口で、貴様が卑しいという少女を毒牙にかけるか」
「違う、私は……」
「〈渇血の魔女〉、聞いた通り血を吸い万年を生きる〝夜を歩くもの(ナイトウォーカー)〟か」
「吸わない……こんな、混ざり物の血なんかなくてもっ」
「そうか」
短く吐き捨ててエピタフが駆け出す。
最初から示し合わせていたかのように、アリエルとイージェスも走る。
アリエルが大剣エクスボマーで地面を叩くと同時に爆砕、土煙を巻き起こしてイージェスがエクシズブレイドを振るって短剣を投擲。
その軌道を追うようにエピタフが疾駆する。
「がっ……」
一瞬。僕が止める暇もなく、リヴェンナの短い断末魔が響く。
煙が晴れた時には、全てが終わっていた。
ぐしゅり、と濡れた音が響く。
エピタフの、鮮血に濡れた手の上には微弱に脈動する生命器官……心臓があった。
「それ、アタシの……」
「ああ」
無造作に、林檎を握りつぶすようにエピタフは五指を内側に握り込んだ。
ふっ、とリヴェンナの瞳から光が消えて、倒れる。
「こんな、終わりって」
僕は呟くだけ。ただ、見ていた。
アークチルドレンが、自ら救い出した者達が死罰を執行する姿を眺めていただけだった。
全身から力が抜けていく。大地に手を着き、項垂れる。
結局、僕は止められないのか。どんなに言葉を尽くしても、気持ちを伝えようとしても分かり合えぬものは存在してしまうのか。
〝それ〟を排除するには武によって生命を奪うしかないのか。
そんな血で血を洗い流し、誤魔化す結末を回避するために、ここまで来たはずなのに。
「隊長」
ゆっくりと顔をあげる。鮮血に濡れた隻腕を見せつけるエピタフの、どこか悲しげな表情を浮かべた少年と向き合う。
「あなたは、誰かを救う。それだけを至上目的にすればいい。穢れは、血は俺達が浴びればいい。あなたが思う道を切り開くために、俺達を〝使えば〟いいんだ」
「そんな、やり方は……一緒だ。僕が、否定したやり方と」
九龍院 千影と同じ。目的のためなら手段は選ばず、犠牲も厭わない。
何故分かり合えないのか。何故隔たりが生まれてしまうのか。
視界が歪む。止めようのないものが溢れ出している。
「涙を止めろ。立ち上がって、彼女を引っ張り上げるんだ。あなたは、そうして救い出してきたじゃないか……俺達を。立ち止まるのか? こんなところで諦めるのか?」
「そうだ、僕は、助けるために」
ウルクの感じた波長を追って、助け出すために。
来てみれば既に街は〈渇血の魔女〉に支配されていただけ。
全滅ではなく、たった一人でも救出できただけ、まだ……。
「〈渇血の魔女〉は、亜人の中でも異端だ。連中は内輪で対立し、派閥を作って分裂する。リヴェンナのようなはぐれ者もいる。俺みたいに、自らのために牙を剥けないものが、な」
そう告げてエピタフは自嘲気味に笑った。
自らもまた、亜人の道から外れた存在だと言っている。
〈人狼〉は闘争心が強く、常に最高峰を目指す種族だと聞く。目的がなくても戦い続けることを至上の喜びとする戦闘狂。
その中でも目的を持って力を振るうことに固辞する、はぐれ者。
「俺には一族が言う、武を極めるという意味が分からなかった。そんなものに、何の意味があるのか。分からずにただ戦い続けていたら〝ああなって〟しまった」
「へー、イヌッコロにもそんな事情があったのかよ」
「……狼である誇りは忘れてないつもりだが?」
またアリエルとエピタフが顔を突き合わせ、各々の得物をちらつかせる。
が、すぐにどちらとでもなく身を引いた。
イージェスが呆れたように溜息を吐く。
「なぁ、隊長さんよ。あんたがどう思おうが勝手だよ。でもな」
アリエルの、イージェスの、エピタフの目が一点に集まる。
リヴェンナが穢れた同胞だといった、人と交わった〈渇血の魔女〉のハーフを。
「あんたが自分を否定してしまったら、あんたに救われた俺達は何なんだよ」
「それは……」
「狼野郎と意味合いが被るのは癪だ。それでも皆思ってるんだ。助けられたあんたに対する感謝と、何かで返したい気持ち。だから、使え。あんたの思うままに」
「俺もイージェスと同じさ。隊長さんが来なけりゃ、俺達はいないんだから」
「私も、あのまま酷いことされて、心と体がばらばらになってた」
イージェスに続き、アリエルとウルクが言葉を重ねた。
エピタフも頷く。
「そう、だね」
立ち上がる。助けた命が目の前にある。
助けて、自分の手駒として鍛え上げるだろう少女がいる。
――やってみろ。貴様の部隊で、貴様が理想とする解決法を探せ。
あの人は、こうなってしまうことを読んでいたのだろうか。
誰かを助けるためには力がいる。
助けた力は、新たなものを助けるために有効活用すべき。
そんな、人間を道具扱いするやり方が嫌だったはずだ。
それでも、避けて通ることができない。
現実に〈渇血の魔女〉の力は驚異的だった。種族主義のリヴェンナは、慢心からアリエル達の連携を前に敗北したが、次も上手く勝てるとは思えない。
勝つ? 何故そんな話になっている。
僕は争い合うのではなく、対話で解決すると決めたはずじゃないか。
「いや……」
ゆっくりと、近づいていく。
確かに僕達が助けた少女へと、まだ恐怖に打ち震える矮躯の前に。
「僕達は、君を害することはない。一緒に、行こう。誰もが手を取り合う世界へ」
彼女が、架け橋になるかもしれない。
人間と〈渇血の魔女〉の間に生まれた子供。
――目には目を、歯には歯を。〈渇血の魔女〉には、〈渇血の魔女〉を。
違う。いやにはっきりと、頭の中で響いた言葉を否定する。
僕達は、クラッドチルドレンは戦闘の道具じゃない。今は必要だから、いまだ世界に蔓延る数多の罪悪を討ち滅ぼすためには力がいるから。
人が必ず持つはずの、善なる心を取り戻すためには邪悪な罪業を殲滅する力がいる。
より強大な存在であるならば、超えうる強大な力で武を奪うだけ。
「あなたは……どうして、そうまでして人の善性を、信じるのですか」
恐る恐るといった調子で告げられた言葉。
千影が暗に告げていた、アークチルドレンが気付かないように触れないように隠していた黒く暗い箱に収めていたものを、少女は迷いなく突きつけてしまった。
亀裂が入る。僕の中の、たいせつなものが砕ける音がした。
「何故、そんなことを……」
「〝声〟が聞こえたんです。あの人の、悲痛な叫びが」
少女がおずおずと、心臓を失い倒れた魔女を指差す。
否、既に示された場所にリヴェンナの死体はなく、堆く積もった白い灰の山があるだけ。
湯気が立ち上るように、七色に輝く粒子が宙を舞い、導かれるように少女の下へ引き寄せられる。その謎の粒子を、少女が空気と一緒に吸い込み呼吸した。
「〝低俗な人間同士ですら、争い合い殺し合う世界で和平など糞食らえだ〟」
明瞭な声で告げられる言葉は、そのまま刃となって僕の胸に突き刺さる。
幾度となく繰り返され、そして目を背けてきた事実。
「同時に〝最上位種である〈渇血の魔女〉が人と交わるなど不愉快極まりない〟とも。これは、私に対する言葉ですよね。あはは、そう生まれたくて、生まれたわけじゃないのに」
リヴェンナの言動そのまま、揺るがぬ意志を見せた気高き血脈の最後。
その残滓が流れ込んだ少女の、内側に強い波動を感じる。人間よりも強大な身体能力を持つクラッドチルドレンの因子に加えて、魔術を越えた魔導の極みに至る魔力を。
だが、今もっとも激しく放たれているのは悲哀の感情。
生まれてしまった、望まぬ出生を呪う魂の慟哭が聞こえる。
「……ダメだよ。生まれてきたことを、否定しちゃ」
「隊長、俺らの受け売りじゃないですか」
アリエルが口を挟むが無視。今、目の前の少女に必要なのは仲間。ありのままを受け入れてくれる存在。
呪われていても、若くして死に至る運命を背負っていても、生きたいと思える場所。
「君は、僕が守る。僕が否定されても、僕の意志は彼らが共に抱いてくれる」
究極の幻想だといわれても、偽善だと切り捨てられても。
人の根幹に善なる意志がなければ、とうに世界は崩壊している。
世界が持続しているのは、少なくとも善なる意志が勝っている証拠。そうでなければ、失われてきた命が余りに無意味じゃないか。
最後に正しく導かれ、皆が笑える世界を作れないなら、何故犠牲が必要だったのか。
少女の瞳から雫が零れ落ち、頬に一筋の軌跡を作り出す。
「こんな私でも、生きて……いいのですか」
「当たり前だ。死ななければならない存在なんて、いないのだから」
エピタフが無言で頷き、ウルクは精一杯の笑顔を見せる。
そう、たまたま分かり合えず〝未来のために必要な犠牲〟にしてしまっただけ。
――それじゃ、一を切り捨てて千を救う九龍院 千影と同じじゃぁないか。
誰かが告げる。耳を塞ぐ。意識から切り離す。
全て追いやって……僕自身が〝人間の善性を妄信している〟ことすら記憶の奥の底の箱に閉じ込めて。僕は少女へと手を伸ばす。
「僕は、クレス。クレッシェンド・アーク・レジェンド」
「……オルトニア、です。立派な、家名はありません」
「うん。だから、今日から君はオルトニア・アークだ」
「……はい」
短く答えて少女は、オルトニアは微笑んだ。
誰に否定されようとも、僕は負の連鎖を生み出さないと決めた。
ハーフではあるが、〈渇血の魔女〉が共に歩んでくれる。
だから、きっと、分かり合えるはず。
そう、これが僕の……罪。




