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灰色の境界  作者: 宵時
第二章「君には、僕を殺す権利がある」「死はいつも貴方のすぐ隣に」
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2-10 遠き幻想を抱いて

 決して、僕は許容したわけでも認めたわけでもない。

 ただ手段としての戦闘行為は、どれだけ言葉を尽くしたところで回避しようのない場面がある。

 九龍院 千影と、彼女が率いる〈灰絶機関(アッシュ・ゴースト)〉が選んだ方法はある意味では最適解なのかもしれない。

 抱き続けた意志が揺らぎかけるくらいに、世界は腐敗していた。

 赤茶けた荒野に造られた、土壁の住宅で構成された集落。物の見事に包囲される中、千影は何でもないように黒刀を振るう。

 声高に叫んで両手の鉤爪(かぎつめ)を打ち鳴らし、異国の男が迫り来る。


「刀剣は本来、斬る用途には向かない。何故か、分かるか」

「……いつも思うんですが、戦闘中に教授する必要はあるんですか」


 やや呆れながら言葉を投げ返し、僕は相対する男の得物を自らの剣で払い飛ばし、素早く背後に回って頸部(けいぶ)に手刀を打ち込む。

 一撃で昏倒させた直後に、背中から野太い断末魔が響いた。


「実戦で見せられる。目の前でやってやればどんな阿呆でも理解できるだろうが」

「また、貴女はそうやって呼吸するように殺す」

「お前の意志は聞いたが、尊重すると言った記憶はない」

「ええ、そうでしたね」


 小さく息を吐く。地鳴りのように響き渡る怒号が体に痛い。

 小さな集落から変貌した戦場で僕達〈灰絶機関〉は大勢の兵士に囲まれていた。

 装備も服装もまばらで、槍を持ったり弓を構えていたり、大人二人分はあろう大剣を携えていたり、原始的な棍棒を握っていたりと統一性のない軍勢だ。

 唯一、一つになっているのは相対する連中が唇から垂れ流している言葉。


「邪魔立てするな! 我らが偉大なるオーリャのご意向であるぞっ」

「何十回も聞かせなくても、とうに理解している」

「オーリャに捧げよ、罪を引きずりし者の血肉をっ!」

「命の花を散らしているのは貴様らだけだ」


 冷徹な、抑揚のない声色で告げて千影が駆け出す。

 僕も剣を振って、飛来してきた矢を斬り飛ばし叫ぶ。


「やめて下さい! 貴方達のやっていることは、ただの略奪ですっ」

「オーリャのために! 神の御心(みこころ)のままにっ!」

「ああ、もうっ!」


 会話にならない。

 武器を手に突撃を敢行する軍勢を前に吼えるも、聞く姿勢すら持ち合わせていない。

 語り合えば、交渉のテーブルにつければ分かり合えるはずだと信じていた。

 主義主張が違っていても膝を付き合わせればいつかは……戦場では、そもそも機会すら与えられない。

 絶叫に近い怒声と共に突き出された槍を受けて、流す。

 鉄同士が軋れ合う音が鼓膜を震わせた。あくまで武具は武具を破壊するか、(さば)くために利用するだけ。語り合う、交渉の場を作り出すために。


「どうしてっ! この国の連中は人の話を聞こうともしないのかっ」


 始まりさえもしない。

 赤色の土はさらなる紅にまみれ、地を這う虫はより重い肉片に押し潰され果てる。折り重なる犠牲者を踏みつけ、潰し骨を砕きながらも同じ言葉だけを吐き出す。

 

――神の、オーリャの名の下に!


 彼我の戦力差は十倍ほど。〈灰絶機関〉から選抜された実働部隊五人に対して、五十もの男達が襲いかかる。それでも戦線を維持し、さらに押し返すのが〝呪い〟の力。

 無秩序な、オーリャの名を叫ぶ軍勢はゆっくりと瓦解していく。

 目の前で同胞が血を吐き倒れても、蹴散らして刃を振る。

 野生のまま、原始的なただの殺し合いが繰り広げられていた。

 その大半を引き受けているのは〈死神〉としての力を失ってもなお、圧倒的な膂力(りょりょく)と剣捌きで死体を積み上げていく黒刀使い。


「終わりだ。カミサマなんぞの名を騙る無法者共が」


 吐き捨てるように告げた千影の傍に痩身の人物が立つ。

 黒装束に身を包み、口元すら覆面で隠されているため性別は(うかが)い知れない。

 千影が目を向ける。視線で射抜かれた軍勢、武器を持つ者達は既にどこかしら負傷をしていた。

 だが、まだまだ戦意は衰えない。口々に自分自身を奮い立たせるように神の名を叫ぶ。オーリャ。オーリャに捧げる、と。

 黒装束の人物が刀を構える。脇差よりも短い、小太刀ほどの得物。ゆっくりと黒塗りの刀身から白刃が抜き出され、同時にくぐもった声が響く。


「…………痛み詫び開け、〈死花(しにばな)〉」


 すぅ、と真っ直ぐに鼓膜を震わせて神経を通り、電気信号へ変わり、再変換されて意味に通じる。

 オーリャの名を叫び続けた者達、その全員がもがき始めた。

 酷い蕁麻疹(じんましん)にうなされるように叫び、己の体を()きむしる。苦しみ、悶えて地面に転がり、体中を引っ掻き回して自らの血に染まっていく。

 皆等しく出血し、撒き散らしながら大地に伏せ、やがて動かなくなった。

 ゆっくりと倒れた男達から、若い薄緑色の芽が出る。急速成長し、芽は世界に顔を開いて葉となり、すぐに花を咲かせた。

 鮮血のように真っ赤な花弁を、まざまざと見せつけるように咲き誇る。

 倒れた男達は、まるで生気を吸い取られたように干からびていた。


「こん、な」


 言葉を失う。

 〈灰絶機関〉の面々は戦闘態勢を解き、近くの家屋へ入って安否を確かめる。

 光を吸い込んだ空間は暗く沈んでいて、赤黒い血溜まりが広がっていた。砕かれた壷、無造作に散らばった穀物、顔面を縦に両断され激痛を訴えたまま固まった死者の顔。

 折り重なって倒れている(むくろ)が僅かに動く。


「…………生存者、一」


 無感動に、淡々と報告される現状。小太刀を抜き、世の理を捻じ曲げる異常を引き起こした黒装束の人物が刀を持ったまま歩く。


「なっ……」


 右手が振られ、空を切る刀を見て僕は驚きを漏らす。脇差よりも短い、三十センチ程度だったはずの白刃が今は倍以上の長刀へ変貌している。

 おまけに、刀身は血を吸ったように赤黒く染まり、ところどころ棘のような突起ができていた。これでは刀ではなく肉を抉り取る棍棒のようだ。

 黒装束の人物が僕に視線を向けたが、それも一瞬だけ。

 すぐに前へ向き直って動いた死骸を(あらた)める。


「…………やりますよ」

「確認などとらなくていい。やれ、(あきら)

「…………了解」


 晶と呼ばれた黒装束の人物が答えて、左手だけで赤黒く汚れた衣服に身を包んだモノを持ち上げた。少年、だと思う。

 〝それ〟は凍えているかのように小刻みに震えていた。

 瞼は見開かれ、かちかちと歯を打ち鳴らし声にならぬ嘆きを吐息として吐く。

 生存者。この惨状の中ですくい上げられた確かな実績。その小さな体を前にして、晶は何の躊躇もなく右手の長刀を突き刺した。

 短い苦鳴と共に脇腹を刃で貫かれた少年が唇から血をこぼす。


「何をっ!」


 しているんだ、とは続けらなかった。少年の顔に赤みが差す。ゆっくりと長刀が引き抜かれると、不可思議な刃はまた元の小太刀へと戻っていた。

 晶は素早く小太刀を鞘へと戻すと、少年を両手で抱き上げて地面へ下ろす。


「…………立てますか」


 やはり、感情のこもらない淡々とした声で晶は少年へと問う。

 少年は刺された自らの腹を確認し、そこに傷さえないことに気付いて目を丸くする。続いて辺りを見回し、自分の置かれた環境を認識したのか、唇を噛む。

 強く、強く犬歯が皮膚を食い破って血を(にじ)ませるほどに。


「さて、死の間際から蘇った気分はどうだ?」


 千影も少年へ問う。答えは返ってこない。

 少年はゆっくりと自分の足で惨劇の現場を踏み鳴らし、晶の手を離した。離された手が握り拳を作る。ぐっ、と振り上げられた右腕は屈み込んで様子を見ていた晶の顔面へ。

 が、打ち抜かれることなく晶によって少年の手は止められた。

 ぐっぐっと引き離そうとするが小さな子供の力ではどうとも……。


「離せっ!」


 少年が大声をあげ、晶の手を振り払った。

 晶は変わらぬ様子で少年を見つめる。僕は少年の、子供らしからぬ力を目の当たりにして、気付く。


「まさか、貴女は……」

「おおよそ貴様の考えている通りだよ」


 千影は笑う。嬉しそうに、楽しそうに微笑んでいる。

 少年が笑顔の千影を睨んで、叫ぶ。


「なんで、俺が生きてるんだよ! なんで、こんな……っ」

「見たまんまだ。阿呆の群れが欲望むき出しに集落を襲い、略奪した」

「お前ら、がっ!」

「おいおい、むしろ私達は襲った連中を殲滅した〝正義の味方〟だぞ?」


 少年が辺りを見回す。転がる無数の死骸。無残に殺された両親であったらしい男と女の顔。むせ返るような、鼻の粘膜を侵略する血の臭い。


「あ……」

「泣くな。水分の無駄だ。お前が泣き喚いても結果は変わらん」

「なら、生き返らせろよ! できるんだろっ! アンタの、それっ」


 少年が晶を指差す。晶も持つ、先程自分を蘇生させた異質な刀を。

 懇願された本人は無言で首を横に振る。


「なんでだよ! それで俺を助けたんだろ? ならできるだろうがっ!」

「…………私の〈死花〉は死者には通じません」

「なんだよ。なんだよ、それ」


 怒りと悲しみにわななく少年が膝を崩す。母親であった者、父親であった者、恐らく多くの同胞が屠られた場所でただただ怒りをぶつける。

 拳を作り、赤土に打ち付けて。打ち付けて、打ち込んで、己の拳を潰さんとする勢いで地面に向かって獣のように咆哮し、そして吹っ飛ばされた。

 ボールのように放物線を描き、別の家屋の壁に打ち付けられる。


「救われておいて無駄にするな、糞餓鬼が」


 千影が吐き捨てて、足を下ろす。少年を救わせた張本人が、少年を蹴り飛ばしたのだ。

 一方の晶は抗弁するわけでも同調するわけでもなく、瞼を伏せるだけ。


「ざ、っけんな」


 がらがらと家屋だったものが土くれとなって崩れていく。瓦礫の中から這い出した少年が、今度こそしっかりと自分の足で立ち上がった。

 あれほど死にかけていた矮躯が、なんでもないように生きている。

 その強靭な生命力は僕たち全てに通じる共通のものであって。


「別に助けてくれなんて言ってねぇ!」

「ああ、頼まれちゃいないな。だがどうだ糞餓鬼。貴様はこの状況を見て、私に牙を剥くのか? ぶつける相手が違うんじゃないのか。例えば、ふざけた略奪者共とか」

「それはアンタらが殺したんだろうが!」

「そうだ。理不尽なモノは潰した。それでも、多分こんなのはどこでも起きているぞ」

「てめぇっ!」


 少年が吼える。叫んで千影に殴りかかるも、避けられ転倒した。起き上がり、また襲いかかり避けられ転ぶ。また起き上がり拳を握るも腕を捕まれ投げ飛ばされた。

 何度も、何度も挑むさまをただ見せつけられる。

 晶は何も言わず、千影も無言で避け続けて少年の体に生傷が増えていく。


「はぁ、はぁ……」

「気は済んだか」

「なん、なんだよ。お前達はっ!」

「〈灰絶機関〉、この世界の罪を滅ぼし尽くすための組織だ」

「だから〝正義の味方〟かよ」


 剣で切りつけるような鋭さで告げる千影に対し、少年は笑った。

 そんなことできるはずがない。きっと、そう思っている。僕も現実にこの目で見るまではただの噂話だと思っていたし大抵の人間が同じように考えているだろう。

 それでも僕達は存在している。

 ただ〝正義〟と言い切れるかどうかは分からない。

 千影は少年を地面へ射抜くように睨んだまま、続ける。


「貴様が生存できたのは、その体にある〝呪いの力〟による。そして、私達はその力を世界から悪逆なるものを排除し、罪を斬り捨て力なき者を救うために使う」

「そんなことが、できるわけ……」

「できる、できないじゃない。やるんだ。貴様は悔しくないのか? 苦しくないのか。貴様のように大勢が、腐った連中に苦しめられている。そいつらを討ちたいと思わないか」


 少年が押し黙った。が、多分答えは最初から出ている。

 何もできなくて悔しかったからこそ、苦しんでいるからこそ感情をモノにぶちまけた。きっと、そんなこと何の意味もないことを頭で理解しながらも、やらざるを得なかった。

 破壊された日常を受け入れるには、非日常を受け止めるにはきっと必要な通過儀礼。

 だけど、この〝始まり〟は僕が考えているものより程遠い。憎悪から生まれる復讐心を原動力とした力はただの暴力でしかない。

 暴力でこじ開けられた世界に価値があるのだろうか。


「こっちにも生存者一名、連れてきたよー」


 軽い調子で新たな生存者報告が飛ぶ。

 少年を抱きかかえて歩いてきたのは、藍色の肩まで届く髪にライトグリーンの左目。右目に当たる部分には眼帯。柔和な笑みを浮かべた青年だった。


「イージェスっ!」


 少年が抱きかかえられた青年を見て叫ぶ。

 呼びかけに応えて、瞼を開きかけた少年がすとんと下ろされた。


「アリエル……?」


 まだはっきりと覚醒していない、イージェスと呼ばれた少年が呼び返す。

 アリエルと呼ばれた少年が駆け寄り、再会を尊ぶように飛び込む勢いでイージェスを抱きしめた。


「ど、どうしたんだよ。変だぞ、お前」

「変なのはお前だよ。こんな時までぼさっとしやがって……」


 訳が分からず困惑するイージェスに対し、アリエルは涙声で言葉を零しながら腕に力を込める。

 千影が確認するように、イージェスを抱きかかえてきた青年へ問う。


青璃(せいり)、他には?」

「見ての通り。クラッドチルドレンは彼らだけのようッスね」

「二人か……」


 告げて、千影が僕を見る。

 正直なところ、理解が追いついていない。千影と出会ってから一年、剣術を仕込まれながら各地を転戦し、死ぬような思いを何度も経験してきた。

 亜人の殲滅、紛争地域への介入と両軍鏖殺(おうさつ)という形でなし得た平和。

 彼女は犠牲を(いと)わない。

 万を救うために千を殺すことになっても平気で実践する。

 同時に思い知らされるのは、人がどうしようもなく人が暴力に訴えること。それを越える暴力で叩き潰す〈灰絶機関〉のあり方。

 赴く場所でクラッドチルドレンを見つけ、救い出して仲間として同じ戦場に立たせる。

 今回もまた新たに二人……彼らは罪を殺すために、より深く暗い業を背負って生きていくことになるのだ。

 殺人という禁忌を用いて、他者を屈服させる。


「不満そうだな」

「ええ。聞きたいこと、確認したいことが多すぎてですね」

「〈死花〉の能力を間近で見るのは始めてだったか?」

「効果や仕組みを情報として与えられていても、驚くものは驚きますよ」

「ほう。私からすれば貴様らイズガルト人が操る魔術と、クラッドチルドレンの力に思えるがな」

「どういう意味です?」

「魔術は人間の善なる想いから生まれる。誰かの役に立ち、得た喜びに溺れることなく、己を磨き上げた末に気付き、至る場所から湧き出る〝超越者の領域〟……そうだな?」


 頷く。アーク流に伝わる魔術の根源は自己鍛錬の末に辿り着く境地にある。

 それと自ら告げる〝呪いの力〟のどこに因果関係があるというのか。

 千影が惨劇の跡、戦場を指差して口を開く。


「ここ、オーリェンは唯一神オーリャを信奉するオーリャ教徒が八割以上を占める。今、見たように連中はあらゆる物事をなす根本的事由として神とやらを持ち出す」

「イズガルトには宗教の自由があります。オーリャ教徒も一部いますよ」

「そう睨むな。別段、批難する気はない。無論、魔術を軽んじるつもりもない」


 家を追われたとて、母国を蔑ろにされるのは余り心地よくない。

そんな感情の変化を読み取ったか、知らず顔に出てしまっていたか。

 千影が続ける。


「言い換えれば、無償の愛から生まれる奉仕精神が我欲を滅する。その先に開かれた悟り、新たなる扉から未知の力を引き出す……という解釈にならないか」

「半分は合っています。欲望を持つことは、自然との調和を破壊するものです。何も持たず、望まぬ開け放たれた心でなければ自然と一体になることはできません」

「その理屈が分からないな。奉仕精神、無償の愛とかいうのも結局は自己満足のために作り上げられたロジックに過ぎない。どうして欲がないと言い切れる?」

「……それこそ、数多を創り従えた神への冒涜です」


 交じり合わない。分かってはいたが、こうも思考が合わないとは。

 千影の言っていることは屁理屈だ。より汚く、より人間の悪しき面だけを表に見せた言葉遊びに過ぎない。

 欲望を抑えず、自己を管理しないでいる人間ばかりであれば、とうに世界は混沌の只中に落ちている。

 そう、思考を回してふと思い返す。

 これまで見せられてきた場所、人種こそがその〝悪い面〟の集約ではないか。

 千影の瞳を見つめ返すと、最初から分かっていたように笑ったまま。


「残念ながら、私は無宗教でね。神とかいう曖昧でご都合主義なものは信じないんだよ。私からすれば、オーリャ教の連中は自分の欲を満たすために好き勝手やる理由付けでカミサマを引き出しているだけだし、貴様の言う〝魔術へ至る道筋〟も第三の境界を越えるために必要なきっかけに、どこで気付くか気付かないか。それだけに思う」

「全部、都合よく繋ぎ合わせたモノだと言いたいのですか」

「いいや。実際に使える者、使えない者はいるだろう。だが、私には魔術を持つ者、全員があらゆる人民のために無償で力を振るうとは到底思えない。現に、貴様も魔術を担う一派に襲われ死にかけたではないか」

「……それ、は」

「もっとも? アクションに至った理由が欲に負けたというが、欲望のない人間などただただ時間を浪費しているだけの、生きる屍に他ならない。欲がないなら目的がなく、目的なく存在し続けることは無作為に酸素を消費し、食料を回収する。はっ、そんなのは大災厄(ハザード)だ。ヒトなんて他から奪わねば存在すらできないんだから、最低限の義務として意味は持たなきゃならないだろうが」

「ぐっ……」


 言葉を尽くせば、ヒトは必ず分かり合えると思っていた。

 僕には、そんな邪な欲望はない。殺人は連鎖し、憎悪も連なっていく。

 殺された人は殺した人を恨み、また殺されれば家族が苦しむ。

 それでも、方法はあるはずだ。最小限に被害を留める方法が……目指せば、被害者ゼロでも救えるはずだ。

 そもそも境界を超越し、不可能を可能にするのが〝魔法〟であるはずなのだから。


「話を最初に戻そう。剣術において斬る、という選択は余り有効ではない。生物には骨があり、両断するには相応の筋力が必要で、さらに言えば切り返すごとに付着する肉片や血糊によって切れ味が落ちる。ここまでが普通の論理。一般人が生きる世界の(ことわり)だ」

「魔術はその境界を越えます。自然と一体化し、あらゆる事象の根源を担う」

「火や水、雷や風などの変換や空気中の物質を操作して生み出す力、だな」

「ええ。ただ人によって得意不得意はありますが……」

「それだよ」


 人差し指が僕の鼻先へ向く。押し潰されそうな威圧感、それは魔術を扱う者が互いの波長をぶつけ合う間隔に似ている。


「クラッドチルドレンが扱う刀剣は、全て霊剣と呼ばれる特別製の得物だ。私の持つ〈鎖天桜花(さてんおうか)〉、晶の〈死花〉、そして貴様に渡したアークスレイヴァー……それらは世界に点在する霊力を媒介にして異能、即ち世界の理を捻じ曲げる」

「霊力……まさ、か」

「捉え方の違いだな。目に見えぬ、境界の先にある未知のモノを霊にまつわるものだとするか、それとも魔にまつわるとするか。とはいえ、細かな筋道に違いはあるだろうが」


 震える。体が、心が、僕を支えていたものが少しずつ砕けて崩れていく。

 ならば、何故呪いなどと呼ぶのか。

 目を細めながら、千影が続く言葉を吐く。


「似ている、が大きく違う点が一つ。霊力を介する力は、持って生み出されたモノ。対して、貴様らイズガルト人の扱う魔術は自らが境界を越えて操ると覚悟して振るうモノ」

「だから、呪われた……」


 望まずして、付与された力。それを使って何ができるのか、何をなし得るのか。

 選んだのは理想を現実に変えること。国という境界を越えて、平和な空間を作り出すために悪を根源から断ち切ること。


「僕は、それでも」

「それでも貴様のいう遠き理想の道を歩きたいというなら、奴らを〝使え〟」

「彼らを……?」

「貴様が覚悟し、扱う魔術。理想を現実に変えたいなら、出来うるだけの力を持て。最初に望んだ通り、ツルギの理は教えてやった。後を決めるのは、その魂だ」


 凜として千影は言い放つ。理想を作り上げるための力。

 ヒトの常識を超えたクラッドチルドレンの、霊剣の力と並ぶ魔術の論理。


「僕が、決める……」

「やってみろ。貴様の部隊で、貴様が理想とする解決法を探せ」

「今までの活動は、そのために?」

「いつまでも傍に付いてやるわけにもいかないから、な」


 言いながら千影は青璃、続いて晶を見る。


「カタチは違うけれど、同じ境界を越えた論理使いとしては応援したいねぇ」

「……天海(あまみ)、さん」

「期待しているよ。君の、アークの流れが持つ力を」


 飄々とした調子で天海 青璃が微笑む。


「…………真っ直ぐ、貫けばいい」

「分かっていますよ、櫃浦(ひつうら)さん」


 変わらず抑揚のない声で櫃浦 晶が言葉を落とした。

 そっと近づく。まだ傷の言えぬ、多分僕と同じくらいの少年達へ手を伸ばす。


「アリエル、イージェス。共に()こう。君達を、繰り返させないために」


 悲しみも怒りもない世界を、誰もが笑って過ごせる世界を。

 誰かの犠牲で作り出すのではなく、刃ではなく言葉で語り尽くせる世界を創造する。

 ヒトが欲望をもって生きるとしても、その殻に包まれた善意を守れるのならば……。


――悪なる本質から目を逸らし、善なるものだけを信奉する。


 この時……僕は、まだ歩き始めたばかりだった。

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