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灰色の境界  作者: 宵時
第二章「君には、僕を殺す権利がある」「死はいつも貴方のすぐ隣に」
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2-9 異端なるもの

 長くなりそうだから、と亮の提案で会談の場所として来々木家を借りることになった。

 単純に語り聞かせるだけだから、坂敷邸でも問題はないのだが時間的に道場での夜間練習と被るのとリオン嬢の反対、距離的な問題もあり選択しなかった。

 先日の対立から苦手意識を持っているのかもしれないが、僕にとっても有難い。

 僕も坂敷 千影、もとい九龍院 千影という人物は未だに気の置けない関係で一緒の空間にいると非常に息苦しい。

 と口にするとセラに刺されそうなので辞めておいた。

 一応は亮のとりなしで大人しくしているが、心情としてはすぐにでも決着を付けたいところだろう。その当人の姿は今、ない。


「なんだか変な気分……」

「実害はないだろうから安心してくれ」

「安心できないから言っているのに!」

「理由がないから攻撃もない。争い合う理由がないと最初に言い出したのはお前だ」

「それとこれとは話が違うでしょ!」

 言い争っている亮とリオン嬢の仲がいいのか悪いのか分からないやり取りに苦笑する。

 一定間隔で並び立つ街灯に照らされ、伸びる影は三つ。セラの姿はない。

 リオン嬢の影が揺らぐ。

 湖面のように波打って、くっきりと切れ目が生まれ二つの眼球が見開かれる。


(わたくし)とて納得しているわけではありません。あくまで、妥協案です」

「だって放っておいたらあの辺り瓦礫の山になるまで争いそうだし……」

「蒸し返すのも止めて欲しい。千影様の名がないから、という前提をお忘れなきよう」

「分かってるから! だけど、こうね。こそばゆいというかっ」

「私が、人間如(ごと)きの影に侵入(はい)っていることの苦痛と比べれば造作もないかと」

「うー……」


 ずっとこの調子で、リオン嬢が文句を言うがセラに一蹴されるという不毛なやり取りが続いていた。僕も、亮もただただ苦笑するだけである。

 セラの口から出たように、場所を移動する際に人目に触れたくないという理由で他者の影に入ることを提案してきたのだ。

 これが〈黒の死神〉としての力か、〈渇血の魔女(ワルクシード)〉としての固有能力か、説明することはなかったが有事の際に迅速かつ確実に対象を仕留めるのにこれ以上適した能力はないだろう。

 実際に麻薬密売組織の残党を狩っていた際も活用していたに違いない。

 三日で五十の組織を潰したと聞いた時は驚いた……二重の意味で。

 とぷん、とセラの瞳が影に消える。

 まだリオン嬢は何か言いたげだったが、もう取り合わないつもりなのだろう。

 意味はない。

 彼女達がどれだけ言葉を重ねても互いの魂が持つ志を束ねることはできない。

 あくまで、できるのは目標達成までの共同関係まで。それは僕とセラが長年続けてきた共闘関係でもある。

 車の行き交う大通りの脇、円筒型の自動清掃機が徘徊する歩道を歩く。

 帰宅ラッシュを過ぎてはいるが、まだ人通りは多い。歩行者専用と記された看板を思い切り無視して自転車を飛ばす青年。既に泥酔状態で奇声をあげる会社の重役らしき壮年の男性と困ったように苦笑いを浮かべる部下と思われる男。

 その重役男性に言い寄られて嫌悪感を露にしたパンツスーツの女性。


『――次のニュースです。昨夜未明、宝石店に押し入った男が突入した警察当局特務機関によって捕縛され、人質は全員解放されました。逮捕されたのは住所不定無職の――』


 ビルの壁面に設置された装置から投射されている立体工学映像では絶え間なく事件が伝えられる。報道される特務機関も〈灰絶機関〉の下部組織であることを考えると何ともいえない気持ちになってしまう。

 表側で動くものと、裏側で蠢くもの。


「そして、今宵も飽くことなくヒトは行動を起こし平穏とやらを傷つける」


 リオン嬢の影からセラが呟く。

 僕は答えない。亮も反応せずにどんどん前を歩いていく。


「色々な人がいるから」

「アルメリアには十人十色、という言葉があるそうですね。みんな違って、皆いい……だとか。私には理解できません。悪しき違いのどこに善性が存在するのでしょう」

「私に言われても困るよ」

「別段、貴女に問いかけたつもりではありませんが?」


 ぴしり、と空間に亀裂が入ったような気がした。

 同じくアルメリア由来に喧嘩するほど仲がいい、などという言葉があるがセラとリオン嬢には当てはまらないようだ。

 変わらず亮は先導する。


「昔から何も変わらない。どれだけ規制を強化しようとも越法行為は無くならない」

「それは、振り切れちゃうからでしょ? 理性と利益の天秤が」

「浅ましきこと、この上なく不快です。ヒトのあり方全てが」

「……迫害って言ってたけど。それってアンタらも仕掛けたんじゃないの?」


 空気が重い。彼女はどうしてここまで突っかかるのだろうか。

 何かとてつもなく深い、闇とはまた逆の高潔すぎる理想が根底にある気がする。

 かつて、まだ何も知らなかった頃に僕が信じきっていたように。

 世界には悪しきものと良きものが存在し、互いに駆逐しあって最後には必ず良きものが勝利を獲得する。当たり前の勧善懲悪など、結局は外側の思い込みでしかない。


「着いたぞ」


 悶々としている間に歓楽街を抜け、市街地を通って少し喧騒から離れた居住区に辿り着いた。一軒家が立ち並ぶ一角で亮が指差す方向を見る。

 大きな白い壁を擁し、簡素な銀色の表札には来々木の黒い文字。

 目をこらすと、あちらこちらに薄い赤色の染みが見えた。大よその事情を知っているだけに触れるべきか、触れざるべきか悩む。


「元々は三人で住んでいた。が、今は一人だ。気遣う必要はない」


 淡々と告げて亮が門扉を開いて階段を登り、ポケットからキーを取り出して玄関錠に差し込み解錠する。

 手振りで促されるまま、セラが影に入ったままのリオン嬢がと足を踏み入れた。

 少し間を置いてセラが影から抜け出し、何食わぬ顔で中へと入る。僕も(なら)って、特に感情を表に出さずに和やかな笑みを称えて一言。


「お邪魔します」

「適当にどうぞ」


 素っ気無く言って亮が僕の背中を押して中へと入れる。直後に扉が閉められ、施錠。

 僕は靴を脱いで、きっちり玄関へ向けて揃え直してから中へ入る。亮も同じように自分の靴を揃えてからリオン嬢の靴も揃えて置く。

 亮が玄関にある電子板を操作する。

 廊下の電気が点き、奥の部屋にも照明が(とも)った。

 視線で促され、くすんだ茶色のフローリングを進む。

 一人で使うには余りに大きな、八人でも囲める長方形の大きな机にセラとリオン嬢が座していた。向かって右にリオン嬢、上側にセラ。関係性を考慮すれば僕はセラの正面に座るべきなのだろう。

 ちゃっかり座布団を確保している二人に倣って、言われた通り適当に座布団を引っ張って自分の尻に敷く。

 少しして亮が盆を持ってやってきた。

 机の上にソーサーを置き、カップを並べてポットから黒い液体を注ぐ。

 鼻腔をくすぐる豆の香り。四人分淹れ終えると角砂糖の入った容器と、ミルクの入った銀容器を置く。


「砂糖その他はセルフで」

「有難う」


 セラは黙ったまま瞼を閉じ、小さく首を振った。リオン嬢はコーヒーの入ったカップをじっと見て、角砂糖の容器を取り一つ二つ三つと加糖していく。

 亮から受け取ったスプーンでかき混ぜ、ミルクを投入。典型的な甘党か。

 僕はそのまま手元までソーサーごとカップを引き寄せて、じっと見つめる。

 小さく波打つ黒い面には、薄っすらと悲痛そうな表情を浮かべる青年が映っていた。

 揺らす。生まれた波紋によって映像が歪む。


「さて」


 亮も自らのコーヒーにミルクを入れて、一口飲み喉を鳴らす。

 僕は、カップの中で揺れる小さな世界が落ち着くのを待ってから、ゆっくりと口を開いた。




――人を、殺せるか?


 そう、問いかけられた。

 一般的な倫理観に基づいて答えるならば否、だろう。

 まず理由がない。誰かを害し、社会から排除してまで得たいものなどない。誰かを傷つけるなど大よそにおいて最悪の選択だ。

 だから、僕は迷わず答えた。


「それ以外の道を選択できないならば、(ある)いは」

「ほう」


 小さく、感心するように口にして黒く(つや)やかな長髪の女性は微笑んだ。

 何でも東方からやってきたフリーランサーで、九龍院(くりゅういん)とかいう気難しそうな名前の、二十歳を過ぎたばかりの〝刀使い〟……それが僕の初印象(ファースト・インプレッション)だった。

 大地には数多の肉片が散らばり、濃密過ぎる火薬と腐臭と悪辣な空気が立ち込めている。

 僕は全身に浴びた紅い雨を拭うこともなく、真っ直ぐに九龍院 千影と名乗った東洋人を見つめていた。

 右手に握った物珍しい黒い刀身の得物は何も映し出さないほど、赤黒く染まり辺りに飛び散ったモノを生み出した元凶となっている。

 紅い飛沫が頬に死色の化粧を施し、黒いコートとパンツは目立たないものの異常な量の液体を染み込ませていた。黒から赤黒いモノを吸い込み、深く暗い闇に染まりつつある。

 目の前で想像を絶する惨劇が引き起こされたというのに、酷く落ち着いていた。

 僕自身が追われ狙われていた者達から解放された安堵でもなく、迫り来る異質な力を使う男達をゴミのように斬り(ほふ)った刀使いに対する畏怖でもない。

 妙に静かに、でも確かに刻み続ける自分自身の生命が放つ鼓動が(うるさ)かった。


「貴様はたった今、殺されかけたわけだ。大よその理由は状況から見て取れたが」

「ええ。兄は、僕を疎んじていましたから。生まれながらにして、魔術的素養の一切を持ち得なかった劣等感と、魔術を扱いながら、似て非なる異質な力を信用しようとしない閉塞的な環境が生み出した、どうしようもない存在です」

「ならば何故反撃しなかった。されるがまま、なすがままだった」

「……殺し合うしか、なかったんですか。話し合うことはできなかったんですか」


 僕の問いに、女性――千影は困ったように表情を歪めて首を傾げた。


「それが分からん。話し合いなどと言っている状況ではない。貴様、殺されかかったという自覚はあるのか? それとも先天的に神経が腐った異常者(アブノーマル)か」

「兄の劣等感は知ってましたし、僕に対する期待と嫉妬も十二分に理解していました。素養のない兄を捨てて、家督を僕に譲ろうとした両親の考えは正しいでしょうし、阻止するために親殺しまでして逃げた兄はやはり悪なのでしょう。それでも、話し合わねば人間は何のために唯一この世界で言語を解し操って距離を測ることを許されたのか」


 理解できない。いや、理屈に合わない。

 憎いから、悪人だから殺す。そんな思考は邪魔だから消す、即ち動物の縄張り争いに代表される原始的な闘争に他ならない。

 それで済むなら、言葉など要らないではないか。

 最初から武と武、原初から持ちうる力だけで雌雄を決すればいいではないか。

 言葉を持ち、使役する以上は有効活用しなければいけない。だから、僕は物心ついた時に誓った。

 まずは言葉を尽くすこと。語って、話して説明して繰り返し繰り返し主張し相手の意見を聞いて噛み砕いて、それでも互いに納得できる答えに辿り着けないとしたら、原始的な方策に訴えることもやぶさかではない、と。

 あくまで、最後の手段という意味合い。


「阿呆か、貴様は……殺されては何の意味もないんだぞ」

「そうそう死にませんよ。だって、僕は不死に近い肉体を持ってますから」

「異常な回復力、精神の均衡具合。貴様はクラッドチルドレンだ」

「クラッド、チルドレン……?」


 千影の言葉が何を意味するのか。この、他人を機械的に不要と斬り捨てられる冷徹な魂を持つ女性と僕は思想を重ねることができるのか。

 否。彼女は自身の中に絶対的な基準を持っている。

 即ち、自らに利する存在を生かし損なわせるものを全て葬ってしまう。


「貴方は、僕をどうするつもりなんですか」


 意味が分からなくとも、恐らく僕が〝世界から弾かれるべき側〟だというのは悟った。

 アーク家から追い立てられ、殺されかけたのも九龍院 千影という容赦なき殺人者が現れたのも、クラッドチルドレンが関係しているのだろう。

 そうまでして、この異常性に何を求めるのか。


「この世界に存在する全ての悪を滅ぼす。そのためにクラッドチルドレンの力を使う」

「その圧倒的な力を使って、滅ぼし尽くした後にどう再構築するんですか」

「抑止する。新たな悪が生まれぬように」

「…………」


 黙する。一見まともそうに聞こえるが、途方もない。いかに異質な力を持っていようが、世界の(ことわり)を支配し得る影響力があるとは思えない。

 力で全てが解決するのならば、とうに亜人が覇者として君臨しているだろう。

 だが現実は違う。亜人と人類との間では飽きることなく闘争が繰り広げられ、僕の家系はそれら〝人間に敵対する存在を鎮める〟ために動いてきた。

 亜人にも言葉を扱えるものがいる。ならば話し合って、人類と亜人が持つ共通のコミュニケーションツールを使って平和的な解決策を探す。

 その何がいけないのだろうか。何故、こんな簡単なことを身内にすら否定されて追い立てられなければならなかったのか。

 千影が僕を見ている。じっ、と心の奥底を、思想の根幹を読み解くように。


「貴様は、本当に争い殺し合う以外の方法で解決できると思うのか」

「実現させてみます。憎み殺し合うなんて、果てのない無限連鎖ですから」

「……貴様も巻き込まれた一人だぞ? 憎くないのか、殺したいと思わないのか」

「思いません。兄は、彼らは自らの欲に負けたんです。負けさせてしまったのは僕にも落ち度があったんです。もっと上手く立ち回っていれば、兄に魔術的な素養がなくとも一人前の亜人に対抗する力……魔滅者(マギバスター)になれると悟らせれば、こうはならなかった」


 僕の回答に千影は目を丸くした後、呆れたように眉根をひそめてから首を振った。


「救いようのない阿呆だ。これでも、まだ人間を信じるというのか」

「誰が、何と言おうと貫きますよ。争いは新たな争いを生む。ならば、平和的に話し合いで解決できれば誰も悲しまないじゃないですか。簡単なことでしょう?」


 問いかけるが、返事は小さな溜息だった。


「分かった。だが、貴様の戯言を実現するには相応の力は要るぞ?」

「ええ。だから教えてください。自分の身くらいは守れる力を」

「それが条件、ということか。小生意気な餓鬼だ。良いだろう。やってみせてもらおうじゃあないか。存分に足掻くがいい。貴様の抱く幻想がどれほど儚いか知るといいさ」


――そう。良きものは、必ず最後に悪しきものを鎮める。


 潰すのではなく、抑えて対等の立場で語り合えるはず。

 僕はそう信じて疑わなかった。

 ヒトの心には必ず善なるものがあり、磨き上げ昇華させることで魔術の開花、才能の解放へ繋がる……それが代々アーク家に伝わる流儀だったから。




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