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灰色の境界  作者: 宵時
第二章「君には、僕を殺す権利がある」「死はいつも貴方のすぐ隣に」
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2-8 極彩色の夜

 夜の(わず)かな湿り気を含んだ風が吹き抜け、頬を撫でていく。

 不快さはない。ただ不気味な静けさがあった。

 右の太股(ふともも)が痛む。呼び合うように、引き合うように刻印が白く輝く。セラが掲げた左手の甲には黒い六芒星の刻印が明滅している。

 亮の左胸、心臓の位置には脈動を示すように紅の煌きが、リオン嬢の左下腹部も同様に蒼い光が淡い色合いを見せていた。

 僕は深く、大きく息を吐く。

 亮はいいとして、リオン嬢の存在は計算外だった。


「理由は……あるよ。僕には、彼女に殺される正当な理由がある」

「亮、みたいなことを言うのね」


 亮と睨み合っていたリオン嬢が僕を見る。居竦ませるような赤褐色の鋭い瞳。追求するような視線を笑顔でやんわりとかわそうとしたが威圧感そのまま。

 誤魔化しは効かないようだ。


「リオン嬢。君は〝仇討ち〟をどう思うかな」

「何ですか、藪から棒に」

「君は極端に殺人を嫌っている、と聞く。けれど、この世界にはどうしようもなく、救われざる者がいる。平気で嘘を吐き、罪なき人を傷つけ奪い貪り奈落へ落とす者達が」

「……その話は坂敷邸でやり尽くしたから。今も意見を変える気はないもの」


 言葉が切り捨てられる。論ずるまでもない、と。

 変わらず変えられないならば突きつけるしかない。覆しようのない罪と、応報たる罰は受けるべきものが必ず履行せねばならぬことを。


「なら、君は見て知るといい。この世界には話し合いでは解決できないものがある、と」

「仲間じゃないの? それとも〈死神〉は名前の通り見境なく命を奪う傲慢な神なの?」

「君もその一角だけどね」

「はぐらかさないでっ!」


 ふぅ、と溜息を吐く。言葉による殴り合いでは何も進展しない。最初にリオン嬢が宣言した通り全てを話せば納得するのだろうか。

 いや、恐らく納得しないだろう。坂敷邸でも千影さんが説明を尽くしたが、結論は出ずに平行線を辿った。それもそうだ。手段を選ばず、将来的に害悪となりうる芽を摘み取ること。是とする僕達と否定するリオン嬢が交わることは絶対にない。

 何故ここまで〝殺す〟ことを否定するのだろうか。多少の興味はあるものの、今は追及できる場面ではなさそうだ。

 セラが、掲げた左手を小さく振る。


「これは黒と白、灰色に近い二色の問題ですわ。紅と蒼は勝手にやって下さいまし」

「そうはいかないから割って入ってるんじゃない! ねぇ亮っ」

「それほど、興味を示していないようですけれど」


 さらに熱を上げ咆哮するリオン嬢……だが、亮は黙して首を振るだけ。

 止められるはずもない。彼もまた救いようのない者を憎まずにはおれず、殺さずにはおれず許せなくて殺害したのだから。

 セラが静かに口を開く。


「〈死神〉が〈死神〉を殺害するのも、また運命。それに最初の事例でもないのです。少なくとも私の前に二人の〈黒〉がいて、黎明期にも最初の〈死神〉がいたはず。彼ら彼女らが全員、(わたくし)達のように殺し合うこともなく呪いから解放された、とは言えません」

「情報がないだけで、本当は皆……その、好き合って解呪した、とか」

「そうですか。日の浅い貴方だから、そう思い込めるのかもしれませんね」

「……どういう意味よ?」


 リオン嬢の鋭い瞳が僕からセラへと矛先を変える。

 情報通りならば、まだ〈死神〉となってから半年。それでも実戦に出れる辺りは流石、というべきか。

 状況的に亮の行動は、デイブレイク・ワーカーに対して単独で挑んだのは彼女の存在が強く影響していたのかもしれない。守れなかったものを目にして何もしない……多分、僕にもできないだろう。

 いや、僕は繰り返さないと決めたのだから。

 セラが何かを問うように僕に目線を向けて、また亮を見る。


「答えは、彼がよく知っているはずです。千影様から頂いた情報によれば、かの大規模な抗争の中で〈紅の死神〉が代替わりした、と」


 ぴくん、と亮の肩が動く。が、答えることはなく沈黙を守る。

 事の顛末は後から聞いた。元を正せば僕の失態でもある〈聖十二戒団(ホーリー・ツイスター)〉と〈灰絶機関(アッシュ・ゴースト)〉の抗争は結果だけ言えば〈灰絶機関〉が勝った。数多の犠牲を積み上げて……。


「……今は、関係ないだろ」


 低い声で告げた亮とセラが睨み合う。

 絶対零度の碧眼と、茶褐色の瞳が交差し静かに火花を散らす。

 先に亮が視線を外し、瞼を伏せて首を振る。


「今、語る必要はない。〈死神〉の力は戦局を左右する武であり、危険視された結果があの惨状だ。何もできなかった俺が、主観だけで語る資格はないし、知ってもリオンは動かないだろう? 知りたいなら師匠に聞いた方が早い」

「……千影様も断片的にしか知らない、と」

「語らなかったか? 俺もそうだ。ただ今、お前がクレスを殺そうとしていることと因果関係があるとは思えない。意味のない争いを師匠が許可するとも思えないが?」

「それは……」


 セラが言葉を繋げられず、冷淡な姿勢を崩して苦い表情を浮かべた。

 いかに〈死神〉が〈死神〉を殺すことが呪いから解き放たれる条件だと分かっていても、セラからすれば目的と手段が逆転している。

 呪いを解くために殺すのではなく、手段として殺害する理由にできるから建前としているだけに過ぎない。

 多分、僕もそうなのだと思う。もっとも僕の心情はどちらかといえば亮に似ているが。


「得るもののない争いが許容されるはずがないんだよ。俺が言えた義理でもないが、な」

「元々僕は確かめたかっただけだよ、亮。君がぬるま湯に浸かっていないか、半端な判断で行動に出てしまったのではないか。曖昧さは自分を、味方を殺すから」

「確かめられた、のか?」


 亮の問いに、考える。

 剣の腕が鈍ったわけでも、力が衰えたわけでもない。結果的に先に頭を潰したせいで、各地に散らばったままの残党狩りに追われたのはあくまで職務の範疇。

 同じようにデイブレイク・ワーカーの後処理を任されたセラは忠実に千影さんの命令を聞いていただけだろう。僕が気になるのは、何故そうまで従順なのか。加えてリオン嬢が何故〈死神〉となり〈灰絶機関〉に参入したのか。

 予想外、ではあったが丁度いいのかもしれない。


「亮は、守れるんだよね。今度こそ、大切なものを絶対に」

「……ああ。守ってみる、さ」


 ちらりと亮がリオン嬢を見たのは、彼女の心も守る、という意志表示か。

 悪を殺害することで滅する〈灰絶機関〉にあって異端なる〈蒼の死神〉は僕とセラよりも全うな関係を気付けそうだと思う。

 少なくとも、僕達はもうそこに帰ることは叶わない。

 にわかにセラの体から邪まな気が発せられる。禍々しき、憤怒の波動を含んだ魔力の奔流。臨戦態勢、といったところか。

 呼応して輝く〈死神〉の刻印に突き動かされ、亮とリオン嬢も構える。

 リオン嬢は水を操り、武具を生成する能力を持つと聞く。今夜は予報では雨だったはず。仮に雨からでも武具を作り出せるなら、理論上無尽蔵に吐き出し攻勢に出ることができる。その危うさが分からないセラではないだろうが、上回るものを繰り出す気か。

 本当に、僕を殺すために力の全てを解放するのか。


「人間が、何を守るというのですか」

「……平和だ。力なきものが、世界に数多ある理不尽な事象に襲われることを未然に防ぐ。異常者は投獄されても変わらない。より過激になるだけだ。ならば、未来のために殺すことは最終的に多くの命を救うことになる」

「本当に、平和だと言えると思いますか。誰にとっても……例えば私達のような亜人、ヒトでない存在にとっても絶対的に棲みやすい環境だと言い切れますか」


 空間に波紋が生まれていく。セラが操る魔術の兆候、〈渇血の魔女(ワルクシード)〉の固有術式。イズガルトにおける魔術とは別系統の異端なるもの。

 真に平和だと言えるのか。

 問われれば、ただ頷くしかない。そう信じられないのならば、これまで屠ってきた者達は何なのか。

 違う。一番〝犠牲の先に本当の平和が存在する〟と思い込みたいのは、僕。


「〈灰絶機関〉が抑止力となる。罪を起こさせない世界を目指すために」


 はっきりと亮は言い切った。声に震えはなく、発声の強さには申し分なく心の奥底から信じて疑わない覚悟が見える。

 セラは最初こそ目を丸くしたが、すぐに笑みを浮かべた。

 楽しそうに、嘲笑を浮かべている。


「ヒトにできるはずがありません。過去から現在に至るまで、差別と破壊を繰り返してきた悪しきものどもが、穢れた血脈が変わるとは思えません」

「変わる、ではなく変えるんだ。そのために俺達は歩き続けて――」

「その傲慢さが、どれほどの亜人を滅ぼしたか……ご存知ですか?」


 亮が凍りついたように固まった。セラの言葉は、覆しようがない。

 今でこそエリス連合国という亜人寄りの国家郡が存在するが、アルメリアが旧政権での旺盛を極めた頃は露骨な人種殲滅政策が普通にまかり通っていた。

 〈渇血の魔女〉、夜に連なる者共を筆頭とし耳長族(エルフ)短胴怪力族(ドワーフ)短身英知族(ホヴィッド)醜顔火薬族(ゴブリン)飛龍人族(ドラゴニアン)など数多の異なる(かお)を持つ種が絶滅に瀕していた。

 運命とも言える道筋に抗ったのが、筆頭となり牽引したのが〈渇血の魔女〉であり、長い時代を硝煙と血にまみれた日々を送った。

 そして、引導を渡したのが……僕と〝アーク〟に連なる者達。


「分かったよ」


 短く、僕は口にする。いつもは含まない、諦観成分を加えて。

 リオン嬢は『何を?』という顔をしていたが、すぐ察したらしい。


「僕が、話す。亮達が戦っていた裏で行われていた殲滅戦を」


 話したところで、リオン嬢が理解を示す……もとい二人の殺し合いに賛同するとは思えない。それでも僕には説明する義務があるように思えた。

 人は、知るところしか知らない。

 結局情報を得られなければ、今を生きる人達は知らないままだ。

 世界の裏側に潜む、灰色の情報を知りうるのは望んで足を踏み込んだ者と、留まることしか選べなかった不幸な者だけ。後は死にたがりの物好きくらいか。

 僕自身も向き合わねばならない。

 彼らを助けながら、戦場で散らせてしまった罪。そして、そうなるまで決断できなかった己の未熟さに。


「亮。君にも知って欲しい。君に足りないものを」


 セラを見る。闇夜に浮かぶ極彩色の波紋が、荒れ狂う海が静まるように鎮まって消えていった。僕を見ずに、リオン嬢を見ている。


「……いいでしょう。千影様から正式に命が出るまで保留とします」

「殊勝な心がけだね。流石に三対一は厳しいかな?」


 じと、と睨まれる。一度は落ち着いた空震がまた響き出す。


「今は〝吸った〟後です。別段、相手取っても支障はありませんよ」

「道理で、廃棄区画の割に人気を感じないわけだ」


 アルメリアに限らず、外界から隔離された空間は無法者の巣窟と化していると聞く。

 どんなに近代化しようが、設備を整えようが変わらない。それこそセラの言葉を借りればヒトの持つ一つの性質だろう。

 セラは人間の犯罪者を殺すことに何の感情も抱いていない。

 ただ命じられ、必要だから殺害しているだけに過ぎない。もしくは燃料として捉えているだけなのかもしれない。

 人間にとって亜人の命が塵芥(ちりあくた)のように扱われていたのと同じように。

 巣食っていた犯罪者もしくは予備軍を殺し尽くし、命を吸ったのだろう。


「悪は、許さない。それは僕も同じ想いさ」


 亮を見る。彼が、最も〝罪業〟を憎んでいる。同時に、奪われることの痛みを、喪った後の虚無感も知っている。


「大切な人を、ものを失った悲しみも知ってる」


 リオン嬢を見る。彼女が徹底して不殺(ころさず)を貫くのも理由あってのこと。

 誰だって理由がなくアクションを起こすことはない。あったとしても、かなり稀有でかつ病理的なものだ。

 ただ理由があるから、何をしてもいいとも思わない。それでも……。


「それでも、僕は……僕達は断ち切る道を〝命を潰す〟ことを選んだ」


 ヒトと亜人は相容れない。ヒト同士でさえ、家族でさえ恨み合うのだから。

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