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灰色の境界  作者: 宵時
第二章「君には、僕を殺す権利がある」「死はいつも貴方のすぐ隣に」
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2-5 ふたつの声

 バスを利用したことで、普段よりも早く阿藤学園に着いた。

 降車口でパスを通し運賃支払いを終えてアスファルトの上に立つ。

 続々と同じ阿藤学園に通う生徒達が降りていき、各々の目的地へと向かう。

 早朝練習に励むのであろう、陸上部やらバスケ部やらグラウンド組の部員達を見送ってから、俺は校門の傍でそわそわとしている遥姫(ようき)へ近づいて行く。

「その、来々(くるるぎ)君……ちょっと準備する時間が欲しい、かも」

「どうしてだ? 今も十分に綺麗だぞ」

「で、でもやっぱりきちんとしたものを聞いてもらいたいの」

「いや……だから、そのための練習だろう?」

 控えめに抗弁する遥姫が可愛く思える。

 このやり取りも、楽しんでいると言い切っていいだろう。

 少なからず彼女には感謝しているし、何より幸せであって欲しいと思う。

 だから彼女の傍にこれ以上近づくことはないし、特別な関係になることもない。

 遥姫が困ったように俯き、右手の指で亜麻色の長く美しい髪を弄り始める。

「もう……分かっている癖に、来々木君の意地悪っ!」

「分かった、分かったよ」

 軽く手をあげて降参を示し和平交渉を開始。

 遥姫は頬を膨らませるもすぐに不満げな表情は緩んで慈母のような柔らかい笑みを浮かべる。

「それじゃ、第二音楽室で。そう、三十分後くらいに」

「心得ました、遥姫(はるかひめ)

「もう! その呼び方は恥ずかしいって言っているのにっ」

 刃助がそうするように、俺は腕を胸の前に掲げて恭しく頭を下げた。すぐに顔を起こす。

 頬を高潮させながらも満更ではない、といった調子で言い残して足早に西棟へと駆けて行く遥姫を見送る。

 〝日常〟を享受するのはいいが、空き時間ができてしまったのは参った。

 本来ならば俺も未来にあるべき姿を想像して、到達するために勉学に(ある)いは部活動に励む。

 俺の認識ではそれが普通の生活で、当たり前の日常。

 だが誰もが望む通りの結果を勝ち取れるほど、世界はよくできていない。

 成功の陰では夢を打ち砕かれ、項垂(うなだ)れる失敗者がいる。

 叩き上げでのし上がった者がいれば、踏みつけられ蹴落とされて地を這い(つくば)り涙をのむ者達もいる。

 そうして、危ういバランスを成り立たせて世界は回っているのだ。

 幸も不幸も等分に訪れるというのならば、クラッドチルドレンが先払いした契約の対価は何時得られるのだろうか。得るべきものも手に入らずに失われた命もあるというのに。

「幸福の絶対量……か」

 ゆっくりと、染み出した水が地面を緩やかに滑っていく程度の、散歩よりもなお遅い歩みで西棟へと歩き出す。

 直接遥姫に触れても俺の答えは変わることはない。リオンに言われずとも理解している。

 表と裏が絶対に出会わないように、絶対的に決められた分量の中で幸福を受け取る者と不幸に打ちのめされる者が無情に無慈悲に決め付けられるように現実は変えられない。

 世界に、不条理によって得られるべき未来を断たれる者がいるのであれば、せめて等分の未来を奪い去ることによって帳尻を合わさなければいけない。

 でなければ失った者達が余りに虚しすぎる。理屈に合わない。


――果たして、本当にそうなのでしょうか。


 細く透き通る、だが心地いいものではなく肌を刺すような鋭利な声色。

 凍てついた大地を裸で歩くような凄絶な寒気が全身を走り抜けていく。

 左胸に鈍い痛み。刻印が叫んでいる。呼び合うように、引き合うように近くに〈死神〉がいることを教えている。

 が、度合いは小さい。ほんの、少しだけ。裁縫針で指を刺した程度のものだった。

 リオンと相対した時に感じたものよりも弱く、すぐに治まったが言いようのない肌寒さは残っている。

 左右に視線を巡らせ、上へ。人影はなく、構内に林立する桜が花弁を舞い散らせ、空を鳥が滑空する穏やかな日常風景が見えるだけだった。痛みがひいていく。

「気のせい、か」

 錯覚と言い切るには余りに生々しい殺気だった。

 何か、こう根源から全てを憎悪しているかのような途方もない負の波動。

 小さく笑う。悪に対する憎悪ならば、俺も人並み以上のものを抱いている。

「少なくとも、あいつではないな」

 リオンならば姿を隠すようなことはないだろう。

 真正面から堂々と向かってくるはずだ。

 どこまでも真っ直ぐで、純粋で決して振り向かず俯かず揺るがず絶対的であった彼女のように自らが納得できる結果をもぎ取るまで向かってくるはずだ。そこまで考えて、俺は軽い疼痛を覚えて額を押さえる。

「何を、俺は……」

 考えているのだろう。

 失った幻影をいつまでも追いかけ続けている。

 どれだけ望もうが、手を伸ばそうが手に入れられるはずなどないのに。


――ヒトの世の(ことわり)など、曖昧で不確かなものなのです。


 また、声が聞こえてきた。まるで魂を震わせるように、内臓に染み渡っていく音波。

 求める言葉を、欲している答えを最初から分かっているかのように。

「っ……」

 また刻印が疼いた。じくじくと痛む左胸を押さえながら辺りを見回す。

 やはり人影は見当たらない。引っかくような名残を生み出して、また痛みがひいていく。

 頭を振る。確かな痛みは幻聴でないことを物語っている。

 リオンではなく、クレスでもないとすれば……。

「と、そろそろか」

 悪しき気配に随分と時間を取られていた。携帯で時間を確認して歩き出す。




 阿藤学園は近年採用された新たな機器を効率よく扱うため、旧校舎の隣に新校舎が建てられ、俺を含めた学生達は普段新校舎で生活している。が、取り壊してしまうのも勿体無い、という理事長の方針で旧校舎も西棟として部活動用に残されている。

 新校舎が東棟、旧校舎が西棟となっているが、教室棟と部活棟と言い分けているものもいる。

 意味が通れば実際のところ何でもいい。

 阿藤学園は新たな技術が盛り込まれた設備や備品を数多く扱い、運用してデータを集めた上で製品化。

 市場へと流す実権施設的な側面がある。デイブレイク・ワーカー関連の特殊薬品もその一部。

 後に調べたところ、学園側が流したわけではないことは分かった。

 もっとも、完全にシロとは言い切れない怪しい調査報告だったのが気になるが。

 それはそれ、これはこれということで。気を取り直し、木造の床板を進む。

 第二音楽室のある西棟は、主に文化系の部室が入っていて一部サークルが利用している教室もある。

 床板が軋むのも古き良き日本の情緒という奴だろうか。

 そもそも、その日本そのものが現在は存在しない国となっているが。

「まぁ、感覚の問題だよな」

 電子合成技術が発達しても生演奏やら歌手のライブの需要がなくなることはない。

 限りなく本物に近づけることができても、気になる人間には僅かな粗が耳についてしまう……というものらしい。

 既に音楽室から軽やかな歌声が聞こえている。

 ゆっくり、音を立てないように扉を開いていく。

 遥姫は壇上に立って、目を閉じた状態で歌い上げていた。

 細心の注意を払って静かに、ゆるゆると扉を閉める。

 椅子に座るかどうか悩むも立ったまま聴かせてもらうことにした。

 下手に椅子をひいて音を立ててしまえば水を差してしまう。

 俺は静かに立ち、瞼を伏せて歌声を一身に受ける。


 兄弟のように育った二人の少年と、一人の少女。二人の少年は、それぞれ長年対立していた国で生まれ育ったが融和政策の折に両親に連れられて出会った。

 少女は二国間で行われている共同研究の産物で、人造生命体。

 生まれも育ちも存在も違う三人は、それでも一個の生命として共同生活を送っていた。

 だが、穏やかな時間が長く続くことはなかった。

 研究成果を独占しようとした片側の研究者が殺害され、研究所も爆破されてしまう。

 犯人は誰なのか。得られた成果は、情報はどこへ行ったのか。失われた情報を巡って戦いが繰り広げられる。

 二人の少年は、それぞれ立派な青年となり戦場で再会する。

 刃を構える青年と、拳銃を構えてこの世界の法則を乱す文言を唱える青年。

 刀と銃弾、魔術が交わって火花を鮮血を散らしていく。

 何故戦うのか。どちらが正しくて、どちらが間違っているのか。

 答えを知るために戦い続ける。その果てに命を砕かれる少女の運命など知らず……。


 まるで、そんな光景が浮かび上がるような歌詞だった。瞼を開く。

 声量たっぷり、深い情感を込めて歌い上げてほぅ、と息を吐く遥姫の安堵したような表情を見て微笑む。

 ほっとしたところに合わせるように、俺は拍手する。

「えっ……来々木君、いつから?」

「一番のサビ部分から、かな」

「も、もう! いるならいるって言って欲しいのに」

「凄く、歌っている月城が綺麗だったから」

「そ、そんなこと……」

 遥姫はぼっと頬を赤らめて熱を冷ますように顔に手を当てた。

 あたふたする姿もまた彼女らしい。

「月城にしては珍しいな。この曲が使われているゲーム、最後は皆死んでしまうのに」

「ふ、深い意味があるわけじゃないの。ただ、ちょっと息抜きというか」

「練習の合間には必要だな。自分の趣味に没頭するのも」

「来々木君、分かっていってるでしょ?」

 じと、とした目つきに俺は新緑のように爽やかな笑みで答えておく。

 今の歌はいわゆる悲恋歌で、ゲームの主題歌だ。もっといえば淑女の嗜むものであり、そういった〝絡み〟のシーンも含む……腐るというか、友情の一線を越えた展開があるというか。メインではなくファンディスクとして存在する要素なので、メーカー側が何を狙って作ったのかは不明だ。

 少なくとも刃助はこういったゲームとは無縁なので心配する必要はない。

 可愛らしいよくある秘密の一つ、という奴だ。

 さて、まだ赤面したままの遥姫にどうフォローを入れるべきか……。

「これからが本番、ですよね。ねぇ、姫?」

「そ、そう! 文化祭の方ではこっちの曲をねっ」

 あからさまな振りに応じて、いそいそと遥姫が端末をいじくる。

 駆け出すようなポップ調のイントロから入って曲が流れ出す。

 遥姫が歌い始める。鈴のように軽やかに、鳥の鳴き声よりも涼しげに紡いでいく。

 歌詞自体はありふれたもの。辛くとも苦しくとも、諦めずに前を向いて歩いていけばいつかはきっと幸せを手に入れられる。そう信じて走り続ける。

 明瞭な言葉で、明るく楽しく歌われる王道の元気ソングは万人の魂を奮わせる。

 後奏まで流して遥姫が端末を触り曲を止めた。

 緊張に凍りついた体を溶かしほぐすように深く息を吸って、吐きながら軽く首を回す。

「いい曲だ。体の芯から熱くなって、元気が出てくるよ」

「来々木君も、元気……出た?」

「あ、ああ」

 そう上目遣いで聞かれれば肯定以外の返答を搾り出す理由がない。

 が、不満なのか遥姫がむくれる。

「なんだか私が言わせたみたい」

「本当だ。今日も一日頑張れそうさ」

「……本当に?」

「ああ、有難う」

 繰り返しの問いかけに、せめて真摯さを乗せて返す。

 瞳の奥底を覗き込もうとする黒い瞳を見つめ続けてしばらく視線での格闘戦を展開する。

 五分ほどしてようやく瞳が揺れて笑みを浮かべた。

「うん、いつもの来々木君だね」

「いつもの……?」

「最近、色々と大変だったでしょ。だから」

 リオンとの出会い、Dth(ディース)から続くデイブレイク・ワーカーとの闘争。

 外宇宙から来訪したという人外の存在。

 決して一般人には明らかにされない、隠された真実。

 思えば随分と日常から非日常へ足を踏み入れていたのかもしれない。

 その分、心配させてしまったか。

「文化祭もあるし、余り悩みすぎちゃダメだよ」

「……有難う」

「ふふ、どう致しまして」

 再びの固い文言にも遥姫は笑って流した。

 深く考えすぎる必要はないのかもしれない。

 〈灰絶機関(アッシュ・ゴースト)〉が何のために存在するのか。

 どこまで戦いを、断罪を続ければいいのか。答えは最初から出ている。

 変わらない、換えられないたった一つのものが。

 予鈴が鳴る。始業十分前の合図。

「っと、急がないとな」

「走ろう、来々木君っ」

 手早く端末を仕舞い、カバンを持って駆け出す。

 伸ばされた手を掴もうとして、取らずに俺は前に出て扉を開く。

 繋ぐのではなく守るために、俺は両手を鮮血で染め上げる。




 西棟から走り、どうにかホームルーム前には教室に辿り着いた。

 教室が妙に騒がしい。遥姫と二人きりで第二音楽室にいたのがバレたのか。

 また男子生徒から総攻撃を受けるのか……と軽いめまいを覚える。

 こっそりと教室に入り、席に着くが特にやっかまれることも絡まれることもない。

 室内を見回すと妙に女子生徒が少なく空席が目立つ。逆に男子生徒の殆どが釈然としない、言いようのない重苦しい表情で揃って腕を組み各々の席で唸っていた。

「なんだこの状況……」

 呟くと同時に廊下から怒号が聞こえた。

 蜘蛛の子を散らすように、どっと女子生徒がなだれ込んでくる。

 最後に刃助も教室に入って席に着いた。

「全く貴様らは……」

 文句を言いながらも、担任の教師が端末を操作して出席を確認していく。

 そのさまを眺めていると開いた端末に着信音。メールが飛んできた。

 またくだらない内容かと即座にゴミ箱に叩き込もうとしたが、差出人の名前に目を留める。

 計継 刃助。件名は『大ニュース!』とある。

 やはりゴミ箱に移そうとドラッグするが、思いとどまって開く。

『亮よ亮さんよ、またまた転入生だぞ! まぁ今度は男なんだけどな。えらく綺麗な顔立ちで驚いた。

こう、銀髪にオシャレに紫のメッシュなんてやっちゃって、綺麗な空色の目で優男で……その名前はなんと!』

 最後まで読み終える前におおよその見当はついてしまった。

 師匠、千影の言葉。俺がこうして仮面を被り、学校生活を続けている現状。

 そしてイズガルトから呼び戻された〈白の死神〉と別段第三者から情報をもらわなくても想像に難くない。

「あー、来々木。来々木 亮!」

「は、はいっ!」

「その、なんだ。隣のクラスに転入してきたクレッシェンド・アーク・レジェンド殿がだ。

是非ともアルメリアでの案内役にお前を、と希望しているんだが……頼めないか」

 教師の言葉に女子生徒の視線が集まってくる。

 どうして、こうも頼みもしないのに注目されるイベントが発生するのか。

 俺はただただ苦笑いするしかなかった。

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