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灰色の境界  作者: 宵時
第二章「君には、僕を殺す権利がある」「死はいつも貴方のすぐ隣に」
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2-2 〝正義〟を始めた日

 珍しく、千影が急須と共に湯飲みを四つ持ってきた。

 震える手で急須を持ち、恐る恐る中身を注ぐ姿はアルバイト初日の少女、もしくはお偉いさんにお茶を出す新入社員を彷彿(ほうふつ)させる。何とも危なっかしい。

 無言で()れるので、黙ってされるがままに給仕が終わるのを待った。

 飲み物を用意する時点で、長丁場になることは覚悟したがそんなことよりも妙な気の回し方が気になって仕方ない。いつも家事を一手に引き受けている晴明(はるあき)が不在だからか。

 こそばゆい、というよりは気持ち悪いと思うのが正直な気持ちだった。

「頂きます」

 言って、俺は用意された何だかドス黒いものが波打つ湯飲みを見つめる。

 本当に茶の葉から抽出されたものかどうかも疑わしい。

 一足先に口をつけたクレスが、ほんの少しだけ眉根をひそめる。

「どうした?」

「い、いえ……ちょっと、苦くてですね」

「む。きちんと確認したはずだが」

「賞味期限はともかく、温度管理でも変わりますから」

「……そういうものか」

 納得いったのか、いかないのか千影はクレスの言葉を噛み砕くように、顎に手を当てて考え始める。

 その態勢に入ると長くなるから困るのだが。ともあれ飲まずに放置、とはいかないので意を決して俺も得体の知れない液体が待ち受ける湯飲みを傾けて中身を口内へ招き入れる。

 匂いは……多分、お茶だ。舌に広がる苦味は、きっと特有の効能だろう。

 良薬は口に苦し、という。今では分別が曖昧な漢方薬も苦いが高い効果を得られると効く。

 唇がひりひりとしてきた。からしを塗りたくった感覚に似ている。

 舌が痺れてきた、が元々体に宿る解毒能力が作用して麻痺状態に陥ることは避けられた。

 結論、これはお茶ではない。ただの劇薬だ。

 俺はクレスと同じように、眉間に力を入れて眉根をひそめる。

 まだ口をつけるかつけないか、迷っているリオンに「飲むな」と視線で言っておく。

 真剣な面持ちで頷いたリオンに、俺も首肯して念押ししておくとまだ黙考している千影へ呼びかける。

「師匠は……九龍院の当主として、その、芸能とか叩き込まれたはずですよね」

「ああ、その辺りから話した方が都合がいいか」

「ええ。俺はともかく、クレスやリオンは知らないことが多いでしょうから」

 もう一人、いるらしい〈黒の死神〉については考えないことにする。

 ここにいる人間で一番長く千影と付き合っているのは俺で、クレスもリオンも始まりについては知らないことだ。

 俺自身も断片的にしか知らないが。

 一つ咳払いをしてから、千影が口を開く。

「亮の言う通り、私は九龍院の一人娘として育った。兄もいたが、早くに亡くなって

しまってな。母も私を産んでから病気がちになり、そのまま逝ってしまった」

「九龍院は、元々要人暗殺を始めとする〝殺すため〟の手段に特化していたのですよね」

「その通りだ。あらゆる方策において対象の生命を奪い去ることだけを至上目的としていた。各種の毒やアレルゲンによるアナフィラキシー、人体急所に精通し肉体そのものを武器とできるように徹底した修練を強いた」

「人ではなく、武器として得物として扱っていた。ですよね」

「そう。多くは孤児を引き取り、育てながら素養のあるものを暗殺者に仕立て上げて

いたからな。表向きは身寄りのない子供の駆け込み寺、その実情は人間兵器を

生み出すために広く門徒を開いていた。ある意味、産業の一種とも言えるな」

 俺が合いの手を打ち挟む。この時点で賛否両論あるだろう。

 リオンは少しばかり表情に不機嫌さを露にし、クレスも驚いたように目を丸くして口元を隠す。

 間違っている、とも正しいとも言い切れない曖昧な境界線。

 孤児を引き取り、育てることは正しきことだが、それを殺人者に仕立て上げることは悪逆だと断じるべきなのだろうか。特に気にすることもなく、千影は言葉を連ねていく。

「私自身は九龍院の血筋を受け継ぐ者として、茶華道から能、舞踊まで種々様々の

芸能から一般教養、そして武術の全てを叩き込まれた。いわゆる英才教育という奴だな」

 要は教養方面よりも武術面に特化した結果、なのだろう。

 誰にでも得て不得手はある。晴明さんが料理を担当する理由がよく分かった。

 千影を台所に立たせてはいけない。最早、女は家で事を行い男は外で働き金を納める、などという化石みたいな理論を振りかざすものはいないが、古くから連なる名家というものには根強く残っていると聞く。

「元々、九龍院は武家だったがより効率的な戦闘技法を、殺すための手段を模索した結果、

闇夜から這い出て背後から首を刈り取る……今に至った。手段は選ばず、確実に行うことを

主眼においた手法は殺人剣および殺人術として四神になぞらえて昇華された」

「一刀流の青龍、二刀流の朱雀、白打(はくだ)の白虎、

防御重視と関節技(サブミッション)の玄武……ですね」

「ああ。それぞれ紅、白、蒼、黒に呼応する。が、それは私が当主になってからの話だ」

「師匠は……」

 控えめな俺の言葉に頷いて、千影が引き継ぐ。

「私の実父に当たる九龍院 義景(よしかげ)は現在の流儀よりも、過去の因習を

重視する厳格な人だった。私が学術よりも戦闘面に秀でていることを理解しながらも

なお、素養を鍛えて婿養子を取る方針を変えず、内部の反発も抑えていた」

「師匠は婿を取ることに対して思うことはあったんですか」

「特には。父がそう望むのであれば、そうあろうとしたのが私だった」

 そう過去形で千影は告げる。いや、過去の事柄を語っているのは変わりないのだが、ここでの意味合いは脈々と受け継がれてきたものを千影が破壊したことを意味する。

「九龍院の中で私を次代の当主とするか、婿を迎え入れるか論争が

続いていた頃……そうだな、丁度十三の頃だ。深夜、寝室に賊が一人侵入した」

「賊、とは……」

 俺の問いには答えず、千影は過去を思い返すように明後日の方向を見る。

「仕事柄、敵を多く作る。侵入者は迷わず殺せ。そう教えられてきた」

「なら、賊の正体は――」

「父、義景だった。脇差を手に、枕元から突き刺そうとした。先に気配を

察知していた私はダミーを寝床に忍ばせて待ち受け、心臓を貫いてやった」

 淡々と語られる、親殺しの事実。

 言葉に出して偲ぶわけでもなく、単純に事象を思い返していただけだったようだ。

 赤みがかった黒瞳には後悔や悲哀の色は見えない。

 明確に、厳格になすべきことをなしただけだと視線の強さが告げていた。

「……矛盾しているかもしれないが、な。当時の私は、使い潰すために次々と孤児が

引き取られて売り買いされ、戦地で命を散らすのが我慢ならなかった。そんな商売を

平然と続けている父を憎んでいたし、流通させ幅を利かせていた連中にも反吐が出た」

「それでも、必要だったのでしょう?」

 ぽつりとクレスが告げる。

 ほぼ無意識に湯飲みを手に取り、中身を飲んでから思い出して顔をしかめた。

「別に、使われる当人に意志があればなせばいい。ただ、素養があるというだけで

強いられているのは我慢ならなかったのだよ。強要され、送り出されるのはただの

兵器で、モノだ。それも敵対する二国へ平等に、それぞれの性能差を競うように」

「まるで、デイブレイク・ワーカーみたいですね」

 人間の〝絶望〟を糧にすると言っていたピアスディ。

 売った後のことは考慮しない。それどころか、自ら生み出した暗殺者が互いに牽制し合う。

 同じ門下生で殺し合うことを強要されることに等しい。

「兵器を売買するのと何も変わらない。表向きは救い、裏では金に換える。需要と

供給が形としても成立し、孤児自身にしか害がなくとも許容できるものではなかった」

「違います。生み出された暗殺者によって、新たな悲しみが生まれる」

 静かな怒りをたたえて、リオンが口を挟んだ。

 過剰に人を殺すことを忌み嫌うリオンからすれば耐え切れない話題なのかもしれない。

 だが、千影はその根幹を断った。意志に関わらず素質だけで人殺しを強要する論理から、少なくとも強要という形は取り去り選択肢を与えた。

「その〝悲しみ〟とやらを断つために、私は父を殺しシステムをそっくり奪った」

「なら、同じじゃないですか。〈死神〉を、クラッドチルドレンを使って人を殺す――」

「そう、罪の根幹を殺し尽くす。現に、アルメリアにおいては旧時代に自殺の

大きな要因となっていた〝いじめ〟はほぼ絶滅した。誰しも、命が惜しいからな」

「……犯罪の、抑止力となっているとして、も」

「今は貴様と不毛な論議を交わす時ではない。進めさせてもらうぞ」

 ぐっ、と言葉を喉に詰まらせてリオンが押し黙る。そう、留めておいたほうが正しいだろう。

 堂々巡りの水掛け論になるのは目に見えている。

 俺達は、〈灰絶機関〉は犯罪抑止のために命を交渉材料に使う。

 現実に殆どいじめは起きていないし、起きたとしても闇に引きずり込まれ、終わる。

 本能的に察知しているからこそ誰も足を踏み入れない。

 それでも境界線を飛び越えるのは、分かっていて乗り込む自殺志願者か、もしくは挑戦者。

「孤児は変わらず救った。だが、心に傷を持った者達が前を向いて歩くのは存外に難しい。

故に指針を示した。ここで学び誰かの役に立つ。その方策を、手段を維持した」

「……俺も、その一人だ」

「ああ。亮は……いや、私から語るのはよくないな」

 ちらり、と機嫌を伺うように千影が俺を見る。

 俺はゆっくりと首を振るだけ。暗に触れないでくれ、と伝えるだけ。

「父を殺した後、家を継ぐこととなったが実質的な

資産運用は叔父に任せて、私は世界を渡り歩くことにした」

「家督相続とか遺産管理とかが面倒であれば弁護士でもつければ済んだのでは?」

「もっと重大な要因がある。思い返せば、父はその危険性を感じたからこそ、私を殺そうと

したのかもしれないが、な。(ある)いは覚醒させるためにその身を犠牲にしたのか」

「まさか、死神の……」

「そう。私は〈銀燭の死神〉として目覚めた。私の意志が正しいのならば、私の行いが

正道となりうるならば力が示してくれる。罪を根源から狩り尽くす論理を証明する」

 そのために世界旅行、とは随分と無謀な話に思えた。

 教養があっても言葉や文化の壁を乗り越えるのは難しい。

 が、単純な戦闘能力だけで言えば〈銀〉は余りに強すぎた。

「九龍院の名もあって、フリーの傭兵として各地で戦禍を滅ぼすために

動いた。私の能力については、亮。お前が一番よく知っているな」

「ええ……。鉄や鉛を粒子にまで分解し、無効化する〈銀幕の護り(ギャラクティック・シルヴァリオン)〉による

防御。襲撃者に対して最も効果的な武具を自動生成する〈死滅与えし珀武(シルヴェスク・レイ)〉による攻撃。

攻防に優れる分、精神的な消耗も大きい……が、間違いなく至上最強の〈死神の呪縛〉」

「独裁政権を滅ぼし、差別に伴う奴隷制度を持つ国から隷属者を解放した。父がやっていた、

内戦を煽る腐った連中も始末してきた。内戦国家では争い合う首脳部を潰した。私は、私の

持ちうる力を最大限に利用して、争いを生み出すモノを駆逐してきた……つもり、だ」

 後に空白となった地域は他の国が領土として囲い込んだが、千影の介入を恐れたのか融和政策を推し進め、むしろ存在が賞賛され資金援助を受けていた、と続けられる。

 〈死神〉を万軍(レギオン)と呼び習わすのは、ここから来ているのだ。

 単一の身にして軍勢である、唯一無二の超越者の姿に焦がれて。

「戦場は慟哭に満ち、多くの戦災孤児を遺す。私が戦禍を滅してきた理由の一つだ」

「兵器として運用するため、ですか」

「しつこいぞ。あくまで選択肢を与えているだけだ。自らが孕む因子を有効的に生かすか、

その短い刻限を享受して人として生きるか。クラッドチルドレンが必ず二十歳で死ぬ、と

分かったのも、そうして力を持ちながら〝普通の人間〟として生きることを選んだ者達に

とってもたらされた貴重な情報だ。一度たりとも生き方を強制したことはない」

 そう、千影も全てを知っているわけではない。全知全能の神などではない。非情と言われようが戦場を駆け巡り、孤児を育てていく中でクラッドチルドレンの因子を持つ子供を選定し〈呪い〉の本質を解明しようとしてきた。

「ただ単一でできることも限界がある。一定数の賛同者と、私の力を利用したがる

連中を逆に利用して資金を引き出し、私は〈灰絶機関〉を作った。世界から罪の根幹を

失くすため、そして命の楔から解放されるのに必要な因果を探し出すために」

 数々の犠牲の下、成り立っている組織。

 人にあらざる力を持ち、それを利己的でなく世界の安定のために使う強さ。

 と、綺麗事で取り繕える。裏を返せば、目的のために数多の犠牲を黙認しているともいえる。

 要は、どちら側につけるか、という感情論。

 千影がリオンを見て、俺を見る。織り込み済みだ、といった笑みを浮かべていた。

「無論、初期から批判もあったさ。無理強いをするつもりはなかったし、独自に自らを調べると

出て行った者もいた。それでも〈灰絶機関〉は拡充を重ね、世界の各地を転戦した。

が、どうしても組織が大きくなると腰を据えたくなる。そこで選んだのが――」

「ロスシア、ですね。当時最も医療技術と生態学に秀でていた」

「ああ。加えて地下資源も豊富だったからな。同時に、それらを兵器転用させぬように

抑えておく意味合いもあった。彼らの研究を用いた結果、クラッドチルドレンの因子が

持つ呪いは医学では治療の仕様がない、と分かってしまった」

 クレスが言葉を挟み、千影が頷く。希望の裏側には絶望がある。

 一縷(いちる)の望みを抱いたものも多かっただろう。

 戦禍に巻き込まれて大切なものを失い、自分さえ奪われてしまうというのはどんな気持ちなのだろうか。

「病原体のようなものは見当たらない、特別不可解な像も見えない。ただ血液と細胞からは

普通の人間と違う性質が見られた。異常な速度で行われる再生分裂、常人より赤血球が多い

にも関わらず問題なく機能する肉体。研究者は中身に〝何か〟があると踏んだ」

「……研究、させたんですか」

 俺は問う。嫌な感覚を、見えてしまっている未来を脳裏に浮かべながら。

 日露事変とは一般に関与していないとされる忠国の爆発事故。

 過去の資料を掘り起こせば、ロスシアが前述のように生態学と医学に特化していると知れる。

 また忠国も同様に〝ある研究〟を行っていたと噂されていた。

「ああ。それが私にとっての誤算であり、同時に日露事変と忠国崩壊の真実、だ」

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