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灰色の境界  作者: 宵時
第二章「君には、僕を殺す権利がある」「死はいつも貴方のすぐ隣に」
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2-1 三人目の〈死神〉

 あの光景が蘇る。

 白い大地。侵蝕する紅の鮮やかさ。手に触れる暖かさが少しずつ失われていく絶望の色。

 一番守りたかったものを、目の前で失った衝撃に打ち振るわされる。

 もう二度と繰り返さないために、大切なものを、守りたいものを失わないために。

 努めて大事だと想う存在を作らないようにして避けてきた。

 たとえ〈紅の死神〉の刻印を持っていようが、最古参の死神と謳われようが所詮は一個一人の人間兵器に過ぎない。

 一人でできることは限られ、〈万軍(レギオン)〉と呼ばれようが相手にできる数は限られている。

 俺は、来々(くるるぎ) 亮はただ許せないだけだ。

 他者の尊厳を踏み躙りながらのうのうと生きている連中が、受けるべき罰を逃れて日常を貪る輩が。

 平坦な世界における(ひずみ)を見ていながら放逐しているような俗物が。


――許さない。


 その思いが、いや怨念が、渇望がいつまでも心の奥底で根を張っている。

 一番触れられたくない場所を易々と触れられてしまった。

 硬直から帰還し、世界の時間軸に戻ってきた頃には目の前で戦友が困ったような笑みを浮かべていた。

「クレス……何故」

「君が一番よく分かっているんじゃないかな、亮」

「……師匠からの命令、か」

「いや? 今日アルメリア入りしたばかりだからね。ただ、これだけ派手にやれば、ね」

「ああ……」

 そうか。戦っている時は周囲への影響なんて考えもしなかった。

 元々、一般人の寄り付かない領域だし、どのようにも誤魔化すことはできる。

 とはいえ実質的にデイブレイク・ワーカーの拠点もとい首謀者をたった三人で潰したことには変わりない。

 俺は目を逸らすように地面に視線を移す。

「よく、分からない奴だった。地球外生命体だとか何とか」

「本当なら僕達は宇宙人とのファーストコンタクトを取った、ということになるね」

「ま、まぁな」

 屈託のない笑顔でクレッシェンド・アーク・レジェンド、長ったらしいので仲間内からは主にクレスと呼ばれる常に笑顔を絶やさぬ青年はリオンを見る。

「彼女とはどんな風に?」

「どうって……」

「例えばAとかBとかCとか」

「おい」

 (わず)かばかり怒気を込めると、冗談冗談と手をかざして降参と精神の沈静化を促す。

 分かっているなら最初からやらなければいいのに、と思うがそれでもやってしまうのはヒトとしての性というものだろう。押すなよ、絶対に押すなよと念押しする奴の背中を笑顔で押し出すのと似ている。

「その、随分と仲がよろしいようだけど?」

 どういう距離をとればいいか分からない、といったふうにリオンが問う。

 そういえば〈死神〉同士の関係性、というか付き合いは全く言い聞かせてなかった。

 言う必要はないと思ったし、教えたところで人との距離感など実際に接してみなければ分からない。

 俺は〈蒼の死神〉に至っては前任者の顔すら知らない有様だ。

 知っていようが、知っていまいが仕事に支障はない。ならば、知らなくていい情報は知らないままでいい。

 リオンが頑なに敵対者を殺すことを拒むのも、どうしてか〝彼女〟に似ていることも気にはなるしある程度言葉は投げるが詮索すべきことではないだろう。

 根幹にはそれぞれの信念があり、目的がある。

 全てが重なり合う必要はなく、当面の目標が合致すれば戦地で共に戦うことはできる。


――そんな、正当性を求めた理由作り。


 じくり、と胸に杭を打ちつけられたような痛み。

 迷わなかった。倒すべき対象を選び、滅ぼすべきものを討ち果たし、この結果は多くの人命を救うはずだ。

 多くの、麻薬の悪循環に囚われそうなものを守った。

 デイブレイク・ワーカーは潰さなければならなかった。

 他者の生命を食い荒らし、運命を嘲笑(わら)いどこまでも貪欲に金銭を求める。

 そんな悪意に満ちたものこそ罪の権化、滅ぼさなければならない存在。

「亮?」

 リオンの声に、俺は軽く首を振って思考をゼロに戻す。

「クレスとは戦友だ。もう八年に……なるか」

「そうだね。僕は八年、亮はさらに二年前」

「ああ。丁度、露日事変のあった年だったな」

 文字にして、言葉にすれば短くも長い時間の流れ。

 腐った世界は廃絶し、〈灰絶機関(アッシュ・ゴースト)〉の手によって塗り替えられた。

 俺は救われた存在であり、同時に変えるべきものを変えるべくして参入を希望した。

 選択肢は、他になかったのだから。

 ちきり、と剣の鍔を押し上げる音。

「亮、今日の戦いぶりは随分お粗末だったね」

「……それは――」

 硬質の音が響く。

 反射的に抜き放った日本刀と、クレスの持つ十字架を象った剣が打ち合わされ鋼の鳴き声をあげる。

 (きし)れながら、俺は鋭い視線を浴びせかけてくる青年へ問う。

「何の、真似だ?」

「君に〈死神〉たる資格があるのか、ちょっと……ねっ!」

 クレスは右手だけで持った剣で拮抗を保ちつつ、さらに左手で柄に触れる。

 刀身が緩やかに歪曲した、ショーテルに近い形状の剣が白銀の体を世界に晒す。

 左斜め上からの斬撃を読んで、無理矢理に刃を弾き返して後退。

 左手の剣は空振るが、まだ油断はできない。

 横に跳び、延長線上から逃げる。

 頬を撫でるように風が吹き抜けていく。

「九龍院流殺人剣、飛燕斬(ひえんざん)

「……弦閃(げんせん)っ」

 互いの言葉が交わり、剣が打ち鳴らされる。

 クレスは右手の剣で横に薙ぎ、左の沿った刀身の剣で左斜め上から切り込む。

 囲みの斬撃に対して俺は刀を縦に構えて薙ぎ払いを受け、反動を無視して返し左方から来襲する刃にも対応し払う。本来は相手の斬撃を打ち払った後に、一刀見舞う剣技だが守らねばならない。

 返された右手の剣が戻ってくる。

「それで、避けたつもりかっ!」

「いいんだよ」

 左手の剣を払った状態から後ろへ跳ぶ。

 (つい)の斬撃は虚空を断ち切り、また鋭い風を巻き起こしていく。

 距離をとれば三段構えの連撃も届かない。

「一刀流、抹風(まつかぜ)

 跳んで、着地すると同時に足をたわめ溜めた力を一気に解放する。

 前への突進と同時に右手を前に、筋力を乗せた突きを放つ。

「そうくると思った」

「だが……」

 クレスは体を軽く左へ動かし、軌道を逸らしながら右手の剣を振るう。

 刺突の修正が効かず、対応し辛い点を的確に突いた模範的な返し手。

 だが俺は既に抜き放っていた左手の得物を噛ませる。

 硬い音と、弾き出される空気の軽い音が鼓膜を震わせた。

「なっ……」

「そう驚くなよ、読んでいたんだろ?」

「勿論」

 左手で握った鞘による腹を狙った一撃を、クレスは右で受けて躊躇なく剣を離し流す。

 衝撃が殺され届くことなく鞘は右腕によって掴まれ、止まる。

 クレスの左手の剣が俺の左肩口を狙ったところで短い悲鳴が聞こえた。

 ぴたり、と動きが止まる。まるで時間が凍り付いてしまったかのように。

 声をあげた当人であるリオンだけが目を丸くしている。

「ふっ……くく」

「ははは、あはははっ」

 笑い合う。リオンもようやく事態が飲み込めたようで、気恥ずかしそうに笑みを見せた。

 どうしてこう、武による挨拶を求める奴が多いのだろうか。

「なぁんだ、私と一緒ね」

「ええ。写真よりも本物は一層美しい。その驚いた顔も、ね」

 まったく、嫌がらせというか底意地が悪いというか。何とも手の込んだ自己紹介だと思う。

 要は、こうやって軽く打ち合い慣らす程度は呼吸するようにやってしまう関係だということ。

 共に戦い、背中を預ける以上は無論のこと相応の信頼が必要となってくる。

「びっくりしたじゃない」

「それが目的だからいいんだよ」

「お陰でいいものが見れました」

 にこり、と綺麗過ぎる笑顔を見せるクレスに俺も笑みで返した。

 それぞれの得物を収めて一つ息を吐く。

「ひとまず、今日は解散だ」

 空はとっぷりと青い闇に染まっている。

 視線を下に、物言わぬ骸達へ向けて小さく唇を舌を動かし発声。

 ヒトであった燃えカスと一緒に全てが再び炎に包まれ焼けていく。

「……安心したよ」

 ぽつりとクレスが呟いた。

 俺は戦友の、何もかも見透かしそうな青い瞳を見つめる。

「忘れていいものと、忘れてはいけないものくらい分かっている」

「そうだね。僕も、君も多分忘れちゃいけないんだ」

「ああ。それと……」

 リオンはじっと、焼けていく者達を見つめていた。

 感情を押し殺すように下唇を噛んで、握り締めた拳は小刻みに震えている。

 声をかけず、俺はゆっくりと瞼を閉じて祈った。

 何にもならぬ願い。死者に対してできることは、跡を失くすことだけ。

 せめてもの、ヒトとして最期を迎えた形を遺すこと。

 肩を叩かれる。瞼を開き、向くとクレスも察したか静かに首を振った。

「行こう」

「……ああ」

 どんな言葉もリオンの心を、地に張った魂の根を動かすことはできないだろう。

 日常と非日常の境界は紙一重で、踏み越え慣れてしまえば何とも感じなくなる。

 だが、感じることができる時間というものが貴重であることは確かだ。

「要らないよ。僕達には不要だし、何より(ゆる)されない」

「俺は、一振りの刃でいい。目的を遂行するための道具でいい」

 道具に心は要らない。使われるままに使い潰され朽ちるだけでいい。

 そうして生きてきたし、残りも全うして死ぬだろう。

 数多の命を屠り、その先により多くの幸せがあることを願い、祈りながら果てる。

 裁かれぬ罪を、繰り返される嘆きの鎖を断ち切る罪業の剣でいい。

 普通の幸せなど、とうの昔に崩壊していたのだから。




 翌日、休日だったため俺はリオン、クレスと共に坂敷邸へ集まっていた。

 午前中は道場の稽古やら、晴明の午前診療で忙しなかったため〈灰絶機関〉の首魁たる千影の前で正座し硬直するのは午後からとなっていた。居間で、大きな机を挟んで俺達は並び、千影と向き合う。

「成る程、これまでの位置情報から割り出した、と」

「……はい」

「それで、仕留めたんだろうな?」

「はい。消滅まで僕が確認しました。亮は敵の精神攻撃で硬直していましたが」

 千影が眠そうに目をこすり、酒でも入っているかのような据わった瞳で俺を見る。

 次いで助け舟を出す、と見せかけて要らん一言を加えたクレスへ視線を移す。

「久しいな、クレス」

「ええ、千影さん。〈聖呪大戦〉以来になりますから、五年ぶりでしょうか」

「もうそんなになるか。すまないな、戻って早々馬鹿の尻拭いをさせてしまって」

「いえいえ。僕が勝手にやったことですから、お気になさらず」

 笑顔で受け答えをするクレスはいいのかもしれないが、俺はどこで雷が降り注ぐか気が気ではない。

 ちらりと横目でリオンを見るが、目が合って速攻そっぽを向かれてしまった。

 援軍ナシ。孤軍奮闘という奴か。

「で、だ。精神攻撃というのは?」

「えっと、デイブレイク・ワーカーの頭目、ピアスディと名乗った男は、物体の影を

自在に行き来し、さらには人間の精神世界に入り込んで、中身を引き出すみたいなんです」

「夢魔のようなものか? 何でも地球外生命体とほざいたとか」

「え、ええ。ちょっと信じられないです、よ、ね?」

 おずおずと千影の問いに答えるリオンは、やはり先日の一件からまだ苦手意識があり、克服できていないらしい。気にも留めずに千影は眉をひそめ、口を右手のひらで覆い隠し黙考する。

 かちっ、かちっと古めかしい壁時計が永久の一瞬を刻み続ける音だけが鳴り響く。

「あながち、戯言と言い切ることもできないな。何しろ、私達クラッドチルドレンが

クラッドチルドレンとしてあるのは何故か、まだ解明できていないのだから」

「呪いに関しては全部分かったのでは?」

「あくまで呪いから解き放たれる術が分かった、だけに過ぎない。そもそもどこから来て、

何のために植えつけられているか分からないのだよ。この短き命を強いる(くさび)は」

 気にしたことさえなかった。

 〝そういうもの〟だと思っていたし、方法があるのだから選べばいい。

 そうして培われた知識があり、今がある。

 問題なく巡っているが、リオンが望むようにクラッドチルドレンという概念そのものを失くす方策があるならば。

「それこそ、クラッドチルドレンがいなくなれば、なくなるんじゃないんですか」

 さらりとリオンが毒を吐き出す。が、その理論は通らない。

「疫病の保菌者を全て殺せば治まる、っていうのと変わらないな、その選択肢は」

「病気とは違うでしょ。呪いなんてオカルト的な……」

「確かに最終目標は呪いそのものを消失させることだが、今は必要な力でもある。

世界の灰色を滅ぼし尽くすまで、この呪いが存在する意義を問い続けなければならない」

 凛然と千影が言い放つ。結局は、そこに落ち着いてしまうのだろうか。

 病気とはまた違うが、すべからく物事には起き得る要因が存在するはずだ。

 犯罪が人間の心理と情動から生まれるように、始まるものがなければ終わるはずがない。

 そのロジックを解き明かす鍵は、もしかしたら地球外生命体にあるのかもしれない。

「意味、ですか」

 思い出したようにクレスが告げる。

「千影さん、僕が調査してきた禁止区域も何か関係があるのですか?」

 禁止区域。かつてロスシアと忠国という二大国家が存在していた地域を示す。

 露日事変により、日本は権力層が駆逐されたことで崩壊しアルメリア王国へと変わった。

 当時は〝まだ〟俺は日常の中にいて、仕組みが変わったことも後になって知ったのだ。

「そうだな。お前達は、誰も当時を知らない。いや……遂行者ではなかったから、な」

 そう。俺達は歴史の中の、紙に書かれた資料としての出来事しか知らない。

 旧日本政権の崩壊も、ロスシアで政変が起きたことも、忠国での爆発事故も。

「ずっと前から〈灰絶機関〉の戦いは始まっていた」

 そう口にして、千影が立ち上がる。

「知りたければ、教えてやろう。長くなるかもしれんが……な」

 俺達は、自然と目を合わせてから頷いた。

 恐らく、それぞれの胸の内側に別々の想いを抱えて。

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