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灰色の境界  作者: 宵時
第一章「だから、俺は殺す」「それでも、私は殺さない」
17/141

1-13 外界からの侵略者

 血臭と死の香りが充満した裏道を抜けて、走る亮の後を追っていく。

 空はすっかり暗くなり、転々と街灯に淡く白い光が(とも)る。

 市街地へと戻り、また細く長い路地を抜けて廃ビルの立ち並ぶ区画へ入った。

 かつてアルメリア王国が〝日本〟であった頃に起きたテロによって壊滅した区画。

 現在では住む人もなく地図上からも廃棄区画として存在そのものを抹消されている。

 が、地図の上から人間は見えない。

 実際に廃棄されようが、立ち入り禁止だろうが人は集まり住み着く。

 それを証明するかのように不快な異臭が漂っていた。

「亮、ここが……?」

「ああ。今まで潰したバイヤーの拠点と、仕入れルートから独自に割り出しておいた」

「そういう、のって、けほっ、上に知らせるべきなんじゃないの?」

 鼻の粘膜を突き刺す鋭い刺激臭に(むせ)ながらも問い続ける。

 匂いの元は窓硝子(がらす)が全て砕け落ちた灰色のビルらしい。

 亮も、そのビルを見ている。

 霧がかかっているかのように白いもやが辺りを覆うが、特に肌寒さは感じない。

 むしろ、気持ち悪さというか、蛇に肌を舐められるような不快感がある。

 粘膜だけでなく皮膚を攻撃する異様な空気、もとい瘴気(しょうき)

「時期尚早だ、と言われる可能性もあった、からな」

「あえて報告しなかった、ってこと?」

「そうなる。遅いんだよ、悠長に出元を探っていたら今を、拡散を止められない」

 〝現在〟を尊重するならば、そういった選択になる。

 だが真に根源を滅ぼすのであれば、きちんとした調査を待った方がいい。

 確認するように視線で亮に問う。亮も私を見ていて、自然と目が合った。

「殺して、殺して……その先に何があるか、聞いたよな」

「……うん」

「変われる人間は変われる。が、変われない人間は変われず新たな罪を生む」

「だから、殺す……の?」

「そうして〈灰絶機関(アッシュ・ゴースト)〉は世界の枠組みを維持してきた。今までも、これからも」

 今更問うまでもない理念の宣言。個の意志、ではなく全体の統一された真理。

 罵倒的な意味合いで〝馬鹿は死ななければ治らない〟というが、罪を犯す者も同じ。

 更正できるものと、できないものが存在する。

 それは最早遺伝子レベルで組み込まれた先天性の異常と言えるだろう。

 同じことが〈灰絶機関〉自身に適応されるかどうかはまた別として。

「薬物中毒は特にひどい。最初から依存性の強いものが多く、一度食らいつけば、全てを

貪り尽くすまで離さない。そんな連中が悔い改めるとも思えない。餌になる奴らがいなく

なれば嬉々として次の獲物を探すだろう。永遠に終わらず、ただ金だけが循環する」

「…………そう、ね」

 仮に全てが事実であれば酷い、としか言いようがない。

 故に肯定するしかなかった。そんな残酷で、無慈悲で利己的なことが実際に行われているのであれば、どんなものでも殺意を抱いてしまうのではないか。

 が、置き換えれば軍事転用できるものは全て罪深いもの、とも取れてしまう。

 亮の扱う日本刀もただの凶器に過ぎず、付随する意味や価値は仕手によって、どのような目的で振るわれるかで決まる。力なきものを救うためであれば英雄視され、力なきものでも容赦なく殺し回る殺戮者の手にあれば邪悪で悪辣なものだと評されてしまう。

「薬も、使い方次第でしょ」

「モノに罪はない。だからと言って使い手によって正邪が決定される、というのもまた別物だ。

テロリスト連中が浄化だの暴君の排除だの謳っても殺人は殺人、破壊は破壊……だ」

「視点の揺らぎが両極端の選択をさせる、と?」

「前にも言ったはずだ。お前の言うことは正しい。流派九龍院流殺人剣は、名前の通り

各々が最も得意とする獲物によって、より効率よく確実に命を簒奪(さんだつ)できるよう

昇華された術だ。どんな大義名分を掲げても本質が揺らぎ、かき消えることは有り得ない」


――だから、誰かの手による断罪を。〝死〟という終わりを求める。


 ふと、そんな言葉が耳に入ったような気がした。

 軽く頭を振る。まとわりつくような嫌な気配と、絡みつく肌を刺す異臭から逃れて。

 重ならずとも、亮と私の思想は根本では同じだと思う。〈灰絶機関〉の面々にしてもそう。

 本気で、真剣に自らの能力を世界平和のために、その安定のために使う。

 少し前まで、ただの〝被害者〟でしかなかった私にはどうしても受け入れ難いものがあった。

 だからこそ、何度も何度もぶつかってきた。

 そんな存在が、いるはずはない。私利私欲もなく自らを犠牲にする生き方なんて……。

「俺は、ただ泣くだけだった。()いて、叫んでそれで終わるだけの餓鬼だった」

「あ……」

 伸ばしかけた右手を押さえ込むように、左手で包み込む。

 私は真実を確かめるために〈灰絶機関〉に入った。両親は何故殺されてしまったのか。

 その答えを得るためだけに前へ進んできた。

 亮は、どんな人生を歩んできたのか。

 どんな人生を歩めば、こうまで〝自分を殺す〟ことができるのだろうか。

 ぞん、と心臓を縄で縛られ締め付けられるような息苦しさに襲われる。

 淡く今にも崩れ壊れそうな亮の横顔を見ていると、どうしてこんなに辛い気持ちになるのだろう。

 悲しい気持ちになるのだろう。

 回答を得るのも、私の目的。だけど、恐らく今聞いても望む答えは返ってこない。

 一度だけ首を振って、別の言葉を紡ぐ。

「亮は、死にたい……の?」

 問いに亮は私を見るだけで、何も声に出さない。

 かつて〝いつでも殺されてやる〟と言っていた。

 私も最初は、こんなふざけた呪いに巻き込まれたことを恨み、すぐにでも解放されたいと思っていた。

 ただ今ならば分かるような気がする。この体がアルメリアに来ることを望んだ表側の理由は真相の解明。

 裏側の願いは〝わたし〟が叫んでいる狂おしいまでの痛みの秘密。

 サブリミナルのように網膜に、夢の世界で映りこむ光景に関係しているのではないか。

「今は、デイブレイク・ワーカーを滅ぼすことだけを考えろ」

 鋭い口調で亮が言い切る。廃棄された区画は無法地帯。

 平和を乱す存在の温床となっているのは無数の気配で(うかが)い知れる。

 世界の裏側、深淵で暗躍し数々の悲劇を生み出す要因。

「まだ身勝手でも主義主張があるだけテロリストの方がマシだ。デイブレイク・ワーカーは

戦いを引き起こし、そのための武器を提供する。過不足なくどちら側も戦えるように。

弾薬が途切れれば補充し、銃器が足りなくなれば新規提供する。無論、有償で……な」

「売り続ける、ってことだよね。どちらかが滅ぶまで」

「ああ。連中にとって他人の命は金より軽く、そもそも行く末など気にしちゃいない。

気になっていることはただ一つ。どれだけ命を金に換えられるか。その一点だけだ」

 まさに純粋な悪意だけが凝り固まった存在。

 死を売り歩き、各地に地獄を顕現させ絶望を生み出していく。

 本当にただ金を集めることが目的なのだろうか。きり、と奥歯を()む。

 亮は特に気にする風もなく言葉を連ねる。

「連中の第一義は金を集めることだが、何らかの目的はあるはずだ。日露事変は?」

「資料に載っている程度のことなら」

「あれにもデイブレイク・ワーカーが噛んでいると聞く」

「そんなに昔から……」

「ひょっとしたら人造人間を、生物兵器を作るのが目的なのかもな」

 あくまで推論の一つ。その一言は私には重すぎた。

 そのために両親が殺されたのならば、技術が渡ったのがデイブレイク・ワーカーならば。

 私は……この、全てを塗り潰す衝動に負けてしまうかもしれない。


――憎まざるを得ず、殺さずにはおれず、(ゆる)さざるもの……


 はっ、として両手で頬を叩く。

 支配されない。そんなものに突き動かされてはいけない。

 憎まず殺さず、第三の選択肢をもって事に当たる。そう誓ったはずだから。

「行きましょう。彼らは――」

「滅ぼすぞ。お前が邪魔しようとも連中は消さねばならない」

「…………」

 それでも。小さく口の中で呟いて、前を歩く亮を追う。

 両側に廃ビルが立ち並ぶ大通りはアスファルトの舗装が砕け、赤黒い土が見えていた。瓦礫や窓硝子のない廃車、部品がいくつかなくなった大型二輪、注射器やらビーカーなどがまとめて捨てられた一角。

 点々と灯る街灯のお陰で何とか視界は確保できている。

 淡い光は直視に耐えない、腐った動物の死骸や、損壊の酷い白骨死体を照らしていた。

 野ざらしであちらこちらに転がっている。

 無法地帯、というよりもこの場所が地獄に近かった。

 進めば進むほど嫌な感覚は明確な重量を持って、両肩に背中に頭に圧し掛かって来る。

 クラッドチルドレンたる超常の知覚能力がもたらす結果か、あるいは本当に異界へ足を踏み入れてしまったのか。つと、亮が進行を遮るように左手を掲げた。

「囲まれてる、な」

 ざっと辺りを見る。一人、また一人と廃ビルの影から足を踏み出す人々。

 同じ年代と思しき少年少女からスーツを着たサラリーマン風の中年、明らかにカタギではない様子の首筋や腕にタトゥーを入れた大男。その中でも一人、異彩を放つのが真正面に立つ男。

 これから舞踏会にでも出るのか、といったタキシード姿にピエロの仮面を被っている。

「やあやあ、〈灰絶機関〉の方々。ご機嫌麗しゅう」

 恭しく頭を垂れた男は仮面で笑みを浮かべたまま、右手を左から右へ真横に振るう。

 のそりのそりと出てきた少年少女、男達はゆっくりと歩き出した。

「……あなたは、誰? 彼らに何をしたの?」

「すぐに分かりますとも。リオン・ハーネット・ブルク嬢」

 名前を知っている、かつ一人だけ周りの人間とは違って普通に会話している!

「奴が、頭だ。デイブレイク・ワーカーの頭目……ピアスディ」

「情報が早いですね。流石、〈灰絶機関〉最古参の〈死神〉といったところですか」

「抜かせっ!」

 亮は即座に臨戦態勢に入り、バッグを投げ捨て腰に帯びた日本刀の柄を握り、引き出す。躊躇なく振るわれた白刃が吸い込まれたのはピアスディなる仮面の男ではなく、かばうように飛び出してきた少年だった。

「がはっ……」

 両手を広げて飛び出したため、刃は少年の脇腹を裂く。

 シャツに血が滲み、広がるも亮は動揺することなく刀を握り返した。

 少年の体から刀身を抜き、容赦なく少年の体を右足で蹴り飛ばす。

「一般人を巻き込んだところで戸惑うとでも思ったか?」

「いいえ。情報通り、冷徹にして冷血、まさにアルメリア王の走狗(イヌ)に相応しい」

()れるなよ……っ」

 ピアスディも、亮も地面を転がる少年には目もくれずに向き合う。

 続く左からの()ぎ払いも乱入した大男の腕に阻まれた。

 亮が後ろへ跳躍し、後を追うように大男が右腕を振り上げ、大槌のごとく打ち下ろす。

 ずん、と重い音と共にヒビの入ったアスファルトが砕けて欠片が飛び散った。

「ちっ……」

 尋常ではない威力。

 が、亮は刀の腹で払うと左手を前に、刀身を平に傾けて駆け出す。

「一刀流、抹風(まつかぜ)

 短い宣誓と共に突撃、勢い良く突き出された刃が大男の右肩を貫く。

「ぐがああぁぁぁぁっ」

「……覇裂(はれつ)

 叫ぶ大男から刀は抜き出され、亮は両手持ちに切り替えて横に薙ぎ、斜めに切り下ろす。

 断末魔をあげて倒れた大男の体から鮮血が溢れ出し、地面に赤い染みが広がっていく。

 くつくつと、面白そうにピアスディが仮面の下で嘲笑(わら)う。

「まだまだ、足りないようですねぇ」

「やはり、こいつらにも」

「ええ。Dthを投与してありますよ」

 さらりと、挨拶するような気軽さでピアスディは自らの罪過を吐き出した。

 内側から湧き上がってくる何か。精神が干渉されるよりも早く、緩慢な動きで近づいてきた少年少女が渇いた大地で水を求めるかのように口を開く。

「薬、薬を……く、れ」

「早くっ! 早くくれないと俺達は……」

「お前、を殺せばくれる、って」

「そうだ。だから殺してしまっても仕方ない、の!」

 亮とピアスディとの攻防に見蕩れていて接近に気づけなかった……?

 いや、彼らには敵意や害意といった攻撃衝動が薄いように思える。仕方なく、そうしているような感覚。

 誰かに強制されているような、何かに突き動かされている誘導の。

「Dthの……」

「そう。彼らは得るために(うごめ)く。砂漠で水を欲するようにね、くく……あははははっ」

 哄笑(こうしょう)するピアスディをよそに、私は腰のベルトから水の入ったボトル缶を引き出す。

 蓋を開けて目前に迫る一人に投擲。当然のようにあっけなく跳ね返されるのを見る。

「〈水神の聖具(オルロ・マテリアライズ)〉っ!」

 宣言と同時に武具をイメージし、脳髄から視覚へ、手にある感触を確かめた。

 生成したのは波打つ刀身の奇剣。普通の剣をイメージしたつもりが、殺害することを躊躇したせいで中途半端な造形になってしまっている。だが再生成まで待つ余裕はない。構えて切るのではなく、撫でるよう振るう。

 迫る少年の手を浅く裂いて後ろに飛ぶ。

「つーかまーえたっ!」

「捕まらないっ」

 背後から両手をあげて覆い被さろうとする少女を避けて、切ろうとする手を止めて足を払うだけに留める。

 転倒した少女は駆け寄ろうとした少年を巻き込み、一緒になって倒れてしまう。

 そんな二人を無視して比較的長身の少年が跳ぶ。

「死ねええぇぇぇっ」

「お断り、よっ」

 上空からの飛び蹴りを体の回転を利用して回避、さらに反動の円運動から着地し揺らいだ少年の脇腹へ肘打ちを叩き込む。小さく(もだ)える少年の腹に蹴りを入れて跳ぶ。

 着地して、踊るように回って剣を振るう。

 待機していた少年少女の皮膚を浅く裂いていき、痛みに悶えて苦しむさまを見下ろす。

「痛覚が麻痺しているとか、そういうことはないみたい、ね」

「ええ、それは〝これから〟ですよ」

 告げると同時にピアスディの姿が幻だったかのように掻き消えてしまった。

 亮は標的を見失うも、立ちはだかっていたスーツ姿の男性を切り伏せる。

 恐らく元々は普通の生活を送っていたであろう、人間達を置き去りにして周囲のどこからかピアスディが含み笑いの後に声を発する。さも楽しそうに、高い場所から。

『Dthはただの麻薬じゃないんですよ。人々の、内なる願いを引き出す力を持つ』

「どう、いう……」

『すぐに分かりますよ』

 言葉通り、変化は唐突に訪れた。

「痛い、痛いよ……」

「苦しい、こんな苦しいのって、ないよ」

「薬、もっと薬を……あれさえあれば痛みなんて」

 切り伏せられ、貫かれ、或いは打撃を食らって倒れていた少年少女、大男、スーツの男が次々と立ち上がる。

 ゆらり、とゾンビ映画よろしく無気力に両手をぶら下げて。

 起き上がった少年少女は両の眼球をあべこべに激しく動かし、荒々しく浅い呼吸を繰り返す。

 大男は狂ったように自らの首を()(むし)り、爪を自らの血で染め上げていく。

 スーツの男は地面に這い蹲り、吐血しさらに胃の内容物を吐き出し始めた。

 辺りに濃い鉄の匂いと、胃液の刺激臭が漂う。

「なん、だ……」

 亮が周囲を一瞥しながらも、ピアスディの姿を探す。

 私も(なら)うが声はどこから聞こえているか見当が付かない。

 デイブレイク・ワーカーの頭目が見つからず、標的を失っている中で着実に変化は生まれていた。

 苦しんでいた少年少女、大男、スーツ男の動きが止まる。

「ぐぎ、がが……」

「くかき、かきくこここ、くるるるぅ」

「しゃかか、かしゃしゃかかしゃしゃしゃしゃぁっ!」

 一様に、人でありながらヒトでないような奇声を発してほの暗い空を仰ぐ。

 水が沸騰するように、少年少女の皮膚表面が波打つと、顔面の細胞組織が変質し顎から順に口、鼻から目、そして頭へと覆い被せて一色に塗り固める。

 まるで泥のパックでもしているかのように、皮膚から生み出されたモノは肌色から病的なまでに青白く変色し、ついにピアスディが身に着けていたような仮面へ変わった。

「なっ……」

『おぉ、ついに……ついに成功した! 我が同胞(はらから)の誕生だ!』

「どういう、意味なの?」

 驚愕する亮にも、私の問いにも答えずに姿なきピアスディは勝ち誇ったかのように笑い声をあげる。

 説明がなされないのであれば、推測するしかない。

「……姿を消したり、平気で人間を盾にしたり、アンタ人間なの?」

『その問いに、地球外生命体です、なんて答えたらどのようにされるのです?』

「そ、んな」

 馬鹿げた話があるか、と繋げようにも声にはならなかった。

 理解が追いつかない。ただ一つ確実に言えるのは、Dthが単なるドーピング剤でも幻覚を見せるドラッグでもない、ということ。同時にデイブレイク・ワーカーが死の商人として武器を売り歩くのであれば、兵器の一つとして生物兵器……細菌兵器を持っていてもおかしくはない。

 それで地球外生命体などと、SF的な発言に繋がるわけではないが。

『くくく。君達はもっと現実的だと思っていたがね。何せ人外仲間なのだから』

「一緒にしないでよ! アンタ達みたいな、命を軽んじる連中なんて」

『違うと? 世界の秩序を守るだとかいう、大義名分の元に殺人を犯す貴様らと自らの

意志で死を売り歩き、人間に地獄という底のない絶望を味合わせている我々と何が違う?』

「違うっ! アンタ達は何も生まない。世界の至るところに絶望を撒き散らすだけ」

『そうだよ。それこそ私の目的なのだからね』

「人間に、絶望をもたらすことが……目的?」

 声は足元から聞こえている気がする、が正確な場所は掴めない。

 仮面を身につけた少年少女、大男、スーツ男がこきり、と首の骨を鳴らす。

 どれも細い三日月の、笑みを象った口に菱形やハート型の瞳で彩られた奇術師の意匠。

 ふざけているのか、大真面目なのか。

 真に地球外生命体へ変貌したとすれば、人間へ戻る手段はあるのか。

 様々な疑問が浮かぶも、問う暇すらなく仮面の元・人間達が疾駆する。

 大男が右腕を掲げると巨木のように内側から膨れ上がり、自ら引き裂いた血管から溢れる大量の血液が中空で腕にまとわりつく。赤い装甲が生み出され、コーティングされた腕で亮へと殴りかかる。

 スーツ男も後に続き、跳躍。

 飛び蹴りの体勢から両足が形状変化、刃となって重力に引かれ加速度を増して落下していく。

「亮っ!」

 叫ぶよりも早く、亮は後ろに跳んで回避。目の前に刀を持ってきて小さく呟く。

「……〈灼煌の魔眼(ヴォルカル・フィアー)〉」

 (ごう)っ、と燃え盛る炎が刀身を包み込む。紅に染まり焼ける刀身で鮮血の装甲をまとった大男の一撃を受ける。ずん、と体が沈むが亮は右手に握った日本刀だけで受け切っていた。

「〈紅の刻印(セル・ヴェーゼ)〉、第一周封印……解放」

告げて亮は舌を出す。ほのかに紅い燐光が輝き、レの字を互い違いに合わせて線で囲んだ紋様が浮かんだ。

 そのうち外周の円だけが、空気に溶け消えるように失われていく。

 瞬間、右腕だけで受けていた大男の腕を跳ね飛ばし、返す刃で一直線に装甲ごと腕を断ち切る。

 圧倒的な筋力を前に唖然とする、がこちらもただ見ているだけではない。

「余所見厳禁んんんんっ!」

 仮面をつけた少年少女が駆けながら両腕を交差させる。

 一瞬にして両腕は両刃(もろば)の剣となって空を裂き、鋭い突きと斬撃が飛ぶ。

「武器の物質化は私の専売特許よ!」

 切らせるのではなく、今度はベルトから引き出したボトル缶をそのまま空中に投げて中身をぶちまける。

 放射状に撒かれた水は苦無(くない)へと変化し、雨のように少年少女へ降り注ぐ。

「ぐあっ」

「痛……くないっ!」

 全ての苦無を浴びながらも、全く効いてないかのように速度を上げて剣へと変化させた腕を振るう。私は体をのけぞらせて回避、空いた横腹に蹴りを入れて少年を吹き飛ばし、交差させながら両腕で切り込む少女の腹に掌底を打ち込む。性別の異なる襲撃者を一蹴するも、やはり痛みを感じないようにゆらりと立ち上がる。

「もう! どうすればいいのよっ」

 声を荒げたところで轟々と炎が燃え滾る音が聞こえた。

 嫌でも嗅覚が感じ取る異臭。肉の焼けた、すえた臭いが口内に侵入し犯していく。

 胃から立ち上り、こみ上げるものを堪えながら半ば予想できている結果を視界に収める。

「殺せばいい。連中に戻れる道などありはしないのだから」

 淡々と告げた亮は大きく日本刀を振るうと、黒塗りの鞘へと納めた。

 こちらへ歩み寄る亮の背後で大男が倒れ、折り重なるようにスーツ男が背中から大量の血液を流している。

 焼けているのは大男の切断された腕で、飛び火して大男の体を、重なったスーツ男の服へ燃え移って全身を、すべてを焼き焦がしていく。

 亮の黒い目は私を見ず、仮面をつけた少年少女を〝殺すべき敵〟として捉えていた。

『お、おぉ……折角、ようやく生まれ出た我が……』

 悲痛に震える声でピアスディが嘆きをあげる。

 瞬間、亮は抜刀し声のする方へ刃を突き立てた。

 短い苦鳴の後、炎に照らされた亮の影から、のそりとタキシードの男が這い出る。

「何故、私の居場所が……」

「簡単なことだ。お前は手出しをせず、連中に攻撃を任せる。が、状況は見える場所にいる。

つまり最上級の特等席はどこか。お前の能力は、影に入り込むこと……だ」

「なるほど、そこまで読んでの炎、ですかっ!」

 ピアスディが手刀を繰り出すも、亮のシャツを浅く裂くだけ。

 回避からの円運動で白刃が吸い込まれるようにピアスディの腹へ叩き込まれる。

「があああっ」

 絶叫をあげるも、語尾は(かす)れて消えていく。

 また姿を消したピアスディは荒い呼吸を抑えるようゆっくりと語りかける。

『くっ……よもや炎を生み出せる、とは』

「夜を選んだのは正解であり、不正解だな。俺の〈紅〉は炎ともう一つの特性を持つ。

コソコソ影を這い回るだけなら、炙り出して仕舞だ。侵略者(インヴェーダー)様よ」

『まだ、二人……さあ、やりなさい! 絶望を与え、そこから(かて)を得るのですっ』

 ピアスディの声に応じて、仮面の少年と少女が再び両腕を構える。

 じゃりん、と音が鳴り響き生成された右手の剣と左手の剣をすり合わせ、打ち鳴らして好戦性を叫ぶ。

 亮が私を見た。暗に、殺せと……黒い視線が告げている。

「私は……」

()るんだ。いつかは経験するんだぞ! 真に呪いから解放されたいと願うならっ」

「それでも私は……」

 無力化させるだけでは収まらないのか。

 彼らは本当に元の人間へ戻ることはできないのか。

 僅かな可能性に賭けて、ボトル缶から水を撒き生成する。

「……〈水神の聖具〉」

 今度は苦無ではなく、一振りの太刀を作り出す。扱いには慣れていないが、丁度いい。

 砕けた路面を蹴り、上空から一度、二度、三度と連続して斬撃を浴びせる少年と、合間を縫うように間隙に刺突を繰り出す少女。どちらも血走った眼球を忙しなく動かしながら迫る。

「ぐるるるるぅぅうっ」

「死ねっ! 死ね死ねシネしね死ねぇぇぇぇぇっ!」

 二人とも感情だけが表に出た意味のない奇声を発して剣戟の雨を降らせた。

 受けて、受けて受けて払って。少年が右斜めから打ち落とし、左腕の剣を跳ね上げるように切り上げるのを全て刃で打ち払って防ぐ。入れ替わって少女が突きを繰り出す。その立ち代りの瞬間に一閃を見舞う。

 ぴきり、と軽い音が鳴り少女の仮面に亀裂が入る。

 真っ二つに割れて奇術師の仮面が落ちた。

『ヴオオォォォォォォ……』

 腹の内側を(えぐ)るような重低音。音源は黒い渦。

 仮面の中に生まれた渦は、底なし沼のような遠いどこか、異界への入り口。

 歪んでひしゃげた鏡像が網膜に張り付き、強制的に映像を見せる。

「何、なのよ」

 それは戦場。無数に転がる死体と、荒廃した大地を駆け抜ける少年兵。

 滅茶苦茶に手に持った銃を撃ち、敵兵と思しき影を薙ぎ払うも顔を打ち抜かれ真っ赤に染まる。

 それは裏道。太陽の届かぬ場所で悶える少年少女。

 体は小刻みに痙攣し、唇からはだらしなく(よだれ)を垂らして(ほう)けたように笑っている。

『オオオォォ……ウオォォォ』

 脳髄に侵蝕するように、少しずつ少しずつ染み渡っていく。

 この光景は、この状況は示されているのはどこまでも暗く黒い悪意そのもの。

 いや。平凡な日常を歩んでいた、或いは歩んでいきたかった者達の裏返しの心。

「リオン、気をしっかり持て!」

 誰かの声が聞こえる。ああ。でも塗り潰されていく。

 かつて当たり前だと思っていた風景。

 たまの休日、滅多に家に帰ることのない両親と共に連れて行ってもらった別荘。

 自然がいっぱいで、ウサギと野原を駆け回り、花畑に飛び込んで笑顔を綻ばせる。

 自らの手で花を摘み、草で編んで作った冠を手渡す。

 母親は慈愛のこもった笑みで出迎えて、父親はそんな二人を優しい瞳で見つめている。

 暗転。燃える家、無残に砕かれた壁と心臓を打ち抜かれ紅く染まる両親の体。

「あ、ああ…………っ」

 焼ける。燃え落ちて崩れていく。

 日常が、平和が、大切でずっと当たり前に続いていくと思っていたものが。

 頬に触れる熱い感触。次いで、体が引っ張られる感覚。

「リオンっ!」

 再度の呼びかけに意識が現実へ引き戻される。

 小さく誰かの舌打ちが聞こえた。

「もう少しだというのに、全く持って厄介ですね。〈紅の死神〉」

「どんな絡繰(からくり)か知らんが、くだらん真似は止めろ。俺にはそんなもの、無駄だ」

「伊達に戦場を渡り歩いていない、ということですか」

「……何も感じなくなるくらいには、見てきたさ」

 低い調子で告げる亮と、残念そうにため息を漏らすピアスディ。

 完全に覚醒してようやく亮が負傷していることに気付く。

 左肩から胸にかけての切り傷に加えて、左脇腹には白銀の欠片が突き刺さっている。

 地面に転がっているのは首無しの死体が一つ。すぐ傍に少年が倒れている。

 心臓には日本刀が突き刺さっており、ぴくりとも動かない。

 遠くに少女のものと思われる頭部があったが、もう視認したくなかった。

 最早〝頭〟と呼べるものではなく脈動する赤黒い物体と、桃色の細長い器官、それと大きな袋状の臓器がみっしりと詰まっている。あれは、ヒトではない。あんなものは人間の頭部ではない。

「リオン……もう、見るな」

「う……あ、」

 目を(つむ)り、世界から入り込む映像全てを拒絶する。

 それでも声は聞こえる。

「そう。貴女の感じるものが〝絶望〟であり、我々の大事な食料となる」

「餌を無心する前に、貴様自身の命でも心配してろ」

 声と声がぶつかっていた。傷を負ってでも前を向き、異形たる存在と向き合う亮。

 猟奇的な、人外たる証明を見せたピアスディ。

 (まぶた)を開く。恐怖を振り払って、絶望の闇を切り裂いて見るべきものを見るために。

 どれだけ否定しようとも、この光景は現実。

 目の前に立つタキシードをまとう仮面の男が見せ続ける悪夢と繋がっている、逃れようのない事実の連続。

 亮が日本刀を引き抜く。

 ぬぷりと粘着質の音が響き、血が滴るも全く気にするような素振りはない。

 炎を光源とする薄ら暗い世界で、亮とピアスディが対峙する。

「ああ、なんてことだ……君のお陰で台無しですよ」

「覚悟しろ。お前は欠片も残さず、すり潰してやる」

「実行、できますかね?」

 ふっ、とピアスディの体が消えた。

 〝また〟だ。影に出入りし、さらには悪夢を見せるような力も持つ。

 存在自体が悪逆そのものであるピアスディ、だが明るく照らし出された部分は多く、私の影も細い。

 今度はどこに入り込むというのか。

 つと、背中に一つ気配が生まれる。即座に振り向くと、少女が立っていた。

「その、顔……」

 私は目を見開き、正面に立つ少女の顔を凝視する。

 爛々(らんらん)と輝く子供らしく興味と期待を多分にこめた大きな黒い瞳。

 薄い唇に小さくも整った鼻筋、凛とした表情は自信ありげに笑みを浮かべていた。

 腕を組み、立つ少女の顔は……鏡で見た〝わたし〟に酷似している。

「……さゆ、り」

 サユリ。そう、確かに亮が呟いた。

 魔法の言葉のように、優しくも悲しく悠久ほど遠い響きを持って言語化されたもの。

 燃え盛る炎に照らされた亮の頬に、一筋の軌跡が生まれた。

 今度は亮が立ち尽くしている。全てを諦めたように棒立ちになっている。

 硬い音が鳴り、血に塗れた日本刀が地面に転がっていく。

「ふっ……くくく、呆気ないものですね」

 亮がサユリと呼んだ少女があどけない顔立ちに淫靡(いんび)な笑みを浮かべる。

違う。この少女は、亮が想う人物ではない。紡がれた声はピアスディのものだった。

少女の姿をしたピアスディが、まるで吸血鬼のように亮の首筋に顔を近づけていく。

 止めなければ。が、手元に武器はない。

 精神干渉を受けた時に失い、地面に広がった水分は回収不可能なほどに乾いている。

 ベルトに手をやるも、ボトル缶のストックもなかった。

「ふふふ。何をやっても無駄ですよ。貴女は私が彼から〝絶望〟を吸い取る瞬間を――」

 ピアスディが最後まで言葉を紡ぐことはなかった。

 どこからか、飛来した短刀がピアスディの、少女の薄い胸板を貫いている。

 赤黒い染みが広がっていく中、突風が吹き抜けた。

 涼やかな風が私の頬を撫でていき、背後で鍔鳴りの音が響く。

「……〈静寂たる十字架(サイレント・クロス)〉」

 静かな青年の声で紡がれたもの。

 瞬間、少女の体をしたピアスディの体に横薙ぎの軌跡が刻まれ、次いで縦にも真っ直ぐ切り口が生まれる。

 一息に服を紙のように切断し、鮮血が噴き出した。

「馬鹿、な……」

「そこまでだよ。魔に連なり、外界より来訪せし異形のもの」

「こんなところ、で……この私、がっ! イーナド星人たる絶望の紡ぎ手がぁぁっ」

 ピアスディの面も両断され、(にじ)み出た闇の渦が小さく怨嗟の声を響かせる。

 ぎゅり、と(ねじ)れてブラックホールに吸い込まれるように、ピアスディの肉体は見る間に自らの顔面から生まれた空間の(ひずみ)、黒い(あな)()まれて一瞬にして世界から消え去った。

 何事もなかったかのように、穴がなくなって空間が静寂に支配される。

 まだ燃え続ける肉の欠片が、透き通った空気に新たな(よど)みを生み出していた。

「大丈夫?」

 にこり、と突如乱入した青年が涼しげな笑顔を浮かべる。

 坂敷 晴明に似て、表情が……その真意が読めない。

 紫のメッシュを入れた銀髪は丁寧に耳にかかる程度の長さで切り揃えられ、透き通るようなスカイブルーの瞳が真っ直ぐに私を見つめている。服装は薄手の黒いシャツに、青いジーンズ。

 腰には二振りの形状の異なる刀剣を帯びていた。

「その、あなたは……?」

「貴女とは初対面でしたね、〈蒼の死神〉リオン・ハーネット・ブルク嬢」

 また、私の名前を知っている。左下腹部にほんの少しだけ、針に刺されたような痛み。

 青い燐光が刻印を浮かび上がらせる。立ち尽くす亮の左胸にも紅い刻印が浮かぶ。

 青年も右足を軽くあげていた。ジーンズを透過して乳白色の刻印が見える。

「僕はクレッシェンド・アーク・レジェンド。〈白の死神〉です。お見知りおきを」

 そう告げた青年の表情は場違いなまでに柔らかく優しい笑顔のままだった。

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