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灰色の境界  作者: 宵時
第一章「だから、俺は殺す」「それでも、私は殺さない」
15/141

1-11 絶望をもたらすもの

 風に吹かれて白衣の裾がはためく。

 黒いズボンに薄青のシャツ、羽織っただけの白衣という井出たちは急いで出てきたためか。

 晴明は糸のように細い目でじっ、と私を見ている。

 特に後ろめたいものなどないはずが、妙に緊張してしまう。

 坂敷(さかしき) 晴明(はるあき)。古くから医術に携わる名門であり、また異能にも造詣が深いといわれる坂敷一族にあってさらに抜きん出た資質を持つ男。

 〈灰絶機関(アッシュ・ゴースト)〉を率いる坂敷 千影の夫であり、優秀な医者でもある。

 まさしく表と裏の境界を渡り歩く。それも散歩するような自然さで。

「大丈夫?」

 問われて、小さく首を振る。今、重要なのは坂敷 晴明の人間性を知ることではない。

 何故かの者がかくあって、末路のような殺人者と添い遂げる道を選んだのか。

 知ることでどれほどの意味があるとも思えない。

「これが、そうです」

 男にしては細い腕に少し身を引きながらも、落とすようにカプセルを渡す。

 相変わらず笑っているように目を細めたまま、視線は端の溶けたカプセルに移される。

 空いた手を白衣のポケットに突っ込むと見慣れぬ機械が出てきた。

 テレビのリモコンほどの大きさでいくつかのボタンと、大きなモニターが特徴。

 その機械をおもむろにカプセルに近づけると、短く高い電子音が響く。

 モニター部分に細かい文字列が浮かんだ。

 数字と英語が入り混じり、何かの数値を意味していることまでは分かる。

 周囲の生徒は見慣れぬ機械に何事かを囁き合ったり、普段は足を運ぶことも少ないのか珍しそうに晴明そのものを見たり、精悍な顔立ちに黄色い声をあげたりしていた。

 自由というか、ことの大きさを理解していないというか。

「誰か、最初から状況推移を説明できる子」

「あ、はいっ」

 先程私に説明していた生徒が、同じような繰り返しの情報を晴明に伝えている。

 又聞きを話すよりもいいだろう。亮も特に口を挟もうはしていない。

 顎に手を当てて、何事か考えているかのように唇を動かしている。

「本職の先生が来た以上、我々は退散かね?」

「そう、ね」

 刃助が軽い調子で言ってから、周りの生徒達にも解散するよう伝えていく。

 ここにいて何かできるのは治療技術を持つものであって、一般人ができることは限られる。

 その要因が何であっても普通であれば(あずか)り知らぬ話。

 私に、できることは何なのか。

「かの最先端医学の権威、坂敷先生から一言!」

「今回のことはやはり事件なのでしょうかッ」

「コメントをお願いしますっ」

 遠くで報道陣が声をあげているが、まだ教師によって抑えられているようだ。

 どちらにせよ何らかの発表を出さなければ治まりはつかないだろう。

 改めて会見を開き、報道陣への発表の場を作れば現場の騒ぎ自体は収まるはずだ。

 そもそも、躍起になって取り立てるほどに珍しいことなのだろうか。

 確かに阿藤学園の設備投資はめざましい。

 母国のウランジェシカでは最先端技術はまず兵器にしつらえて来たから余計に〝いいこと〟だと思う。

 一つの技術で違う結果が得られるならば、大多数の人にとっての善性を取りたい。

 両親もそう願って研究を進めていたはずだった。

「これは、どうにも……参ったね」

「坂敷先生、どういうことですか」

「っと、その前にこれを彼に飲ませて」

 晴明が周囲の生徒へテキパキと指示を出していく。

 亮も刃助と一緒に関係のない生徒達を遠ざけていた。

 それでも気になるのか、時折こちらに視線を送っている。

 晴明が生徒に渡した何かのカプセルが、それまで暴れていた生徒に半ば無理矢理に飲まされた。

 もがくように手を足をばたつかせていたが、勢いは弱まりやがて死んだように全く動かなくなった。

「ただの興奮抑制剤、それと睡眠導入剤だよ」

 心情を読んでか、晴明が小さく告げて残った生徒達に野球部員を運ばせていく。

 殆どの生徒達が追い立てられるように元通りの日常へ帰り、事件の中心にいた生徒も保健室へ運ばれて後には亮と刃助、晴明と私の四人だけが残った。

「有難う。計継君、と言ったかな。君ももう戻っていいよ」

「はい。で、その先生と二人の関係は?」

「ああ」

 刃助がこちらと、亮の方を交互に見ている。

 残した意味は何なのか、と暗に聞いている風にも思えた。

 が、気にする様子もなく晴明は笑ったまま答える。

「彼らにも渡すものがあってね。二人共僕の患者さんだから」

「ですか。あっ、では俺はこれで!」

 刃助は何故か軍隊式の敬礼をして、踵を返し校舎の方へと歩いていった。

 方便であることに気付いたのか、気付いていないのか。

 面白いがまだまだ図りにくい人物に思えた。小さく溜息を吐く。

「さて、僕はあの報道組に説明してくるね」

「あ、あの……結局、何だったんですか」

「何って? 簡単に言えば興奮剤だね。内なるものを呼び起こし、活力を生む魔法の薬」

「それって……」

「言わばドーピングの一種。もっと簡単に言えば〝Dth(ディース)〟だね」

「Dth…………」

 予想していた可能性だ。そうでなければいいとも思っていたが。

 だが、何故学校界隈まで侵蝕しているのか。

 これまで聞いた話から想像するに生徒の間、つまり一般人に〈灰絶機関〉の存在は周知されている。

 闇の掃除人、世界に存在する悪辣なるものを殲滅する存在なのだと。

 それでも、事件は起きている。恐らく、見えないところで数多く。

「何故、とでも言いたいのかな」

「えっ……」

「いや、本当は理解しているはずだよね。過程も、答えも」

「それは、」

 口を(つぐ)む。そう、分かっている。分かっているからこそ、言葉にすることに戸惑う。

 晴明の手からカプセルが落ちて地面を転がっていく。赤砂の上を滑る小さなカプセルは、スニーカーを履いた靴に踏まれた。小さく、割れた音が鳴る。

「法的に悪いことと、使って得る利益は別だ」

 冷徹な声で亮が言い切った。言えなかったことを、こうも簡単に世界に現出させる。

 「まだ調べたいことがあったのに……」とぼやく晴明を横目に、亮が私を見た。

「ドラッグは法律で硬く禁じられている。ドーピングも各種大会では基本的に禁じられている。

それでも使いたい、使われる、検出されるのは人の持つ欲望が働いているからだ。

勝ちたい。手に入れたい。どんな手を使っても栄光ある未来を手に入れられるなら、とな」

「……無理矢理、使わされたのかも」

「かも、しれないな。仮に何かを盾に強請(ゆす)られたとしても、あの野球部員には選択肢が

あったはずだ。のるかそるか、守るか切り捨てるかの二者択一を選べる状況下にあった」

「そんなの、どっちを選んでも良くはならないのに」

「罪を知りながら選んだ。ならば、お前に〈灰絶機関(おれたち)〉を批難する権利はあるのか?」

 冷たい氷の槍のように、亮の言葉が胸に突き刺さる。

 悪意を振りまき、人々に絶望を見せて時に戦争にも加担するデイブレイク・ワーカー。

 殺人という罪をもって、裁かれぬ悪、更生の可能性が見られないものを滅する〈灰絶機関〉。

 悪いものだと分かっていながら、最終的には使ってしまったあの野球部員。

「で、でも彼がDthだと知らずに使ったんじゃ……」

「ああ、その可能性はあるかもしれないな。なら、さっさと連中を片付けにいくか」

「……殺すの?」

「不満や迷いがあるなら来るな。邪魔なだけだ」

 はっきりと、亮が告げる。罪なるものは、絶対に許さない。

 そう、強く強く言葉が力を持って慟哭(どうこく)しているように思えた。


――一人殺せば、同じだ。何人だって繰り返せる。それこそ呼吸するように、な


 かつて、亮はこう言って笑った。いや、自らを嘲笑(あざわら)っていたのだ。

 だが本当は違うのではないか。もっと深い、何か別の理由で殺人を手段としてしか捉えなくなり、正当性を持たせることで精神の支えとしたのではないか。

 それこそ自らを〝ただの刃〟だというように道具だと認識することで、踏み切るために邪魔な良心や倫理観を()て去っている。棄て去るために心を殺している。

「それじゃ、まるで罪そのものを憎んでいるみたいじゃない」

「その通りだ。俺達は、灰色を絶滅させる。白でもなく黒でもない、この世に巣食う

ありとあらゆる灰色の罪を断絶し、滅ぼす。そのために存在するのが〈死神〉の力だ」

「……でも、選べるはず。滅ぼさなくても、変わってくれる」

「それは旧時代の遺物だ。簡単に変われるようなら、誰も悲しむことはない。現実に数多くの

人間が嘆き、無念を晴らせず散る。その要因を振りまいた奴は笑って金を数えている。

そんな連中でさえ、釈迦説法を聞かせれば改心すると? お前は本当にそう思っているのかっ」

 苛烈に、捲くし立てるように亮が叫んだ。言い返せない。返すことができない。

 言葉が持ちうる力が、魂の根底から吐き出される真実に迫るものが伝わって来ている。

 ただ私が非情になりきれていないだけなのだろうか。

 覚悟ができていないだけなのだろうか。

 (しばら)くお互いの真意を探るように睨み合っていたが、亮の方から折れた。

「時間の無駄だ。お前と言い合っても意味がない。(らち)が明かない」

「……まだ、終わってないよ」

「終わっているさ。お前ができないなら、それでもいい。だが、俺はやるし下部組織も

全力で捜索の手を伸ばすだろう。〈灰絶機関〉は、デイブレイク・ワーカーを潰す」

 相反している。私と、亮は正反対のものを信奉している。

 罪を憎み、同時に生み出すものを嫌っているのだ。誘惑に負け、(ある)いは自らで進むことを諦めて楽な道へ進んでしまう弱い心を、人間という根幹に絶望している。

 拍手が一つ。仲裁するように、それでも微笑んだままで晴明が口を開く。

「既に僕達の方で、巷で流行しているDthの出所はデイブレイク・ワーカーだと

分かっているんだ。もう亮君が潰しちゃったけど、さっき見た限りでは他の子が入手した

向こうの試薬とほぼ同じカプセルが使われていた。後で分析するけど、十中八九間違いない」

「これから捜索に当たります。何かあれば携帯に連絡を」

「うん。あっ、と……」

 賛美歌を模した電子音が鳴り出した。この場の空気をブチ壊すような壮大さを持つメロディは携帯の着信音だったようで、晴明があたふたとしながら懐を探り本体を取り出す。

「はい。ええ、ええ。あぁっ……。そう、ですか。分かりました、ご苦労様」

 短いやり取りで会話を打ち切り、携帯を白衣のポケットに突っ込む。

 声の色合いには驚きや諦めのようなものが混じっていたが、表情は変わらず微笑んだまま。

 笑顔に少し困ったような成分が含有されていく。

「亮君、他の学校でも広まっているようだ。特に大学が多いらしい」

「それだけじゃないでしょう。例えば、裏道に転がっている連中とか」

「鋭いね。一部で暴力沙汰が起きているみたい。これは警察が調査して鎮圧に向かって

いるみたいだけど、数が大きくなったり獲物を持ち出すと手に負えなくなるだろうね」

「いや、いくらでも対処は利きますよ。アルメリアの技術体系を使えば」

「そうだね。もう報道陣もそっちに言ったみたいだし、僕は戻って今までの

データを統合して居場所を割り出すよ。後は君達、実働部隊の仕事だ」

 そう言って晴明は茶目っけたっぷりにウインクした。

 ああ、やはり笑顔を浮かべていても彼は〝裏側を歩く〟存在なのだ。

 正悪だけで割り切れるものではない。共に抱いているものは感情に任せた殺人でも、怨恨を引っさげた復讐でもなく純然たる〝救われるべき存在〟に対する救済。

 ただし絶対的に加害者側の事情は考慮しない。有罪だと判断した時点で贖いを求める。

 たった一つ一度だけ行使できる命を頂く、という死罰を与える。

 圧倒的な差。戦い続け、罰し続けた者達といきなりその世界へ投げ込まれた者との埋め難い差。

 絶望をもたらすもの。

 亮は横目で私を見て、すぐに目を逸らした。

 まるで、もう一切の興味を失ってしまったように。

「俺は現場の方へ向かいます。Dthの取引現場でも押さえられればすぐに」

「うん。端末に情報を送らせるから後で確認して」

「分かりました。では」

 事務的なやり取りの後、亮も荷物を取りに戻るべく校舎へと戻っていく。

 その後姿を見送ってから晴明が私を見た。

「さて、君はどうするのかな?」

「私は……」

「君は、今絶望しているのだろう。圧倒的なまでの、常識の差に」

「…………少しだけ」

「うんうん、正直でよろしい」

 にんまり、と笑うと急に目を見開く。晴明の鳶色の瞳が刺すように私を見る。

「では選択しよう。君が今ここで絶望から立ち上がり、これから絶望するかもしれない

人々を救うのが一つ目。二つ目はこのまま、ただ打ちひしがれて俯き、立ち上がらない。

自分にはできないのだ、と決め付けて関わらずに背を向け続ける」

「そんな、のは、まるで私が悪いみたいじゃないですか」

「望まずとも、君には力がある。その力で救えるものがある。ならば、助けたいとは

思わないのかな? 力は、善性のために有効活用されるべきではないかな」

「私は……」

 堂々巡りの終着点。両親の死に関して、真実を知るために〈灰絶機関〉に入った。

 所属する人間は、どこか常人から外れている。それも、ありとあらゆる意味で。

 通常の倫理は通用せず、常識は通らずそれでも根幹には誰かを救う、という一途な願いがある。

 たとえその願いを成就するために犠牲が必要であっても、戸惑うことなく支払う。

「僕達は罪と共に生きる。そうしなければ死ぬ運命(さだめ)にある。選ぶのは君自身だよ。

君のようにこれまで自責の念に耐えられず自殺した子もいるし、ありのまま呪いに食われた

子もいる。でも、そのお陰で今がある。今、こうして少数を切り捨て大を救う正義が」

「それ、でも。私は三つ目の選択肢を探します」

「いいね。同じ言葉だけど、今は覚悟が見えるよ」

 覚悟。最悪の状況を想定し、その時になすべきことを決めておく。

 即ち、説得を受け入れられない場合に新たな被害者が生まれる前に殺害する。

 この手を血と罪で染め上げる決意を魂に刻む。

 罪過と共に生きる。真実を知るために、どうして〝こうなった〟のか確かめるために。

 大分遠回りしても結局は直面する現実。選ばなければいけない場面。

 どんな状況でも私は〝私〟であり続ける。リオン・ハーネット・ブルクであり続ける。

 晴明が再び目を細めて……否、いつものように細い瞳で微笑を浮かべる。

「千影じゃないけど、君は君の信じる道を行けばいい。君達〈死神〉にはその権利がある」

「……はい」

 深く、頭を下げて踵を返す。

 〈死神〉はある程度独立して動ける専行権を持つ、とも聞いた。

 ならば最大限に使うべきだ。私は、どれだけ荒んでも信じたい。

 必ず、変われるはず。そうでなければ報われないから。だから、私は。

「止める。デイブレイク・ワーカーのばら撒く悪意を」

 亮に否定されても、行き着く場所は同じ。

 違うのは、最初から死罰を与えるのか、それとも会話の時間を設けるか。

 結果が同じでも、やらないで後悔するよりはいい。

 辿り着く先が絶望でも、私は私の意志を押し通して行き着く。

 それが、〈灰絶機関〉の一員たる私の選択。

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