1-9 悪意の胎動
放課後。教師が黒板に当たるスクリーンへ出力された映像を映し出し、連絡事項を伝えていく。
模擬試験の日程、これからの行事の日程、それに伴う委員会の選出を行う方法と実行する日時。
一応は共通ファイルがデーターサーバーに上げられているので、この場にいなくとも内容は確認できる。
ただ質問してすぐに回答が返って来るのは通信制教育にはない利点だ。
色々と方策が試されているが、結局は人間が一つの教室に集まり共同で授業を受けるという体制にはまだ意味があるということだ。もっともウランジェシカでは普通のことだったので、違和感も何もないのだが。
アルメリアでは場所によっては教室に集まることなく、授業は全てデータの送付による自己進行で進めてテストも厳密に暗号化された専用プログラムで行うという教育体制があるらしい。
ただし、カンニングや初期投資の差異、補助金などの問題でどこも同じようにとはいかないらしい。
阿藤学園においては最終的に個々で能力に応じた勉学を進めるよりも、誰かと触れ合い協力して物事をこなしていくことを尊重した結果だ。
ノートは最新鋭の端末に変わり、黒板は映像データを映し出すモニターと出力装置に変わっても担当する教師と机に座り前を向く生徒の構図は変化せず維持されている。
「――特に、このDthには気をつけろよ。薬物はダメ、ゼッタイだからな!」
そんな教師の怒号とも呼べる声に現実へ引き戻された。脳裏に浮かぶのは坂敷 千影の言葉。
武器を売り歩き、薬物をばら撒いて人々の大切なものを破壊する集団、デイブレイク・ワーカー。
夜明けの作り手なんて、随分とふざけたネーミングをしている。
スクリーンに映るのは一見するとただの抗生物質に見えるカプセルだ。
どこにでもありそうだし、中身を知らなければ風邪薬として飲んでしまうかもしれない。
いや、それこそが目的か。
知らないうちに服毒させられ、気付いた頃には後戻りができないレベルまで堕ちている。
そんなやり方には悪意しか感じられない。
「リオン、りーおーんちゃん!」
「えっ……」
女子生徒に呼ばれて、ようやく〆の挨拶が行われていることに気付いた。
昔どおりの全員が掛け声で立ち上がり、一礼する形式は継承されている。
一人だけ立っていない私に視線が集まっていた。
「す、すみませんっ」
「ハーネット、質問攻めで疲れたか? ゆっくり休めよ」
「はい」
無難なやり取りで抜ける。改めて号令がかけられ、一礼。
着席、の声に生徒達が解放され思い思いに動き始める。
一つ息を吐くと、勢い良く机を叩く音が響いた。
視線を上げると興奮したかのように荒く呼吸を繰り返す男子生徒の姿が。
「ど、どうしたの?」
「は、ハーネットさ……いえ、ハーネット様のファクラブを作りました!」
「私のファンクラブ?」
思わず聞いたまま尋ね返してしまったが、男子生徒には興味を持ったように聞こえたらしい。
蕾が綺麗に花咲くように満面の笑みを浮かべると、さらに意気込んで鼻で息を吐く。
「あ、あのですねっ! 一目見た瞬間からズキューンと来てですね、その……」
「告白? そんな皆が見ている前だなんて、」
「ち、違うんです! 単純に、その、僕、アイドルとかが好きで、その」
グラウンドを何周も走ったかのように、荒い息を吐き途切れ途切れの言葉を何とか繋ぎ合わせながら男子生徒が胸のうちを伝えようとしている。必死さは伝わってくるが、何を言いたいかはいまいち掴めない。
少しずつ男子学生が迫ってくる。抑えておくべきか。
だが下手に抵抗して心象を悪くしても後々まずい。
あくまで、たとえ呪いに殺されるとしても〝楽しむ〟のだと決めたのだから。
苦笑いを浮かべつつ手をあげる。
「と、とりあえず落ち着いて……」
「だ、大丈夫です! ホントに、僕なんかがお話できて、」
「えーっと、あんまりそういうのは」
「も、もうその綺麗な髪とか白い頬とかっ!」
「きゃっ」
押し倒された。背中から落ちるのを避け、肘で床に着いて衝撃を分散させる。
軽く骨が痛むが許容範囲。周囲がざわめく中で馬乗りになった男子学生が、鼻息荒く顔を寄せてくる。
「はぁ、はぁ……アイドルを、穢すっ」
偏った言動、焦点の合わない瞳、震える手。どこか、危なげな気がした。
普通じゃないような、常軌を逸したものを感じさせる。
言うなれば内側から染み出す狂気というべきか。
或いはこれが〝アルメリア流〟とでもいうのか。
様々な可能性の枝を剪定していくうちに、男子生徒の顔が迫る。
「待て待て待てぇぃっ!」
雄々しい叫びと共に、男子生徒の体が私の上から引き剥がされていく。
筋骨逞しい右腕に持ち上げられた男子生徒は、荷物を放り投げるように机へ叩きつけられた。
小さく悲鳴があがる。
「全く、何はしゃいでるんだか」
「いくら物珍しくても、な」
「亮、お前の知り合いなら守ってやれよ」
「あー……まぁ、な」
男子生徒の暴走を制止し、投げ捨てたのは刃助だった。
隣に立つ亮はばつの悪そうな顔を浮かべている。
左手のひらで隠してはいるが、亮の右拳は硬く握り締められていた。
もし、刃助が止めに入っていなければ亮は殴り飛ばしていたのかもしれない。
投げ飛ばされ机をなぎ倒した男子生徒は頭を振って立ち上がり、拳を握る。
「邪魔すんじゃねぇよ刃助っ!」
「邪魔ってお前……」
口角から泡を飛ばしながら男子学生が駆ける。
空を切り、振るわれた拳を軽々と受け止めた刃助はそのまま男子生徒の腕を持って、投げた。
廊下側の硝子めがけて飛んでいく体は誰にも受け止められることはない。
「あああぁぁぁぁっ」
「っと」
宙を飛んだ男子生徒を受け止めたのは亮。
次いで、首に腕を回しヘッドロックをかけて意識を刈り取る。ようやく男子学生は沈黙した。
一連の動きに教室に残っていた生徒達は静まり返った。
それも数秒だけ。誰ともなく拍手し始め、少しずつ大きくなり割れんばかりに鳴り響く。
騒然とする空気に何事かと戻ってきた教師は、慌てふためき携帯で救急車を呼んでいる。
「あんまり、目立ちたくないんだがな」
「何を言うか亮よ、今こそその実力を見せるべきだろう」
「いや、だから別に俺は……」
苦笑する亮と、片や奔放に笑い飛ばす刃助とは対照的だった。
あくまで、亮は立場として坂敷 千影の言葉を遵守するべく学生生活を送っているように思える。
それでも、刃助のように笑って生活するのが普通だ。
たとえ自分自身が罪深いと思っても、他人が知らなければ〝ない〟のと同じ。亮が〈灰絶機関〉の一員として動くことを、誰にも伝えず知らせず伏せて動くのであれば何も後ろめたいものはないはずだ。
「その、大丈夫……ですか」
控えめな声量が鼓膜を震わせ、視線を向けると亜麻色の長い髪を揺らし、穏やかな笑みを浮かべた女子生徒が私へと手を差し伸べていた。好意に甘えて、手を出し握って引き上げてもらう。
「ありがと。ツキシロ……ヒメね」
「はい。あの、姫は止めて欲しい、かな」
「歌姫なんでしょう? 綺麗な声だって聞いているけど」
「それほど、でも」
妙におどおどした印象を受ける。何か遠慮しているような、一歩引いている感覚。
ふっ、と笑って私は改めて握手を求めにいく。
「なら、遥姫と呼んでも?」
「はい、ハーネットさん……ううん、リオンちゃん」
「ん。まぁ、及第点かな」
月城 遥姫と計継 刃助。転入時からの友人だという二人。亮の方を見ると、まだ賞賛する生徒達に対してぎこちない笑顔を浮かべているばかりでこちらに気付いてすらいない。それにしても、と思う。
「早速だけど遥姫。アルメリア人って皆、こう積極的なの?」
「積極的、とは?」
問い返されて私は小さく笑いながら、倒れた男子生徒を指差す。
指されるままに視線を移した遥姫が納得したように頷くと、困ったように笑った。
「その、大田君は普段は大人しくて決して押し倒しりする人ではないの」
「ふぅん。でも勢い余って、ってことは?」
「多分、ないと、思います」
あくまで可能性の一つ。まさか、もう侵食しているなんてことはないだろう。
そう思いたい。少なからず、世界に悪意と死を撒き散らす者達の存在があることと重なりつつある。
何故、私の両親は殺されなければならなかったのか。
普段とは違う様相を見せた大田、という男子生徒が特殊なだけかもしれない。
だが、もし〝Dth〟が既にアルメリアに蔓延しているのだとしたら。
その根幹を断ち切るためにはどうしてもデイブレイク・ワーカーと向き合わねばならない。
この手で何かを成しえなければならない。
「あの、本当に大丈夫、ですか? どこか怪我とか……」
心配そうに遥姫が小首を傾げる。前言撤回。
月城 遥姫という人間は他者に怯えたり、控えめというだけではなく相手本意で物事を考える人物なのだろう。
第一に誰かのことを思えることは、素晴らしいように見えて脆くも思えた。が、おおよそ彼女には関係ない話だ。あるとすれば、危険な因子を取り巻く環境に身をおく人間。つまり、私と亮。
「ええ、大丈夫」
俺と歩くには白すぎる。亮の言った言葉がようやく身に染みて理解できた。
遥姫はあまりに日常の側で生きている。故に、繋がることはできない。
おおよそ、その重みに耐えうることができない。
〈灰絶機関〉が人間の悪意を認め、その根源を断ち切るのであれば彼女は悪意に包まれてもその核に存在する善意が持つ可能性を信じる。人種として圧倒的な壁を持つもの。即ち、ここにも境界が存在していた。
「遥姫は、いいの?」
「何を……」
「来々木君のこと」
問われて遥姫はわずかに頬を紅潮させた。彼女と、亮に何があったのかは自発的に聞く気はない。
ただ、その本質を知った時に彼女が何を思うのか。そこには興味を持ってしまった。
薄ら暗い感情に、僅かな棘が心臓を刺す。
「来々木君は、ね。ああ見えても優しいんです」
「そう。遥姫とハスケが最初の友人だ、って聞いたけれど?」
当の本人はまだ騒乱の渦中にいる。
彼が人前に出ること、触れることに余り積極的でないのも何となく分かってきた。
多分、最初は純粋で無垢なか弱きものだったに違いない。
「転入時から人を寄せ付けないオーラ、というより〝拒否〟の意志を示していて」
「誰も近付くことができなかった?」
「いいえ。計継君が、殴ったんです」
「殴った?」
思わず、また二人を見比べてしまう。
肩を付き合わせる刃助と亮は、小さい頃からお互い何でも知っている、というように深い仲に見える。
先程男子生徒を投げた時も非常に息のあったコンビネーションだった。
まかり間違えば窓硝子に突っ込んで大怪我を負うような場面だったのに。
「それまで、特に誰とも関わらなかった来々木君はグループワークにも参加しようと
しなかったんです。自分ひとりで課題はやるから、後は適当にやっててくれ、と」
「ふざけ……というより、自己中心的ね」
「かも、しれません。当時別の班だった計継君は、その一言で怒って殴ったんです。
そんなふざけた話が、他人の存在を無視した奴があるか、って叫びながら」
「それはそれは……」
全く私の思った通りだ。刃助とは気が合うかもしれない。
が、よくよく考えれば当たり前のことでむしろ誰も言い出さなかったのが不思議でならない。
思考を読んだように遥姫が続ける。
「来々木君は、お母さんをハイジャック事件で。お父さんを自宅への襲撃事件で失いました。
その後、遺産を巡って親戚に預けられた末に一人暮らしを選択したんです」
「……そう」
クラスメイトとの会話である程度聞いていた。詳細まで、内緒話のように密やかな声量で語られた亮の過去は、恐らく他のクラスメイトは知らないのだろう。それこそ、亮と刃助と遥姫だけの秘密。
「だから、誰も触れられなかったんです。余りにも、遠すぎて」
「でもハスケが突き破った、と」
遥姫が首肯で肯定を示す。
失ったもの。来々木 亮という人間が直面した〝憎まずにはおれず、殺さずにはおれず、赦せざるもの〟とは、そこから始まったのか。いや、それでも足りない。殉じるだけの理由には不足している気がする。
もっと大きな、もっと揺るぎようのないものがあるはずだ。
「だから、私は」
遥姫が言いかけて、俯き噤む。その先が分かっているようで、分かっていない。
もしかしたら彼女自身も理解していながら自覚することを避けているのかもしれない。
亮にある、未だに残る他者を寄せ付けない見えざる壁を。
「ありがと。お陰で、また彼に近付けた気がする」
「そ、そんなお礼なんて。私もお話できてよかったです」
「クラスメイト、でしょ?」
「……はいっ」
言って綺麗に遥姫は笑った。私も微笑み返す。
――亮も、両親を失っていた。それも、どちらも罪なるものによって。
彼が憎悪しているのは、罪という存在そのものではないのか。
だから、罪を生み出すデイブレイク・ワーカーも根源たるものとして憎み、滅ぼすべきものだと思っている。
だが、それで奪われた命が生み出す新たな罪は、果たして誰が贖うのだろうか。
じくり、と痛む。〈死神〉の刻印が哭き叫んでいる。
亮のようにはならない、と思っていた。
だが、脳髄が導き出した結論は一つの可能性を示していた。
私の両親の命は、デイブレイク・ワーカーによる技術の兵器転用によって〝悪〟と認識されたのではないか。
だが、願ってはいけない。願えば新たな罪が産み落とされる。
廻り巡って、終わることのない連鎖が続いてしまう。
殺し殺され、また殺して憎んで恨んで屠って。果てのない罪の連鎖が始まる。