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灰色の境界  作者: 宵時
第一章「だから、俺は殺す」「それでも、私は殺さない」
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1-6 選択肢

 硬質の音が響く。コップを置いた晴明がこれ見よがしに何度か咳払いをする。

「構わないよ、晴明(はるあき)

「では僭越ながら僕から」

 千影が促し、沈黙を保っていた晴明は糸のように細い眼のまま笑う。

 俯き肩を震わせるリオン。

 動じず、気に留めず、冷然とした態度で千影は湯呑みに口をつけて、静かに机に置く。

「難しく考える必要はないんだ。僕達は大切な人を守るために、あらゆる手段を使う」

「……だから、人を殺すことも(いと)わない、と」

「僕は千影を肯定するよ。その信念を、自ら罪を負っても次なる犠牲を生まずに済むなら」

「私は、別の手段を探します。更生しないなら、するまでぶつかり合うべきなんです」

「その間に新たな犠牲者が出るとしても?」

 堂々巡りだ。話者が千影から晴明に移っただけで何も変わってはいない。根幹から違う。

 互いに交じり合わないものだと分かり切っているのに、それでもぶつけ合うのは徒労に過ぎない。

「どうしても、嫌なんです」

「困ったね。なら、どうして君は〈灰絶機関(アッシュ・ゴースト)〉に来たのかな」

「……呪いを、解くために」

 小さくもはっきりとした意思の表れ。最初に出会った時に、俺へ語った言葉。

 頑なに殺生への反発を唱えて糾弾する姿は初めて会った時の印象とは大分かけ離れたものだ。

 いや、それほど違ってはいないか。

 〝その目的のためならば殺されることを許容する〟と言った俺を前に涙したのだから。

 仮に解呪史上目的だとすれば、クラッドチルドレンの呪いはリオンの信念を殺す。

「先に言っておくけど、僕はクラッドチルドレンじゃないんだ。千影は元、だけどね」

「付け加えれば、紅狼(くろう)も元クラッドチルドレンだ」

「元、とはどういう意味ですか」

 挟まれた千影の声にリオンは静かに問う。分かっているはずの答えを尋ねる。

 何度確かめようと、誰から聞こうと答えも結果も変わりはしない。全て一つの場所に集約される。

 千影は瞼を閉じ、片目で確認を取るように俺を見た。

 応答は静かに目礼するだけ。俺から語るべき言葉は、今は持ち得ない。

「君は犠牲を出すことを嫌っている。だけど、君の願いを成就するためには少なくとも一人は

犠牲を出さなければならない。数多の犠牲の果てに導かれた究極の選択をしなければならない」

「犠牲、なんて……」

「突然話を聞かされ、招集された手前まだ理解が追いついていないのかもしれないね」

「全部、一通り聞きました。資料を読みました。それでも他の選択肢を探したいんです」

「他の選択肢、ね」

 微笑んだまま、晴明が千影を見る。千影は瞼を閉じたまま、小さく頷いた。

 少し気恥ずかしそうに頬をかきながら晴明が続ける。

「なら、分かっているよね。クラッドチルドレンが、その呪われた呪縛から

解き放たれる条件を。僕達が積み重ねて、導き出した答えを知っているはずだよね」

「三つ、ですよね」

「そう。ただ三つ目は君達〈死神〉限定だから普通は二択になるよね」

 俺は沈黙を保ったまま、千影を見る。やはり、小さく頷くだけだった。

 口を出すべき問題ではない。

 どちらにせよ、とれる選択肢は増えないし、定められたものは動かしようがない。

 もし、できるのならばもっと多くのものを救えただろう。

 朗々と晴明が続ける。

「一つ目は一万人の人間を殺害すること。君には、選べないんだよね?」

「……そもそも、いるんですか? そんな例が」

「いたよ。うん、確かにいたんだ」

 過去形で語られることに深い意味はないが、あえて語る必要もない。

 ヒトは慣れてしまう。

 あらゆる感覚に、情動に、善意にも悪意にも繰り返せば繰り返すほどに心を動かされなくなる。

「数多の命を吸って、どうなったか。大体察しはつくでしょ?」

「あえて言葉にしてもらわなくとも。ならば、残るは……」

「二つ目だね。僕と、千影みたいに男女が互いを想い合って契りを交わすこと」

「契り……」

 リオンが呟いてから、何かに気付いたように目を丸くして俯く。

 心なしか顔が赤くなっているように見えるが、指摘するほど野暮でも空気が読めないわけでもない。

 その行いが叶うのは、罪と罰との境界線を越えられるものに限る。

「ありていに言えば……うん、そうだね」

 千影も反応を示さずに黙って湯呑みの中身を飲み干し、喉を潤すだけだった。

 特に気に留めずに晴明は笑ったまま続けていく。

「千影は僕と結ばれることで呪いから解放された。今、各地で活動している団員や、

このアルメリアで為政する者達もそうして、自らの罪を負って生きている者達なんだ」

「ならば、皆そうすればいいじゃないですか」

「そうだね。そうあれば世界は平和だろうし、誰も悲しむこともないかもしれないね」

 さらり、と聞き流すように晴明は言って小さく息を吐いた。

 糸のように細い眼が見開かれる。露になった鳶色の瞳は確かな真剣さを帯びていた。

「そうならないものなんだよ。どうしても、その重さに潰されてしまう」

「……なりません。私は――」

「君は、まだ日が浅いから分からないかもしれないね。確かに殺さず説得できれば一番いいよ。誰も悲しまず、憎しみも怒りも覚えることなく終えることができる。でも、現実はそう上手くはいかない。憎まざるを得ず、殺さずにはおれず、(ゆる)さざるものと対峙した時に君はどうするのかな?」

 リオンが言葉ごと飲み込むように、大きく喉を鳴らした。

 そうだ。俺も、かつてはそう思っていた。

 誰も傷つかなければ、自分だけが請け負えば全てが丸く収まるのだと思い込んでいた。

 だが、理想に過ぎなかったのだ。

 ヒトの根幹にあるものは正しき心で、何らかの要因によって汚染されたから浄化するために贖いを与える。

「歴代の〈死神〉の中で、誰も殺さずに解呪した者は、いないんだ。

現行の〈死神〉で言えば君だけだよ。誰も殺していないのは」

「なら、亮も……?」

「勿論。彼は、恐らく一番〝命ごと罪を刈り取る〟ことを理解しているから」

 いきなり名指しで呼ばれ、思わずコップを倒しかけた。

 千影の(とが)めるような視線を感じながらも咳払いで誤魔化す。

「俺から言うことは、何もありませんよ。ただ、(ゆる)せないものは赦さないというだけ」

「だ、そうだ。君が初めて誰をも殺めずに解放された実例になるかい?」

「……私は」

 口にしながら、リオンは迷うように視線を泳がせる。

 叶えたい願いならば、手に入れたいものがあるならば取るべき選択肢は決まっているはずだ。

 天秤にかけて、どちらに(おもり)を乗せるか。欲する強さで自然と決まる。

 俺には、そもそも天秤が存在していない。

 一万人殺しを達成したいわけでもないし、〈死神〉を殺すことを望んでいるわけでもない。

 かといって特定の誰かを選ぶ気もない。突き動かすのはただ一つの理念。

「クラッドチルドレン、という概念そのものを無くすことは?」

「それが、君の願望かい?」

「……だって、おかしいじゃないですか。こんな、呪いなんて」

「どんな言葉を並べても、現実は動かないよ。だから僕達は抗っている」

「ヒトの死の上にデータを積み重ねて、ですか?」

「そうしなければ得られなかった。何の意味もなく死ぬよりも効率的だと思わないかい?」

 晴明が鳶色の瞳でリオンを見つめる。

 実に現実的かつ合理的な思考。それだけに俺からすればすっきりとする。

 道具として使われ、使い潰されることを願うなどそれこそヒトの道から外れている。

 それでも、理念を実現するのだ。

 新たな犠牲者を出す前に、この世界に存在する罪を刈り尽くす。

 そのためならば殺人という罪を肯定する。

「晴明、その辺りにしておけ」

「えっ……あ、あぁ。うん、ごめん。ちょっと言い過ぎたかな」

「いえ」

 短く否定するも、まだリオンは納得していないようだった。

 彼女はクラッドチルドレンの呪いから解放されたいと言った。

 ならば、天秤に乗せて選ぶべき目的があるはずだ。俺のように、何も持っていないはずがない。

 より早く辿り着きたいなら選べばいいのだ。たった一人だけを殺害する方法を。

 俺から語るべきなのかもしれない、そう思い口を開く。

「お前は、呪いから解放されたいんだろう?」

「そう、よ。私はどうしても確かめないといけないの。だから」

「ならば、俺を殺せばいい。三つ目の選択肢を取ればいい」

 迷いなく告げる。

 誰かの犠牲になって終われるならば、それでいいと本気で思っているからこそ言葉として形にできる。

 同じ死罪をもって贖うならば、これこそ〝有効活用〟だ。

「それは……」

「晴明さんが言った二つ目を選んだ人達は、皆が共に支え合って世界の安定に尽力するために

進んだ。俺にはできない、けれど立派な生き方だ。だが時間もかかる。相手もいる」

「それでも誰かを殺すよりは、いいよ」

「ならば貫き通せばいい。誰をも殺さずに全部を守れるのならば」

 体や心の相性とは言わないが、婚姻で呪いを解いた者達の多くは共に戦場を歩み、同じ罪を犯した者達だ。

 少し特殊ではあるが、普通の恋愛を経て果てに至る。

 何かに堪えるように唇を噛んだ後、リオンが喉奥から言葉を搾り出す。

「私は、私の勝手のために誰かの命を使いたくない。それだけ、よ」

「俺は……俺達はできなかった。けれど、できるといいな」

 僅かな願望だ。好きで殺すのは、余程の精神歪曲を迎えているものだけ。

 できるならば、そうありたい。正しくありたい。

 だが、現実には晴明の言葉通りの局面が、絶対にやってくる。

 個々人の信念において、絶対に赦せないものは現れた時にどうするのか。

「さて、そろそろ仕舞にするか。これ以上言葉を交わしても仕方ないだろう」

「例え、排除命令でも私は別の方法を探します」

「その心意気は買ってやる。お前がいうテロリストに対しても同じように接せるならな」

 告げて、千影は晴明を見る。

 立ち上がって机を離れた晴明が、大きめの茶封筒を抱えて戻ってきた。

 中身が出されて、机の上に並べられる。

 何枚かの写真に見知った顔が写っていた。

「有名な反政府活動家ですね。武器や麻薬も売り捌いていると聞きますけど」

「その通りだ。連中がドラッグ騒ぎの根源だと私は見ている」

「ならば……?」

「言葉にする必要もあるまい。殲滅だ。言葉が分からん奴は体に聞かせるしかないだろう?」

 そう。話し合いが通じなければ結局は武力衝突になる。

 それでもリオンは殺さないと貫けるのだろうか。リオンの顔を見る。

「……やりますよ。仕事ならば全部捕らえます」

「だが、殺さないと? 私は躊躇(ちゅうちょ)なく殺すが」

「やれる範囲は、やります。それが契約ですから」

「そうだったな」

 契約、とは少し引っかかるがリオンも作戦自体には参加するらしい。

 ともあれ武器を扱うコミュニティとの全面戦争ともなれば〈死神〉を招集したのも納得がいく。

 これだけの規模ならば確かに全力をぶつけないといけないだろう。

「〈灰絶機関(アッシュ・ゴースト)〉の標的はドラッグをばら撒き、武器を売る腐れたコミュニティ、

デイブレイク・ワーカー。各地で揉め事を起こしている連中だ。相手にとって不足はないだろう?」

「ええ、そうですね。本当に、いい戦場になりそうだ」

 死と害悪を撒き散らす存在。

 これほど分かりやすい悪もないだろう。

 だが、必要とされるからこういった悪性腫瘍が存在する。

 各国の戦いのために使われ、消費されていく武器と薬物。

 この〈灰絶機関〉とて見方を変えればアルメリア王国が要する私設武装組織なのだから。

 いわば俺達は毒をもって毒を制する、というモノ。

「楽しそうだな、亮」

「……すみません」

 知らず、笑っていたらしい。

 これで終わることができる。終わらせることができるかもしれないのだ。

 かつて、俺は直面した。〝憎まずにはおれず、殺さずにはおれず、赦せざるもの〟に。

 俺は迷わなかった。迷わずに殺した。

 だから、償いの時が来たのだ。この命を費やして、滅ぼすべき害悪が。

 死にたがり、とはまた違う。

 俺達が罪を死罰で(あがな)うよう強いるように、俺自身の罪もまたこの命をもって清算すべきものだからだ。

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