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B1F-2  赤銅色の土

風が強い。それというのも、立ちすくむ秀の前に本来あるべき壁が無くなっているからで、閑静な住宅地に突如開けた空間が風の通り道になっている。いつの間にかゴムで結んだ倉永の髪が風にはためく。


家が、無い。


「家が、ない。」


全くの更地である。車庫が無い。玄関が無い。庭のビワの木まで無い。十数年慣れ親しんだこの場所は人の住む場所ではなくなっていた。


草一本生えていない更地にたたずむ秀の背中を倉永は無表情に見つめている。どこかの家の庭でセミがジワジワと鳴いた。




"家"というのは、文明的な生活を送るいたって普通の人間にとってどのようなものであろうか。


まず第一に安息の場であることは間違いない。学校にしろ会社にしろ朝家を出て行った人間は基本的に家に帰って疲れを癒す。


当然家族と生活する場でもあるだろう。最小の社会である家庭で心をはぐくみ、人間性を高めていくであろう。


そんな人生の基幹ともいえる場所を失ったとき、人間はどうすればいいのだろうか。泣けばいいのか、狂えばいいのか。




秀は一時間ほどその場に立ちすくんでいた。太陽は容赦なくクリーニングしたてのカッターシャツをあぶっている。倉永は隣家の塀でできたわずかな日陰に座り込んでいた。


じゃり、と音がして久しぶりに秀の靴底が地面と離れた。朝には確実にあった家の外周をなぞって歩く。料理人の父が一代で建てた芹沢邸は田舎とはいえこの辺でもそれなりに広く、足跡のラインで囲まれた地面の面積は意外なほど大きかった。


「芹沢くん」


地面を見つめたまま倉永が呼びかける。秀はゆっくりと振り返る。


「俺、夢見てんの?」


健康な人間では有り得ない顔色をしていた。真っ白と言ってもいいような血色の顔に目だけが不気味に大きく開かれている。


「俺、頭おかしくなっちゃったの?」


倉永は答えない。


「倉永さん、何か知ってんの?」


倉永は小さくうなずく。秀は一歩倉永に近づく。


「私は芹沢くんのおうちがどこにいったのか知ってるけど、芹沢くんが落ち着くまで教えてあげられない」


秀はさらにもう一歩倉永に近づく。うつむいた倉永の視界に秀のつま先が入ってくる。


しばらく沈黙が続いた。日はまだまだ高く、セミも鳴きやむ様子はない。


「どこに行ったか知ってるって…家がどこかに行くわけないだろう」


家がどこかに行くわけはない、それはそうだ。しかし、実際に芹沢邸は消えている。常識はずれの矛盾に直面し秀は脳みそに霧を詰めたような気分になっていた。




またしばらく時間が経った。秀はゆっくりと倉永のそばから離れ、向かいの道を横切りおもむろに民家のインターホンを押した。


視界の隅で倉永があわてて立ち上がるのが見えた。


『どちらさんですか?』


「古池さん、向かいの芹沢です」


しばらくして玄関に古池夫人が顔を出す。近所の子供にそろばんを教えている、優しいおばあさん像そのものである。


「あら秀ちゃん久しぶりねぇ、今日は始業式だったかしら?」


「はい、それよりですね、僕の家がですね――――?!」


秀が"家"という単語発した瞬間、古池夫人は硬直した。彼女の一切の動きは静止して、開かれたままの両目は秀との中間の空に焦点を固定している。


「古池さん!どうしたんですかっ!ちょっと!」


古池夫人は動かない。完全に動転した秀が肩をつかんで揺するも全く反応はなく、体に肉の弾力もない。


「だいじょうぶだから」


後ろから近付いてきた倉永が古池夫人をドアの内側に押し戻す。依然として古池夫人は反応しない。ドアを閉めた倉永は茫然とする秀に話しかける。


「ちゃんと説明するから。ついてきて」


日が傾きかけてきているが、セミは鳴き続けている。今度は倉永が先に立って歩き始める。

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