序ノ一 九月一日、地下街と地上の朝
序章の序章です。連載自体はあまり長くならない予定ですが、お付き合いくだされば幸いです。
どこかの地下街。午前8時だというのに、当然だがこの場所は薄暗く、ぼんやりとした明かりはすべて暖かい橙色の照明によるもので、天然の光は一切入ってこない。ざらざらとした赤レンガの壁に手をついて倉永加奈はおろしたてのローファーを履きなおす。くるぶしが少し擦れて痛い。倉永は顔をしかめてため息をついた。
さすがにずいぶん慣れはしたけれど、やはりここはカビ臭い。少し浮かれた今の気分に合わないので気が付かなかったことにする。目の前の階段を上り扉を開ければそこには夏の空と緑が目に染みる清潔な朝があるだろう。
「おや、お寝坊の倉永さんがずいぶんお早いと思ったら、今日から学校でしたな。」
壁に並んだたくさんのドアの一つから痩せこけた上品な雰囲気の老人が顔を出し、倉永に笑いかけた。
老人は制服姿の倉永を目を細めて眺めた。一般的には9月1日というのは二学期が始まる日だが、石畳の上に立つ倉永の着る制服は一学期も夏休みの課外もなかったようにまっさらの新品に見える。
「じゃあ、行ってきます」
愛想の無い言い方。階段の一段目を踏み出した倉永に老人が話しかける。
「ああ、そういえば弓削様が夕食は"黒牛の舌"で食べようとお誘いしておられましたよ。」
浮かれた気分に少しだけ影が差す。倉永の助けを求めるような目。
「小野田さんも一緒にどう?」
「お気遣いありがとうございます。ですが、私に一家の団欒を邪魔する趣味はございません。」
「行きたくないんだけど」
「随分はっきり言いなさる。エレノア嬢は迷惑そうでしたが、弓削様は楽しみにしておられたようですよ。」
弓削はずるい、と倉永は思う。自分で言っても断られるのがわかっているんだろうけど、だからって小野田さんに言わせるなんて。そもそも保護者なんて言ってるけど私は弓削に保護してくれなんて言ったことはないし、ましてや一家の団欒だなんて―――
エレはえらい、と倉永は思う。毎日弓削の面倒を見てお客さんの相手して。それでいていつもマイペースに見えるのはのは実際そうなのか無理してるのを隠しているのか。
「わかった。お店には夕方行くから。時間無いからもう行かないと」
「いってらしゃいませ。ご学友ができますよう。」
小野田に手を振って階段を上り、重い扉を開ける。カビの臭いが夏の朝の匂いに変わる瞬間、急激な光量の変化に目を細める。なかなかいい朝だ。
同時刻、K県立八鹿高等学校二年三組九番芹沢秀の自宅、二階右側の自室。デジタル式の目覚まし時計は無慈悲に時間を数えている。ベッドの上の秀は身動き一つせず、始業式の遅刻に気が付く気配はない。
長編の連載は初めてになります。拙い部分もあるかと思います。ご意見・ご指摘お待ちしております。