第18話
ところが、小一時間たっても、男の子は帰ってこない。エタは不安になった。
「死んでしまったの?」
つぶやいてみた。頭の上で、鳥たちがギャーギャーと騒ぎ始めた。
「いや」
エタはたまらず走り出した。どこが東で、どこか西かもわからなかった。ただ、恐怖感を振り払おうと、必死に走った。
「誰か! 女王様のもとへ連れて行ってちょうだい!」
叫んだ。もちろん、返事などない。途中、何匹かのさるとすれ違ったが、さるは鳴き声をたてて、木の枝を伝ってどこかへ消えてしまった。森の動物が、みんな我を忘れている。エタは、自分も自分がわからなくなった気がした。腕の傷は痛まない。赤い液体も垂れてこない。こんなに傷だらけなのに、なぜなのだろうか。エタはますます不安になった。
「お願いよ」
もう一度叫ぶと、目の前に大きな動物が現れた。馬の頭に、角がついた動物だった。ユニコーンだ。エタは昔、絵本で見たことがあったので、よく知っていた。ユニコーンはエタの前で、一ついななくと、真っ黒の瞳をぱちぱちさせた。
「女王様のお城へ、連れて行ってほしいの」
エタが頼むと、ユニコーンは身体をかがめた。エタは、背中にそっと乗っかった。ユニコーンは、すっと立ち上がり、ひづめの音をぱこぱこと鳴らし、走り始めた。
「あなたが、男の子の言っていたユニコーンのおじさんなの?」
ユニコーンは何も言わなかった。エタを背に乗せ、一心に城を目指した。
「ねえ、何とか言って」
エタはしつこく尋ねた。するとユニコーンはようやく口を開いた。
「黙れ」
ユニコーンの声は震えていたし、からからに乾いていた。
「ここで死んだら女王様が危ない。 どうか俺の体力をもたせておくれ」
エタはそれから黙り込んでしまった。自分を必死に送り届けてくれるユニコーンの気持ちを、すくい切れなかった。三本角のくじらのアランや、青いやぎのユーラが目に浮かんだ。みんな、自分を必死で送り届けてくれた。ユーラは青い光になって消えたし、今頃はアランもきっと…。そこまで考えて、エタは考えるのをやめた。ポケットの中に、小瓶があるかを確認した。ポケットの布地の上からでも、それは形がはっきりしていた。固いガラスの感触があった。
森はいよいよ枯れてきた。初めに見たときより、ずっとひどく。枝ばかりの木々は、少しずつ腐り始めた。木々の香りもしなくなった。するのは、死んでいく動物たちのいやな臭いだけだった。エタは、鼻を押さえようとして、やめた。生と死とを素直に受け入れようと思った。自分の命も、このままではいつ尽きるかわからなかった。
「森の先までおまえを連れて行く。 ただし、草原からの道は、俺の体力がもたない」
エタは、それでもいい、と答えた。ユニコーンはそれを聞くと、ふんと笑って答えた。
「草原からの道のりは、むしろこの森の中よりもわかりにくい。 それをおまえ一人で何とかなるとでもいうのか?」
「じゃあ、どうすればいいの?」
「俺に考えがある。 このまま乗っていなさい」
ユニコーンはそういうと、今まで向かっていた方向を少しそれて進んだ。すると、崖があらわれた。ユニコーンは崖を登り始めた。ユーラと違って、登りにくそうだった。しかし、それでも確実に登っていった。
崖の頂上に着くと、枯れた森を一面に見渡すことが出来た。そのとき、頭の上を何かが飛んでいった。大きな鷹だった。
「おい」
ユニコーンは言った。鷹は、ゆっくり旋回しながら下りてきた。あのふくろうよりも、何倍も大きかった。ユニコーンですら、その背にまたがれそうなくらいだった。
「この娘を城まで連れて行っておくれ」
鷹は、低い声で言った。
「ユニコーンの脚でも、もうもたないのか?」
「俺はもうだめだ。 森の先までが限界だ」
ユニコーンの脚は、がくがく震えていた。息も荒くなっている。エタは、自分も息が苦しくなった。命が削られているのを感じた。時間がないのだ。
「女王の最期が近い。 譲ちゃん、この背中に乗りなさい」
鷹は、エタに背を向けた。
「娘、乗りな。 俺の脚じゃ、責任を持っておまえを送り届けることは無理だ」
「ありがとう」
エタは、ユニコーンの首に抱きついた。ユニコーンは、目を閉じて言った。
「さあ、行くんだ。 おまえの勇気はすばらしい。 俺にはとてもじゃないができない」
エタは、ユニコーンから離れると、鷹の背中に座った。毛が深く、とても柔らかかった。ユニコーンは、大きくいなないた。鷹はそれを合図に、空高く飛び上がった。
「譲ちゃん、しっかりつかまるんだ。 風より速く飛ぶから、下手すれば振り落とされる」
鷹はそう叫んで、キィィン…と音をたてて風を切った。エタは、ライオンよりも速いかしらと考えながら、その羽根にしがみついていた。