第17話
ようやく速さに慣れたころ、エタは尋ねた。
「あなたが、ユーラ?」
「そうだよ」
ユーラという青いやぎは、息一つ切らさずに岩山を駆けて行った。どんなに強い脚をしているのかしらと、エタは不思議に思った。
「私は、森からはどうやってお城まで行けばいいの?」
「僕が魔女に言われているのは、枯れた森の入り口まで、あなたを送るように。 ただそれだけだよ」
エタは途方に暮れた。森からどうやって城まで行けばいいのか、まったくわからなかった。森までは、ティナがエタを運んでくれたわけだから、エタに道などわかるはずがなかった。
「女王様のご無事を祈ろう」
ユーラがそう行ったとき、目の前に大きな月が現れた。いつの間にか、岩山の頂上に来ていたのだ。月は、エタの世界のような淡いレモン色をしてはいなかった。紫色の、鮮やかな月だった。真ん丸の月は、枯れた森も、ごつごつの岩山も、すべてを明るく照らしていた。
「さあ、あなたも祈って。 この月を見るのが、最後になってしまわないように」
エタは、女王が死んでしまえば、この世界も、自分の世界も消えてしまうのだということを思い出した。ユーラに言われるがまま、手を合わせて必死に祈った。
ユーラは、やぎの声をあげた。そして、一気に岩山を駆け下りだした。エタは、必死にユーラの首にしがみついた。ユーラの息が上がってきているのを感じた。
「大丈夫?」
「魔女から、あなたを送り届けるまでは死ぬなと言われているんだ。 だからまだ僕は死ねない」
ユーラはそれだけ言うと、半分ほど駆け下りた岩山の残りを、一層勢いよく駆け下り始めた。エタは、もう声が出せなくなった。あまりのスピードと振動で、しがみついているだけでやっとだったのだ。
枯れた森の入り口についた。月は青白く色を変え、あたりはうっすら明るくなり始めていた。エタは、ユーラの背中から滑り降りた。一瞬、目眩を感じた。ユーラにお礼を言おうと振り向くと、ユーラはそこに横たわっていた。
「ユーラ?」
エタは、触れるまでもなく、ユーラが眠っているのではないことに気付いた。月にしたのと同じように、エタはユーラに向かって手を合わせて祈った。
ユーラは、青い光になって溶けていった。エタは、これ以上美しいものを見たことがないと思った。エタは、ポケットに入っている小瓶を出した。真っ赤な液体は、瓶の中で波打っている。
「女王様のところに行かなければならないわ」
エタは自分に言い聞かせた。森は深く、城がどこにあるかもわからなかった。ただ、とにかく前へ進まなくてはならないと思った。
獣道へ足を踏み入れると、近くの茂みが音をたてた。エタは、足を止めた。何かがいるのだ。
「誰?」
茂みから、男の子が出てきた。禿げ頭の男の子だ。エタが、髪の毛をあげた子だった。
「あ、髪の毛のお姉ちゃん」
男の子は、未だに禿げ頭だった。あの赤毛を使わなかったのだろうか。
「おいら、あの髪の毛、妹と弟にあげちゃったんだ。 だから、まだ禿げ頭なんだ」
男の子はそう言ってにこにこした。家族思いの、やさしい男の子だと、エタは思った。しかし、ほっぺたはすっかり痩せこけていたし、ぼろぼろの服からのぞく脚は、すっかり骨と皮だけになっていた。食べ物も十分に食べていないのだろう。ムーが言った言葉が頭をよぎった。
エタは、短くなった赤毛に触れた。そのとき、指の間に、赤い毛が束になって絡まった。抜けたのだ。エタは泣き出しそうになった。お母さんに、きれいねと褒められていた赤毛が、短くなり、今度は抜け落ちようとしているのだ。
「お姉ちゃん、どこへ行くの?」
「女王様のお城よ」
「女王様?」
「君、行き方はわかる?」
男の子は、自分の禿げ頭を撫でながら言った。
「ユニコーンのおじさんを連れてくるよ。 あのおじさんは物知りだから、きっとお城まで案内してくれる」
エタが言葉を発する前に、男の子はまた茂みに隠れてどこかへ行ってしまった。エタは、じっと男の子の帰りを待った。