前編 林檎の皮のお茶
ごく簡単な登場者紹介 (登場順)
ウィリディス 貴族 (男性)
ルベル 主人公 (女性)
カエ ルベルのご近所さん (女性)
プレウス 騎士 (男性)
猫 野良です
フラーウス ルベルの養母 (女性) など
よろしくお願いします。
「何か困ったことがあったら、すぐ私に知らせるんだよ、かわいいルベル」
「強いていえば、今、困ってますけど。ほら、見られてますよ」
「相変わらず冷たいな。ハートブレイクだよ私は」
「でも、感謝してますよ。心配しなくて大丈夫ですから。気をつけてお帰りになってくださいね」
ルベルはようやく抱擁から解放されて、つながれた馬の方に歩いて行くウィリディスを見送る。彼は馬にまたがってからルベルにむかって頷くと、少しゆっくりと馬を駆けさせて去っていった。揺れる金の髪が陽の光をあびて無駄に輝いていた。
ルベルは思わず自分の栗色の髪に指をからめると、空をあおぐ。さて、今日みたいに天気のいい日は、洗濯にでもせいをだそうか。
「また来てたのかい、あの男。もしやあんた、あんな貴族のお坊ちゃんとどうにかなれると思ってるんじゃないだろうね」
おっと、そうだった、ギャラリーがいたんだった、とルベルは笑顔をつくる。
「こんにちは、カエさん。そんなこと思ってないから心配しないでくださいね。それにあの方、お坊ちゃんって言われるような歳じゃないですし、奥様もいらっしゃいますよ」
ウィリディスの歳は、わたしと同じく28。来月には29歳になろうって男に坊ちゃんはないですから、とルベルは内心つぶやく。
「だ、か、ら。妾にでもなるつもりかって、噂になってるよ。あんたはさ、歳はちょっとアレだけど、いくらでもあたしが他にいい人紹介してやるから。道ならぬ恋なんて、やめときなよ」
このあたりの娘は、多くは十代後半、遅くとも二十代半ばまでに結婚する。そうでないのは何かのわけありか、変わり者として扱われる。
「ありがとう。でも、いいんですよ。わたしは一人者でも、十分に幸せですから。あっ、お鍋を火にかけたままだった、ほほほほほ。失礼しますね」
そういって家の中に退散しようとすると、おしゃべり好きのカエは大きなため息をついた。カエの肩越しに、もう一人のギャラリーの姿が見えて、今度は自分がため息をつきたくなった。
カエがいなくなった頃をみはからって、ルベルはもう一度戸口を出て小さな前庭に立った。
ギャラリーその二は、今日は猫と一緒だった。地面に片膝をついた姿勢で、あきれ顔の猫にむかって何やら話しかけている。この前は、自分の肩にのった小鳥に話しかけていた。小鳥が飛び立った後には、白いフンが残されていた。藍色の立派な騎士服の肩に。
この人は、えらい騎士様らしい。なんでもかなり優秀らしい。
そもそも騎士という制度が形になったのは先代の国王の頃のことで、それが具体的に何をする人なのか、ルベルは漠然としか分かっていない。よく分かっているのは、この人がえらそうにも強そうにも見えないということだけだった。
初めて彼に出会ったのは一年ほど前。子どもに混じって、すらりと背の高い青年が一人、道端で人形劇を見ていた。
泣きながら。
まさか感動して泣いているとは思いもしなかったルベルは、怪我でもしたのかと心配して話しかけた。それがきっかけで、なんとなくお知り合いになって今日にいたる。
「プレウスさん。こんにちは」
ルベルが呼びかけると、プレウスは猫の仲間の獣みたいに、しなやかに立ち上がった。
「こんにちは、ルベルさん。あなたは今、誰かに相談したい問題をかかえているのでしょう? 遠慮しないで私に言ってごらんなさい」
「いいえ、特に何もありませんよ」
「あるはずです。どうですか、今の私は、相談に乗る気満々ですよ」
「プレウスさん。涙が出てますけど」
「おや・・・、どうやらルベルさんに泣かされてしまったようですね」
そう言ったプレウスはなぜか嬉しそうだった。
「どっちかっていうと、泣きたいのはわたしの方じゃないでしょうか」
「うん、まあ、そういうこともあるでしょう。泣くならこの胸を貸してあげます。それとも他に、何か私にできることはありますか」
「・・・じゃあ、わたしと髪の毛を全取り換えしてください」
プレウスの髪は、ウィリディスよりちょっと色が薄いが、同じ金髪だ。
「冗談です」
プレウスがルベルの髪に手を伸ばしたので、ルベルはついっとよけながら言った。
「・・・相変わらず、すばやい動きですね。ところで喉がかわきました」
プレウスがしれっと言った。いい加減、家の前で騎士服姿の人と話しこむのも人目を引いてしまうので、ルベルはプレウスを家の中に案内した。
「おかあさん。この狭い家にお客さまがいらっしゃいましたよ。お茶を召し上がったら、すぐにお帰りになるそうですけど」
ルベルはフラーウスにプレウスの来訪をつげると、戸棚の方に向かう。
プレウスが揺り椅子に座ったままのフラーウスに挨拶しているのを聞きながら、お茶の準備を始めた。林檎の皮でつくったお茶だ。
城下町の外れにある、この小さくて粗末だけれど居心地のいい家に、ルベルはフラーウスと二人で住んでいた。フラーウスは最近足腰が弱って、歩くのは問題ないが、立ち上がったり座ったり、という動作は介添えがないと時間がかかる。プレウスはそのあたりも承知していて、フラーウスの方も、ときどき訪れるプレウスを遠慮せずに座ったままで迎えるようになっている。
「お母上も、ルベルさんの道ならぬ恋に心を痛めていらっしゃるようですよ」
お茶のお盆を手に現れたルベルに向かって、プレウスが非難するように言った。
「そんなわけないでしょう。わたしが道ならぬ恋なんていうものと無関係だって、母は知ってますよ」
フラーウスの方を見やると、すっとぼけた顔をして、お茶を催促するように手を出している。最近はさすがに、うるさく結婚しろとは言わなくなったけれど・・・。
お茶を飲んだ後も居座ろうとするプレウスを追い立てるように家から出して、見送りがてらまた空をあおぐ。
わたしは今でも十分に幸せなんだけどな。
女二人の家の不用心を気遣ってか、プレウスはときどき様子を見に来てくれる。カエをはじめとするご近所さんは、おせっかいで噂好きだが、根はいい人たちだ。フラーウスの体力が落ちてきているのは心配だが、二人暮らしはとても気楽で平和だと思う。
日中の仕事もなんとかこなしているし、夕方になれば時々共同の糸紡ぎの作業場を訪れて、自分の持つ機織りの技術を伝えたり、簡単な読み書きを教えたりもしている。教える相手は十以上も年若い、このあたりに住む娘たちだが、その評判は上々だ。
それにウィリディスからは・・・十分すぎるほどの庇護を受けている。
ウィリディスとルベルは、世間的には他人だが、血縁からいえば兄妹だ。それも双子の。
双子でも瓜二つの同性の赤ん坊であれば、継嗣争いの類は別として、問題はそれほどない。問題があるのは、髪や瞳の色が異なったり、異性だったりする双子が産まれた場合で、ウィリディスとルベルはその両方に当てはまった。瞳の色は二人とも緑色だったが、髪の色は、ウィリディスが父母と同じ金色、ルベルは濃い栗色だ。
そのような双子は、その母親が二人の男と通じたために産まれるものだという、根強い迷信がある。双子の片割れが引き離されてこっそり育てられるのはまだいい方で、打ち捨てられたり、「処分」されたりといったこともままあった。
ルベル達の父はそんな迷信を信じてはいなかったが、父の父、つまりルベル達の祖父は、双子の誕生を知って家名が汚されたと激怒した。栗色の髪のルベルを不義の子と断じ、ルベル達の乳母の姉で、夫を亡くして一人でやもめ暮らしをしていたフラーウスのもとに、いくばくかの報酬とともにルベルを厄介払いしたのだった。
ただでさえ、出産は女性が亡くなる原因のほぼトップに君臨していた。双子の出産という体力的な負担の上、祖父からの強烈な非難や罪の意識のために、ルベルの本当の母親は、産後一年たたないうちに亡くなったという。
その祖父も三年ほど前に亡くなり、それ以来、使いの者ではなく、ウィリディス本人がルベルを誘いにやって来る。生家に戻ってきてはどうかと。
だがルベルは、子ども時代も娘時代も平民として育っている。今さら貴族にもどったところで、どんな生活を送ればいいのだろう。そもそも、こんなに荒れた手をして、身のこなしも大雑把な28歳独身の貴族令嬢なんているんだろうか。
いやいやいや、いないいない。
それに、貴族には貴族の悩みがあるはずだ。不義の子だという迷信にしたって、自分やウィリディスは気にしなくても、まわりには迷惑がかかるだろう。それに自分には平民の暮らしが似合っている、とルベルは思っている。
ルベルが自分の提案に頷きそうになく、金や高価な品物も受け取らないと分かってから、ウィリディスは貴族向けの高級な織物の発注をまわしてくれるようになった。それがなくてもフラーウスと二人、ほそぼそと食べていけるだけの技術はすでに持っていたが、不意の出費に対する備えはこころもとなく、ルベルはありがたくその気遣いを受け入れていた。
そもそも、ルベルの機織りの技術や読み書きの能力からして、父やウィリディスの気遣いによってこっそり派遣された専門家から、教えを受けて習得したものだった。
やはり、とルベルは思う。今のわたしは十分に幸せなはずだ。
双子に対する迷信は、これからは信じる人も減っていくかもしれない。それでも、自分や実母の身の上に照らして、結婚というものに憧れや期待、必要性も特に感じることはなかった。そうはいっても結婚を厭うというほどのことはなかったが、気が付けば現在の年齢になっていた。
ウィリディスとしては、家長であった祖父の手前、ルベルの結婚適齢期までに十分な援助ができず、その間、ルベルが働きづめだったことに引け目があるらしい。ルベルにしてみれば、それはまったく見当はずれで考えすぎだと思われた。