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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

勇者シリーズ

明けない夜の始まり

作者: 綾里 美琴

「ふざ、けんな……!!」


夢だと信じたかった。嘘だと言って欲しかった。こんなにも強く望むのはきっと、生まれて初めてだろう。

仲間だと信じていた少女が、他の仲間の心臓に向けて笑顔で魔法を放った、なんて。悪夢でなければなんだというのだ。



自分達は、所謂勇者一行というものだった。

諸悪の根源である「魔王」を倒すようにと神の信託を受けた「神子」が、魔王に太刀打ち出来る人間を探して集めたのが自分達である。態度の悪い勇者らしからぬ勇者、無口だが性根の優しい魔法使い、ムードメーカーの司祭、そして旅をするきっかけを作った清純な神子。四人で過ごした日々は一年足らずだったが、共に戦ううちに芽生えた絆は確かなものだった。――――誰もがそう、信じていた。


各地に散らばっていた魔王の使い魔をようやく全部倒して魔王の力を削り、さあ最終決戦だ、と意気込んだのが一週間前の出来事。準備を整え、必ず生きて帰ると誓い、魔王の城に乗り込んだのが数時間前。しかし禍々しい空気を漂わせる城は無人で、辿り着いた王座にも誰もいなかった。一体どういう事なのかな、と呟いたのは司祭だったか。意味が分かんねえ、と勇者が口を開きかけたその時、事件は起こった。神子が美しい金髪をなびかせながら王座に向かって歩いていったのだ。

彼女が一歩進む度、彼女の白を基調とした服が黒に染まっていく。それだけでも充分に異様な光景だったが、あろう事か彼女は王座に座った。それも「つい座っちゃいました」というお遊び的なものではなく、威圧感たっぷりに足を組んで。


「何を、やってるんだ。メシア」


普段は用がなければ喋らない魔法使いが、怪訝そうに彼女に問いかける。きっとアイツは、言葉を間違った。今ならばそれも理解出来る。とは言えあの時は分かるわけもなかったし、後悔したところで既に手遅れだ。


メシア。救世主。神子の、呼び名。それを呼んでは、いけなかった。


「あははははは! メシア! メシアだって! やだなあ、あたしそんな名前じゃないのよ。あたしの本当の名前はねえ……だーめ、やっぱり教えてあげない。これから死ぬ人達には必要ないものね」


少女は椅子に肘をついて、愉快そうに笑いながらそう言った。だが彼女のその笑みはひどく歪で、侮蔑が含まれているのを自分達三人は見逃さなかった。

一体目の前の少女は、誰なのだろうか。何故、王座に座ったのだろう。これから死ぬとはどういう意味だ。疑問ばかりが、勇者の胸のうちに浮かぶ。けれど誰も何も言えなかった。


「やあだ、何よこの沈黙。あたし辛気くさいの嫌いなのよねー。どうせならぱーっと派手にいきましょうよ、ねえ?」

「あのさ、こんな事聞きたくないんだけど……。君、誰?」


きっと一番敏感に彼女の変化を感じ取っていた司祭が、核心をつく。すると、彼女は歪な笑みを深くした。そのせいで、余計に違和感が増す。

彼女はふわりと微笑む子だった。万物を愛していて、消えていく命に胸を痛めていて、世界を平和にしたいと心から願っている子だった。でもだからといって人間味がないわけではなくて、戦いへの恐怖心や年頃の女の子らしいずるさだって持っていた。そんな彼女だからこそ自分達も協力したし、命を賭けてこんなところにまで来た。なのに、今の彼女にあの頃の面影はない。とても残酷なまでに。


「誰、ねえ……。そうねえ、魔王でーす、とでも名乗れば満足するかしら?」

「テメエ……! 言っていい冗談と悪い冗談とあるだろうが!」

「あらら、勇者様がそんな怖い顔しないの。勇者様に憧れてる子供達が泣くわよ?」


口調だって、彼女のものとは違う。彼女ならば同じ内容であったとしても「勇者様に憧れてる子供達が泣いちゃいますよ」と言っているはずだ。少し困ったように微笑みながら。

けれど、いつまで経ってもそんな彼女は訪れなかった。


「まあ、そうねえ。こんな茶番劇を真面目に頑張ってくれたんだものね。ちょっとくらいは真実を教えてあげましょうか」

「茶番劇……?」


聞き捨てならない単語に、魔法使いが反応を示す。


「ええそうよ。オチの読めるあっさい芝居を貴方達は演じていたんだもの、ぴったりな表現だとは思わない?」

「さっきから、要領を得ない発言ばかりだね。僕の質問にまだ答えてもらってないよ。「メシア」でないのなら、君は何なんだ」


先程は「誰」と訊いた司祭も、今度はそうしなかった。嫌な予感が頭に過ぎっていたのは、きっと三人とも同じだったのだろう。

どうか、否定してほしい。どうか、どうか。そんな自分達の思いを、彼女はあっさりと手折る。人間が蟻を踏み潰すかのように、いともたやすく。


「あたしは貴方達が魔王と呼ぶモノ。貴方達が魔王の使い魔と呼んでたモノ達は、昔あたしから力を奪った連中。貴方達が彼らを倒してくれたから、あたしに力が戻ったの。――――ほおら、茶番劇でしょ?」


最後にわざとらしく首を傾げて、彼女は語った。普段の彼女なら絶対にしない仕草に、気が遠くなりそうになる。


「……っ」


喉が乾いて、言葉が何一つとして出てこない。力いっぱいに剣を握り締めていなければ、震える手をごまかせそうにもない。額にかいた汗を拭う余裕すらない。視界の端に映った他の二人も似た様子だった。それも当然だろう、自分達は無慈悲な現実を突きつけられたのだ。

多くの血を流して、時には犠牲を伴って、それでも戦い続けたのは明るい未来のためだった。間違っても、こんな結末を望んだわけではない。全て無駄だったばかりか結果的に魔王を蘇らせてしまっただけだった自分達の行動を、人々は責めるだろう。けれど、足元が崩れ落ちていくこの絶望感を、きっと誰も理解してくれやしない。泣き喚きたくなるこの衝動を、分かち合ってなどくれはしない。


「どうしてなんだよ……メシア……!!」


いつもは明るい司祭の声が悲痛に染まるこの切なさを、自分達以外の誰が知っているというのか。

最初から、彼女の手のひらの上で踊っていただけだったのだろう。仲間であった少女、魔王の。言葉にすればたった一言の真実が、途方もなく自分達を苦しめる。


「いい年した男が三人揃ってなっさけないの。見るに耐えないから、こうしちゃお」


彼女は薄く笑って、右手を持ち上げると自分達の方に向ける。瞬間、全身の毛がぞわりと逆立つ。――放っておくとやばい!


「……っ避けろ!!!」




何が、起こったのか。彼女は何をしたのか。彼女の手から放たれた二本の刃はそれぞれ魔法使いと司祭の心臓を狙い、魔法使いは体に大穴を空けたまま倒れこんでいる。かろうじて避けた司祭も力なく座り込んでおり、床には武器を手にしたままの右腕が無造作に転がっていた。


「ふざけんなよテメエ……!! 正気か!?」


ただ一人、無傷で立ち尽くす勇者が咆える。これで彼女が罪悪感を窺わせる顔をしていたなら、自分達もほんの少しくらいは救われたのかもしれない。だが現実はどこまでも非情でしかなく、彼女の瞳は恐ろしいまでに冷え切っていた。


「あーあ、避けちゃったのね。どうせなら一思いに死ねばよかったのに。痛いのイヤでしょ?」

「……ふざ、けんな……っ!!」


彼女にとっての自分達は玩具と変わらないのだと思い知らされて、勇者は唇を噛む。


「ねえ、メシア……一つ、聞きたいんだ」

「あら、なあに? 冥途の土産に答えてあげる」


腕を失った痛みで喋るのも精一杯だろう司祭が、必死に息を整えながら彼女に話しかける。


「僕達といた頃の君は、偽りでしかなかった? 本当はずっと、心の中で嘲笑っていたの?」


感情を抑えた静かな声でありながらも、それはどこか縋るような口振りだった。彼は神子であった彼女と幼馴染で、幼少の頃からずっと彼女を守っていたのだというから、尚更この光景は受け入れ難いのだろう。僅かな可能性にかけて、自分が傷つくだけだと分かっていた質問をわざわざしたのがいい証拠だ。そんな彼を、誰が咎められるというのか。


「あははははっ、この状況で気にするのはそこなの? ばっかみたい! でもそうね、そんなアンタ達と旅をするのは悪くなかったわよ。すっかりあたしにだまされて、疑いもしないんだもの。裏切ったらどんな顔するんだろうって、ずっと楽しみにしてたのよね」


……愚弄する権利が、誰にあるというのか。

司祭は血の気を失った顔で項垂れ、それからは一切口を開かなかった。気力を失くした彼に、彼女は更に追い討ちをかけようとする。


「!? オイやめろシア……っ!!」


慌てて彼を突き飛ばそうとするが、後一歩のところで間に合わなかった。

目の前で貫かれていく、仲間の体。手を伸ばしても届かず、後ろに倒れていく仲間の体。飛び散った生温かな血と涙が混ざって、赤い涙が頬を伝っていく。何度名前を呼んだどころで、彼はもう返事をしてはくれない。明るい未来を語った彼の未来は、どこを探してもない。


「いい加減に、しろよシア……!! コイツはな、この戦いが終わったらテメエに求婚するつもりだったんだ! テメエはどこまで人の想いを踏みにじれば気が済むんだ!?」


だから絶対生きて帰ろうよ、皆で。そう言って笑った彼は、こんな最期を想像もしていなかっただろう。一切の希望を奪われた状態で、なんて。これでは彼があまりにも報われないのではないか。


「へえ、そんなこと言ってたの? あははっ、死亡フラグ立てすぎよ。でもよかったじゃない、愛するあたしの手で逝けたわけでしょ?」


彼女と過ごしていくうちに築き上げた彼女の像が、今の彼女で上書きされていく。きっともう、幸せそうに笑う彼女は見られない。照れくさそうにはにかむ彼女には会えない。どれほど願ったところで、四人で笑い合ったあの日々はもう二度と取り戻せないのだ。


「……ふうん。やっぱり貴方は最後まで諦めないのね」


涙を拭い、共に死闘を繰り広げてきた愛剣を彼女に向ける。「勇者」が出来る事は、それ以外に残されてはいなかった。


「俺がここで諦めちまったら、犠牲になった奴等に恨まれるからな。俺はな、元々世界も勇者という肩書きもどうでもいいんだ。それでも大切な人には穏やかな生活を送ってほしいと……そのくらいの気持ちはあるさ」


でなければ、とっくに投げ出していた。いやそもそも、いくら説得されたところでメンバーに加わってすらいなかっただろう。……今となってみれば、現状を回避する唯一の手段だったのかもしれないが。


「俺は優しくねえからな、相手がお前でも手加減はしない。シア……いや、魔王」


お前にとっては茶番でも、俺は楽しかったよ。心の中でそう唱えて、剣を構える。彼女も椅子から立ち上がり、臨戦態勢を取った。


生きるか、死ぬか。殺るか、殺られるか。極限まで張り詰めた空気の中、勇者は彼女に向かっていった。果たされなかった思いを背負って、沢山の思い出を胸に抱いて。




「……お見事。迷わずあたしの心臓を目指すなんて、貴方にしか出来ない芸当でしょうね」


ぽたぽたと、血が零れ落ちる。ああ魔王の血も人間と同じ色なのか、と勇者は頭の片隅でぼんやりと考えた。

勇者の剣を胸に刺された魔王と、魔王の攻撃を防いだ勇者。勝敗は明らかだった。


「守護魔法……死に損ないの魔法使いにしてはやるわね。すっごく腹立たしいくらい」


魔王の視線の先にいるのは、倒れたままでも決してロッドを離さなかった魔法使い。虫の息であった彼は、己の命を賭けてまで勇者を守ったのだ。まるで、それが自分の役割だとでも言うように。

勇者が剣を引き抜けば、大量の血が溢れる。耐えられなかったのか、彼女は膝をついた。


「シア……」

「あらやだ、情をかけるのはやめた方がいいわよ。こうなるのは貴方の方だったかもしれないんだから」


彼女は右手を口元にあてると、ごほごほと咳き込む。その度、彼女の白い手を汚していった。


「報いなのだと思って、素直に受け取るわ。でも貴方、これからどうするの? 一人で生きていくの?」

「自分から命を投げ出すような馬鹿な真似はしねえ。いつか迎えが来るまで……適当に生きるさ」

「ふふ、そう……。貴方らしいわ」


そう言って儚げに微笑む彼女が昔の彼女と被って見えて、勇者の動揺を誘う。本当にどうして、こんな事になってしまったのか。守りたかったはずの少女を、どうして自分の手にかける羽目になってしまったのか。きっともう、答えは得られない。いくつもの後悔と一緒に、これからを生きていくしかないのだろう。


「ねえ、あたし貴方の事好きだったの。そう告白したら、貴方はどうする?」

「……どうもしねえな」

「あはは、本当に貴方らしい。ねえ、顔をよく見せて? もうあまり……みえないの」


虚ろな瞳をした彼女の頼みを断れず、勇者はしゃがみこむと自身の顔を彼女に近づける。すると、彼女は勇者の頬をゆっくりと撫でた。愛おしそうに、何度も。


「シア……お前は……」


勇者の言葉は、それ以上続かなかった。左手は彼に添えたままで、彼女の右手の五本の爪が彼の心臓を貫いたからだ。

どしゃりと音を立てて、彼が倒れこむ。


「アイツも馬鹿ね。守護じゃなくて攻撃にしておけば、ひょっとしたらひょっとしたかもしれないのに」


致命傷を負っていたはずの彼女の胸部が、みるみるうちに再生していく。しばらくすれば完全に癒え、服も新しいものに変わり、怪我をしていた痕跡すら残らない。あるのは、かつて仲間であった三人の屍だけだ。


「ギリギリセーフ、ね。間に合ってよかったわ。ねえ、可哀想な人達。ほんと、かわいそうに……」


少女のあまりに小さな呟きは、誰にも拾われない。少女が流す涙の意味を、誰も知らないまま。


「ごめん、ごめん、ごめんなさい……。でも私には、どうしようもなかったの……。私が私であるうちに、貴方達を殺すしかなかったんです」


その謝罪は「魔王」のものではなく、紛れもない一人の少女の、「メシア」のものだった。


「ちょっとだけ、期待していました。貴方が私を倒してくれること。でも……だめですね、それが可能なら、私は生まれた瞬間に命を絶っていたはずなのに」


少女は、勇者の頭をそっと撫でる。癖のある黒髪は、予想に反してずっと柔らかかった。いつか触ってみたいと、ずっと思っていた。それがこんな風に叶うなんて、皮肉でしかないのだろう。


「私いっぱい嘘ついちゃいましたけど、貴方への気持ちだけは嘘じゃなかったんですよ。私の……勇者様」


ふと思い出すのは、まだ幸せだった頃にいつか彼とした短いやり取り。


「なあ、シア。お前はこの旅が終わったらどうすんだ?」

「え?」

「え? じゃねえよ。救世主の役目から解放されるわけだろうが、なんかやりたい事とかねえのか」

「え、ええそうですね……。あ、お嫁さんになりたいです、なんて」

「そりゃまた、ありきただな。ま、お前なら選り取り見取りだろーよ」

「そうでしょうか?」

「そりゃそうだろうよ」

「じゃあお嫁さんにしてください、勇者様」

「……はあ? オイ、寝言は寝て言え」

「おーい二人とも、準備できたよー。たべよー」

「早く」

「ああ、すぐ行く……ってオイ、先に食うんじゃねえ!」

「だってお腹すいたんだもーん」


あの時の言葉は、冗談なんかではなかった。本気だった、本気でそんな未来が来ればいいと願っていた。近い将来、自分であって自分じゃない存在が何もかもを壊してしまうと知っていたけれど。


少女は、魔王の魂を宿してこの世に生を受けた。

魔王が言うには、千年に一度の逸材だったらしい。そんなふざけた話があるかと何度も抵抗したが、己の運命には逆らえなかった。破滅へ導くための旅も、止められはしなかった。いっそ打ち明けるべきなのかと幾度となく悩んだが、そうすれば彼らは自分のために精一杯努力してくれるのだろうと思えば、それも出来なかった。どうやっても覆せない現実に打ちのめされるあの絶望感を、彼らに味わわせたくはなかったのだ。


「それに……用がなくなった貴方達を、あの人は殺してしまう。それだけは、耐えられなかったんです……」


自分以外の誰かによって彼が死ぬ、なんて考えられなかった。それならばいっそ、自分自身の手で終わりを迎えようと決めた。そのために薄ら寒い演技までしたのは、どんな形であれ自分という存在を刻みたかったからだ。ただ覚えていてほしかった、最期の瞬間まで。


「貴方は、誰にも渡しません……。わたしの、わたしだけの勇者様……」


「メシア」と呼ばれる度に顔を顰めていた自分に気付いて、わざと「シア」と呼んでくれた、愛しい人。

少女は、既に冷たくなってしまっている勇者の唇に口付けを落とす。少女の金髪が、根元から徐々に黒に染まっていった。



この日、人類の半数以上の命が潰え、世界は闇に飲まれる。明けない夜の、始まりだった。

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