すべて、お覚悟の上ではなかったのですか?
「イヴェットお姉様だけずるい」
二つ年下の妹にそう言われるたびに、心の中の何かがすり減るようだった。
◇
私は、グリーセア王国にあるウェバー伯爵家の長女として生まれた。
容姿は父に似て、変わり映えしない茶色の髪に深緑の瞳。
二つ年下の妹は母に似て、金髪に青い瞳。
典型的な地味な姉と、見目麗しい妹の取り合わせだった。
しかし、幼い頃はまだ見た目による差異を感じることは少なかった。
ウェバー伯爵家には私達姉妹しか子が生まれなかったため、七歳の頃、私は跡取りと定められ、そこから厳しい教育が始まった。
家庭教師は厳しい方で、滅多に手放しに褒めてくれることはない。
先生の評価を聞いてか、両親も私に「がんばりなさい」としか言わない。
(私が『出来損ない』だから怒られるの……もっと頑張らないと……)
皆に褒めてもらえる結果を残せれば、愛してもらえる。
そんな風に思っていた。
ソレが違うと気が付いたのは、私が九歳、妹が七歳になって、妹の淑女教育が始まった時だった。
妹はごく初歩の初歩、礼儀作法の最初の方で習う食事の仕方ですら、まともに覚えようとしなかった。
(私の時は、失敗したら躾用の鞭が飛んできていたのに……)
難しいからできないと母や父に甘えて言えば許される姿を見て、胸にトゲが刺さったような痛みを覚える。
それでもまだ、妹は跡継ぎではないから仕方が無いと思えることができていた。
(私は長女だから……この家を継ぐから、みんな厳しいのよ……)
妹との差を顕著に感じるようになったのは、それから三年経つ頃だろうか。
我が伯爵家の所領からは、伯爵家の体面を維持するだけの収入はあるようだったが、好きな物を好きなだけ買ってもらえる程には裕福ではない。
例えば、リボンを買ってもらえることになっても、姉妹それぞれ一本ずつでそれ以上は許されなかった。
余分には買ってもらえない。
そんな感じだ。
表向きは平等だ。
しかし、実際にリボンを買ってもらえるとなったとき、その差は顕著に表れた。
妹は、どんな色でも似合うと言われ、好きという理由だけで桃色のリボンを買ってもらっていた。
けれど、私は、好みだけで選ぶことはできなかった。
好みを考える前に伯爵家の跡継ぎとして相応しい品かどうか、布地や色味で判断し、次に自分に似合う品かを考えるようにと言われるから、どんなに空色のリボンが欲しくても、瞳や髪の色に合わないと言われ、別の色を選ぶよう強制される。
私に似合うと言われるのは、瞳に合わせた緑、しかもエメラルドグリーンなどの華やかさがある色味よりは、深緑のような落ち着いた色合いだ。
好みではないけど『相応しい物を選びなさい』そう言われてしまえば、他に選びようがない。
一本しか、買えないのだから……。
母とよその家のお茶会に呼ばれたとき、似合わないリボンを付けていくのは恥になる。
そんな風に言われれば、好みだからと言い張ることもできなかった。
リボンに限らず、ドレスに靴も――。
妹のように、好き勝手には選べない。
でも、それは、跡継ぎだから仕方が無いこと。
それに、金髪に青い瞳の妹は、若い娘が好む大抵の色の物は似合ってしまうのだ。
(誰も、何も、悪くない)
強いて言えば、父に似てしまった私が、仕方ないのだ。
(きっと私も妹のミーシアみたいにお母様に似ていたら……)
なのに、妹は私が選ばざるをえなかった品を見てずるいといい、好きだからと選んだはずの品を放置して、やっぱりお姉様のものがいいと持っていく。
妹の持つ品は私に似合わないのだから、交換しようと言うことさえできない。
「お姉様ずるいわ。こちらの方が、素敵に見える」
そんな妹の言葉を聞きながら、ずるいのは妹の方だといつも思う。
◇
十五歳になると、貴族の子女は例外なく王立の学園に入学し、三年間学ぶ。
私が十八――最高学年になる年に、妹も入学してきた。
私の物をとにかくほしがる妹は、とうとう婚約者にも手を出したようだ。
課題をこなすため訪れた学園の図書館の窓から、妹が私の婚約者であるハリス子爵令息と親しげに歩いているのが見える。
彼からは町へ行こうと誘われたけれど、領主課の課題があるため断らざるを得なかった。
課題は数人で組んで行い、教師が割り振っているため、ここで私が抜け出せば、組んでいる人にも迷惑がかかってしまう。
ちなみに婿入りするはずの彼は、騎士課にいる。
私が領主となるための勉強をするなら、得意なところを伸ばしたいからと彼の希望だ。
(彼に自覚はあるのかしら……)
一時的にとはいえ、妊娠などで私が動けない時は、彼に領地のことを頼まねばならない。
彼の行動を見ていると、本当に家のことを考えてくれているのだろうかと、時々不安になる。
話を聞けば「大丈夫、考えている」と返ってくるのだ、一応。
だが、その言葉にどれだけの重みがあるのだろうと思ってしまう。
(いいえ。自分のことしか考えていないのだと、決めつけるのはよくないわ……)
寮に入っているため、両親に手紙で相談はしている。
とはいえ、ありのままは書けないので、かなりぼかしている。
「最近、学業が忙しく、最近タイラー様とすれ違い気味です。お父様、お母様はどうやって婚約時代、交流を深めていらっしゃったのですか。これからうまくやっていけるのかと、不安になります」
けれど、返ってくる言葉はあまり参考にはならなかった。
「ハリス子爵令息はしっかりしたいい子じゃないか。学生の間は、それぞれやりたいことが違って距離ができることもある。束縛しすぎず見守ることも重要だ。イヴェットは何がそんなに不安なんだ?」
「お父様はそう言うけれど、ハリス子爵令息との仲がすれ違っているなら、少しくらいあなたから歩み寄ってもいいのではないかしら。待っているだけではうまくいかないわよ? 学業の方もおろそかにせず、頑張りなさい」
だからそれを聞きたいと言っているのに、どうしたらいいのだろう。
結局、私が耐えて、頑張ればいいということだろうか。
(ではその結果を誰が背負うの……?)
私しかいないのだとわかっていながら、現実逃避のようにそう思う。
(今のままでは駄目だとわかっているのに……)
どうやって両親にこの不安を理解してもらい、ハリス子爵令息に寄り添えばいいのか、見当がつかない。
(こんなこと、学校では教えてもらえない。きっと、ミーシアなら、意図せずできるのに……)
嫌な方に向かいそうになる考えを、瞬きをして切り替えたところで、不意に後ろから声がかけられた。
「……あれは、いいのか?」
振り返ると、同じ領主課で一緒に課題をやっていたうちの一人、イートン侯爵令息が冷めた目をして外を歩く二人を見ていた。
「タイラー様のお誘いを、私が断ってしまったので」
「騎士課に行ったのは彼のわがままだろう。婿入りする者の大半は領主課に来るというのに。自覚がないと苦労するな」
添えられた労りの言葉に、目を瞬かせる。
まさかそんな言葉をかけられるとは思わなかった。
「何を驚くことがある。事実では?」
「いえ。家族からは、私が頑張るようにとしか言われなかったので……」
「そうか……。だが、あれはウェバー伯爵令嬢が頑張ってどうにかなることではないだろう。頑張るのはハリス子爵令息の方では……。っと、すまない。これは私が口を挟むべきことではないな。ところで課題の方はどこまで進んだ?」
口が滑ったと言うが、イートン侯爵令息の言葉は衝撃だった。
(頑張るのは、私ではない……)
私に何かが足りないから、すべてがうまくいかないのだと思っていた。
けれど、そうではないという視点は、これまで一人で抱えていた違和感を全て打ち砕き、なんだか救われるような心地がした。
ふと、私を見つめる侯爵令息の視線に気が付き、ハッとして口を開く。
「――課題はあともう少しです。この部分の記述に、論拠を添えたいのですが、見つからなくて」
「なるほど、この部分か。確か、私が調べた方にあったはずだ」
イートン侯爵令息が本を取り出しパラパラとめくっていく。
その横顔を見つめながら、彼に対する噂を思い出す。
そういえば、彼は実の母が亡くなり、後妻に入った継母が弟を産んだと聞く。
そして、両親は弟の方を可愛がっているらしい。
領主課にいるとはいえ、いずれは弟が優先されるのではないかと、もっぱらの噂だ。
イートン侯爵令息に婚約者がいないことも、その噂に拍車をかけているのだろう。
それらの噂が真実かは、私にはわからない。
ただ、彼もなんらかの事情を抱えているからこそ、私の置かれた状況が目についたのかもしれない。
彼の言葉に、状況は何一つ変わっていないのに、何だかすごく気持ちが楽になっていた。
(私は、誰かに認めてもらいたかっただけなのかもしれない……)
そんな風に考えていると、侯爵令息が本を開き、あるページを指し示す。
「あった。こちらだ」
その部分を書き写しながら、頭の中では先程彼に言われた言葉を繰り返していた。
◇
履修課の違いで、その後も婚約者とは予定が合わないことが増えていった。
最終学年となれば、お互いに実践向きの課題が増える。
騎士課はそれが実技であり、領主課は研究課題の発表だ。
領主となれば、書類から問題を読み取って、対策を立てる必要がある。
それらの実践をしつつ、発表を行い、クラスメイトや教師の意見を聞くことで幅広い視野を培っていく。
無様な発表をしないためにも、与えられた課題には手を抜けない。
自然、図書館に足を運ぶことになる。
一方、妹の方は、私の婚約者と順調に距離を縮めているようだった。
妹が入学するまでは彼と一緒に取っていたはずのランチの時間にも呼ばれなくなり、代わりに妹が呼ばれているようだ。
(彼のことも、欲しがるつもりかしら)
妹は淑女課にいる。
貴族夫人としての教育に力を入れている課だ。
婚約者を変えるなら、妹が領主課に転課するのかもしれない。
最終学年のタイラー様が転課しても、授業についていけるとは思えない。
ただ、転課するには試験を受ける必要がある。
領主課は、ある程度の学力が求められるため、編入する場合に試験があるのだ。
(その試験に受かる成績とは思えないけれど……)
そんなことを思ったけれど、どうするかは彼らの問題だ。
今までは、それでも彼らのことを、姉として、婚約者として手伝わなければと思い込んでいたけれど、あの日以来、結局はそれは彼らの選択だと思えるようになっていた。
(それに、私も将来のことを考えないと…)
彼らのことを傍観している時間がもったいない。
これまで妹に何もかもを譲ってきたが、今度の我儘は私の居場所をなくす。
時間は、あまり残されていなかった。
(王宮侍女の試験を勉強するべきかしら)
事務室の前、求人の張り紙を見ながら考えていると、イートン侯爵令息が通りがかった。
彼も掲示板を見に来たようだ。
「その試験、受けるのか?」
「もしもの時の準備をしておきたいと思っているのです」
婚約がつつがなく履行されるなら、という期待はわずかに残っている。
しかしその可能性が高いとは思えないし、逃げ道すらなく、その日を迎えたくない。
(できるなら、私はもう彼らの元に留まりたくない)
たった一人の妹だし、ずっと婚約者だった人だから、彼らのことを信じたいという気持ちはある。
でも、無条件には信じられない。
そして、信じる根拠も、持ち合わせていない。
だったらせめて、逃げる準備くらいはしておきたかった。
「準備か。大事なことだな。私も今、それを進めているところだ」
イートン侯爵令息が続ける。
「ところで、私からウェバー伯爵令嬢に提案があるんだが、聞いてもらえるかな?」
「何でしょうか」
「君なら侍女試験より、そちらの文官試験の方が、学んだことを活かせるのではないか?」
「ですが、文官になれるのは男性だけではないのですか?」
私が尋ねると、侯爵令息は首を横に振る。
「今年から女性も受けられるようになったと聞いている」
「え……」
言われて、掲示物をよく見ると、確かに女性の募集もある。
だが、他の文字と同じ大きさで、張り紙の中で他の文字に埋もれていた。
「初年度で、まだ広報がうまくいっていないみたいだ」
侯爵令息が言う。
「イートン侯爵令息はどこでそれをお知りになったのですか?」
「文官試験について教師に相談したら、そう言っていた。誰か気になっている人がいたら声をかけるようにとも頼まれたんだ」
「知りませんでした。教えていただき、ありがとうございます」
「お役に立てて光栄だ。ウェバー伯爵令嬢もこちらを目指すのであれば、お互い、頑張ろう」
「……はい!」
なぜか彼から言われる「頑張ろう」は、嫌ではなかった。
◇
季節は進み、夏になった。
私はひたすら就職試験に向け、勉強を詰め込んでいる。
妹はハリス子爵令息と親密さを増しているのか、婚約者の彼とほとんど顔を合わせない。
代わりに、同じ寮に暮らす妹が、時々やってきては声をかけてくる。
「お姉様大変ね。そんなに勉強しなきゃダメなのね」
「そうね。でも必要なことだから」
そう答えると、妹はにんまり笑う。
「きっと、頑張り屋のお姉様がいるなら、ウェバー伯爵家も安心ね」
「そういうミーシアこそ、先のこと考えているの?」
「ええ、大丈夫。心配しないで。では、タイラー様とこれからお出かけだから、もう行くわ」
言いたいことだけ言って、妹は行ってしまった。
「本当に、考えているのかしら……」
でも、それはもう私が考えるべき問題ではないと、私も思うようになっていた。
◇
秋になり、私は文官登用試験を受験した。
学園の教師にも協力してもらい、筆記試験や、面接の対策もしてもらい、準備は完璧に近い。
おかげで、手応えもあった。
合格ラインはわからないから絶対に大丈夫だとは言えないが、これで落ちても悔いがないと言えるだけの実力は出してこられたと思う。
結果は合格者にのみ届けられるのだそうだ。
年明けの発表の日。
私と同じように事務室に呼ばれたのか、事務室の扉の前でイートン侯爵令息と鉢合わせる。
「ウェバー伯爵令嬢は、これから?」
「はい、今来たところです。イートン侯爵令息もですか?」
「そうだね。伯爵令嬢、どうぞお先に」
「いえ……。侯爵令息が先にどうぞ」
譲り合いをしていると、事務室の扉が開く。
何度も面接の練習に付き合ってくれた教師が少し呆れた眼差しで私達を見つめていた。
「二人とも何をしているんだ?」
「あ、いえ、その」
「まぁいい。二人とも中へ。どうせ説明は同じだ」
雑にくくられ、教師から「おめでとう」の言葉と共に封書を渡される。
「これが、合格通知……」
嬉しくてたまらない。
封書を抱き締める私に、イートン侯爵令息も手元の封書を見てほっとした表情を浮かべている。
今後の説明を受けた後、事務室を出ると、侯爵令息が口を開く。
「ウェバー伯爵令嬢、おめでとう」
「ありがとうございます。イートン侯爵令息も、おめでとうございます」
「ありがとう。これで、安心して春を迎えられる――」
その言葉に、やはり噂通りに、彼も私と同じく抱えるものがあるのだと理解する。
彼とは試験の勉強に関しては意見交換をしてきたものの、互いのことについて私達は個人的な話をほとんどしてこなかった。
「お互いに受かってよかった」
「本当に。試験のこと、あの時教えていただいてありがとうございました」
「合格できたのは、ウェバー伯爵令嬢の努力の成果だろう」
ふと、イートン侯爵令息が尋ねる。
「これから、どうするんだ?」
「婚約者と、話し合ってみようと思います」
「そうか。私も家の者と話をしてみる。ウェバー伯爵令嬢がどんな選択をしても、後悔のない決断をできるよう祈っている」
「ありがとうございます。私もイートン侯爵令息を応援しています。どうかお元気で」
卒業も近い。
領主課のカリキュラムも一段落しており、文官の受験仲間というくくりがなければ、もう私達に話をする接点はほとんどない。
別れを告げて、私達は別々の方向へと歩み去った。
それから三週間。
イートン侯爵令息には婚約者と話し合ってみると言ったものの、なかなかその時間を取ることができずにいた。
(もうあと一月もせず卒業なのに……)
いっそハリス子爵令息との対話抜きで、婚約者を入れ替える手続きを始めるべきだろうか。
(ミーシアが彼を好きだと言えば、ウェバー伯爵家の方は大丈夫だものね)
ハリス子爵令息も、あれだけ妹と一緒にいたのだ。
文句はないだろう。
一応、彼が妹と出かけた日付や、二人で食事をしていた日は、日記に記録を取っている。
日記を見返すと、妹が入学し一年も経っていないのに、随分な量の記録が溜まっていた。
妹が入学するまでの二年間に私が彼と交流していたものより、妹との交流がはるかに多い。
(もう、それでいいのでは……?)
婚約解消を行っても、私は困らない。
私は見返していた日記をパタンと閉じ、必要な書類をそろえると、私はハリス子爵令息ではなく、両親へと手紙を書いた。
卒業式の夜に開かれる祝いの夜会。
私はスッキリした気分で会場を眺めていた。
諸々の手続きは、考えていたよりもあっさり進んだ。
むしろ、ミーシアの現状を知り、両親が爆速で手続きを整えた。
妹にはよりよい縁をと厳選していたようだが、話を持ちかけてもお断り続きで、疑問に思っていたらしい。
ミーシアが姉の婚約者と親しくしているのは、かなりの人に知られている。
少し調べればわかるため「そちらのご令嬢には親しくされているご令息がいるのでは?」とお断りをされていたようだ。
もちろん、相手方もそのまま理由は伝えない。
だから両親も、ミーシアの縁談がうまくいかずに悩んでいたようだ。
私が文官として王宮で勤めることは、渋い反応だったが「行き遅れになる姉を、ミーシアに面倒を見させるのか」と伝えれば、渋々ではあるが許可は下りた。
そうしていると、ハリス子爵令息が、ミーシアと共にやってくる。
(今更どうしたのかしら?)
あれだけ話し合いの場を持つことを嫌がっていたのにと思うが、後で絡まれても面倒だと彼らに向き直る。
「イヴェット! オレはおまえとの婚約を破棄し、このミーシアと新たな婚約を結ぶ!」
格好を付けたつもりなのだろう。
私を指さして得意げな顔をしているハリス子爵を、ミーシアは感動の瞳で見つめている。
だが、私からしたら、それをこの場で言って、どうするつもりだろうと思うだけだ。
(家同士の契約を、個人の感情で破棄する人間ですと知らしめたいのかしら?)
それが自分の価値を落とす行動だとわからないのであれば、本当に彼と婚姻することにならなくてよかったと思う。
「どうか、私のことは家名でお呼びください。私達の婚約は既に解消されておりますし、ハリス伯爵令息は既にミーシアと婚約なさっておいでです。ご家族からご連絡がありませんでしたか?」
「なっ――! いつの間にそんなことに!? 私に挨拶もなく婚約を解消するなど――」
「お話し合いの時間がほしいとご連絡しましたが、お時間を取っていただけなかったではありませんか」
「あれは、まさか、そのことだったのか!?」
驚いている子爵令息に、私は尋ねる。
「疑問なのですが、今まで私を婚約者だと思っていながら、ミーシアにドレスを贈り、エスコートをなさっていたのですか?」
「あ、な、それは……」
この夜会では、同伴するパートナーは婚約者であるべきという不文律がある。
ハリス子爵令息からはこの夜会のためのドレスも贈らず、エスコートも申し出がなかった。
私が困るとは思わなかったのだろうか。
しかも、この場で婚約破棄の宣言をするなど、相当に悪質だと思う。
「お姉様! どうしてそんな意地悪なことをおっしゃるのです!」
顔色を悪くし、黙り込んだハリス子爵令息の横で、今度はミーシアが声を上げる。
「意地悪ではないわ。常識的な行動をしていただけなかった理由を尋ねただけです」
「もう! またそんな風に難しいことを言うんだから! あんまり意地悪をなさると、お父様達にお姉様と暮らしたくないと言ってしまうわよ?」
それで私を脅せると思っているのだろうか。
(以前の私なら、我慢、してしまったのかしら……)
行くところがなければ、言われるがままに彼らの言うことを聞いて、このように彼らに言い返すこともなかったかもしれない。
「安心して、ミーシア。私は王宮に勤めることが決まっているの。卒業しても伯爵家には戻らないし、あなたに迷惑をかけることにはならないわ」
「えっ――、なにそれ……? それじゃ、誰が家のことをするのよ!」
「ミーシアには両親も、そちらのハリス子爵令息もいるでしょう? 皆と話し合えばいいと思うわ」
「そんなこと、お母様達が――」
「両親には、家を出る許可をもらっているわ」
私の言葉に、ミーシアも表情をくもらせる。
「でも、タイラー様は、お姉様がいるから大丈夫だって――」
ちらりとハリス子爵令息を見るミーシアに、彼がハッとしたように私を見る。
「そうか! 今まで構ってやらなかったから、すねているのか! 心配しなくていい。働きに応じておまえのことも可愛がって――」
「気持ち悪い。何をおっしゃっているのか、意味がわかりませんわ」
あまりにも聞くに堪えなくて、さえぎってしまった。
「それに、今ここですべき話とは思えません」
私の言葉に、ハリス子爵令息とミーシアは自分達が興味深く卒業生とその関係者達に見つめられていることに気が付いたようだ。
さすがに、これ以上ここで騒げば恥をさらすだけだと気が付いただろう。
「皆様、お祝いの場をお騒がせして申し訳ありませんでした。それでは、ハリス子爵令息、ミーシア。ご用件がそれだけでしたら、他に話したい人もおりますので、私はこれで。ご機嫌よう」
淑女の礼を執った後、背を向けた私にハリス子爵令息が叫ぶ。
「待て、イヴェット! これから伯爵家をどうするつもりだ!」
その声に、私は一度だけ振り返った。
「知りません。すべて、お覚悟の上ではなかったのですか?」
黙り込んだ彼らに背を向けて、その場を去った。
飲み物をもらって一息吐くと、イートン侯爵令息がやってくるのが見えて、飲み終えたグラスを給仕に返した。
「ウェバー伯爵令嬢、先程はお疲れ様」
「お恥ずかしいところをお見せしました」
「君は悪くないさ。見ていた人は皆、わかっているだろう」
「そうだと嬉しいです」
ふと、イートン侯爵令息が表情を引き締める。
「ところで、一曲お願いしてもいいだろうか」
「喜んで」
イートン侯爵令息の手を取ると、ダンスホールへと向かう。
曲が終わったタイミングで、踊っている人達と入れ替わり、フロアに立った。
こうして誰かと踊るのは授業以来だ。
「お上手ですね」
「ウェバー伯爵令嬢に褒められると嬉しいな。……練習したんだ」
そう言われ、思わず彼の顔を見つめる。
少し色づいた目元に、彼がお世辞ではなく、本当にそう言ってくれているのがわかって、私も何も言えなくなってしまう。
(どうして、そんなこと……)
ただ、そう言われて悪い気はしなかった。
そんな私に、イートン侯爵令息が言う。
「それに、今日のドレス、とてもよく似合っている」
「自分で選んだので、嬉しいです」
婚約も解消し、家を背負うことはなくなるからと、思い切って自分が好きな色を選んだ。
今までは、伝統がとか、あなたは濃い色の方が似合うからと、全然、好みではないものを着せられていた。
今日はドレスの色は同じ緑色の系統だけれど、若草色の明るいドレスは、自分でもいつもよりも顔色がよく見える気がする。
形も流行を取り入れ、軽やかな形のものだから、余計にそう思うのかもしれない。
(侯爵令息も、礼装がとてもお似合いだけれど……)
それを口にする前に、気が付けば一曲終わっていた。
「よかったら、少しあちらで話をしないか?」
誘われたのが庭園の方だったこともあり、少し迷ったものの頷いた。
(庭園なら、二人きりとは言われないし……)
婚約がなくなったとはいえ、男性と二人きりになるのはあまり褒められた行動ではない。
外に出てみると、庭園のあちこちにかがり火が焚かれ、ホールの明かりが漏れていることもあり、そこまで暗くはなかった。
明るい道を進み、噴水の前に辿り着くと侯爵令息が足を止めた。
「少し、私の話をしてもいいだろうか」
「もちろんです」
「私に半分血が繋がった、年の離れた弟がいるという話は、知っている?」
頷くと、侯爵令息は続ける。
「弟が生まれた時、私は既に跡継ぎ教育が始まっていた。最初はそれでよかった。しかし、両親は弟が育つにつれて、弟に跡を継がせたいと考えるようになっていったんだ。けれど、弟がどう育つかわからない。だから、私への教育はそのまま施され、学園でも領主課を選ぶよう言われたんだ」
「それは……」
「中途半端なことをせず、いっそ早く跡継ぎから外してほしいと頼んだよ。けれど、おまえに与えた教育を無駄にしたくないなどと言われ、認めてもらえなかった」
「そんな環境で、頑張っておられたのですね」
結局は取り上げられてしまうかもしれないもののために、どうしたら腐らずにいられたのだろう。
そのことを、純粋にすごいと思う。
「文官試験があることを知っていたからね。両親は、見栄っ張りで世間体を気にする人達だから、私が王宮勤めになると知れば、喜んで手放してくれるだろうと思って、頑張ったんだ」
「そうだったのですか」
「それと、ウェバー伯爵令嬢の存在のこともね。頼りない婚約者のせいで、ずっと気を張って勉学に励んでいただろう。逆境の中、頑張る姿に、勝手に同志のように思っていた」
思いがけないことを言われて目を瞬かせる私に、イートン侯爵令息は続ける。
「私は侯爵家を継ぐつもりはない。けれど王宮で長く勤め役職が上がれば、爵位をもらえる。そこまで頑張るつもりだ。私に足りないものが多いということはわかっているが、ウェバー伯爵令嬢、どうか私と将来を考えてくれないか?」
「……私でよろしいのですか? 爵位をもらうほどの文官になれば、よい縁談などいくらでもあるでしょう」
「ウェバー伯爵令嬢がいいんだ。君となら、私は何があっても、頑張れる。それに、ずっと思っていたんだ。私が君の婚約者なら、もっと大事にするのにと――」
真っ直ぐに見つめられ、頬が赤くなるのを止められなかった。
「私は、イートン侯爵令息に以前ハリス子爵令息の方が頑張るべきだと言ってもらえて、心が楽になりました。それまでは、全部私が背負わなければならないと思っていて、でも必ずそうしなけれいけない理由はないと気が付いたのです。文官の試験も、教えていただけなければ、気が付かないままだったでしょう」
「きっと、ウェバー伯爵令嬢が侍女を目指していると知ったら、私が声をかけなくても、教師の方から声がかかったよ」
「ですが実際に声を掛けてくださったのは、イートン侯爵令息です」
私は一呼吸置いて、その言葉を口にする。
「お申し出、とても嬉しいです。これからどうぞよろしくお願いいたします」
「ありがとう、イヴェット嬢」
「いいえ。私も、エルネスト様とであれば、きっと何があっても頑張れると思うのです」
感動したように私を見つめ、イートン侯爵令息は言う。
「イヴと呼んでも? 私のことは、エルと呼んで欲しい」
「わかりました。エル様」
「様はいらないよ。イヴ」
優しく手を取られ、手の甲に口づけを落とされる。
元婚約者にもそんなことをされたことがない私は、どうしていいのかわからない。
固まる私に、イートン侯爵令息は微笑む。
「ふふ、動揺している姿もかわいいね」
「か、からかわないでくださいませ」
「そういうつもりはないけれど――。もう一曲、踊りにいかない?」
「構いませんが……」
先程も踊ったのにと首を傾ける私に、彼は囁く。
「これ以上二人きりだと、もっと困らせてしまいそうだから」
「――っ!」
「ずっと、好きだったんだ。こうして、気持ちを伝えることができて嬉しい」
私は頷くだけで精一杯だったけれど、イートン侯爵令息はそれだけで今は十分だと嬉しさのにじむ瞳で微笑みかけてくれる。
そのことに心の奥があたたかくなるのを感じながら、私達は明るいホールの方へと戻るのだった。
お読みいただき、ありがとうございました!
今作は実妹に婚約者を取られていますが、
異母妹に婚約者を取られる長編作品も連載を始めたところです。
骸骨公爵の体調管理をしたら、超絶美形になった彼から溺愛されました ~「平凡聖女」だと婚約破棄をされましたが、私は幸せになってもいいようです~
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