最後の誕生日
「今年の誕生日は、何がいい?」
夫にそう聞かれて、妻は少し考えた。
「うーん……家族でご飯食べられればいいかな」
離婚が決まっていた。
正確には、あと半年。
子どもの卒業を待って、その後に離婚する。
そういう約束だった。
妻は、離婚すること自体にはまだ現実感がなかった。
半年後の話だと思っていた。
だから、その日の誕生日も、いつもと同じように過ぎていくものだと思っていた。
夫が予約した店で、家族四人で食事をした。
子どもたちからプレゼントをもらい、夫からも小さな箱を渡された。
「ありがとう」
妻は笑った。
「来年も、またこうやって祝えたらいいね」
何気なく言った言葉だった。
夫は一瞬だけ黙った。
「……」
返事はない。
それから、いつものように笑った。
妻は気づかなかった。
夫は、その日を特別な日にしていた。
家族で祝う、妻の最後の誕生日。
来年の誕生日には、もう自分は夫ではない。
子どもたちが母親の誕生日を祝うことはあるかもしれない。
けれど、四人で食卓を囲み、夫として妻の誕生日を祝うことは、もう二度とない。
だから、店を選んだ。
だから、プレゼントを買った。
だから、写真も撮った。
妻は何も知らずに笑っていた。
「来年はどこ行こうか」
帰りの車の中で、妻が言った。
「誕生日。来年は旅行とかもいいよね」
夫はハンドルを握ったまま、前を見ていた。
「……」
返事はなかった。
妻は、来年の予定を考えていた。
夫は、最後の思い出を胸にしまっていた。
同じ車の中にいるのに、二人が見ている未来は、もう違っていた。
その夜、妻はもらったプレゼントを眺めながら眠った。
来年も、きっと祝ってもらえる。
来年も、家族で笑える。
そう思っていた。
一方、夫は一人で写真を見返していた。
今日の妻の笑顔。
子どもたちの笑顔。
そして、自分の笑顔。
写真の中では、まだ家族だった。
夫はスマートフォンの画面を消した。
「終わった」
小さく呟いた。
妻は、来年も続くと思っていた。
夫は、これが最後だと知っていた。
同じ誕生日を祝っていたのに。
妻にとっては、未来へ続く一日。
夫にとっては、過去になる一日だった。
そして半年後。
離婚届に名前を書いたとき、妻は初めて気づいた。
あの誕生日が、本当に最後だったのだと。
あの日、夫が少しだけ寂しそうに笑っていたことを。
「来年も出来たらいいね」と言ったとき、夫がすぐに答えなかったことを。
けれど、もう遅かった。
あの誕生日は、もう二度と戻ってこない。
妻が「来年も」と思っていたその日を、
夫は「最後」として、心の中にしまっていた。




