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名前も存在もない俺だけが、世界を書き換えられる件 ―観測されない男は、すべての記録を上書きする  作者: 空城ライド


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第6話 残したものの重さ

 上の階の騒ぎは、まだ収まっていなかった。


 怒鳴り声は消えたが、代わりに低いざわめきが続いている。

 誰も状況を理解できていない時の音だ。


「……様子、見てきます」

 ミハイルが言った。


「一人で行くな」

「でも」

「俺も行く」


 言ってから、自分で少し驚いた。


 今までなら、わざわざ関わりに行くことはなかった。

 どうせ誰も俺を覚えない。なら、関わる理由もない。


 だが今回は違う。


 “関わった結果”が、上で起きている。


 無視していい範囲を、越えている。


「……わかりました」


 ミハイルが頷く。


 二人で階段を上る。

 足音が、やけに重い。


 さっきまでは、軽かったのに。


 ――残したからだ。


 曖昧な状態を。


 途中で投げた結果を。


 それが、今の“重さ”だ。


 階段を抜け、一階へ出る。


 人が集まっていた。


「どいてください!」

 ミハイルが声を上げる。


 人垣を押し分けると、床に補佐官が横たわっていた。


 顔色は悪い。

 だが、完全に死んでいるわけではない。


「……脈は?」

「ある! あるが……弱い」

「医務室を呼べ!」

「呼んでる!」


 典型的な混乱だ。


 誰もが正しいことをしている。

 だが、全体としてはまとまっていない。


 俺は少し離れた位置から、様子を見る。


 近づきすぎると、余計な影響が出るかもしれない。


「……あ」


 ミハイルが小さく声を漏らした。


「何だ」

「さっきと……違う」


 視線を辿る。


 補佐官の周囲に、数冊の帳面が落ちている。

 そのうちの一つ――叙任記録。


 さっき俺が触ったものだ。


 ページが開いている。


 死亡記録。


 そして、その横の補足。


 一時的死亡扱い。


「……まだ、残ってるな」


 当然か。

 俺が消していない。


 だが。


「なんか……薄くなってません?」


 ミハイルが言う。


 よく見ると、確かに。


 補足の文字が、少しだけ霞んでいる。


 消えかけているような。


「……観測、か」


 思い出す。


 あの男の言葉。


 観測されると、固定される。

 逆に、観測されなければ――


「戻るのか?」

 ミハイルが聞く。


「わからない」


 だが、変化しているのは確かだ。


 そのとき。


「どいてくれ」


 低い声が響いた。


 人垣が割れる。


 白衣の男が入ってきた。


 医務官だ。


「状況は」

「急に倒れた! 原因不明だ!」

「……ふむ」


 医務官はしゃがみ込み、補佐官の状態を確認する。


 脈、呼吸、瞳孔。


 一通り見てから、小さく息を吐いた。


「……妙だな」


「何がですか」

 誰かが聞く。


「生きているが、反応が薄い」

「それは」

「“半分だけ落ちている”ような状態だ」


 その表現に、ミハイルがびくりとした。


 俺も、少しだけ目を細める。


 的確だ。


 まさに、そういう状態にした。


「原因は?」

「わからん」


 医務官は首を振る。


「だが、外傷はない。毒でもない。となると……」


 言いかけて、視線が帳面に落ちる。


「……記録、か?」


 その言葉に、周囲がざわめいた。


「記録だと?」

「そんなわけが」

「いや、だが……」


 疑いが、広がる。


 いい傾向ではない。


 “記録”に原因を求め始めると、話は面倒になる。


 俺は一歩、後ろに下がった。


 これ以上、ここにいるのはよくない。


「……戻るぞ」

 小声でミハイルに言う。


「え、でも」

「今は離れる」


 ミハイルは少し迷ってから、頷いた。


 二人でその場を離れる。


 階段を下りる途中、ミハイルが口を開く。


「これ……どうなるんですか」


「わからない」

「戻るんですか」

「たぶん」


 だが、完全には戻らない気がする。


 さっき見た文字。


 薄くなっていた。


 つまり。


「……影響は残る」


「え?」

「完全には消えない」


 ミハイルが黙る。


 その沈黙は、重かった。


 地下に戻る。


 いつもの部屋。


 変わらないはずの空間。


 だが、やはり違う。


 机に近づく。


 引き出しを開ける。


 黒い台帳。


 開く。


 空欄の行。


 その下。


 文字が、増えている。


 軽微な改訂権限 行使確認。

 対象:叙任記録 一件。

 結果:一時的死亡状態 維持中。

 影響:対象の生命状態 不安定。


 そして。


 新しい一行。


 ――観測減少により、状態変動開始。


「……なるほど」


 これは、固定ではない。


 変動する。


 観測によって。


「どうなってるんですか」

 ミハイルが聞く。


「見えてないなら、説明は難しい」

「雰囲気だけでもいいです」


 少し考える。


「……揺れてる」

「何が」

「状態が」


 ミハイルは理解したような、していないような顔をした。


「じゃあ、どうすれば」

「選ぶしかない」


「何を」

「固定するか、戻すか」


 それだけだ。


 簡単なようで、重い選択。


 そのとき。


 ふと、違和感が走る。


「……あれ」


「どうしました」

「さっきより」


 言いかけて、止まる。


 ミハイルが、こちらを見ている。


 さっきより、はっきりと。


「……名前、なんでしたっけ」


 今度は、迷いが少ない。


 口に出そうとしている。


「言えそうです」


 その言葉に、心臓が少しだけ強く鳴る。


 俺は、少しだけ考えてから。


 口を開いた。


「……アーカス」


 初めて、自分で名乗った。


 その瞬間。


 空気が、わずかに変わる。


 ミハイルの目が、揺れる。


「アー……カス」


 ゆっくりと、繰り返す。


「……覚えた」


 その一言が、やけに重かった。


 俺は、少しだけ息を吐いた。


「……なるほど」


 記録されていないはずの名前が。


 今、誰かの中に残った。


 これは。


 変化だ。


 確実な。


 だが――


 その瞬間。


 頭の奥で、何かが軋んだ。


「……っ」


 軽い痛み。


 ほんの一瞬。


「どうしました!?」

「いや……なんでもない」


 だが、違和感は残る。


 台帳を見る。


 新しい文字が、増えている。


 ――名称一時記録:一件。


 そして、その下に。


 ――影響:観測者への負荷 発生。


「……代償か」


 小さく呟く。


 ミハイルは、まだ俺を見ている。


 さっきより、はっきりと。


 そして、少しだけ苦しそうに。


「……頭、痛いです」


 そう言った。


 俺は少しだけ目を細めた。


 なるほど。


 これは。


 ただの“名前”じゃない。


 関わるものを、削る。


 少しずつ。


「……やっぱり、軽微じゃないな」


 そう呟いた時。


 扉の向こうで、また足音がした。


 今度は、さっきよりも速い。


 そして、複数。


「地下三階!」

「例の件だ!」

「記録を確認しろ!」


 声が近づく。


 俺は台帳を閉じた。


 どうやら。


 “軽微”では済まなくなってきたらしい。

読んでいただきありがとうございます。


 少しずつ、できることと代償が見えてきました。

 名前を持つこと、それを覚えられること。


 その一つ一つが、何かを削っていくようです。


 ここから少しずつ、状況は広がっていきます。

 もし続きが気になれば、ブックマークや評価で応援してもらえると嬉しいです。

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