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名前も存在もない俺だけが、世界を書き換えられる件 ―観測されない男は、すべての記録を上書きする  作者: 空城ライド


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第4話 観測される存在

「――お前は、存在していいのか」


 そう言われた瞬間、空気が一段冷えた気がした。


 問いの形をしているが、これは確認ではない。

 判断だ。


「どう思います?」

 俺は聞き返した。


 黒い外套の男は、わずかに目を細める。

 視線は一度も揺れない。


「お前が何をしたかは、記録で追える」

「追える?」

「叙任記録の改訂。帳簿の不整合修正。どちらも“軽微”だが、連続している」


 軽微、という言葉に、少しだけ引っかかる。

 俺が見た台帳の表現と同じだ。


「……それで?」

「軽微な改訂は、通常“痕跡が残らない”」

 男は一歩近づいた。

「だが今回は違う。痕跡がある」


 背筋に、薄いものが走る。


「どこに?」

「ここに」


 男は指で、自分のこめかみを軽く叩いた。


「観測された」


 ミハイルが息を呑む。

「観測……?」


「人間の記憶だ」

 男は淡々と言う。

「本来、改訂は“なかったことになる”。だが、今回は“違和感”として残っている」


 確かに。

 さっきの叙任記録の件、あの場にいた全員が、完全に忘れたわけではなかった。

 曖昧に、だが“何かおかしい”という認識が残っていた。


「つまり、お前の改訂は不完全だ」


 断定された。


「不完全、ね」

「本来の手順を踏んでいない」


 手順。

 そんなものがあるのか。


「教えてくれるんですか」

「教える理由がない」


 当然だ。


 男はしばらく俺を見て、それから少しだけ視線を動かした。

 ミハイルの方へ。


「お前は?」

「えっ、あ、はい! 自分はただの書記生で――」

「お前は覚えているのか」

「な、何をですか」

「こいつを」


 ミハイルは、固まった。


 ゆっくりと、俺の方を見る。


 その視線は――


「……見えて、ます」

 かすれた声で言った。

「さっきより、はっきりと」


 男は、わずかに眉を上げた。


「興味深い」


 そして再び、俺を見る。


「通常、記録にない存在は認識されない」

「そうらしいですね」

「だが、お前は“観測され始めている”」


 その言葉は、妙に重かった。


 観測。

 さっきも出てきた言葉。


「観測されると、どうなる」

「固定される」


 短い答えだった。


「存在が、確定する」


 胸の奥が、少しだけざわつく。


「いいことじゃないですか」

「必ずしもそうとは限らない」


 男は、わずかに首を振った。


「記録にないものが記録される時、それは“例外”になる」

「例外」

「例外は、修正される」


 修正。


 その単語が、やけに重く響く。


「つまり?」

「消される可能性がある」


 ミハイルが息を詰めた。


 俺は少しだけ考えてから、肩をすくめた。


「今までと変わらないな」

「違う」


 男は即答した。


「今までは“いないもの”だった」

「今は?」

「“いるべきでないもの”だ」


 言い方が変わっただけのようで、実際には大きく違う。


 存在しないものは、無視される。

 だが、存在してはいけないものは――排除される。


「それで?」

 俺は言った。

「あなたはどっちですか」


 男は、ほんの一瞬だけ間を置いた。


「観測者だ」

「便利な立場ですね」

「仕事だ」


 それ以上でもそれ以下でもない、という顔だった。


「じゃあ、どうするんです」

 ミハイルが割り込んだ。

「この人を消すんですか!?」


 男はミハイルを見た。

 その視線は冷たいが、敵意はない。


「現時点では判断しない」

「よ、よかった……」


「ただし」

 男は続ける。

「確認はする」


 その言葉と同時に、男の手が動いた。


 懐から、薄い帳面を取り出す。

 黒い台帳とは違う、もっと簡素なもの。


「それは?」

「観測記録だ」


 嫌な予感がした。


「動くな」

 男が言う。


 別に動く気はなかったが、そう言われると少しだけ動きたくなる。


 男は帳面を開き、何かを書き込む。

 その瞬間――


 空気が、変わった。


 軽くなったような、重くなったような、妙な感覚。


「……今、何を」

 ミハイルが震える声で言う。


「観測した」

 男はペンを止めた。

「これで、お前は“記録された”」


 その言葉と同時に。


 頭の奥で、何かが鳴った。


「――っ」


 視界が揺れる。

 床が遠くなる。


 これは、さっきとは違う。


 改訂の感覚ではない。

 もっと、直接的な――


「おい、大丈夫か!?」

 ミハイルの声が近い。


 俺は机に手をついて、なんとか立つ。


「……問題ない」


 だが、何かが変わった。


 はっきりと。


 さっきまでとは違う“重さ”がある。


 自分の輪郭が、少しだけはっきりしたような感覚。


「どうだ」

 男が聞く。

「何か変わったか」


「……少しだけ、いる気がする」


 自分でも妙な言い方だと思う。


 だが、それが一番近い。


 男はそれを聞いて、小さく頷いた。


「やはりな」


 そして、帳面を閉じる。


「観測された存在は、完全には消えない」

「さっきと言ってること違いません?」

「消えにくくなる、が正しい」


 なるほど。

 曖昧だ。


 だが、少なくとも。


 完全に消される前に、何かができる余地がある。


「……で」

 俺は言った。

「あなたは何がしたい」


 男は少しだけ考えてから、答えた。


「確認だ」


 また同じ言葉。


「お前が“どこまでできるか”」


 嫌な予感しかしない。


「やってもらう」

「何を」

「改訂だ」


 男は、懐からもう一枚の紙を取り出した。


「この記録を」


 差し出された紙を見る。


 そこに書かれているのは――


 名前。


 所属。


 そして、死亡記録。


「……これ」

 ミハイルが顔を歪める。

「この人、生きてますよ」


 そう。

 俺も知っている。


 ついさっき、上で怒鳴っていた補佐官の名前だ。


「これを、どうしろと」

「書き換えろ」


 男は言った。


「死亡を、成立させろ」


 空気が、凍る。


「……冗談きついですね」

「冗談ではない」


 男の目は、一切揺れていない。


「できるかどうか、見せてもらう」


 ミハイルが俺の袖を掴む。

「やめましょう、これ絶対ダメなやつです」

「そうだな」


 俺は紙を見る。


 死亡記録。


 さっきまで、軽微な修正だった。


 だがこれは違う。


 人間一人の、生死。


 それを、書き換える。


「……未指定、か」


 黒い台帳の言葉が頭をよぎる。


 選べる。


 何を、どこまで、どう変えるか。


 男は静かに言う。


「やらなければ、お前はここで終わる」

「脅しですか」

「確認だ」


 同じ言葉を繰り返す。


 だが、意味は変わっている。


 俺は少しだけ考えてから、息を吐いた。


「……わかった」


 ミハイルが驚く。

「えっ」

「ただし」


 男を見る。


「やり方は、俺が決める」


 男は、わずかに目を細めた。


「いいだろう」


 俺はペンを取る。


 紙に触れる。


 死亡記録。


 重い。


 さっきとは比べものにならない。


「――さて」


 俺は小さく呟いた。


「どこまでなら、許される」


 ペン先が、紙に触れる。


 その瞬間。


 また、何かが動いた。

 読んでいただきありがとうございます。


 “軽微”だった改訂が、少しだけ重くなりました。

 できることが増えるほど、選ばされることも増えていきます。


 次は、初めての「大きすぎる改訂」です。

 その結果が、少しだけ見えてきます。

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