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70年代学徒の君たちへ

作者: 御稜 東
掲載日:2025/12/31

遠い昔、日常にあった「学生運動」。これもある意味、”戦記”にならないだろうか。そんな思いで書いてみました。

第1章 民代の場合


 「こんな形で再会するとはね。」


とある警察署の霊安室。死者の身元確認に来たのは、矢部民代、40歳。民代を待っていた行田は、死者の顔を覆っている布を外す。“確認するまでもないか…。”内心、こう思いつつ、手続きは踏まないといけない。

「はい、息子に間違いありません。」

行田はまた布を顔に戻しながら、深いため息をついた。意外にも、民代は取り乱しもせず、ただ冷たくなっている息子を凝視している。なりふり構わず大泣きするとか、息子の名を叫ぶとか、そんな光景を想像していたのだが、違っていた。

「あんた、冷静だね…。」

「この子は…、道男は、どんなご迷惑をお掛けしたんでしょうか。」


2年ほど前になるか。当時、少年課にいた行田は、道男少年を補導したことがある。中核派学生の伝令役、要は“使いっ走り”であった彼を捕まえたのが行田だった。あの頃は、学生運動が徐々に過激になり、“武闘派”学生が増加して、派閥も枝分かれして複雑になってきた頃だった。道男少年は高校生。大学生ほどの思想があったとは思えないが、何か惹かれるものがあって“使いっ走り”として加わっていたのだろう。ゲバ棒、火炎瓶、道端の石ころひとつでも凶器になる時代だった。芥川龍之介ではないが、もはや戦後も終わりと言われ始めた頃、若者の間には“ぼんやりとした不安”が蔓延するようになったのだろう。これは、あくまで行田の個人的な感覚に過ぎない。行田自身、軍国少年だった自分を今の世にどう適応させていいのか、わからなかったのである。警察という組織を選んだのも、何か明確な“正義”、“大義”を示してくれるだろうとの思いからであった。

「時の世に惑わされるのは、ご免だ…。」

良い世の中にする。悪いやつを捕まえる。明々白々ではないか。こんなことを言い聞かせながら、日々の務めを果たしている。

 初めて道男少年と会った時のことを、行田は鮮明に覚えている。まだあどけない、あんな過激派たちに交じって機動隊に向かって攻撃をしてくるような殺気など微塵もない。

「おい、なんであんな所にいた?」

「…。」

「何しにあそこにいた?」

「…。」

「ん?」

行田の低音は、特に声を荒げなくても一少年をビビらすには十分だった。初めての補導にワナワナと身体を震わせ、気付けば失禁していた。

「はぁ…。お前、まだ高校生くらいだろう?」

「はい…。」

「なんで、あんな騒乱の中にいた?」

「…伝令を…。」

「伝令?何を伝えにだ?」

「ぼ…僕にも分かりません。ただ、紙を渡されて…それを…。」

「で、その紙切れは?」

「つ…捕まった時に…捨てました…。」

はぁ、とため息をつく。多分、これ以上訊いたところで、少年からは何も有益な情報などつかめないだろう。

「…。ここに親の名前と連絡先を書け。」

「えっ…それだけは…。」

「未成年のくせに何を言うか!“使いっ走り”のお前なんかは“説諭”で釈放だ。」


 しばらくして、母親が迎えに来た。民代だ。

「この度は、この子が本当にご迷惑をお掛けして…。申し訳ございません。」

深々と頭を下げる母親の姿。さすがに少年も母を直視できなかったようだ。

「今回は、特に暴力沙汰を起こしたわけでもありませんし。これに懲りて、もう学生運動には関わらせないように。」

少年は、頭は下げない。ちょっとしたレジスタンスか。さっき小便漏らしたやつが、この期に及んで…。かわいらしいもんだ。民代は少年の頭を強引に下げさせると、署を後にした。

これが、道男少年と民代との出会いだった。


 今にして思えば、あの時もっと厳しく取り締まれば良かったのか?目の前の道男少年は、既に“少年”ではなく、立派な“武闘派学生”となっていた。新宿騒乱で“使いっ走り”だった少年が、武装した姿で(むくろ)となっている。たった数年の間に何があったんだ。

「矢部さん、俺はね、こんな姿で道男少年が戻ってくるとは思ってなかったよ。」

「この子は…、闘うために大学へ行ったんですかね。私にはもう…分かりません。」

「あんた、この子の母親だろう!?そんなこと言うなよ!」

「行田さん…。この子の闘う“大義”って何なんでしょうね…。」

「さぁ。俺は道男少年ではないから。」

「私の兄は…学徒動員で特攻に行ったんですよ。勿論、帰っては来ませんでした…。あの頃は、まだ私も幼くて、ガクトドウインの意味さえ分からなかった。大学で好きな日本文学を学べると喜んでいたのに…。」

「…。」

「少なくとも、あの頃は“お国のため”という“大義”がありましたよね。道男は…、道男は何のために闘ったんでしょうね。」

「…。」

「兄は、大学へ行きたくても戦わなくてはならなかった。道男が…もし闘うために大学へ行ったのなら、私はもう、道男を息子とは思いたくありません…。」

「あの戦争と学生運動を同じに語るのは、違うんじゃないのか?」

「…母親にしてみれば、同じですよ。今じゃ、どんどん過激になってきて、まるで戦争じゃないですか。国に動員されていないだけ…。」

「俺はやつらの対極にいる人間だから、やつらの思想はわからねぇよ。ただ、もし大義とやらがやつらにあるとしたら、やつらにとっての“正しい世の中にする”ってことなんじゃないか?」

「…それは、命を捨てる価値があるものなんでしょうか…。」

「それはどうだろうな。俺にはわからん。」

「なぜ、武器を持たないと変えられないと思うんでしょうね…。もし、兄がここにいたら、道男をどう思ったでしょうね…。この子は、本当にバカな子ですよ…。」

民代はそう言うと、わが子の顔を撫でながら、やっと声をあげて泣いた。


 学生運動が過激化する一方で、“シラケ”という熱狂への冷笑感も漂いつつある。そんな時代が交差する中、道男少年は“武闘派学生”として圧死した。無数の学生と機動隊に揉みくちゃにされて、名もない学生が命を落とした。新宿騒乱や安田講堂事件があっても、結局事件のインパクトが大きかっただけで、政局に影響を与えたわけではなかった。

“そんなに熱くなって、何が出来るって言うの?”みたいな学生も、増えてきたわけだ。

特攻隊の兄を持つ民代の息子が、学生運動の闘士。こんな皮肉があるのか。民代ではないが、道男少年にとっての学生運動の“大義”ってなんだったんだ…。行田はひとり、タバコをくゆらしながら、補導したあの頃の道男少年に思いを馳せていた。


 道男少年の死後まもなく、「あさま山荘事件」が起きた。こんな凄惨な事件を学生が起こすことになるとは。さすがの行田も、もはや学生を“学生”ととらえてはいけない、もう俺たちの知らない“学生”の名を語るバケモノがいることを意識せざるを得なかった。

鉄球が山荘を打ち砕く中継を見ながら、行田は独り言ちた。

「道男は…こんな事件を経験しなくてよかった…。」



第2章 美樹の場合

 私の住んでいる場所は、とある大学の校舎が密集した学生街だった。家の前は法学部の校舎、小学校の通学路にも法学部の校舎があり、小学校のとなりは大学の本部らしき建物があった。時々、おまわりさんに“今日はデモ隊が通るので、通学路を変えて下さい”と言われることがあった。いつも一緒に学校へ行く友達の家で待っていると、長い髪の毛の男の人たちがたくさん、何かを言いながら集団で歩いてくる。これが、おまわりさんの言ってた“デモ隊”なのか?特別、危ない感じもしなかったけど、この集団の間を通って学校に行くこともむずかしいなぁ。当時、小学3年の私が思うことは、こんなことくらい。そう言えば、通学路の大学の壁には「成田闘争」とか「三里塚集結」という立て看板が何枚もあった。独特の書体なので、意味は分からなかったけど、ずっと記憶に残っている。

 ある日のこと。のぶお、トヨちゃん、やっちゃん、私のいつもの4人で下校する。すると学校のとなりの建物の周りを、パトカー、消防車、救急車が何台も取り囲んでいるのが見えた。当然、野次馬のような人だかりも。その視線はみな、建物の上にいる男の人に注がれていた。

「無駄な抵抗はやめなさい!早く降りて来なさい!」

「これは抵抗ではない!たったひとりでも、伝えるべきことがあり、ここにいる!私は…のために…を訴え…」

男の人が何を叫んでいるのかよく聞こえなかったが、そのうちタンクの液体を自分にかけると自らに火をつけ、火だるまになった体が落ちていくのが見えた。

私たち4人は、怖いのに目を背けることが出来ず、互いの手を握り合ってかたまってしまった。

「ねぇ…今のなに?」

「わからねぇ…。」

「自分に火をつけたのか?」

「こわい…こわいよ、美樹ちゃん。どうしよう…。」

そのうち、ものすごいサイレンの音で私たちの声などかき消されてしまい、どのようにして家に帰ったかもわからなかった。とにかく、4人で必死に帰った。途中の記憶など、まったくない。


 小学3年の強烈な記憶があって、なんとなく「学生運動」というものに興味を持った。私が生まれる前は、もっと違ったものだったようだ。日米安全保障条約の不平等性に対する国民的運動の要素もあったように理解している。だが、70年代に入ってからは、同じ安保闘争でも大分意味が変わったようだ。安保条約への反対理由も抽象化してきたというか、60年代よりも国民的運動の色が薄くなり、より武力的な過激なものへと変化していったと聞いた。1972年に起きた「あさま山荘事件」は、生まれていたとはいえまだ私は幼くて、その凄惨さは知らない。ただ、この事件が70年代の学生運動・新左翼運動の終焉のきっかけになったということも分かった。小学生の自由研究で書けるような内容ではないので、あくまで自分の中にだけ。

 ただ、自分でも不思議なのは、“魔に魅せられる”ではないが、何か惹きつけられるものがあった。その“何か”は、現在に至っても分からない。過激さを増していく学生のエピソードをみると、学生運動に参加する前はとても純粋なお嬢様だったとか、勉強好きの地味な学生であったとか、あのような事件とは無縁そうな人たちだったのに。何をきっかけにあんな残酷な「総括・粛清」を行えるようになったのか。人って、変われば変わるもんなんだな。もしかして、私にもそんな要素はあるのだろうか。随分あとになって、中心メンバーの女性の刑が確定された頃、「実はリーダーの男性に認められたくて、とにかくストイックに活動にのめりこんだ」、という記事を読んで、呆気にとられた。見方によっては単なる“ゴシップ記事”にも読めるが、私自身は逆にそういう理由の方がまだ理解出来そうな気がした。

 急に、こんなつまらないことを思い出した。高校2年の生物の、カエルの解剖の時のこと。最初は先生の説明もきかず、大半が“かわいそう”とか“残酷で出来ない”なんて騒いでいるのだが、

「お前らな、最初はそんなこと言ってるけど、いざ解剖が始まると“ここ切ったらどうなるかな?”とか、“ここも切ってみようよ”なんて言い出すんだぞ!女の方が残酷だよ。」

と言っていたことがある。実際、その通りになった。男性に認められたくて、ストイックに残酷になっていく女性…、女の方が残酷って、こういうことなのだろうか。


 この焼身自殺学生の記憶もあり、“大学は絶対に違うところへ行く”と思っていた私は、なぜかこの大学へ進学することになった。既に自宅は引っ越して、あの大学村ではない。80年代に大学へ入学した私に、衝撃的な光景が目に飛び込んできた。入学式会場の入り口の半分以上を機動隊がガードしているではないか!

“え?もう学生運動は終わったんじゃないの?”

聞けば、まだ残党が活動しているという。その証拠に、私が通う学部の校舎の中にまだアジトがあり、ヘルメット姿の学生が秘かにビラを配っていた。デジャヴか?

「ここはね、学生運動って言っても、もうパフォーマンスみたいなもんよ。」

と先輩が言っていた。それこそ、学生運動全盛期の頃のウチの学部は、“パフォーマンス”としてより過激さを追求して凄惨を極めていたらしい。

学生運動への私の好奇心が、ここへ引き寄せてしまったのだろうか。


 あの、火だるまの学生は、何を訴えていたのだろう。色々な音が悲痛な叫びをかき消していたけれど、身を賭しても伝えたかったこととは、一体なに?70年代は、学生運動が下火になっていく時代だ。その中で、無名の一学生が訴えたかったことは?あなたの命は?どうして、人生の中のほんの一瞬でしかない“大学生”を謳歌することを選ばなかったんだろうか。


70年代学徒のあなたは、何と闘っていたの?

あの頃も今も、やはり答えは分からない。

「ねぇ、美樹ちゃん…。あの人、なんで自分に火をつけたの…?」


お読み頂き、有難うございます。

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