17話
私は口笛を吹くふりをして視線を反らす。
「ぴゅー、えっと、よく、わからないれしゅ」
すると、メアリー様がニヤニヤと微笑みながら呟いた。
「七歳と三歳なら、婚約者としてもいいんじゃないかしらぁー?」
そう呟かれ、私はギョっとする。
いやいやいや。私は王子様の婚約者とかは無理である。
「とにかく、これから、良き友としてよろしくお願いしますね」
エトワール殿下の微笑みが、ちょっと怖く感じたのであった。
その後、私達がお喋りをしている間に、エトワール殿下の連れてきていた侍女さんや侍従さんの手によって私の住む屋敷の中は、埃まみれから、ピッカピカに進化した。
「うわぁぁぁぁぁぁぁあ!」
お見送りの際に一階に降りた私は、その様子にビックリである。
「あ、ありがとうございましゅ! ピカピカでしゅ!」
興奮して私がぴょんぴょん跳ねながらそう告げると、エトワール殿下が私の頭を撫でた。
「ふふっ。ココレット嬢はとても可愛らしいですね」
「ふぇ? えへへ。うれしいれしゅ」
こんな美少年に頭をポンポンされてしまった。
へらへらとしていると、横からコホンとリヤンが咳払いをする。
私はハッとして顔を引き締めると、ちらりとエトワール殿下がリヤンを見る。
「彼は、ここに勤めて長いのですか?」
「えっと、いえ、ここ最近れしゅ」
「ふむ」
澄まし顔のリヤンとエトワール殿下が視線を交わしあう。
なんだか背中の辺りがむずむずする。
すると、メアリー様が私の横にきて囁いた。
「男同士、何かあるのかしらね?」
何かとはなんだろうか。
「ココレット嬢は、なかなか大変な境遇にいるようだけれど、よく支えてあげてほしい」
エトワール殿下がリヤンにそう告げると、リヤンは一瞬、ニヤッと笑みを浮かべそうになるが、口元に手を当て、咳をするふりをしてそれをごまかすと言った。
「もちろんでございます。私はお嬢様を一生お世話する所存です」
「一生?」
「はい。私の命はお嬢様と共にございます」
「大袈裟な男なのだな。だが、ココレット嬢に味方がいて嬉しく思うよ」
エトワール殿下は私に向き直ると言った。
「ではココレット嬢。これからも友としてよろしく頼みます」
「あい! よろしくお願いしましゅ」
私達は別れの握手を笑顔で交わしたのであった。
外へ私は出られないので、入り口でエトワール殿下とメアリー様を見送った。
二人が帰ると屋敷内に、静けさが戻る。
私はきれいになった屋敷を見つめ笑みを浮かべた。
「たくさんで掃除すると、こんなに早く綺麗になりゅのねぇ」
「本当だな」
「リヤン、ずっとと気になってたけど、その格好……しゅてき」
「ふっ……きまってるだろ?」
「きまってるぅー!」
「だろー?」
私達は笑みを交わしあって、二人きりの時間に戻ったのを実感したのであった。
ただ、それから数日と経たないうちに、エトワール殿下から遊びにおいでとお手紙がくるとは思ってもみなかったのであった。
「ぐぇぇ。やな予感……お友達、早まったかちら」
「ははは。がんばれよ」
笑われたが笑いごとではないような気がしないでもない。
◆◇◆◇
笑顔でココレットと別れたエトワールは、扉が閉まった瞬間、顔から笑顔を消した。
屋敷前には鍵を持った侍女が待機しており、それを一瞥する。
これではまるで幽閉ではないか。
ココレットの置かれた環境はあまりに非情でそれでいて劣悪である。
「いくぞ。報告を」
「はっ。屋敷内を捜索しましたが、他の侍従や侍女、使用人の姿はなく、厨房も使われている痕跡は一切ありませんでした。ただ、厨房にはゴミとしてパンなどだけはありました。また他の部屋はすべて埃が被った状況でした」
「そうか。公爵は?」
「こちらにそろそろ到着されるかと思います」
「私が来たと知り、急いで戻ってきたか。さて、どうしたものかな」
七歳とは思えない様子で、エトワールは少し考えると言った。
「あえて会う必要もないか。帰るぞ」
「よろしいのですか?」
「あぁ。ただ、手紙を残していく。ココレット嬢に迷惑はかけられないからな」
エトワールは侍従と共に馬車へと乗り込むと、手紙をしたためそれを公爵へと渡すようにと公爵家の執事へと手渡した。
公爵が屋敷へ帰ってくる前にエトワールを乗せた馬車は出立する。
馬車の中でエトワールは窓の外を見つめながら、自分の肩へと手を当てる。
「どういうことか……」
全身を襲う倦怠感、頭痛、吐き気、それらが今、一切なく、世界とはこんなにも輝いていたのかと思うほど、視界がクリアに見えていた。
初めて体験した時は、突然のことに思考が追い付かなかった。
だが、二度目の今、明確に思う。
これは偶然ではない。
王家に生まれたものは、皆健康に問題がないとされながらも、長年不調に悩まされ続けている。
エトワール自身も健康には一切問題がないと医師からは告げられていた。
ただし、本当にこれが健康に問題がないのかと思い悩んでいた。
毎日目覚める度に憂鬱で、食欲はないから詰め込むように食べ物を口にする。
世界がまるで色を有していないように見えて、それでも王族として自分を律して生きてきた。
エトワールの症状は王族の中でも極めて重い。
そんなエトワールに絶好調な日など一日もなかったのだ。
一日もだ。
エトワールは瞼を開けると、馬車を止めるように言い、そとに広がる草原へと降り立った。
風が、草原を吹き抜けていく。
空は青く、澄んでいた。
エトワールは、歩く。
足が軽い。いや、体が軽い。
息を大きく吸い込んでも、咳き込むこともない。
暖かな春の日差しが、麗らかな陽気が、エトワールの心を満たしていった。
涙が、ポタリと頬を伝う。
それを傍に控えていた侍従に見られないように拭う。
生きているのが、辛くない。
辛くないというのが、こんなにも楽なのかと、涙が溢れ出てくる。
「うっぅぅぅ……」
気づかれないようにと思うのに、涙がとめどなく溢れてくる。
王族として、王子として涙なんて流してはいけないとそう思うのに。
「……ぅぅ」
辛くない。
辛くないのだ。
涙をハンカチでふき取り、しばらくの間うつむく。
それから爽やかな心の軽さに、エトワールは何度も深呼吸を繰り返す。
ココレット・ゴードン。
ゴードン公爵家の不遇な令嬢。
能力判定の結果を現在、ゴードン公爵は報告を渋り、提出していない。
「どうにかして……王家で引き取れないだろうか。彼女には、何かあるはずだ」
小さな声で呟いてみると、名案のように思えてくる。
あのような場所で暮らすよりもずっといいはずである。
エトワールはそう考えると、深呼吸を繰り返した後に、今後の動き方について考える。
ゴードン公爵に邪魔されないように、どうにか手を打ち王城で引き取れるように動かなければならない。
「父上に相談をしよう」
エトワールはそう決めると、動き始めたのであった。
◆◇◆◇




