約束を破って婚約破棄をした結果
――私は、婚約者が大嫌いだ。
古の約束の下、肥沃な土地を持つ豊かなアポール国は百年に一度、ドルモンド国から姫を正妃として娶らなければならなかった。
そして運が悪いことに、私はそれに当たってしまった。
私には、ファミーナという恋人がいた。
ピンクブロンドのふわふわの髪に、大きなぱちりとした青い瞳の、華奢で愛らしい令嬢だ。
カルタン侯爵家の娘で身分も釣り合っているし、年も同じで、ドルモンド国との約束さえなければ問題なく結婚できる相手だった。
私は、この理不尽な約束を嘆いた。
戦いしか脳のない、野蛮なドルモンド国の姫となど結婚したくなかった。
しかし、ドルモンド国の姫はこの国に来てしまった。
私は王太子として、彼女を迎え入れるしかなかった……。
「初めまして。私は、ドルモンド国の一の姫、アルミナと申します。どうぞ、よろしくお願いいたします」
野蛮なドルモンド国から来た姫は、うねるような赤髪に、勝気そうな金瞳の、女性にしては大柄で粗野な印象を受ける姫だった。
優雅さの欠片もないキビキビとしたカーテシーを執るアルミナに、私は曖昧に微笑んだ。
王太子として、嫌悪の感情を出すことはできない。
「私は、アポール国王太子、マディソンです。よろしくお願いします」
礼儀として手の甲に口づけると、アルミナが顔を真っ赤にした。
ああ、この表情はよく知っている。
私は、透き通るような白い肌に金髪碧眼の美しい容姿をしていた。背もすらりと高く、令嬢達からよく熱い視線を送られた。
アルミナは私に恋をしてしまったに違いない。
私は舌打ちしたい気持ちを抑えて、誤魔化すように微笑んだ。
ちっとも好みではない女性の好意は煩わしいだけだ。
そうして、誰も歓迎しない中、野蛮なドルモンド国の姫、アルミナはひっそりと王宮の隅の離宮に住み始めた。
「マディ、会いたかった」
「ああ、ファミーナ。私の愛しい人」
学園の東屋で、私はきつくファミーナを抱きしめた。
今までは、当たり前のように一緒に過ごせていたのに、アルミナの手前こうして人目を忍んで会うことしかできなくなってしまった。
しかし、この会えない時間が私達の愛をさらに深め、絆を強めた。
私のファミーナを想う気持ちは日に日に大きくなり、それはまたファミーナも同じだった。
そして、いつしか学園に通うみんなが私達の恋を応援するようになった。
しかし、アルミナは私に固執した。
学園ではいつも私に話しかけ、隣の席に座りたがった。
幸い学友達がそれを阻止してくれたから、私は穏やかな学園生活を送ることができた。
それでも諦めないアルミナは、私のためにと刺繍をしたハンカチを贈ってきたこともあった。
しかも、ドルモンド国特有の刺繍なのか、呪いのような模様だった。そんな持っていたら呪われそうなハンカチはさっさと捨てた。
「父上、母上。どうか、ファミーナとの結婚をお許しください。愛しているのです」
卒業式を目前にして、私は涙ながらに訴えた。
私の正妃となるのは、ファミーナしかいない。
「わかった。もういつまでも訳のわからない約束に縛られる必要もなかろう」
「ええ。古の約束だからと、あんな野蛮な国の姫を押し付けられてマディソンが可哀想ですわ」
父上も母上も、私のファミーナへの愛を認めてくれた。
「ありがとうございます!」
私は卒業式の日に、皆の前で婚約破棄を突きつけることを決めた。
ここまですれば、アルミナも私のことは諦めるだろう。
父上も、それを了承してくれた。
「野蛮な国の姫、アルミナ・ドルモンド。私は、あなたとの婚約を破棄し、ファミーナ・カルタン侯爵令嬢と婚約することを宣言する!」
私は卒業式の日、壇上からアルミナを指差し、やっと言いたかった言葉を彼女に突きつけた。腕には愛しいファミーナを抱きしめ、高らかに宣言した私にみんなが歓声をあげた。
この場には卒業生の他その保護者もいたが、私達の純愛はみんなが知っている。
保護者もまた温かい拍手を送ってくれた。
「それは、ドルモンド国とアポール国の古の約束を破棄するということでしょうか?」
アルミナは、哀れを誘うように震えた声で尋ねた。
「これ以上、この国が我慢する必要はないだろう。アポール国とドルモンド国の古の約束は、ここに破棄する」
父上が毅然とした声でアルミナに告げた。
「承知いたしました。今この時をもって、ドルモンド国とアポール国の古の約束は破棄されました」
アルミナも、これ以上みっともなくアポール国にしがみつくことはできなかったようだ。じわりと悲しみの涙を浮かべながら承知してくれた。
婚約破棄されたアルミナは、たとえ国に帰ってもまともな結婚は難しい。修道院に入れられるかもしれない。
もちろん申し訳ない気持ちもあるが、元はといえば、古の約束があるからと、強引に姫を送って繋がりを持とうとするドルモンド国が悪いのだ。
「ファミーナが不安になるから、金輪際私にもこの国に関わらないと約束してくれ」
私は、心を鬼にして駄目押しのようにアルミナに頼んだ。
「はい。私はアポール国にも、王太子殿下にも一切関わらないと約束いたしましょう」
アルミナも、これ以上私に好意を寄せても無理だと諦めたようで、はっきりと約束してくれた。
それから、アルミナは逃げるようにドルモンド国に帰って行った。さすがの彼女も、こうもはっきり私に振られては、アポール国に居座ることはできなかったのだろう。
私は、やっとアルミナと縁が切れて清々しい気持ちになった。
これからは、アポール国と私に明るい未来が待っている。
そして…………あっさりアポール国は滅亡した。
◆
――私は婚約者が大嫌いである。
古の約束の下、私はドルモンド国の姫として、アポール国に嫁がなければならなかった。
初めて会ったマディソンは、生っ白い肌にとうもろこしのヒゲみたいな金の髪の、覇気のない碧色の目をした筋肉皆無の王子だった。
私が、フッとやったら飛んでしまいそうだ。
こんな弱っちょろいのが私の夫かと思うと、うんざりしたが約束は守らなければならない。
「初めまして。私は、ドルモンド国の一の姫、アルミナと申します。どうぞ、よろしくお願いいたします」
私がカーテシーを執ると、マディソンは作ったような笑みをうっすら浮かべた。笑顔に透けた見下すような視線にイラッとした。
「私は、アポール国王太子、マディソンです。よろしくお願いします」
そっと手を取られて、甲に口づけされた。
その気障な仕草に、グワッと苛立ちが膨れて顔が赤くなった。
反射で殴らなかった自分を褒めてあげたい。
私が殴ったら、マディソンの首は小枝のようにポキッと折れていただろう。
なんとか穏便に終わった顔合わせのあとは、私が住む離宮に案内された。
それはそれは王宮から離れた、寂れた離宮だった。
私は思わず微笑んでしまった。
「姫様、これ歴代のドルモンド国の姫達の努力が実を結んだんじゃありませんか?」
ドルモンド国からついて来た侍女がホクホク顔で言った。
「ええ。アポール国は、ドルモンド国との本来の約束を忘れているようね!」
私もウキウキと満面の笑みで答えた。
はっきり言って、アポール国との古の約束はドルモンド国には全く利のない迷惑千万な約束だった。
昔々のドルモンド国の王が、アポール国の姫のハニートラップに引っかかり、側室にもらう代わりにアポール国を守るなんて約束をさせられてしまったのだ。
アポール国は、肥沃で豊かな土地のためしょっちゅうあちこちの国から侵略を受けていた。それを、ドルモンド国が多額の金銭と引き換えに追い払ってやっていた。しかし、アポール国は金を払わずにドルモンド国の強さを手に入れようと、国王にハニートラップを仕掛けてきたのだ。
まんまとハニートラップに引っかかった国王と、嫁いでからもあれこれと自国に有利な約束をさせようとするアポール国の姫は、それぞれ別な場所に速やかに幽閉されたが、残念ながら初めの約束は残ってしまった。
戦の神イシュール教徒である私達は、約束したことは必ず守らなくてはならなかった。
しかし、当時の王妃が、百年に一度、アポール国の王太子がドルモンド国の姫を娶ることを約束に付け加えた。
阿呆な国王が結んだ約束のせいで、私達は未来永劫この約束に縛られるところ、当時の王妃の機転で逃げ道が残されたのだ。
ドルモンド人が約束を必ず守ることをよく知る当時のアポール国王は、約束した内容を契約書に残すことはしなかった。無駄にプライドの高い王は、ドルモンド国に頼らないと国を守れない事実を伏せておきたかったようだ。
しかし、ドルモンド人の約束には抜け道がある。
お互いが約束を破棄すると宣言すればいいのだ。
歴代の嫁いだドルモンド国の姫達は、秘密裏に古の約束について触れられている文献を見つけては燃やし、少しずつその約束の内容をアポール国から忘れさせていった。
もしも、嫁いだ姫達をアポール国の王太子が大切に扱っていたら、中には情に絆されていた姫もいたかもしれない。しかし、どの王太子もあっという間に側室を迎え、嫁いだ姫を押し付けられた邪魔な妃として冷遇した。
おかげで、歴代の姫達は罪悪感を覚えることなく着々と任務を遂行していくことができた。
私は、早速秘密裏に古の約束について書かれた文献を探ったが、歴代の姫達は優秀で文献はすでに一つも残っていなかった。
当時のドルモンド国の王妃の目論見通り、アポール国は、古の約束が百年に一度ドルモンド国の姫を娶ることのみと思っていた。
あと少し、あと少しだ。
私は古の約束に従って、きちんと婚約者としてマディソンに接した。
学園では隣の席に座ろうとしたし、お昼も一緒にとろうとした。慣れない刺繍をしたハンカチも贈った。
しかし、学園の貴族達がいい仕事をしてくれて、ことごとく私がマディソンのそばにいることを邪魔してくれた。
私がマディソンに話しかけると、すぐに誰かしらが先生が呼んでいると彼を連れて行くし、隣に座ろうとすると椅子取りゲームのように近くの誰かが座ってしまう。これはちょっとおもしろかった。
休み時間には、裏庭に呼び出されて、はっきりとマディソンにはお似合いの恋人がいるから身をひけとも言われた。
曲がりなりにも婚約者である私に、何を言っているのか目が点になってしまった。
マディソンは公然と恋人とイチャイチャしているし、周りはそれを微笑ましく見ている。アポール国は、頭のおかしい国であることがよくわかった。
もし、この国で親切にされたり、親しい友人ができたら、情けをかけてしまうのではと心配していたが、全くの杞憂だった。
腹が立つことに、苦労して刺繍して贈ったハンカチは目につくところに捨てられていた。
ただ、ハンカチに関しては、侍女達も捨てられてもこれはしょうがないといった顔をしていた。
確かに、マディソンの名前を刺繍したはずが、苦しむミミズにしか見えなかったから仕方ないかもしれない。
そうして過ごした三年、待ちに待った瞬間は卒業式の日にやって来た。
◆
「野蛮な国の姫、アルミナ・ドルモンド。私は、あなたとの婚約を破棄し、ファミーナ・カルタン侯爵令嬢と婚約することを宣言する!」
私は、マディソンの言葉に歓喜した。
とうとう、この時が来た。
その場にいた、卒業生も、その保護者も最大な拍手をした。
それはまるで、長年耐えて来た歴代のドルモンド国から嫁いだ姫達を讃えるようだった。
「それは、ドルモンド国とアポール国の古の約束を破棄するということでしょうか?」
喜びでドキドキとうるさい心臓の音に声が震えた。
「これ以上、この国が我慢する必要はないだろう。アポール国とドルモンド国の古の約束は、ここに破棄する」
はっきりと国王が答えた。
長い年月をかけて、本来の約束を忘れた国王はあっさり約束を破棄した。
「承知いたしました。今この時をもって、ドルモンド国とアポール国の古の約束は破棄されました」
ああ、私達は自由だ。
アポール国が侵略されるたびに、古の約束のせいでドルモンド国が盾となり守らなければならなかった。ちなみに、長年我が国に頼りきりのアポール国には戦士がいない。
アポール国は、感謝することもなく当たり前のように我が国の戦士に守られ、恩知らずにも野蛮な国とドルモンド国を蔑んだ。
王族として、戦って散っていった戦士に申し訳なかった。
私は堪えきれず涙ぐんだ。
これからは、私の国の戦士を犠牲にしなくて済む。
「ファミーナが不安になるから、金輪際私にもこの国に関わらないと約束してくれ」
マディソンのこの言葉は、初めてもらったプレゼントのようだった。
「はい。私はアポール国にも、王太子殿下にも一切関わらないと約束いたしましょう」
私は彼の気が変わらないうちに、食い気味に答えた。
ここに新たな約束が結ばれた。
今後一切、この国に関わらないで済む。
そうして、私は長居は無用と速やかにドルモンド国に帰って行った。
これから婚活で大忙しだ。
◆
「アルミナ、アポール国から手紙が来たぞ」
クックックッと楽しげに笑うのは幼馴染で私の夫だ。
ドルモンド国に帰って来た私は、情報の早い各国から山のように縁談が舞い込んだ。
武のドルモンド国の姫である私は、婚約破棄していようが需要が高い。どの国も、婚姻を通して繋がりを持ちたいのだ。
そんな縁談を蹴散らし、怒涛の勢いで私を口説いたのが四つ上の幼馴染のダラスだった。
三年ぶりにドルモンド国に帰ったら、ダラスは最年少で将軍になっていた。
子供の頃は体が弱くてヒョロヒョロだったのに、今では鎧のような逞しい筋肉に、意志の強そうな太い眉、眼光鋭い三白眼の碧眼に、厚めの唇、獅子の鬣のような金の髪の、肉食獣を思わせる威圧感のあるいい男になっていた。
同じ金髪碧眼でも、マディソンとは大違いだ。
好みのど真ん中だった。
そんなダラスに口説かれたら、即行で落ちる。
私はあっという間に彼のお嫁さんになった。
「ダラス、読んで」
私はベッドでゴロゴロしながら、ダラスに甘える。
今はとにかく眠いし、体がだるい。
アポール国とドルモンド国の繋がりがなくなったことは、すぐさま各国が知ることとなった。
そこからは、砂糖に群がる蟻のようにアポール国は侵略を受けた。
まあ、今まで盾となり、抑止力となっていたドルモンド国がなくなったのだから当たり前だ。
逆に、なぜそんなことも想像できなかったのか不思議なくらいだ。
すぐさまいつものように、アポール国王からお父様にどうにかしろと上から目線で書簡が届いたらしい。
しかし、すでに古の約束はもう破棄されているから助けなくてはならない理由がない。
もちろん、お父様は自分の国でどうにかしろと返したようだ。
「王太子からだ。お前と結婚するからドルモンド国に亡命させてくれだとさ」
私は心底嫌な顔をした。
「絶対嫌よ。こっちからお断り」
ゴロゴロしている私に、ダラスも横になってくっつく。私の首筋に顔をすりすりして、大きな猫みたいだ。
「アポール国も必死だな。しつこく陛下に金を出すからアポール国を助けてくれと頼んだが全て断られて、恥知らずにもアルミナを頼って自分達だけでも助かろうと思ったか」
私は、ごそごそと動いてダラスの腕の中に収まる。高めの体温が心地よい。
「王太子にも、ドルモンド国にも、私は一切関わらないって約束したから無理。自分が言い出した約束を忘れたのかしらね」
私は堪えきれず笑ってしまった。
「アルミナは、一切王太子にもアポール国にも関わらない約束だからな」
ダラスも清々とした顔で言った。
「約束はちゃんと覚えていて守らないとね。ねえ、ダラスは守ってくれるでしょ?」
「もちろんだ、アルミナ。俺はアルミナも生まれてくる子も幸せにすると約束した」
ドルモンド人の約束は絶対だ。
「うん。私も、ダラスと生まれてくる子を幸せにするって約束した」
私もダラスも絶対約束を破らない。
ダラスが嬉しそうに私の大きく膨らんだお腹を優しく撫でた。
――その後、あっさりアポール国は滅亡した。
それは、奇しくも私が出産したその日だったそうだ。
約束はちゃんと覚えていて、守らないとね。