第93話「スピード④」
ゲームが終わると、わたしたちはカードをそろえて箱に戻した。
エアコンの唸りが戻ってくる。蝉の声も、また少し大きくなる。
テーブルの上には、うっすら汗のにおいと紙の匂い。
息を整えて、麦茶を飲む。氷がからん、と鳴る。
「ねえ、しおりん」
「ん?」
「こういうの、いいね」
「スピード?」
「うん。勝ち負けがはっきりしてるけど、終わったらちゃんと笑えるやつ」
「座道の精神にかなってる」
「それ何でも座道に回収するやつじゃん」
かおりんが肩で笑う。
その笑い声が、やけに近く感じる。
わたしはグラスを置いて、言葉を選ぶみたいに、少し間をおいた。
「……お願い、追加してもいい?」
「え、三つ目? ダメではないけど、先に内容を審査します」
「厳しい」
「で、なに」
「さっきの写真、夜にもう一回見返す。二枚じゃなくて、三人分になってもいいから」
かおりんの目が、ほんの一瞬だけ丸くなって、それから柔らかくなった。
「……ああ、なるほど。ゆはりん?」
「呼ぶとは言ってない。でも、三人分になっても、いいでしょって話」
「ふふ。いいよ。――でも今日は、二人の“スピードの午後”だから」
「うん。今日は、二人」
確認し合うみたいに言って、わたしたちは同時に頷いた。
外の蝉が、また少しだけ静かになる。
夕方が、部屋の色を橙に塗り替え始めていた。
*
夜。
約束どおり、二人でソファに並んでダンス動画を流した。
スロー再生で足さばきを確認して、ミラーで腕の角度を合わせて、笑いながら何度もやり直す。
わたしがステップを一瞬間違えて、かおりんの足に軽く乗ってしまった。
「痛っ」「ごめん!」
そんな小さなドタバタも、今日は全部、甘い。
最後に、昼間の写真をもう一度見た。
真剣顔のわたしたちと、変顔のわたしたち。
画面の中の二人が、やけに愛おしい。
「ねえ、タイトル、やっぱり変えよう」
「『スピードの午後』、ダメ?」
「ダメじゃないけど、もっとシンプルに。……『二人の午後』」
「……いいね」
昼間よりも、静かな声で言った。
写真の中のわたしたちが、いっしょに笑っている。
リビングには、エアコンの音と、氷の小さな音と、ダンス動画のBGMが遠くに。
わたしたちは、肩を寄せ合った。
勝ち負けがはっきりして、でも終わったらちゃんと笑えるやつ。
ああ、そうか。
これが、たぶん、わたしたちの“スピード”なんだ。
明日になったら、また別の遊びをするのかもしれない。
誰かが加わって、にぎやかに笑うのかもしれない。
だけど今日の午後の速度は、今日だけのものだ。
「おやすみの前に、もう一回だけ」
「なにを?」
「勝負」
「え、また?」
「今度は、ハイ&ロー。勝ったら――」
「またお願い?」
「うん。『二人の午後・夜の部』を、もう一枚、ね」
「……はいはい。受けて立つ」
わたしたちはまた、カードを取り出した。
紙の匂いが、ふわりと漂う。
BGMが次の曲に変わる。蝉は黙っている。
そして、わたしたちの“スピード”は、もう一段ゆっくりになって、夜に溶けていった。




