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第91話「スピード②」

 一本目、わたしの僅差勝ち。

 かおりんはふうっと息を吐いて、少し潤んだ目でこちらを見た。唇の端が、悔しさとも安堵ともつかない角度にゆるむ。


「お願い、言って」

「え、もう?」

「もちろん。ハンデあげないと、連勝されそうだから」

「言うねぇ」


 軽口を返しながらも、わたしの胸の奥で小さな鼓動が跳ねた。彼女の声は、さっきより少し低くて、どこかくすぐったい。


 少し考えるふりをして、口角を上げる。


「じゃあ――写真撮ろ。今日の“勝者と対戦者”、記念に」

「……それだけ?」

「それがいいの。かおりん、今、いい顔してるから」


 言った瞬間、かおりんの耳がほんのり赤くなった。視線を逸らすように前髪を指で触れ、その仕草さえやけに艶めいて見える。


 わたしはソファの背からスマホを取る。背を向けたわずかな間にも、空気の温度が変わるのを感じた。振り返ると、かおりんは座卓の角に寄って、膝を揃えて座っていた。あどけないのに、どこか整いすぎた姿勢で。


「はい、寄って寄って」

「近いけど」

「近くなきゃ写らないよ」


 肩を並べる。体温が伝わる距離。

 カメラに収まった自分たちの顔が、妙におかしくて、二人で同時に笑ってしまう。


 ――カシャ。


 シャッターの音が、静かな部屋に響く。液晶には、頬を寄せ合って笑うわたしたちの顔。汗ばんだ額と、どちらともつかない視線の交わりが残っていた。


「……うん。悪くない」

「でしょ」

「次はわたしが勝つ。お願い、もう決めてるから」

「怖いこと言うじゃん」


 ふたたびカードを集め、シャッフル。

 二本目――本気モード。



「開始!」


 今度はかおりんの出足が速かった。

 最初の2ターンでわたしのリズムを崩し、場札の回転を支配してくる。

 “速いほうが気持ちを先に乗せられる”――座道部のゲーム理論(いま命名)に忠実。


「余裕?」

「ちょっとね」

「じゃあ、追い上げるよ」


 わたしは呼吸を落とす。

 息を吸う。肩に力が入っているのを自覚して、そっと抜く。

 視野を広げる。場札と手札と、相手の置き札の癖。

 かおりんは“段取り上手”だから、数字の階段をつくるのが得意。ならば――


「スピード」

「うわ、いまの先取られた!」


 一瞬の“間”に差し込んで、テンポを奪い返す。

 わたしは“ひっかけ”を入れる。わざとめくりを1テンポ遅らせ、かおりんの視線を右に釘付けにしてから、左に差し込む。

 カードゲームって、けっこう心理戦だ。

 並行して、テーブルの下の足がまた触れて、跳ねる。これは心理戦に入らない。心臓が勝手に加速するやつ。


「っ、しおりん、ずるい」

「戦術です」

「じゃあ、わたしも――えいっ」


 かおりんが身を乗り出した。

 その拍子に、髪がふわりと頬をかすめる。微かに甘いシャンプーの香りが、熱を帯びた空気に溶けた。

 その匂いだけで、胸の奥がゆっくりと波打つ。


 集中が一瞬だけほどける。

 やばい。

 視線がカードから離れ、彼女の唇のかたちを追ってしまう。

 指先の温度が上がっていくのがわかる。触れてもいないのに、触れたような錯覚。


 紙が重なる音が、いつもより近く、やけに鮮明に響いた。

 息が合わない。喉の奥が乾く。


「……っ、はぁ……はぁ……」


 抑えようとした呼吸がこぼれ、熱を帯びた息が頬を撫でた。

 その距離のまま、ふたりの間にあるものが、静かに軋んだ。


 二本目は、ほぼ同時に山札を空にして、ラストのめくり勝負。

 わたしが9、かおりんが10。

 中央は8とJ。……1枚差。

 J→10→9→8の下降列――置いた順番の差で、かおりんの勝ち。


「とった!」


 かおりんは小さくガッツポーズ。

 汗がこめかみに一粒流れて、それを拭いもせず笑っている。

 その顔がやたら眩しく見えて、わたしは素直に拍手した。


「お見事。で、お願いは?」

「ん、じゃあね――」


 かおりんは、少しだけいたずらっぽく目を細める。


「今日の夜さ、二人でダンスの動画また見よ。練習、付き合って」

 拍子抜けするくらい健全なお願いで、わたしは思わず笑ってしまった。


「それ、お願いに入る?」

「入る。わたしひとりで踊るより、しおりんと並んで踊るほうが、楽しいから」

「……ずる」

「なにが」

「そう言われたら、断れないじゃん」

「よし、成立」


 かおりんは満足そうに頷いた。

 その横顔を見ていたら、胸の真ん中がじんわり温かくなる。

 “ちょっとドキッとする姉妹の心理戦”とか言いながら、結局ただの甘い午後では――と、自分にツッコむ。


「決着、三本目いこ」

「オーケー。勝ち越し決める」

「そっちこそ」

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