第9話「しりとり」
桜のつぼみがふくらみはじめた、少し風の強い春の午後。
小学3年生の終わり、春休みのある日のことだ。
家の近くの公園で、私はまだランドセルを背負っていない妹――かおりと手をつないで歩いていた。
お姉ちゃんという自覚はまだ薄く、来月から同じ学校に通うことになる妹に、多少の面倒くささを覚えていた。
「ねえ、しおちん……」
妹が私を見上げて言う。私――"しおちん"はこの頃の呼び名だ。
「小学校って、こわい?」
「こわくないよ。ちょっとだけ、うるさいだけ」
「うるさいの、やだなあ」
妹はまだ幼稚園の制服を着ていて、歩くたびにリボンがゆれていた。
私が同じくらいの時、こんなに小さかったっけ。そう思うと、なんだかくすぐったい。
「うーーん、小学校にあがったら呼び方変えて欲しいなあ」
「やだ」
「えーーお願いだよお」
「しおさぶろうならいい」
「やめてーー、せめてお姉ちゃんにして……」
「絶対やだ……"しおちん"は"しおちん"だもん……」
……やばい泣きそう……なんとかしないと
「じゃあさ、勝負して勝ったらそのままでいいよ」
「しょうゆ?」
「しょうぶ!しりとりしよう!」
「しりとり?」
「うん。学校の帰り道とかによくやるんだよ、みんな」
「……やる!」
妹はパッと笑顔になって、歩幅をちょっとだけ広げた。
ああ、なんか今から本当に“小学生”になるんだなって思った。
*
「じゃあ、私から。“りんご”」
「“ご”……ごはん!」
「“ん”!? 負けだよ!」
「えっ!?なんで!?」
私は笑いながら、妹の頭をくしゃっとなでた。
「“ん”で終わったら、負けなの。しりとりのルール」
「し、知らなかったもん……」
ぷくっとほっぺをふくらませている。かわいい。
「じゃあもう一回ね。“いぬ”」
「“ぬ”……ぬいぐるみ!」
「“み”…“みかん”」
「また“ん”!」
今度はすぐに気づいたようで、悔しそうにくるっと私の前に回りこんできた。
「しおちん……ひきょう……」
「え?」
その言葉どこで覚えた……
「ぜったい、負けさせようとしてる」
「うーーん」
「もう一回!」
今度は、妹から始めることになった。
「えっと……“くさったママ”!」
……なんだそれは……
「“ま”…まど」
「“ど”…どろどろのパパ!」
……パパ……かわいそう……
「“ぱ”……ぱせり!」
「……ぱせりってなあに?しらないよ……はんそく?」
「とにかく続けよう!」
「うーーん、“り”……りす!」
「すいか!」
どんどん、テンポが上がっていく。
言葉が止まらないのが、なんだか楽しくて、気づいたら二人とも声をあげて笑っていた。
「ねえ、しおち……おねえちゃん」
「ん?」
「小学校、たのしい?」
「……うん、たのしいよ。たまにイヤなこともあるけど、たのしい」
「なら、わたしもがんばる」
「うん。……でも、困ったら言ってね。そしたら、お姉ちゃんが助けてあげるから」
自分で言って、少し照れた。
でも、妹は嬉しそうに頷いた。
「うん、おねえちゃん、わたしのしもべ……」
「……なにそれ、ずるい」
そう言いながら、私はまた妹の頭をなでた。
春風が、ふたりの前髪をやさしく揺らす。
入学式まであと少し。
妹はまだランドセルも持っていないけど、なんとなく、小学生の顔になってきた。