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第85話「ゴム鉄砲」

 その日、家は異様に静かだった。


 両親は朝から出かけていて、わたし――しおりんはリビングで本を開いていたけれど、文字を目で追うばかりで頭に入ってこない。扇風機が首を振るたびにカーテンがふわり揺れて、夏の匂いがわずかに流れ込んでくる。


そんなとき、インターホンが鳴った。


「……はい。あれ、奈々りん?」


 扉を開けると、そこには普段より少しきっちりした服装の奈々りんが立っていた。まっすぐな姿勢、少しだけ硬い表情。けれどその目は、いつになく熱を帯びている気がした。


「こんにちは。……かおりんに会いに来た」


「かおりんに?」思わず聞き返す。


 奈々りんは短くうなずき、「大事な話がある」とだけ告げると、靴を脱いで迷いなく階段を上がっていった。


(……大事な話? なんか気になる)


 胸がざわつく。わたしも“かおりん”って呼ぶし、他のみんなもそうだ。呼び方自体は珍しくない。けど、奈々りんの「かおりん」って、響きがなんか違うんだよな……柔らかくて、でも鋭い。まるで狙いを定めた矢みたい。


 気づけば、わたしも立ち上がり、音を立てないように後を追っていた。



 廊下に立ち、かおりんの部屋の前で耳を澄ます。

 閉じたドアの向こうから、二人の声が聞こえる。


 「奈々りん、どうしたの? 急に来て」

 「……かおりんに会いたかったから」

 「そんなふうに言われると……照れるよ」


 (やっぱり……何かある)


 わたしの心臓はいやにうるさい。


 少しの間を置いて、奈々りんの声が低く落ちた。


「かおりん。わたし、この気持ちを隠すの、もう無理かもしれない」

「え……?」


「昨日の夜、ゆはりんが家に来たって……知ってる。あれを聞いた瞬間、胸がざわついて眠れなくなった」


 かおりんが息を呑む音。


 「……あの子の無邪気さに、かおりんを取られるんじゃないかって。不安で、悔しくて。わたし、線を引こうとした。でも……もうできない」


 奈々りんの声が震えた。冷静な彼女には似合わない、むき出しの熱。


「ただ、ひとりの人として……かおりんが好きだ。ゆはりんにも、しおりんにも負けたくない。かおりんを誰かに取られるくらいなら……」


 (……っ!)


 わたしは廊下で拳を握りしめた。

 妹の名前まで出されて――心臓が刺されるように痛い。


「奈々りん……」かおりんの声が揺れる。

「答えは今じゃなくていい。伝えたかっただけだ」


 沈黙。布団が擦れる音。二人が近づいたのが分かった。


(……ダメだ。これ以上は聞いていられない)


 わたしは衝動に駆られ、ドアノブを回した。



「ちょ、ちょっとお邪魔します!」


 乱暴に開けると、二人がこちらを振り返る。かおりんは驚きに目を見開き、奈々りんは冷静にわたしを見た。


「し、しおりん……盗み聞きしてた?」

「ち、違う! ただ……心配で!」


 苦しい言い訳だと分かっている。でも、言わずにはいられなかった。胸が爆発しそうだったから。


 空気が重く沈む。修羅場寸前。


「ね、ねえ! そうだ!」

 かおりんが唐突に声を上げる。

「机にゴム鉄砲あるし、遊ぼうよ! こういうときは遊びで発散するの!」


 ……ゴム鉄砲?



 数分後、部屋は戦場と化していた。


「くらえっ!」

「静止せよ!」

「ぎゃーっ!」


 かおりんは机の陰から輪ゴムを乱射。

 奈々りんは枕を盾に冷静に狙撃。

 わたしは机の下に隠れ、必死に反撃するが、二人の集中砲火で追い詰められる。


「しおりん、弱すぎ!」

「数に押されるのは必然」


「ひぃぃぃー!」


 輪ゴムが頬をかすめ、わたしは転がる。

 すかさずかおりんが飛びついてきて、背中に馬乗り。


「捕まえたー!」

「ぎゃーーっ!」


 床に押し倒されるわたし。さらに奈々りんも加わり、三人でぐしゃぐしゃに転がる。


「離せっ……! 息できないってば!」

「投降すれば助けてやる」

「そんな極意ないでしょ!」


 笑い声と悲鳴と、輪ゴムの弾ける音。

 部屋中に散らばった枕やチラシ。

 テーブルは横倒しになり、わたしたちは汗だくで笑い続けた。



 乱闘の末、全員が床に転がって息を切らす。

 しばらくして、奈々りんが静かに言った。


「……やっぱり、わたし負けたくない」


 笑っていたはずの胸が、またざわつく。

 かおりんは困ったように笑いながら、「もう! 奈々りん!」と軽く肩を叩く。


 わたしは天井を見上げて息を整えた。

 けれど、耳の奥ではまだ奈々りんの声が響いていた。


 “ゆはりんにも、しおりんにも負けたくない”


 ……その言葉が、何度も反響していた。

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