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第82話「ビー玉遊び」

 二学期が始まった。


 蝉の声が遠のき、代わりに鈴虫が鳴く季節。

 校庭の木々は濃い緑で、夏の終わりを惜しむように風にざわめいていた。

 朝の教室は、久しぶりの顔ぶれに賑やかな笑い声が飛び交っている。


 ――でも、わたしの胸の中は、ちょっとだけ落ち着かない。


 理由は分かってる。

 座道部の仲間、ゆはりんのことだ。



「……おはよ、かおりん」


 ゆはりんはちゃんと笑顔で挨拶してくれる。

 けれど、その笑顔が少し硬い。声のトーンが、ほんの少しだけ高い。

 目を合わせてくれるんだけど、一瞬で視線を外す。


「おはよ!」


 明るく返しても、前みたいにふわっと続かない。

 胸の奥に、わずかなざらつきが残った。


(やっぱり、まだ気にしてるんだ……)


 夏休みのキャンプ。あの夜のこと。

 テントで寝ていたとき、寝ぼけたゆはりんがわたしに抱きついてきて――大騒ぎになった。

 結局は“寝相”ってことになったけど、あれから空気がちょっと変わった気がする。


 あのとき、わたしも動揺して、まともに返せなかった。

 そのせいで、ゆはりんは今も気まずそうにしてるのかもしれない。


(どうしよう。このままだと、わたしたちの座道部、ギクシャクしたままだよ……)



 放課後。部室に集まったわたしたちは、ちゃぶ台を囲んでいた。

 その上にはビー玉がころころと転がっている。


「今日の練習は、座道式ビー玉遊び」


 奈々りんが真顔で宣言した。


「は? それって練習っていうより遊びじゃない?」

「否。集中力と姿勢制御を鍛える。角度、力加減、呼吸……全部、座道に通じる」


 ……ほんとかなぁ。


 でも、わたしもビー玉を一つ指先で弾く。

 ころん、と小気味いい音を立てて、ビー玉がちゃぶ台の端まで転がっていく。


 隣のゆはりんは、ビー玉を手にしたまま動きが遅い。


「ゆはりん、早く打ちなよ」

「あ、ごめん。いまね、考えてたの」


 小さく笑ってごまかすけど、その笑顔はやっぱりぎこちない。



 ビー玉の転がる音が部室に響く。

 わたしはゆはりんの横顔を盗み見た。

 すぐそこにいるのに、遠い。夏休み前より、はるかに遠い。


 声をかけようか迷って、唇が動きかけたとき。


「……ゆはりん」


 奈々りんが、ビー玉を弾く手を止めた。


「な、なに?」

「あなた、かおりんを避けている」


 空気がピタリと止まる。

 ビー玉も、わたしの心臓も。


「そ、そんなこと……ないよ?」

 ゆはりんは慌てて首を振る。でも声が震えていた。


 奈々りんは目を細め、淡々と告げる。

「表情と声の高さ。視線の動き。全部が“気まずい”サインだ。おそらく原因は、キャンプの夜」


 やっぱり――。


 ゆはりんはビー玉をぎゅっと握りしめ、俯いた。

「……ごめん。ちょっとだけ、恥ずかしくて。かおりんに甘えすぎちゃったなって。だから顔、ちゃんと見られなくて」


 声は小さいけれど、ふわっとして、やんわりしてて。いつものゆはりんの声だった。



「なるほど」


 奈々りんは短く言い、ビー玉をころんと転がした。

「謝罪と説明が済んだ。なら修復は可能。むしろ、もっと仲良くなれる」


 事務的な断言。だけど、不思議と説得力があった。


 わたしは思わず笑ってしまった。

「ほんと、奈々りんって鋭いんだから」


 ゆはりんも、少し赤い顔で笑った。

「……ありがとう、かおりん」


 ちゃぶ台のビー玉が夕日を反射して、きらきら光る。

 その光に、さっきまでのギクシャクが少しずつ溶けていくみたいだった。



 けれど、そのままでは終わらなかった。


「さて――ここからは本番」

 奈々りんがビー玉を一列に並べる。

「誰が一番長く転がし続けられるか。姿勢の安定度と集中力を競う」


「結局ゲームじゃん!」

 わたしは笑いながらも指でビー玉を弾く。

 でも、奈々りんの目は真剣そのもの。まるで大会みたいな緊張感。


 ゆはりんもおそるおそるビー玉を弾いた。ころん。

「わ、わたしのも、けっこう真っ直ぐ行ったよ!」

 嬉しそうに笑うゆはりん。その笑顔に、胸のつかえがふっと軽くなる。



 ビー玉は転がり、ぶつかり合い、ちゃぶ台の上でカラフルな音を奏でる。

 笑い声も混ざって、部室はにぎやかになった。


「うわっ、かおりんのビー玉、飛んでった!」

「ちょっと、笑わないでよー!」


 わざと大げさに騒ぐと、ゆはりんも奈々りんも吹き出す。

 その瞬間、ほんの少し前までのぎこちなさなんて、もう忘れてしまいそうだった。



 試合は最後、奈々りんの圧勝で終わった。

 ビー玉を見事に一直線で転がし続け、わたしたちはただ呆然と拍手した。


「判定:わたしの勝ち」

「ちょ、つまんない! 奈々りん強すぎ!」

「合理的結果」


 そのやりとりが面白くて、みんなで笑い合った。


 ――ゆはりんも、心から笑っていた。



 片付けのとき、奈々りんがぽつりとつぶやいた。

「……結局、人は隠し事を長く続けられない」


 わたしとゆはりんが同時に「え?」と聞き返す。


 奈々りんはビー玉を袋に入れながら、淡々とした声で続けた。

「今日のゆはりん。言葉よりも仕草が雄弁だったよ。照れてる。距離を取ろうとして、逆に視線が泳いでる。かおりんを意識してる証拠よ」


「なっ……!」

 わたしは思わず声を上げる。

 ゆはりんは真っ赤になって俯いた。


 奈々りんは小さく肩をすくめる。

「だから、気にする必要はない。むしろ、もっと話せばいい」


 その一言で、わたしの胸に溜まっていた不安がふっと軽くなった。


「……ありがと、奈々りん」

「感謝不要だよ。分析の結果を述べただけだから」


 でも、その声はほんの少し柔らかかった。



 夕暮れの部室。

 ビー玉の袋がカランと音を立てる。

 窓の外には、二学期の始まりを告げるような赤い空が広がっていた。

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