第8話「枕投げ」
夜、窓の外はもうすっかり暗くなっていた。
夕飯を食べて、食器を片付けて、お風呂も済ませて――春休みなので宿題もないし―― あとは寝るだけ、というタイミングだった。
かおりんがめずらしく一緒に寝たいと言うので、同じ部屋に布団を敷いた。
かおりんのパジャマはピンク色、私のは緑だ。
それにしても今日は、すこしだけ空気が甘い気がする。
お風呂上がりの二人の肌にはまだ湯気が残っていて、部屋の中には柔らかなシャンプーの香りがほんのりと漂っていた。
そのせいか、ベッドに入ったものの、眠気はなかなか訪れなかった。
「ねぇ、お姉ちゃん……」
隣の布団から、小さな声がする。
……呼び方が戻ってる……
「ん?」
「……眠れないの?」
「うん」
かおりんは、いつもより少し幼く見えた。薄暗い部屋の中で、目だけがくりくりと動いているのが分かる。
「私は睡道部だったから、いつでもどこでも寝れるんだよね」
「睡道部?また聞いたことのない部活だなあ」
「睡道部はね、授業中でも姿勢を崩さずに眠れることをモットーにしてるの。周りの人にバレたらいけないのよ」
自信ありげに胸を張って答える。
バフッ。
枕が飛んできて顔に命中。……不意打ちか……
「授業中に寝たらだめだよね」
「ぐっ……」
……よーーしっ!おかえし!
自分の枕をかおりんめがけて投射!
「ひゃっ!……ひどーーい」
戦争が始まった。
*
そう言ってる間に、かおりんはすでに枕を手に取って、にこにこしていた。
「じゃあ、いくよ……せーのっ!」
ふわっ――と、かおりんが投げた枕が私の顔に軽く当たった。
「うわ、ほんとにやったな……!」
「ふふっ、しおりんもおいで〜」
私も枕を手に取り、静かに反撃。
バフッ。
かおりんは「きゃっ」と笑い声を押し殺しながら、くすくす笑った。
「も〜、それは反則〜!」
「は? なにが反則よ」
バフッ、ふわっ、きゃっ、しーっ。笑いを抑えながらの攻防。
「そろそろ睡道部の奥義を見せるときね」
「睡道部が枕投げに関係あるの?」
「睡道部はね、睡眠すべてに関わることに精通してるのよ」
「へーー」
かおりんは、いたずらっぽく笑いながら、枕をぎゅっと抱きしめる。
「隙アリ!睡道部奥義発動!」
私は、すっと枕を高く投げあげた。天井から来る取りにくい軌道……これこそが睡道部奥義……
かおりんはクスクス笑いながら、それを受け止めた。
「ありゃ」
「ふふ、お返しだよ。こう?」
かおりんの投げたが枕が、さっきと同じ軌道を逆にたどり、ふわっ、と私の顔にあたった。
「ふにゃ!」
優しいタッチ。でも、かおりんの体温がほんのり残っている。
「……なんか、ちょっとくすぐったい」
「しおりんの顔、赤くなってる〜」
「なってない!」
枕を取り返し、私もお返しに軽く当ててみる。
白くて柔らかい布団の上で、二人だけの静かな戦い。
髪がふわっと揺れて、パジャマの袖がちらりとずれて、白いうなじがのぞく。
「……やっぱ、かおりんって……」
……反則級に可愛いよね……
不意にそんな言葉が漏れてしまった。
かおりんは一瞬きょとんとしたあと、そっと笑って――
「……しおりんにしか、そう言ってもらいたくないかも」
と言った。
空気が、少し変わった。
静けさが増して、距離が近くなった気がした。
私は、枕をそっと横に置いて、彼女の方に向き直る。
かおりんも、同じように体を向けていた。
顔と顔が、もう数センチしか離れていない。
お互いのまつ毛が、見えるくらいの距離。
「……しおりん」
「ん?」
「……眠い……」
「えーー」
そんな会話の中で、どちらからともなく、そっと手を伸ばす。
指先が触れ合う瞬間、小さな火花が散ったような感覚があった。
そっと、かおりんの手を握った。
やわらかくて、ちょっと温かくて――このままずっと、離したくないって思った。
この夜が、いつまでも終わらなければいいのに――
そう思いながら、私は眠りについた。