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第76話「山⑤」

 山の夜は、静かで、そして息苦しい。

 虫の声と川のせせらぎが外に広がっているはずなのに、わたしの耳には自分の鼓動ばかりが響いていた。


 並び順は――右からしおりん、ひかりん、わたし、奈々りん、そして一番左にゆはりん。

 ゆはりんは珍しく本当におとなしい。すやすやと寝息を立て、寝袋から顔半分だけ出して、夢の世界に沈んでいる。


(よかった……昨日みたいな大騒ぎにはならない)


 安心したのは一瞬だけだった。



 ひかりんが、わたしの寝袋にぐいっと身を寄せてきた。

「……ねぇ、かおりん。昨日の恋バナ、答えがあいまいだったじゃん?」

「ひ、ひかりん……近い……!」


 耳元で囁かれただけで、背中がぞわっとする。寝袋ごと身をよじろうとした瞬間、今度は左から奈々りんの腕が伸びてきた。


「動くな。……静かにしてろ」

「ちょっ……奈々りんまで!?」


 両側から挟まれて、まるでサンドイッチ状態。

 ひかりんは笑みを浮かべ、奈々りんは真顔で冷ややか。二人の温度差がかえって心臓に悪い。


「かおりん、かわいい反応するよね。こうやって触れると……ほら」

 ひかりんの指先がわたしの肩をなぞる。

「ん……!」


 声を堪えるわたしの手を、奈々りんが下からぎゅっと押さえ込む。

「声、出すな。……みんな起きる」

(そっちが仕掛けてるんでしょーが!?)


 抗議したくても、息が詰まって言葉にならない。



 さらに右のほうで、しおりんの低い声がした。

「……ひかりん。ちょっと……そこ、ヤバイって」

「フフフ」

 ――完全に絡んでいた。


 わたしを責めていたはずのひかりんが、体をひねってしおりんの寝袋に手を伸ばしている。

「しおりんってさ、強いのに……意外と弱いとこあるでしょ?」

「や、やめ――」


 息を詰めるしおりんの声が、テントの暗闇にねっとりと溶けた。

 ひかりんは両手を器用に使い、片方でわたしをからかいながら、もう片方でしおりんに迫っている。


(同時攻撃!? 反則でしょこれ!!)


 左からは奈々りん、右からはひかりん。

 しかもひかりんは、しおりんにもねっとり絡みついている。


 真ん中のわたしは、完全に逃げ場を失っていた。



 山の夜は冷たいはずなのに。

 テントの中は、火照る体温と乱れる息遣いで、じっとり熱を帯びていた。

 虫の声すら遠くなるほど、わたしたちの小さな世界は修羅場の気配でいっぱいだった。


 両側から挟まれ、身動きのとれないわたし。

 右からひかりん、左から奈々りん。しかもそのひかりんは、同時にしおりんにも絡んでいる。


「ひ、ひかりん! 手、二本しかないはずでしょ!? なんで二倍速なの!?」

「ふふ、座道部の“多重攻撃”だよ~」

「そんな極意ないから!!」


 わたしが必死に抗議するのも空しく、ひかりんは楽しそうにわたしの肩をつつきながら、しおりんの寝袋にまで手を伸ばしている。

 しおりんの声が低く震える。

「……お願い……そこ……ダメ」

 でも口調の割に、押し返す力は強くない。むしろ、受け止めてしまっているように見えた。


(やば……しおりん、弱ってるとこ突かれてる!?)



 左からは奈々りんの冷たい声。

「かおりん、騒ぐな。抵抗すると余計に危ない」

「え、なにが危ないの!? そっちのほうがよっぽど怖いんだけど!」


 奈々りんは真顔で、寝袋越しにわたしの手をがっちりホールドしている。力強い。逃げられない。わたしの手をホールドしたまま、じっと暗闇で目を光らせている。


「……動くな。抵抗すると余計に暴れる」

「いやいや、暴れてるのはひかりんだから!」


 すると奈々りんの指が、わたしの手の甲をゆっくりなぞる。ぞわぞわする。

「な、奈々りん!? なんで撫でてるの!?」

「動きを封じるため」

「それ絶対違うよね!? 絶対理由違うよね!?」


 押さえつけられたまま身じろぎすると、奈々りんの顔がぐっと近づいた。

「……かおりん、意外と体温高い」

「や、やめてってば! この距離おかしいから!」


 真顔のまま、奈々りんは首を傾けて囁く。

 いつのまにか奈々りんの指が、服の中に入ってきて……。

「心拍数が速い。……何か隠してるな」

「そんな尋問みたいに言わないでぇぇ!」


 その冷静すぎる観察と押さえ込みが、ひかりんの軽いからかいとは全く違う種類の怖さで、心臓がさらにバクバクしていった。


「……今夜は監視も兼ねて、押さえておく」

「監視!? 囚人か私は!?」


 叫びたいけど、声を大きくしたらゆはりんが起きてしまう。

 唯一の“おとなしい存在”が崩れたら、このテントは修羅場どころじゃなくなる。


 だから必死に小声で抗議するしかない。

「ねえほんとに離してってば! 暑いよ!」

「寒がりなんで」

「うそつけー!」



 一方その頃。

 ひかりんとしおりんの攻防は、もはやドタバタを通り越して――妙な静けさを帯び始めていた。

「しおりんってさ、怒った顔もキレイだよね」

「……まずいって……ここじゃまずい……」

「でも、笑ったときのほうが好きかも」


 え? なんかチュッっとか音してなかった?


 テントの暗闇で、ふたりの囁きがやたら耳に刺さる。

 わたしは顔を覆いたくなった。

(やめてよ……ねっとりすぎるってば……!)



 そのとき。

「……んぅ……」

 一番左のゆはりんが寝返りを打った。


 わたしたちは一斉に硬直。


 この子が目を覚ましたら――また昨日みたいな大暴走が始まる。


 息を殺して待つ。

 ……でも、彼女はすぐにまた静かに寝息を立てた。


「……助かった……」

「ふぅ……」


 全員が同時に安堵の息を吐いた瞬間――


「隙ありっ!」


 ひかりんがさらに強引に、わたしとしおりんの両方へ腕を伸ばしてきた。

「わーーー!!?」

 狭いテントで、寝袋がずるっとずれて全員が転がる。


 奈々りんも「静かにしろ!」と制止しようとしたが、巻き込まれて寝袋ごとごろん。その勢いで、ゆはりんの寝袋まで揺らしてしまった。


「ん……なに……?」


 ゆはりんの小さな声。


(あ、終わった……!)



 次の瞬間、テント内は完全なカオスになった。


 しおりんはひかりんに絡まれつつも「いい加減にしなさい!」と本気で怒り出すし、奈々りんは「全員整列!」と軍隊モードに突入。

 ひかりんは「わたしの作戦勝ち~!」と得意げに叫びながら、寝袋を引っ張り回す。

 そしてゆはりんは寝ぼけ眼のまま「かおりん……?」とわたしにすり寄ってきた。


「ぎゃーーー! もう無理無理無理ーー!!」


 テントは軋み、虫の声もかき消すほどのドタバタ音が夜の山に響いた。



 ――結局その夜。

 わたしたちはほとんど眠れなかった。

 翌朝の目の下のクマは、全員おそろいだった。


(……この“クマ”は、絶対に誰にも言えないやつだ)

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