第75話「山④」
山の夜は、冷たい空気と虫の声に包まれているのに、不思議と胸の奥はざわざわして落ち着かない。
前日の夜はゆはりんが寝ぼけて、わたしに抱きつき、大騒ぎになった。だから今日は「絶対に何も起こさせない」と心に決めて、テントの中で寝袋に潜り込んだのだ。
寝袋を並べた順番は、右からしおりん、ひかりん、わたし――かおりん、奈々りん、そして一番左にゆはりん。
「ゆはりんの隣に姉妹をおかない」この配置は、ある意味で絶妙な安全策……のはずだった。
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ひかりんは寝袋に潜るなり「キャンプの夜はね、恋バナか怖い話するのが定番!」と大声を出した。
すぐ横のしおりんが「声大きいって」と注意するけど、ひかりんは全然お構いなし。テントの薄い布越しに響くその声は、まるで山の夜を切り裂くサイレンみたいだ。わたしの心にもサイレンが鳴ったけどね。
「だってせっかくでしょ? 暗い中で恋の話したら、なんかドキドキ倍増するじゃん!」
「……倍増させなくていいから」
奈々りんが冷静につっこむ。さすが、いつもブレない。
でもそのやり取りを聞いてるだけで、わたしの心臓はすでにドキドキしていた。
だって「恋バナ」って――昨日の夜の、ゆはりんとのあれやこれやを思い出すに決まってるじゃない。
お願いだから、誰も蒸し返さないで……!
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「じゃ、まずは――かおりんから!」
やっぱり来た。ひかりんの容赦ない指名。
「な、なんでわたし!? ほかにいるでしょ!」
「一番フレッシュそうだから!」
「意味わかんないよ!」
寝袋の中でじたばたしていると、ゆはりんが控えめに「かおりんの話、聞きたいな……」とつぶやいた。
その一言でわたしの顔は一気に真っ赤になる。
(うそでしょ……ゆはりんまで参戦!? っていうか昨日あんなことしておいて!?)
「か、かおりんには……好きな人、いるの?」
ゆはりんの声は小さいけど、みんなの耳に届くくらいはっきりしてた。
テントの中に一瞬の沈黙が落ちる。
「い、いない……と思う」
しおりんをチラッと見る。真剣な顔してる……。
「“思う”って何よ~!」
ひかりんがすかさず突っ込み、しおりんは小さく笑っている。奈々りんは腕を組んだまま「判定:クロに近いグレー」と冷静にコメント。
「ちょ、ちょっと! ほんとにいないんだってば!」
慌てて否定するわたしの胸の奥では、昨日のゆはりんの寝息が、妙に鮮明によみがえっていた。
*
「じゃあ次、奈々りん!」
ひかりんが矛先を変えると、奈々りんは「わたしは……そういうの、部活優先だから」とあっさりかわす。
「硬っ! 部活バカ!」
「合理的判断」
即答すぎて逆にカッコいい。でも最後に、わたしをチラチラっと見て何か言いたそう。
「じゃあ、しおりんは?」
ひかりんの質問に、しおりんは少し黙ってから微笑んだ。
「……秘密」
その答えが一番ズルい。だって“いる”のか“いない”のかすら教えてくれないんだもん。てかさ、この前の告白は何だったの??
ひかりんは「うわ、気になる~!」と転げ回り、ゆはりんまで「しおりんさん、好きな人いるのかな……」とぽそっと呟く。
わたしの胸がまたざわつく。なんだろう、このモヤモヤ。
*
「最後は……もちろん、わたし!」
ひかりんは胸を張る。
「わたしはね、めっちゃストライクな人がいるの!」
「え、ほんと!?」
思わず全員が前のめりになる。
「でもまだ秘密! こういうのはね、焦らして育てるのが恋愛上級者ってやつよ!」
「絶対にいないやつでしょ」
奈々りんの鋭い一言に、みんな大笑いした。
でも最後に、しおりんのこと熱い目で見たよね……。
笑い声がテントに響いて、山の夜に吸い込まれていく。
でもわたしの胸の奥は、笑いながらも、妙にドキドキして落ち着かなかった。
(……わたし、本当に“いない”って言い切れるのかな)
*
ひとしきり笑い終わっても、テントの中はぽかぽかと熱気が残っていた。
虫の声は変わらず外で続いているのに、ここだけ違うリズムで脈打っているように感じた。
誰もがそれぞれの胸の奥に“答えきれない気持ち”を抱いたまま――わたしたちの恋バナナイトは、山の夜にとろけていった。




