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第72話「山①」

 七月の終わり。

 セミの声が耳を埋め尽くすように鳴き響く午後。


 わたし――かおりんは、窓の外に広がる山の景色をじっと眺めていた。青々とした木々、ゆらゆらと立ち昇る夏雲。海でのドタバタ合宿から、まだ数日しか経っていないのに、今度は山にやって来るなんて思ってもいなかった。


 正直、まだ心の中ではちょっとモヤモヤしている。

 ――そう、旅館の布団事件のこと。

 ゆはりんがしおりんの布団に潜り込んで、ぎゅーっと抱きついて寝てしまったあの夜。薄暗い中で鼻の下を伸ばしたしおりんの顔、そして翌朝、眠そうなしおりんの顔を見た瞬間、胸の奥で何かがチクリと痛んだ。


(なんで……わたしじゃなくて、ゆはりんなんだろう)


 そう思った自分に驚いて、それからつい、しおりんに冷たく接してしまった。

 あの人、わたしの姉なのに。

 でも、姉だからこそ、余計に気持ちがぐちゃぐちゃになるんだよ……。



「かおりん、そんな顔してどうしたの?」


 不意に声をかけられ、ハッとして振り向く。

 隣の席で、しおりんが窓の外を見ながらつぶやいていた。


「……山って、虫多いよね」


 なんだ、それ。もっと深刻な話かと思った。

 わたしはわざと笑って言い返す。


「ヘイヘイ! ビビってる?」


「べ、別に! バカ!」


 顔を赤くしてそっぽを向く。


 ――やっぱりちょっと可愛い。だけど、それを口に出すのはなんか悔しい。



 わたしたちを乗せたマイクロバスは、山道をくねくね登っていく。窓の外には広い空と深い緑。どこまでも続く森の景色に、胸の奥がじんわりと熱くなる。


 後部座席では、黒いビキニトップをチラチラさせながら、奈々りんが地図を広げて「熊出没注意!」と興奮気味に叫んでいた。


「出会ったらどうする? 正座で睨み合うとか!?」

「やめてよ! 笑ってる場合じゃないって!」


 ピンクのワンピースを着たゆはりんが小さな声で抗議する。ウトウトしながらも、ちょっとだけ笑顔を浮かべていて可愛い。


 ひかりんはというと、相変わらずサングラスを頭に引っ掛け、スマホで音楽を流してノリノリだ。


「いいね、この景色! 最高のキャンプになりそうじゃん!」


 ――海の時とは違う空気。


 太陽は強いけど、吹き抜ける風はひんやりしていて、森の香りが肺にしみ込んでいく。



 キャンプ場に着くと、わたしたちは荷物を抱えて木々の間に広がる広場に降り立った。


 辺りにはテントの骨組みや、木製のテーブルが並んでいる。遠くから川のせせらぎが聞こえ、葉っぱの揺れる音がリズムのように重なっていた。


「よーし! 座道部、山での極意を会得するぞ!」

 奈々りんがドーンと胸を張る。


「また適当言ってる……」

 わたしは思わずため息をつく。


 でも、しおりんが真剣な顔で言った。

「山道ってゴツゴツしてるけど、正座すれば心も体も落ち着く。……座道は、場所を選ばないんだよ」


 その言葉に、みんな一瞬だけ黙った。

 やっぱりこの人、妙に説得力がある。むかつくけど、尊敬もしてしまうのだ。



 まず始まったのは「焚火の準備」。


 みんなで薪を集めに森へ入ったけど……。


「ひゃああああっ!!!」


 突然、先頭を歩いていたしおりんが悲鳴を上げた。


 見ると、手の甲にセミが止まってバタバタしている。


「ちょ、しおりん、虫ダメすぎ!」

「だ、だって! 羽音が! 羽音があああ!」


 必死に振り払っている姿に、わたしはつい吹き出してしまった。


「ほら、お姉ちゃんなんだから落ち着いて!」

 そう言って彼女の手を取ると、しおりんが顔を真っ赤にして黙り込んだ。


(……ふふ、やっぱりわたしの勝ち)



 集めた薪に火をつけると、パチパチと小さな炎が広がっていく。

 夕暮れのオレンジ色と混じり合って、キャンプ場が一気に幻想的な空気に包まれた。


「こうやって火を囲んで正座すると……なんか心が引き締まるね」

 ゆはりんが小さくつぶやく。炎の光に照らされる横顔が、ほんのり赤い。


「だろ? 山座道だ!」

 奈々りんがドヤ顔で言う。


「極意その十一、自然と一体化!」

 ひかりんが笑いながら叫ぶ。


 わたしは膝を正して火を見つめた。

 木々のざわめき、虫の声、火のはぜる音。全部が混じり合って、心臓の鼓動まで大きく聞こえる気がする。


 隣を見ると、しおりんが静かに火を見つめていた。

 その横顔にドキッとする。

 でも、すぐに目を逸らした。――だめだ、意識しちゃう。



 夜、テントに戻って寝袋を広げると、奈々りんが「右から順番!」と勝手に配置を決めた。


 ……そして、わたしはしおりんの隣になった。


 寝袋に潜り込むと、山の夜の冷気がひやっとして、自然と彼女の方に体が近寄ってしまう。


 暗がりの中で、しおりんが小声でつぶやいた。

「……ごめんね、かおりん。まだ怒ってる?」


 胸がドクンと跳ねた。

 ――ズルいなあ、そういうこと言うの。


「うん。まだちょっと。……でも、今日の虫のときの顔、可愛かったから、許してあげる」


「えっ!? か、可愛かったって何それ!?」


 しおりんが慌てて赤くなる。暗くても分かるくらい、耳まで真っ赤だ。

 その様子に、わたしはニヤッと笑った。


「内緒。わたしだけの秘密」


「ず、ずるい……」


 二人で顔を背けたまま、静かな夜に包まれる。

 森のざわめきが、子守歌みたいに聞こえてくる。



 こうして、山での一日目が終わった。

 でも、胸の中のドキドキは全然収まらなくて、目を閉じてもなかなか眠れなかった。


(ねえ、しおりん。わたしは、いつまでこんな気持ちを抱えたままでいるんだろう――)


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