第71話「土下座」
――家に帰ってきた翌日。
わたしは頭を抱えていた。いや、実際に両手で頭を抱えたまま、自室のベッドにうつぶせて呻いていた。
昨日の夜のことが、頭の中でぐるぐる回っている。
旅館の布団の中、いつのまにかゆはりんが潜り込んできて、むぎゅっと抱きついてきて……。ちっちゃいけど温かい身体がぴったりくっついて、わたしは理性と修羅場の格闘を繰り広げた。
「はあ……」
思い出すだけで顔が熱くなる。ゆはりんの可愛らしい顔と声。大きなお胸とお尻。しっかり掴んじゃったし……。ゆはりん、女の子キラーだよ。
最後の最後。――あの、ギラッと光る目。
「ヒィッ……」
そう、かおりんの嫉妬の視線。あれを忘れられるわけがない。
*
リビングに降りると、案の定だった。
かおりんは朝から一言もしゃべらない。
食卓にはトーストとスクランブルエッグが並んでいる。ママりんが「しおりんも食べなさい」と言っても、かおりんはわたしを一瞥すらせず、もくもくと食べるだけ。
「……か、かおりんさん。オレンジジュース入れる?」
精一杯の姉アピールをしてみる。だが返事は――
「……」
沈黙。ガラスコップに氷の当たる音だけがカランと響いた。
心臓がドクンと跳ねる。あ、これ完全に怒ってるやつだ。
*
夕方。
もう見て見ぬふりも限界だった。わたしはかおりんの部屋の前に立ち、深呼吸を一つ。
ノックノック。
「か、かおりん? 入っていい?」
……返事はない。部屋の中からは、ゲーム機の効果音とボタン連打の音だけが聞こえる。
もう、だめだ。
「ごめんなさいっっ!!!」
叫ぶと同時に襖をガラッと開け、そのまま畳にダイブ。
――ズベッ!!
派手な音を立ててスライディング土下座を決めた。
「土下座します! 本当にごめんなさい! お姉ちゃんが悪かったぁぁぁぁ!!!」
*
額を畳に押しつけながら必死に弁明を並べる。
「決してやましいことはしてません! ただ寝てただけ! 抱きつかれただけ! むしろ理性で耐えたんです!褒めてください!!!」
「……」
返事がない。こわごわ顔を上げると、ベッドの上にあぐらをかいてゲームを止めたかおりんが、腕を組んでこちらを睨んでいた。
ギラッ……。
その目はまさに、昨日の夜の嫉妬の光をそのまま持ち越していた。
*
「……耐えた? 本当に?」
「ほんっっとうです! 全然! 全然! 何もしてません!!!」
涙目で必死に手を振る。畳に額を擦りつけながら、必死に証明しようとするわたし。
でもかおりんは黙ったまま。わたしの前に降りてきて、わざと畳にトンッと足を置き、わたしを見下ろす。
「じゃあさ――証明してみてよ」
「え? な、何を……?」
「どれくらい私のことが好きか、土下座したまま言ってみなさい」
え、公開処刑!?
わたしは顔を真っ赤にしながら、それでも必死に叫ぶ。
「だ、大好きです!! この世で一番大事です!! いつも助けられてます!! 妹だけど女神です!! マイ・プリンセスです!!!」
あああああ言っちゃったあああ!!
畳に額をこすりつけながら羞恥で死にそうになる。
だが、かおりんはまだ腕を組んだままニヤリともせず。
「ふーん。まだ全然足りない」
*
それからが地獄だった。
「じゃあ一曲歌ってみて」
→土下座しながら校歌を熱唱。
「モノマネしてみて」
→土下座しながら担任の先生の真似をする。
「じゃあ私を褒め称える詩を作って」
→土下座しながら即興で五・七・五をひねり出す。
……涙と鼻水でぐちゃぐちゃになりながら必死にパフォーマンスを繰り広げるわたしを見て、ようやくかおりんの口元がニヤリと動いた。
*
「……まあ、そこまでやるなら、許してあげてもいいかな」
ついに! ついにその言葉が!!
「ほ、ほんとに!? かおりん様!!!」
思わず飛びつこうとした瞬間――
「でも、条件付き」
ピシッと人差し指を立てる。
「二度とゆはりんの布団に近づかないこと。もしまた同じことがあったら……次は土下座じゃ済まないから」
……こわい。めっちゃこわい。
でも同時に、心の奥がじんわり温かくなる。
ああ、やっと許してくれたんだ。
「……はい。約束します」
正座のまま、深々ともう一度頭を下げた。
畳の匂いが涙に混じって、妙に沁みる。
かおりんは「バカしお」とぼそっとつぶやいて、ベッドにゴロンと寝転がった。
――その言葉が、なぜだか世界で一番優しく聞こえた。
*
こうして、わたしの土下座大作戦は幕を閉じた。
でもきっと、これからもドタバタは続くだろう。
だって――わたしと、かおりんだもの。




