第70話「海④」
夕飯と温泉でほかほかになったわたしたちは、仲居さんに案内されて二階の和室に戻ってきた。畳の上にはすでにふかふかの布団が並べられている。まるで修学旅行みたいな光景に、自然と胸が高鳴る。
「わー、布団だ!」
「なんかテンション上がるね」
「こっち窓側がいい!」
そんな声を上げながら、わたしたちは布団の順番を決めていった。右からひかりん、かおりん、ゆはりん、わたし――しおりん、そして一番左が奈々りん。
「しおりんの隣、ゆはりんね」
「ふふ、よろしく」
ちょこんと笑うゆはりん。ちっちゃな体で無邪気に笑うその姿を見ただけで、なんだかドキッとするなー。
でも――ここは合宿、座道部の遠征(?)なのだ。余計なことを考えるのは封印しなくちゃ。
電気を落とすと、部屋は柔らかな闇に包まれた。外からは波の音と虫の声。自然のBGMが心地よく響き、わたしは布団に潜り込んだ。
「おやすみー」
「おやすみぃ」
みんなの声が交差し、やがて寝息が揃いはじめる。
*
……どれくらい経っただろう。うとうとと夢の入り口に足を踏み入れかけたとき、わたしの布団がふわっと揺れた。
「ん……?」
目を開けると、布団の端がもぞもぞ動いている。次の瞬間、ひんやりした足先がわたしの足に触れた。
「ひゃっ!」
思わず声を押し殺す。振り返ると――そこには、ゆはりんの小さな頭が潜り込んでいた。
「しおりん……あったかい……」
半分寝ぼけた声で、そう呟くゆはりん。
そのまま背中にぴったりと抱きつかれてしまった。背中に感じるのは、身体に似合わずおおきなお胸の柔らかさ。そして下半身には、ふっくらとしたお尻の感触。
「ちょ、ちょっと……ゆはりん!? そっち自分の布団でしょ……!」
小声で抗議するが、返事はなく、代わりに彼女の腕がさらに強くわたしの腰に回ってきた。
「うぅ……かわいい……けど……理性が……」
頬にかかる吐息が甘い。髪から漂うシャンプーの香りが、浴衣越しにふんわり広がってくる。くすぐったくて、でも心臓がバクバクする。
腕を外そうと試みても、かえって強くしがみつかれてしまう。ちっちゃな猫にしがみつかれているようで、逃げられない。
わたしは布団の中でジタバタしながらも、結局はされるがまま。
……しかも、ゆはりんの寝相は恐ろしく自由だった。
しばらくすると、彼女は半分起きているのか寝ているのか、無意識にわたしの肩に顔を埋めてきた。首筋に彼女の唇がふわっと触れて、思わず息を止める。
「ん……いい匂い……」
「ひゃっ……や、やめ……! それ反則……!」
寝言混じりにそんなこと言わないで! 心臓に悪すぎる!
わたしの頭の中では、天使と悪魔が大乱闘していた。
――これはあくまで偶然、寝相。相手は寝ぼけている。
――いやいや、でもこの密着感……やばすぎる。
理性がギリギリで踏ん張る一方で、体は火照って眠気なんて吹き飛んでしまった。
*
しばらくして――ゆはりんは、わたしの腕を枕にして眠っていた。
う――腕がしびれる……でも……はあ……いい匂い。
でも、腕がしびれる……はあ……いい匂い。
ちっちゃいけれど、りっぱなお胸と、丸みを帯びてふくよかなお尻がわたしに引っついて来る。もう理性が吹き飛びそう……
とりあえず、少し腕を抜こうとする。――抜けない。
……仕方ない、ゆはりんのお尻を抱えて……柔らかいお尻だなあ……お胸を押さえて腕を引き抜く。ああ、がっしり掴んじゃってる。無意識で指が少し動いて……
「あっ……ん……」
ゆはりんの声が漏れてる! 漏れてる!
ヤバイ、でも腕を抜かないと……これを何度か繰り返す。繰り返すたびに、静かな部屋の中にゆはりんの小さな声が響く。
「だめ……ん……しおりん……」
なんかいかがわしい事してるように思われちゃいそう。そうこうしているうちに、やっと腕が抜けた。
*
どれほど時間が過ぎただろう。わたしはすっかり寝不足モードに突入していた。
布団の中でごろごろ転がされながら、何度も「これは夢だ、夢なんだ」と言い聞かせる。
でも――ふと顔を上げると。
……そこには、薄闇の中で光る二つの瞳が。
かおりんだった。
わたしとゆはりんの絡みを、布団の向こうからしっかり見ていたのだ。
嫉妬と怒りと困惑が混じったような視線。暗闇でその瞳だけがぎらりと光っていて、わたしは背筋がゾワッとした。
「わ、わたし何もしてない……!」
心の中で必死に弁解するが、当然言葉にはできない。
だって現場はこれ以上ないくらいクロ。わたしの布団にゆはりんが潜り込み、ぎゅっと抱きついて離れない。どう見てもアウトだ。
かおりんは何も言わずに布団をかぶり直したが、その視線の余韻だけが鋭く刺さって残った。
*
朝。
朝食の時間。食堂のテーブルを囲んだわたしたちの前には、焼きたてのアジの干物と味噌汁が並んでいた。
「うまそー!」
「いただきます!」
ひかりんと奈々りんは元気いっぱい。ゆはりんもいつも通り、にこにこ顔で「よく眠れたね」と言ってくる。
……わたし?もちろん目の下にクマ。寝不足の極み。
「しおりん、大丈夫?顔色悪いよ」
「……ゆはりんのせい」
小声で呟くが、本人は全然気づいていない様子でアジをもぐもぐ食べていた。
一方、かおりんはというと、あからさまにわたしと目を合わせようとしなかった。箸の動きも妙に速く、ツーンとそっぽを向いたまま。
……完全に誤解されてる。どうしよう。
朝食を終え、荷物をまとめて宿を出る時間。
みんなは「楽しかったね!」と笑顔で解散したけれど、わたしの心の中は不安とモヤモヤでいっぱいだった。
ゆはりんはケロッと「また一緒に寝ようね」なんて言ってきて。
かおりんは最後までわたしをチラッと見ただけで、すぐに目を逸らした。
――ああ、わたし、どうしたらいいの?
旅館の夜は、座道部史上もっとも眠れない夜となってしまったのだった。




