第5話「麻雀」
気持ちの良かった春の木漏れ日が陰ってくると、少し肌寒くなった。
「……ところでさ」
クッキーをぽりぽりしながら、私はふと口を開いた。
「夕飯までどうしよう?」
「ん~~~。ゲームでもする?」
さっきまでスマホをいじっていた妹ーーかおりん(正)も、さすがに飽きてきたようだ。
「じゃあオセロとか?」
「シンプルすぎる」
「将棋は?」
「ルールが微妙」
そんなやりとりをしていると、玄関からガチャリとドアの音がした。
「あ、パパ帰ってきたみたい」
私は身構えた。そう、ここに一人、“空気読めない男”がいるのだ。
「ただいま~、お、今日はみんな揃ってるじゃないか!」
姿を現したのは我が家の父――パパ……なのだが、私にとっては“割り込み型おじさん”である。つまり……百合にはさまる男は死ねばいい……これが持論なのだ。
「おかえり、あなた。今日は娘たちと家族団らん中よ~」
「お、そりゃいいねぇ!じゃあパパも混ぜてくれ!」
来た。間髪入れずに突っ込んできた。
母――ママりんは「ふふ」と微笑みながら、紅茶のカップをもう一つ差し出す。
「お茶飲む?」
「お、気が利くね~ママりん」
あ。今、言った。ママりんって言った。
「……え、パパが言うの?」
「え?違うの?なんか最近“りん”って呼び合ってるから合わせただけだよ?」
私と妹、かおりんは、顔を見合わせた。
――空気読めてない。
今、私たちの世界はしおりん、かおりん、ママりんの三角形で完成されていたのに。そこに雑にパパりんが入り込もうとしてくるとは……。
せめて“パパりん”って自分から名乗ってほしかったよね。そんなことを思っていると、父が唐突に言った。
「そうだ!麻雀しよう!」
「は?」
「なにしろ4人いるんだから、ちょうどいいだろ?お前たち、ルール覚えてるか?」
ママりんはすぐにノッた。
「久しぶりにやりたいかも~。私、混一色好きだったのよね」
「かおりん、どう?」
「えー、私まだちゃんと覚えてないよ?教えてくれるならやるけど」
「しおりんは?」
えぇ……百合空間崩壊しそうなんだけど。
でも、断ったら私だけハブになる。
「……いいよ、やる」
言っちゃった。
*
麻雀牌を並べ始めたパパりんのテンションは、すでに天元突破していた。
「いや~、久しぶりだなあ!ママりんの混一色、また見られるとはな!」
「ふふ、今日は勝ちに行くわよ?」
ママりんがちゃっかりドラ表示牌を確認しているのに気づき、私はため息をついた。
そして――その横で、かおりんが両手の指を組みながら、むぅっと顔をしかめた。
「……あのさ、やっぱり麻雀わかんないかも……」
「え?」
全員の手が止まった。
「だって、ピンズ?ソウズ?なんか数字ついてるやつと絵だけのやつがあって……字もいっぱいだし、カタカナも漢字もあって……頭パンクしそう」
かおりんは、ふにゃっと眉を下げたまま、頬をぷくっと膨らませた。
ちょっと目がうるうるしてる。
やばい、かおりん可愛すぎない……?
「ちょ、ちょっと待って、そんな悲しそうな顔しないで! かわいいけど!」
「可愛くても麻雀は難しいの。しかもこれ、パパりんとママりんが本気モードだし」
「たしかに……」
母はもう、手牌を広げる前から計算を始めてた。父も鼻歌まじりで点棒を整えてる。
かおりんはそっと私の腕をつかんで言った。
「しおりん……ダメ? 別のゲームがいいよぅ……」
涙声……ヤバイ、ヤバイ、ヤバイ、その声がもう天使……
「……うん、いいと思う。ていうか、やめよう、麻雀」
抵抗できないよね。
「えぇぇ~~~っ!?」
パパりんがのけぞる。
「いやいやいや、ここまで並べたのに!? せっかく役満出す気まんまんだったのに!?」
「いや、役満って出そうとして出すもんじゃないから!」
母も、苦笑しながら言葉を挟む。
「仕方ないわよ。かおりんが可愛く『わかんない』って言ったら、全てのルールが書き換えられるのよ」
「それはそれでどうなの!? 理不尽じゃない!?」
「理不尽でも、それが我が家のルールなの」
私はにやっと笑って、かおりんの頭をなでた。
「……じゃあ、なにする? 他のボードゲームある?」
「うーん」
かおりんはしばらく考え込んで……
「 “上海”…… “上海”ならわかるかな……」
「上海?」
「うん、PCに入ってるあのゲーム。ほら、同じ牌を選んで消していくやつ!」
ああ、あれか。ソリティアの一種みたいなやつ。意外と頭使うし、地味にハマる。
「それなら一人でもできるけど、時間制限つけたりしてみんなで順番にやるのはアリかも」
「そうそう!どれだけ早く全部消せるか、って勝負!」
「上海……麻雀じゃなくて上海か……」
パパりんがポツリとつぶやいた。パパりんの涙声ではグッとこないな。
「違う牌だけど、絵柄は同じだし。なんか、麻雀のエッセンスだけ抽出した感あるよな……」
「もういいじゃない。あなた、かおりんの笑顔が見られるなら、ゲームの種類なんてどうでもいいでしょ?」
ママりんが紅茶を飲みながら、優しく微笑んだ。
「……麻雀やりたかった……」
やっぱり空気読めてない。
*
PCをリビングに移して、家族で“上海大会”を開催することにした。
ルールは簡単。制限時間10分以内に何枚消せるか。順番は年齢順……つまり、まずはパパりんから。
「よし、いくぞ!」
クリック、クリック、ズレた、消えない、なんでっ!? ――結果:残り42牌。
「むずかしっ!これ、全然思った通りに消えないんだけど!?」
「よしよし、私がやる番ね♪」
ママりんは冷静そのもの。手をクロスさせながら、ポンポンと消していく。
「……うわ、速っ!」
結果:残り18牌。
「やっぱり、混一色で鍛えた読みが生きてるわね」
「え、それ全然関係なくない!?」
「しおりん、次っ!」
私はそこそこの集中力で挑んだ。
途中、同じ絵柄を見つけて「きた!」と思ったら一つ下に重なってて消せない、とか、地味に焦る場面も多い。
結果:残り25牌。微妙。
「……くっ」
「最後、あたしの番!」
かおりんは正座でマウスに向かい、なぜか「えいっ」「やっ」と小声で言いながら操作をしていた。
なんだこの可愛い妹。
「……ここかな? あ、こっちが先かも……わあ、どんどん消えていく~!」
もう、実況すらも尊い。
結果:残り20牌。
「おおっ、かおりん惜しい!」
「ふふ、ママりんには負けちゃったけど、しおりんには勝った♪」
「むっ……あたしに勝ったからって調子に乗るな~!」
くすくす笑い合いながら、あたしはかおりんの髪をわしゃっと撫でた。
「ちょっ、やめて~! 前髪ぐちゃぐちゃになる~!」
「いいよ、似合ってる!」
「もうーー」
そう言って頬を膨らませたかおりんは、マジで天使だった。
*
日もとっぷり暮れて、カーテンの隙間から夜の気配が差し込んできた。
夕飯の支度を始めるママりんの背中が、妙に優しく見える。
「今日もいろいろ遊んだね~」
「うん。麻雀しなかったけど、上海楽しかった」
「……ほんとはちょっと麻雀もやりたかったけどね」
「しおりん、そういうとこツンデレっぽい」
「うるさいな~」
……かおりんに言われるとくすぐったい。
「それにしてもパパのテンションだけ浮いてた気が……」
「うるさいなぁ~、お父さんだって混ざりたかったんだよ!」
その時、かおりんがふとつぶやいた。
「でも、こういうのって百合に割り込む男?とか言われてたような……」
それ、言っちゃう?
パパが固まる。
「おい、いきなりメタなこと言うなよ……」
私は笑いをこらえながら紅茶をすすった。
「まあ、でも今日は特別ね。しおりんも、ママりんも、かおりんも、たまには家族と遊ぶの悪くなかったし」
「うん、パパりんもたまにはね」
あ。
今、言っちゃった。
「……え、今“パパりん”って言った?」
「うん。せっかくだし、呼んであげようと思って」
かおりんはくすっと笑っている。なんという慈悲深い天使。
父は目を潤ませながら、手を胸に当てた。
「パパりん……か……ああ、夢みたいだ……」
「調子乗らないで」
「はいっ」
笑い声と牌の音が混じり合って、夜が更けていく。
しおりん、かおりん、ママりん、パパりん。
なんだこの“りん”一家。
でも、まあ――悪くない。