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第45話「だるまさんがころんだ」

 5月の夕暮れ、窓の外は茜色に染まり、部屋の中にはほのかに甘いお菓子の香りが漂っていた。リビングのテーブルには、座道部の定番お茶会用のクッキーと紅茶が並び、かおりんと私がソファに座って、ぼんやりとテレビを眺めていた。今日は大学も高校も部活がなく、珍しく二人きりの時間ができた日だ。


「しおりん、なんか今日もいつもより静かじゃない?」


 かおりんが、クッキーをかじりながら言う。スウェットの裾を膝までたくし上げたラフな姿で、ソファに胡座をかいている。


「うん、なんかね……。テレビもあんまり面白くないし」


 私はリモコンを手にチャンネルを変えながら、ため息をついた。画面では、クイズ番組が流れているけど、頭に入ってくるのは半分くらい。


 かおりんはクッキーを口に放り込み、むぐむぐと咀嚼しながら、突然目をキラッとさせた。


「ねえ、しおりん! こういうときこそ、ゲームしない? また座道式で!」


「また座道式ゲーム?」


 私は思わず笑いながら、かおりんの顔を見る。


「また何か企んでるでしょ?」


「ふふ、もちろん! 今回はね……『だるまさんがころんだ』で勝負!」


「だるまさんがころんだ!? それ、座道式でどうやるの?」


 私は興味津々で身を乗り出した。かおりんのアイデアはいつも突拍子もないけど、なぜか毎回ハマってしまう。


「ルールは簡単! 鬼は正座して、背を向けて『だるまさんがころんだ』って言う。隠れる側は、音を立てずに近づいて、鬼の背中にそっと触れる。動くときは、座道の美しい姿勢をキープ! 崩れたら即アウト!」


「なるほど……静寂と姿勢の勝負ってわけね。座道部らしいや」


 私はニヤリと笑い、クッキーを一つ手に取った。「じゃ、最初は私が鬼ね。かおりん、準備いい?」


「バッチリ! しおりん、絶対負けないよ~!」


 かおりんはソファから飛び降り、軽くストレッチをしながら気合を入れる。



 私はリビングの壁に正座し、背を向けて目を閉じた。座道部の心得その一:どんなときも姿勢は美しく、心は静かに。


「だるまさんが……ころんだ!」


 声を響かせると、背後でかおりんの気配がふっと動くのがわかった。フローリングの上で、かすかに衣擦れの音。だけど、すぐに静寂に戻る。さすがかおりん、座道部の部長だけあって、音を立てないのが上手い。


「だるまさんが……ころんだ!」


 二回目のコール。少しだけ振り返りたくなる衝動を抑え、私は呼吸を整えた。かおりんの気配は、まるで忍者のように静かだ。


「だるまさんが……ころんだ!」


 三回目。今度は、ほんのわずかに、床がきしむ音がした。私は素早く振り返る。


「動いた!」


 かおりんは、ソファの陰で胡座をかいたまま、ピタッと動きを止めていた。姿勢はバッチリ、まるで座禅を組む僧侶のよう。だけど、口元にニヤリと笑みが浮かんでいるのが見えた。


「しおりん、鋭いね! でも、まだ触られてないよ~!」


「くっ、さすがかおりん……!」


 私は笑いながら、また背を向けた。


「だるまさんが……ころんだ!」


 今度は、ほとんど音がしない。かおりん、めっちゃ本気出してる! 私は心の中でドキドキしながら、次のコールを準備する。


 そして──


「だるまさんが……ころんだ!」


 振り返った瞬間、かおりんが私の背中に指先でちょんと触れた。


「みっけー!」


「うわっ、しおりん、負けた!」


 かおりんは大笑いしながら、ソファにどすんと座り込む。「しおりん、鬼のくせに油断しすぎ!」


「だって、かおりん、忍者すぎるよ! いつ近づいたの!?」


 私も笑いながら、かおりんの隣に座った。


「ふふ、座道の極意その二:気配を消し、風と同化する!」


 かおりんは得意げに胸を張る。


「そんな極意、初めて聞いたわ!」


 私たちは顔を見合わせて、クスクスと笑い合った。



 次はかおりんが鬼の番。私はリビングの端に正座し、準備を整えた。今回は、絶対に触られないように、姿勢も心も完璧に整えるつもりだ。


「だるまさんが……ころんだ!」


 かおりんの声が響く。私はそっと立ち上がり、音を立てないように一歩進む。胡座をかき、背筋を伸ばし、まるで畳の上で瞑想するように。


「だるまさんが……ころんだ!」


 二歩目。今度は、ソファの陰を使って、かおりんの視線を避ける。フローリングの冷たさが足の裏に伝わるけど、集中力を切らさない。


「だるまさんが……ころんだ!」


 三歩目。かおりんの背中が、もうすぐそこだ。私は息を止め、指先をそっと伸ばす。


 ──が、その瞬間!


「動いた!」


 かおりんが振り返り、私の指が背中に触れる寸前で止まった。


「うそ、めっちゃ惜しい!」


 私は思わず叫んで、畳にぺたんと座り込んだ。


「しおりん、めっちゃ近かったのに! でも、姿勢、ちょっと崩れてたよ~」


 かおりんはニヤニヤしながら、私の肩をポンと叩く。


「くっ、次こそは絶対触るから!」



 ゲームはどんどん白熱していった。三回目には、ルールを少しアレンジして、部屋の電気を消して真っ暗な中で勝負することに。夜の静寂と、ほのかに漂うお菓子の香りの中、座道式だるまさんがころんだは、まるで心の修行のような雰囲気になった。


「だるまさんが……ころんだ!」


 かおりんの声が、暗闇の中で響く。私はソファの裏に隠れ、胡座をかいたまま、じっと息を潜めた。暗闇だと、音がいつもより大きく聞こえる。自分の心臓の音まで、ドクドクと耳に響いてくる。


「だるまさんが……ころんだ!」


 私はそっと動く。フローリングの上で、かすかに衣擦れの音がするけど、それを夜の風に紛れさせる。かおりんの背中が、暗闇の中でほのかに輪郭を浮かべている。


「だるまさんが……ころんだ!」


 あと一歩。私は息を止め、指先を伸ばす。そして── 少しズレる


「触った!」


 かおりんのお尻に、ちょんと指が触れた。


「ひゃあ!」


「あっ、ごめーん。大きくてつい」


 かおりんの頬がぷくっとふくれる。かわいい。


「うー、そんなに大きくないもん」


「と、とにかく、私の勝ちね」


「うわっ、しおりんの勝ちか!」


 かおりんが振り返り、暗闇の中で大笑い。


「しおりん、めっちゃ忍者じゃん!」


「でしょ! 座道の極意その三:暗闇でも心はブレない!」


 私は得意げに笑い、かおりんとハイタッチ。



 ゲームが終わった後、私たちは電気をつけて、ソファに並んで座った。テーブルの上には、クッキーの欠片と冷めた紅茶。窓の外では、夜の風がカーテンをそっと揺らしている。


「しおりんエッチだよ、お尻とか触ってくるし……」


 かおりんが、膝を抱えながら言う。


「もっとしっかり触るんだった。揉みほぐしてあげたい」


 私は紅茶を一口飲みながら、笑った。


「えーやだあ」



 翌日、大学の映画研究会内座道部で、ひかりんと話しながら、昨夜のことを少しだけ話した。


「しおりんとかおりん、ほんと仲いいよね。座道式だるまさんがころんだ、めっちゃ楽しそう!」


 ひかりんはイケイケ系の笑顔で、いつものように私の肩をポンと叩く。


「でしょ? 次はひかりんも混ぜて、大学バージョンでやろうよ」


 私が言うと、ひかりんは目をキラキラさせて、


「いいね! 山野くんと安達さんも誘って、部室で暗闇だるまさんがころんだ!18禁バージョン」


 とノリノリ。 それはちょっとなあ。

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