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第44話「かくれんぼ」

 5月も終盤になる日の夜、今日は昼間の柔らかな暖かさとは裏腹に、ひんやりとした空気をまとっていた。窓の外からは、時折、春の虫の声が小さく響き、街灯の光がカーテンの隙間から淡く差し込む。私はソファに座り、テレビの音をBGMにぼんやりとしていた。隣では、かおりんがスウェット姿でストレッチをしながら、時折「うーん」と小さく唸っている。


「風邪治ったばかりで大丈夫なの?」


 私が窓を少し開けた瞬間、ひやっとした風が部屋に流れ込み、思わずそう声をかけた。


「平気、平気、完治、完治!」


 かおりんは笑顔で手を振って、ソファにどすんと座り直す。その動きはまるで、部活帰りの元気な中学生のようだ。


「……今日はなんか、静かだね」


 私はリモコンを手に、テレビのチャンネルを変えながらぽつりと言った。


 いつもなら、今日は座道部の仲間たちと部室で畳の上で正座しながら、奈々りんやゆはりんと笑い合っていたはずだった。でも、珍しく部活も予定もない日となった。かおりんと二人、こうやって家で過ごすのは、なんだか久しぶりだった。


 テレビでは、どこかの旅番組が流れているけど、内容はまるで頭に入ってこない。かおりんも、膝を抱えてソファに座りながら、なんだかそわそわしているように見えた。


「ねえ、しおりん」


 かおりんが、急に目をキラッとさせて言った。


「ん? なに?」


「ひさしぶりに、あれ、しようよ」


「……あれ?」


 私は首をかしげる。かおりんの「あれ」が何を指すのか、すぐにはピンとこなかった。


「かくれんぼだよ、もちろん『座道式』で!」


 その言葉に、私は思わず吹き出してしまった。


「座道式かくれんぼ!? 夜にやるのって、ちょっと新鮮かもね」


 座道式かくれんぼ──それは、座道部の部長であるかおりんが考案した、ちょっと変わった遊びだ。ルールはシンプル。美しい座り方のまま、物音ひとつ立てずに隠れる。そして、探す側もまた、静かに、姿勢を崩さず相手を見つける。まるで座禅のような集中力と、忍者のような静けさを競う、静の勝負。


「でしょ? じゃあ、先に隠れるから、数えてて!」


 かおりんはソファから飛び降り、ニヤリと笑うと、さっさと準備を始めた。


「はいはい、了解。じゃあ、目つぶるよ」


 私はソファに正座し、両手で目を覆って、ゆっくりとカウントを始めた。


「いーち、にーい、さーん……」


 かおりんの足音が、フローリングの上で小さく遠ざかっていく。家の中は静まり返っていて、テレビの音すら消した今、虫の声と私のカウントだけが響く。少しだけ、胸がドキドキした。夜のかくれんぼって、なんだかいつもより緊張感がある。


「じゅう! よし、探すよ!」


 私はそっと立ち上がり、足音を殺して歩き出した。まずはリビング。ソファの裏、テーブルの下、テレビ台の隙間……どこにもいない。次に台所。流し台の下や、冷蔵庫の横もチェックしたけど、やっぱり空振り。


「ん……まさか、あそこ?」


 私は自分の部屋に向かい、押し入れの引き戸をそっと開けた。服や布団が整然と並んでいるけど、かおりんの姿はない。


「ふふっ……まさかの不発か」


 私は小さく笑いながら、次に廊下の納戸に目を向けた。納戸の戸を、ゆっくり、音を立てないように開ける。すると──


「……みっけ!」


 棚の下、畳一枚分ほどの狭いスペースに、かおりんが静かに正座していた。目は伏せられ、呼吸はほとんど聞こえない。まるで小さな座禅僧のような、凛とした姿。


「……やるじゃん、かおりん」


 私は感心しながら、納戸の前にしゃがんだ。


「でしょ? わたし、座道部の部長ですから!」


 かおりんは得意げに胸を張り、ニコッと笑った。その笑顔が、夜の薄暗い納戸の中で、なんだかやけに眩しく見えた。


「じゃあ、次は私が隠れる番ね」


 私は立ち上がり、座布団を手に持つ。


「よーし、しおりん、どこに隠れるかな? 楽しみに数えるよ!」


 かおりんは目を閉じ、楽しそうにカウントを始めた。


「いーち、にーい……」


 私は廊下を抜け、かおりんの部屋へと向かった。机の下は……ちょっと狭すぎる。押し入れは、さっき私がチェックした場所だから、ありきたりすぎる。ふと、窓辺に目をやると、レースのカーテンが風に揺れているのが見えた。


「ここ、いいかも」


 私はカーテンの後ろに座布団を敷き、胡座をかいて姿勢を正した。カーテンが風で揺れる動きに合わせて、身体をほんの少し揺らし、まるで背景に溶け込むように。視線は床に落とし、呼吸は浅く、静かに。座道部の心得その一:心を整え、存在を消す。


「じゅう! しおりん、探すよ~!」


 かおりんの声が家の中に響く。軽やかな足音が、リビングから台所、洗面所へと移動していく。


「いないなあ……お風呂場にも、いないし……」


 カーテンの隙間から、かおりんの影が廊下を通るのがチラリと見えた。私は一瞬、呼吸を止めた。心臓が小さく跳ねる。


 かおりんの足音が近づいてくる。私の部屋のドアが開く音。そして、押し入れの戸がそっと開く音。


「ふふ、しおりん、押し入れはベタすぎるよ~」


 かおりんの声が、少し遠ざかる。私は内心、ほっと息をつく。が、その瞬間──


「ふふっ、やっぱりここだった~!」


 パッとカーテンが開けられ、かおりんの笑顔が目の前に現れた。私は思わず笑ってしまった。


「ま、また見つかった……!」


「しおりん、呼吸止めるの、ちょっとわかりやすいよ? 急に静かになると、逆に怪しいんだから!」


 かおりんは得意げに言うけど、その目はいたずらっぽく光っている。


「そ、そんなの、初心者には難しいってば!」


 私は頬を膨らませて抗議すると、かおりんも笑いながらカーテンのそばに座り込んだ。


「じゃあ……もう一回、勝負しようか」


 かおりんが、ちょっと真剣な顔で言った。


「望むところ!」


 私は気合を入れて立ち上がる。



 次のかくれんぼは、少しルールをアレンジすることにした。部屋の電気を全部消して、真っ暗な中で勝負する。光も音もない、完全な静寂の中での座道式かくれんぼ。まるで、心の奥まで見透かされるような、不思議な緊張感があった。


「しおりん、準備いい? いくよ~! いーち、にーい……」


 かおりんのカウントが、暗闇の中で響く。私はそっとリビングに戻り、ソファの裏に隠れることにした。座布団を敷き、膝を抱えて小さく縮こまる。姿勢は正さず、今回はあえて『自然体』で隠れることに挑戦だ。


 暗闇の中、かおりんの足音が遠くで聞こえる。時折、家具にぶつかる小さな音や、「うっ、暗い!」という呟きが漏れてきて、思わず笑いそうになるのを堪えた。


 かおりんを探す私の番になると、私はさらに慎重に動いた。暗闇の中、指先で壁や家具をなぞりながら、音を立てないように進む。リビング、台所、廊下……どこにもいない。


 ふと、かおりんの部屋のドアが少し開いているのに気づいた。私はそっと近づき、ドアの隙間から中を覗く。すると、ベッドの下から、ほんのわずかに布の擦れる音がした。


「そこだな……?」


 私はベッドのそばにしゃがみ、そっと覗き込む。暗闇の中、かおりんがベッドの下に正座して、じっと息を潜めているのがほのかに見えた。彼女のスウェットの裾が、微かに畳に触れている。


「……みっけ!」


 私が囁くと、かおりんは「うわっ!」と小さく声を上げ、笑いながら這い出てきた。


「しおりん、暗闇でも鋭いね! さすが座道部のエース!」


「エースって何!? 部長はかおりんでしょ!」


 私たちは暗闇の中で顔を見合わせて、クスクスと笑い合った。


 でも、その笑い声が響いた瞬間、かおりんの動きがピタッと止まった。彼女の顔が、街灯の淡い光に照らされて、なんだか少し青ざめているように見えた。


「かおりん? どうしたの?」


 私はちょっと心配になって、彼女の肩に手を置く。


「う、うう……なんか、暗闇、ちょっと怖くなってきた……」


 かおりんが、ちっちゃい声でぽつり。いつも元気いっぱいの彼女が、こんな風に弱気な声を出すなんて、めっちゃ珍しい。


「え、かおりん、怖いの!? 大丈夫、ただの家だよ!」


 私は笑って励まそうとしたけど、かおりんの目がうるっと光ってるのに気づいて、胸がキュッとなった。


「うう、だって、暗すぎるし……なんか、変な音聞こえた気がするし……」


 かおりんが、膝を抱えて縮こまりながら言う。彼女の声が、ちょっと震えてる。


 確かに、暗闇の中で家の中の音がいつもより大きく聞こえる。窓の外の虫の声や、遠くで軋む床の音が、なんだか不気味に響いてくる。私も一瞬、ドキッとしたけど、座道の心で冷静さを取り戻す。


「大丈夫、かおりん。ほら、私がいるよ。座道の極意その三:暗闇でも心はブレない、だよね?」


 私は胸が熱くなって思わずかおりんを抱きしめていた。かおりんの匂いがする。柔らく可愛らしくちょっといたずらな匂い。抱きしめながら、そっと手を握った。かおりんの手は、いつもより冷たくて、ちょっと汗ばんでた。


「う、うん……でも、しおりん、ほんとになんか出たらどうしよう……」


 かおりんが、私の手をぎゅっと握り返して、目をキョロキョロさせる。


「大丈夫……大丈夫……」


 落ち着かせるように、優しく額にキスをした。かおりんが私を見上げている。小動物のようにおびえている。その姿が、いつもは座道部の部長として堂々としてるかおりんとは全然違って、なんかかわいい。


「しおりんが……すき」


 何か聞こえた気がした。


 私は慌てて聞こえないふりをして、


「ほら、座道式かくれんぼは、心を整える修行なんだから! 怖いときは、深呼吸して、姿勢を正す!」


 かおりんの肩をポンと叩いて、笑顔で言う。


 かおりんは、ちょっとだけ笑って、深呼吸を始めた。


「すー、はー、すー、はー……」


彼女の呼吸に合わせて、私も一緒に息を整える。畳の感触が、なんだか心を落ち着けてくれる。


「よし、ちょっと落ち着いた?」


「うん、ちょっと……。しおりん、ありがと……」


 かおりんが、恥ずかしそうに微笑む。でも、その目がまだ少し潤んでるのに気づいて、私は思わず立ち上がった。


「よし、じゃあ、暗闇かくれんぼはここまで! もう一回、電気つけて勝負しよう! 今度は私が隠れる番ね!」


「え、うそ、しおりん、まだやるの!?」


 かおりんが、びっくりした顔で言うけど、目はもうキラキラしてる。


「当たり前! 座道部の部長が怖がってちゃ、修行にならないでしょ!」


 私はニヤリと笑って、電気のスイッチをパチンと入れる。リビングが明るくなって、かおりんの顔もパッと元気になった。



 電気をつけて次の勝負。私は、かおりんの部屋のクローゼットに隠れることにした。服の間に座布団を敷いて、胡座をかいて姿勢を正す。暗闇の緊張感はないけど、明るい分、かおりんの動きが読みやすそうで、ちょっとワクワクする。


「いーち、にーい……」


 かおりんのカウントが響く。私は息を整えて、服の隙間からそっと外を覗く。かおりんの足音が、リビングから廊下へと移動していく。


「じゅう! しおりん、探すよ~!」


 かおりんの声が、さっきより元気いっぱいだ。よかった、怖がってたのが嘘みたい。彼女の軽やかな足音が近づいてきて、部屋のドアが開く音がする。


「しおりん、どこかな~? 押し入れはベタすぎるよね!」


 かおりんが、押し入れの戸を開ける音。私はクローゼットの中で、クスクス笑いを堪える。


 でも、かおりん、さすが座道部の部長。すぐにクローゼットの前に来て、ドアをそっと開けた。


「ふふっ、しおりん、みっけ!」


「うわ、早い! かおりん、復活したね!」


 私は笑いながらクローゼットから出て、かおりんとハイタッチ。


「だって、しおりんが励ましてくれたから! 座道の心、めっちゃ効いたよ!」


 かおりんが、ニコニコしながら言う。その笑顔見てたら、なんか胸がじんわり温かくなった。



ゲームの後は、リビングの畳に座って、冷蔵庫から持ってきたアイスティーで乾杯。窓の外はすっかり夜で、街灯の光がカーテンの隙間から差し込んでる。


「しおりん、今日、めっちゃドキドキしたけど、楽しかった!」

 かおりんが、アイスティーをぐびっと飲みながら言う。


「うん、かおりんが泣きそうになってたときはビックリしたけど、復活してよかったよ」


 私は笑いながら、かおりんの頭を軽くポンと叩く。


「もう、泣いてないって! ただ、暗闇がちょっと怖かっただけ!」


 かおりんが、頬を膨らませて抗議するけど、目は笑ってる。


「ねえ、しおりん」


 かおりんが、急にちょっと真剣な声で言う。


「ん? なに?」


「こういう時間、ずっと続けたいね。しおりんと」


その言葉に、私の胸がじんわり温かくなる。


「うん、絶対。次はどんな座道式ゲームやろう? 暗闇でも怖がらないやつ!」


「うそ、しおりん、暗闇リベンジ!? じゃあ、座道式鬼ごっこ!」


 かおりんが、目をキラキラさせて言う。


「正座で這うやつ!?」


 私が冗談っぽく言うと、二人で大笑い。



 窓の外では、春の夜風がそっと木々を揺らしていた。私は目を閉じ、かおりんの笑顔を思い浮かべながら、静かに眠りについた。


 ──また、こんな夜を、かおりんと一緒に。


 心の中で、そんな小さな約束をしながら。

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