第42話「我慢比べ」
夜の空気は少しひんやりとしていて、かおりんが窓を少しだけ開けると、ひやっとした風が入ってきた。
「風邪治ったばかりで大丈夫なの?」
「平気、平気、完治、完治」
そう言って、再びソファに座ってスウェット姿でストレッチをするかおりん。
「……今日はなんか、静かだね」
学校帰りの部活もなく、珍しく私も予定がなかった日。ふたりでぼんやりテレビを眺めていたけれど、内容は全く頭に入ってこなかった。
「ねえ、なんか遊ぼ」
言葉より先に、かおりんの目がいたずらっぽく笑っているのがわかる。
「遊ぶって……?」
「うふふ、そんなことないよ。ただの“我慢比べ”だよ?」
「また何か企んでるな……」
「じゃあ、やってみる?先に笑った方が負け!」
そう言いながら、かおりんは私のほうにじわじわと近づいてきた。距離がやたら近い。
「なになに、なんの我慢なの?」
「ふふ、それはやってみてのお楽しみ~」
その笑顔が、完全に“悪だくみ中”のやつだってことは、姉歴15年の私にはすぐにわかる。
「……負けないからね」
「望むところです!」
*
第一ラウンドは「無言くすぐり対決」。
「よーい、スタート!」
私はソファに横になったかおりんのわき腹に指を滑り込ませる。無言で、表情だけで攻めるスタイル。笑ったら負け。
「……んふっ……ふふふっ!」
1分ももたなかった。
「はい、アウト!」
「ずるい~!しおりん、そこ反則だよ~!」
「何が?わき腹はオフィシャルスポットでしょ?」
「もう、次はわたしの番!」
今度はかおりんが私の肩に手を伸ばしてくる。目が真剣……というか、ちょっとギラついてる。
「覚悟しなよ?」
「え、まって、そんな顔で攻められたら緊張するんだけど」
そして始まる、かおりんのカウンター。
その手が、脇から背中へ、さらには太ももに近いところまで滑ってきた。
「おい……そこ……アウトじゃね?」
「なに言ってるの?ここが本番だよ?」
「言い方っ!」
言葉に詰まった瞬間、笑ってしまった。
「うわっ、今の反則じゃない!?言葉攻撃まであるの!?」
「うん、だって“我慢比べ”だもん」
かおりんはあくまで涼しい顔で、勝ち誇ったように腕を組む。
ソファの上で体勢を立て直しながら、私は少しだけ息を整える。さっきの手の動きが、想像以上にゾワゾワしてて……ちょっと変な汗かいた。
「次、なに勝負にする?」
「……負けた人が、くすぐりじゃなくて……“誘惑”に耐える、ってのは?」
冗談のつもりで言ったつもりだったけど、かおりんが目をキラリと光らせた。
「お、面白そうじゃん。それ、採用!」
「うそでしょ」
*
第二ラウンド:「誘惑に耐える」対決。
「じゃあしおりん、目つぶって座って」
言われるがままに目を閉じる。床に座って、背筋を伸ばしていると、すぐ目の前にかおりんの気配を感じた。足音も気配も、近い。すごく近い。
「はーい、誘惑、開始~」
その瞬間、私の太ももに何かが当たった。やわらかい……まさか、お尻?
「……おい、待って、それは」
「え?なにもしてないよ?」
わざとらしくとぼける声と、あきらかに距離ゼロの腰回りの感触。座っている私の膝に、かおりんが向かい合わせで膝を立てて乗ってきていた。
「おいっ……これ反則じゃない?」
「しおりんが“誘惑勝負”って言ったからには、がんばってもらわないと」
顔が近い。体温も感じる。妹相手にこんなに照れるなんて、自分が怖い。
「……ふふっ」
「笑ったー!」
「だ、だって!お前、それはずるいって!」
「勝負に負けはつきものです~!」
かおりんが嬉しそうに転がって、ソファにダイブした。私は顔を覆って、思わず笑ってしまう。頬はほんのり熱い。完全に振り回されてる。
「じゃあ、ラストラウンドはなににする?」
「うーん……ちょっと待って……」
私は思案しながら、ふと目の前のかおりんを見つめた。ソファで仰向けになり、スウェットの裾がちょっと上がって、膝のあたりまで脚が出ている。白くて、細くて、よく動くくせに、意外と女の子らしい形。
「しおりん?なに見てんの?」
「べつに……」
言いながら、わざと真顔でこう言った。
「最後の勝負。おでこにキスされても笑わなかったら勝ち」
「……えっ?」
さすがに予想外だったらしく、かおりんが一瞬止まる。
「なにその……急に恋愛イベントみたいな勝負」
「だって、誘惑の次は“距離感”でしょ?」
「……やるなら、ちゃんとやってよ?」
「当たり前」
私はそっと近づき、かおりんの前にひざまずいた。お互い、顔の距離は10センチもない。かおりんの表情が、さっきまでと違ってちょっと緊張してる。
「……目、つぶって」
「……うん」
目を閉じたその瞬間、私は静かに、おでこに唇を近づける。
ほんの一瞬。ふわっと、軽く。けれど、確かに触れた感覚。
「……」
かおりんが固まった。
目を開けて、ぽかんとした顔で私を見る。
「……ふふっ……」
「笑った!」
「だって!なんか、それずるいって!」
私たちはまた笑い転げて、クッションを投げ合った。
*
夜が深まるにつれて、笑い声も落ち着いていく。
床に寝転がりながら、かおりんが小さくつぶやいた。
「しおりんってさ……ほんと、たまにズルいよね」
「それ、褒めてる?」
「……たぶん、ちょっとだけね」
その返事に、私は少しだけ微笑んだ。
我慢比べ。
ただの遊びに見せかけて、お互いの距離が、また少しだけ近づいた夜。




