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第33話「あっちむいてホイ」

 まだゴールデンウィーク。時計の針は、午後二時半を指していた。


 今日も、久しぶりに私と――かおりんのふたりだけ。


 家の中はしんとしていて、テレビの音もラジオの声もない。

 ただ、キッチンから漂う紅茶の香りと、外の風がカーテンをふわりと揺らす音だけが、空間をやさしく満たしていた。


「……なんか、いいね。こうやって、しおりんと2人きり」


 かおりんがソファに寝転びながら、私を見上げて言った。


 脚を伸ばし、ゆるいトレーナーの裾が少しだけめくれて、白い足首がのぞいている。

 私は一瞬、目をそらす。


 ――昔から変わらない仕草。でも、少しだけ、違って見える。


「ねえ、なんか遊ばない?」


「また?」


「うん。……なんか、2人だけで遊べるやつ、したい気分」


 私は少し考えて――ふと思い出した。


「じゃあ、“あっちむいてホイ”は?」


「それ、めっちゃ懐かしいやつじゃん!」


 かおりんの顔がぱっと明るくなる。


「やろやろ、それ、やりたい!」



「ふふ、本当にいいのかね?かおりん君」


「なにそれ」


 キャッキャッと笑いながら、ソファの上で転がる。

 トレーナーの首回りがゆるくて、白いものがチラ見えする。


「私は昔、あっちの部だったのだよ」


 いつものように本当かどうかわからない謎の部を言う。


「あっち?どっち?」


「基本あっちだね。あっちを向く事を生業とする非情な部」


「なんだそれ。わかんないよー」



 私たちはちゃぶ台の前に座って、正面に向かい合った。


「いくよ、せーの……じゃんけんぽん!」


「勝ったー! あっちむいて――ホイ!」


 私が右を指差す。かおりんの顔は、左。


「ふふ、反射神経はまだまだね、しおりん」


「ちょっと油断しただけだし!」


「あっち部ダメじゃん」


「これからだよ」


 次のラウンド。


 じゃんけんで勝ったかおりんが、私の目をじっと見つめてくる。


 ――見つめすぎ。


「……いくよ?」


 その“間”が妙に長い。


 その目が、まっすぐで、やさしくて――でも、ちょっと挑発的で。


「あっちむいて……ホイ」


 右を指された瞬間、私は条件反射で左に顔を向けていた。


「やった、勝った!」


「くぅ……悔しい……!」


「次で勝負つけようか?」


「いいよ。負けたら、おやつ係ね」


「えー、それ罰ゲーム!?」


「しおりん、チョコクッキー焼くの上手いし♪」


 かおりんが悪戯っぽく笑う。その笑顔に、少しだけドキリとする。



 2回戦が始まる前に、私は一度深呼吸した。


 かおりんは、そんな私の様子をじっと見て、ニヤッと笑う。


「緊張してる~?」


「してないし! こっちはあっち部OBなんだからね!」


「さっき“非情な部”って言ってたのに、今はOBなの?」


「そこは柔軟性よ」


 笑いながら、もう一度向き合う。ちゃぶ台の上には、半分溶けかけたアイスティーのグラスがひとつ。


「じゃ、いくよ! せーの、じゃんけんぽん!」


「よし、勝った!」


 私が勝ち、指を構える。


「いっくよー? あっちむいて……ホイ!」


 左!


 でも、かおりんの顔は、しっかり右を向いていた。


「ふっふっふ、無駄だね。こちとら“姉トラップ”には慣れてるのです」


「なにそれ!? 聞いたことないよ!」


「しおりんのそういう急に真顔になるクセ、読めるもん」


 言われて、私はちょっと赤くなる。


 ――他の気持ちも見えてる?


「じゃあ次、いっくよ~!」


「かかってきなさい!」



 3回戦──


「じゃあ、仕切り直して……いくよ!」


 ちゃぶ台の前で、私たちは正座して向き合う。さっきまでふざけ合っていたのに、今はどちらも真顔。


「じゃんけん――ぽん!」


「やった、私が勝ち!」


 かおりんが笑顔で勝利の手を挙げる。勝負の瞬間、ふっと笑みを引っ込め、目つきが変わる。


「いくよ……あっちむいて――ホイ!」


 かおりんが“下”を指差した瞬間、私は条件反射で“上”を向いていた。


「くっ、また外したか……」


「しおりん、ちょっと動き早すぎ!」


「反射神経には自信あるの」


「じゃあ私も負けない!」


 顔を見合わせて、お互いにふっと笑う。


「勝負だね、次こそ!」



 4回戦──


 今度は私がじゃんけんで勝利。


「よっしゃ!」


 少し身を乗り出して、かおりんの目をじっと見つめる。


「……あの顔は、フェイント来るやつ」


 かおりんがじりっと警戒態勢に入る。私は目の奥で笑いながら、わざとゆっくりと――


「あっちむいて……ホイ!」


 左だ!


 でも、かおりんの顔も……左。


「やったーーー!!」


 私の声が部屋に響く。


「え、ちょ、うそ、今のは引っかかった……」


「ほほほ、ついにしおりんの勝利である!」


 私は得意げに鼻を鳴らす。


「ちょっとー、今の絶対タイミングずらしたでしょ!」


「戦術だよ。心理戦」


「むむむ……これは次で巻き返さなきゃ」


 ちゃぶ台の向こうで、かおりんが拳をぐっと握る。



 どちらかが連勝することもなく、勝ったり負けたりが続いていく。


 気がつけば、お互い真剣なまなざし。

 それでも、間にふっと笑いがこぼれる。


 ――こうしてると、なんだか時間がゆっくりになる。


 日差しがカーテン越しにふわっと部屋を照らし、風が二人の髪をそっと揺らす。


 勝敗よりも、この瞬間が心地よくて、私は思った。


「ねえ、勝ったらさ、おやつ一緒に作ろっか」


「え? なんで?」


「一緒の方が楽しいじゃん?」


 かおりんはちょっとだけ目を丸くして、それから笑った。


「うん、そうだね。……じゃ、次は“おやつ係一緒”をかけて、最終戦!」


「いいよ。覚悟しなさい、妹よ!」



 最終戦。


「じゃんけん――ぽん!」


 私が勝つ。

 指を構えて、目を細めてかおりんを見つめる。


 かおりんのまつ毛が、ふるふると揺れる。

 口元は、少し緊張しているみたいで……でも、それでも笑ってた。


「あっちむいて――」


 一瞬、私は迷った。


(どっちに向ければ、かおりんは顔をそらしてくれるかな)


 その考えが、たぶん、私を遅らせた。


「ホイ!」


 指は右。

 そして――かおりんの顔も、右。


「……あ」


「やったーーー!! 勝ったー!」


 かおりんが手を挙げて跳ねるように喜んだ。


 でも、私はそれを見て、ちょっとだけぽかんとしてた。


(なんで……一緒に向いちゃったんだろう)


 まるで、わざと同じ方向を向いたみたいに。


 勝ち負け以上に、何かが、そこにあった気がした。



 そのあと、おやつをつくっていると、


「……しおりん」


 と、かおりんが台所の後ろからそっと声をかけてきた。


「さっきね、同じ方向向いたとき、ちょっと……ドキッとした」


「……私も」


「“あっちむいてホイ”って、ただの遊びだと思ってたのに、なんか……目とか気持ちとか、全部つながってたみたいだった」


 私は振り返って、かおりんを見つめた。


 その目が、昔から知っているのに、今は少しだけちがう目に見えた。


 私はそっと言った。


「……もう一回、やってみる?」


「うん。……今度は、わたしが勝ちたい」


「じゃあ、勝ってみせて」


「しおりんが手加減しなかったら、ちゃんと喜ぶよ」


 その笑顔に、私はまた、心を撃ち抜かれた。

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