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第32話「ゴールデンウィークの水遊び」

 ゴールデンウィークの午後。空気はまるで夏のようだった。


 部活もない、宿題もない、ただの休日。

 なのに、家の中は蒸し暑くて、扇風機だけではまったく足りない。


「なんでこんなに暑いの!? 5月だよ、まだ!」


 今日は、久しぶりに私と――かおりんのふたりだけ。

 かおりんがソファでぐったりと寝転びながら、うちわで顔をぱたぱた仰ぐ。


「しおりん、もう無理。溶けそう……」


「私だって……冷たいアイスもないし……」


 ふたりでぐだぐだ言いながら、結局、誰も動こうとしない。


 でも、しばらくして、かおりんがぽつりとつぶやいた。


「……お風呂場で、水、出して遊ばない?」


「え? シャワー?」


「うん。冷たくて気持ちいいと思うし、なんか、子どもの頃みたいに」


 その提案に、私は思わず笑った。


「やば、めっちゃいいかも」



 10分後。


 ふたりともTシャツと短パンに着替えて、バスタオルを持って、風呂場へ。


 ──それにしても


 ──でかい


 ──普通にでかい、私よりでかい。


「ん?なに?」


 かおりんが私の視線に気付く。


「ちょっと……大きいよね……」


「ん?なにが?あっ!」


 私の視線が、どこを見ているかに気が付いて慌てて隠して、


「もう……エッチだよ」


「急に大きくなったよね」


「えーー知らないよ」


 頬を赤くして、いつもの通りの可愛い妹だ。でも、どこか違和感がある。


 ──最近なんかあったのか?



 窓を開けて、外の光が柔らかく差し込む中、シャワーからぬるめの水を出すと、それだけで部屋の空気ががらっと変わった。


「きゃっ、冷たっ!」


 かおりんがシャワーの水を自分の足にかけて、ぴょんと跳ねる。


 私はその様子を見て笑いながら、指で水をはじいて彼女の腕にぴとっと当てる。


「うわっ、やったな~!」


「ふふっ、かおりんもお返ししてみなよ」


 水を手ですくって、指先でちょんと当て合う。

 そのうち、だんだん大胆になって、シャワーの取り合いが始まる。


「それ、ずるいっ! ずっと持ってないでよ!」


「これは戦いなのだよ! かおりん隊長!」


「ならば、こちらも反撃だーっ!」


 シャワーヘッドを押しつけ合ったり、手桶で水をばしゃっとかけたり。


「もうーっ!さっきから同じとこばかり狙ってー」


「だって目立つから」


 私がある箇所を集中的に狙ってることに不満があるようだ。


 ──マトがでかいからねえ。


「おかえし……あっごめん」


「……あやまるな!みじめになる!」


 笑い声と水音が、風呂場いっぱいに響いた。



 しばらくふざけあったあと、床に座って、水の滴る音を聞きながら息を整える。


「……はぁー、めっちゃ涼しくなった」


「うん……なんか、スッキリした」


 かおりんが、濡れた髪を手ぐしでかきあげる。

 水滴がこめかみから頬を伝って、キラキラと光る。


 私はタオルをふわっと広げて、そっとかおりんの髪を包んだ。


「ほら、動かないで」


「え、なに、なにされるの……?」


「びしょびしょのままだと風邪引くでしょ。はい、じっとしてて」


 言いながら、頭を軽くポンポンと優しく拭く。


 髪の水分がタオルに吸い込まれていくたび、かおりんがちょっとだけくすぐったそうに身じろぎする。


「ねえ、これってさ……子どものころ、よくしおりんにやってもらってた気がする」


「うん。あんた、お風呂上がりにタオル巻いたまま、いつもウロウロしてたもん」


「えーっ、そんなことあったっけ?」


「覚えてないの? “まきまきタオル戦士”って、あんたが自分で名乗ってたんだよ」


「えっ、やば……! 恥ずかしっ!」


 思わず笑いがこぼれる。


「でも今も、あんまり変わってないよね」


「えー、どういう意味?」


「こうして手がかかるところとか」


「ひどっ! 」


 ふわふわとタオルを動かす手を止めて、私はにっこり笑った。


「うん、私もなんか落ち着くかも」


「じゃあ次は、わたしの番ね」


「えっ、自分でできるってば」


「だめ。お返しだから、素直にして」


 今度はかおりんが、私の髪をそっと拭きはじめる。

 タオル越しの指先が、やさしく頭をなでてくる。


 くすぐったくて、なんだかあったかい。


「しおりんの髪、やっぱりきれいだね」


 急にかおりんが髪に顔を埋めてくる。


 ──スンスン


「へ? なに急に……」


「へへ、いい匂い」


「恥ずかしいなあ、もう」


 ──お願い交代して



 かおりんが持ってきたのは、いつもの白いドライヤー。


 私が脱衣所の椅子に腰を下ろすと、彼女は慣れた手つきでコードをコンセントに差し込んだ。


「じゃあ、しおりん──スイッチ、入れるよ」


「はいはい、おねがいします」


 ぶおん、と風の音が広がる。


 かおりんがドライヤーを肩越しに構えながら、指で私の髪をやさしく梳いていく。


「わぁ……やっぱりしおりんの髪、さらさらだなぁ」


「またそれ言うの?」


「だって本当だもん。シャンプーなに使ってるの?」


「えっとね……安いやつ。特売のときに買ったやつ」


「ええー!? 信じられない……もしかして手入れが上手なだけ?」


 風に吹かれて前髪がふわりと持ち上がる。

 熱くなりすぎないように、かおりんは手で風向きを調整してくれていた。


 その指先が、首筋にふれそうでふれない距離をたどっていくたびに、

 くすぐったさと、どこか懐かしい安心感が交差する。


「ねえ、覚えてる? 小さい頃、ドライヤー怖がってたの」


「わたしが?」


「うん。“風が顔に来る~!”って、いつも後ろ向いて逃げてた」


「うわ、そんな自分ちょっと見たくない……」


「ふふ、かわいかったよ」


 かおりんの声は、ちょっと誇らしげだった。


 あの頃、彼女はいつも“お姉さん”だった。

 だけど、今の彼女は──まるでお母さんみたいに、落ち着いていて、頼りがいがある。


「よし、だいたい乾いてきた……あとは冷風にするね」


 スイッチが切り替わり、熱がやわらかい風に変わった。


 ふうっと後頭部を包む空気が心地よくて、私は思わず目を閉じた。


「ねえ、かおりんさあ」


「んーー?」


「何かあった?」


「何かって?」


「ちょっと大人になったみたい」


「……別に」


不意にドライヤーのスイッチが切れた。


「ねえ、しおりん……」


「ん?」


──今度は私か?


「好きな人できた?」


「は?」


──予想外な質問。


「大学で好きな人できたでしょ?」


「へ、へー大学って好きな人出来る場所なんだ。初耳」


かおりんが両肩をつかんで、無理矢理、私と向き合う形にさせた。なかなか力強かった。


「こっち見て?」


「見てるって……」


──真剣な目をしてる。


「わたしを見て」


「……見てるって……」


──え、何を言う気?


肩をつかんでいた両手の力が抜けるのを感じた。かおりんは少しため息をついた後


「……なんか、眠い」


「だめ。あと少しだけだから、起きてて」


「うぅ……お風呂上がりって、どうしてこんなに眠くなるんだろ」


──危ない、危ない



 かおりんが手でふわっと私の髪をなでた。


「……はい、完成。しおりんのふわふわモード」


「うわ、ひどいネーミング」


「じゃあ、“天使の羽根仕上げ”?」


「……それはちょっと好き」


「ねえ、しおりん」


「ん?」


「またさ、夏になったら……こうやって水遊びしよ?」


「え? 夏にもやるの?」


「うん。だって、今日みたいな時間って、意外と大人になるとないと思うから」


 その言葉に、私は少しだけ胸がきゅっとなった。


「じゃあ、約束ね」


「うん、約束」


 私たちは、濡れた手で、小指を絡めた。


 ひんやりした風が、窓からふわりと入ってきて、濡れた髪をそっと揺らした。


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