第31話「遊園地」
「というわけで──今週末、みんなで“桜ヶ丘ランド”に行かない?」
金曜の放課後、奈々りんが部室でいきなり言い出した。
「えっ、遊園地……ですか?」
「うん、たまにはさ、“心を整える”じゃなくて“心を解放する”のも座道じゃないかなって!」
「その理屈、正しいようで強引だよね……」
でも、私もほんのちょっとワクワクしてしまってた。
「でもさ、桜ヶ丘ランドって、ちょっと遠くない?」
私がそう言うと、奈々りんは「むむ」と腕を組んだ。
「まあね~。電車で一時間以上かかるもんね。でも、ジェットコースターすごいし、絶叫で心もリセットできると思わない?」
「……座道に絶叫を取り入れる発想が、もう斬新だよ……」
私が呆れたように笑うと、今度はゆはりんが、静かに手を挙げた。
「あの……もし遊園地が難しいなら、動物園とかもいいかなって……」
「動物園?」
「はい。静かに歩きながら動物たちを見るのも、心が落ち着きますし、癒されると思います」
なるほど。
ゆはりんらしい、やさしい提案だ。
「動物園か~。それもアリだね!」
「でも、座道部的には……うさぎとか見たら、可愛すぎて正座して拝みたくなりそう……」
「それも座道……?」
奈々りんと顔を見合わせて、また笑い合う。
「それか……水族館もいいかも!」
奈々りんがさらに提案してきた。
「水の中を泳ぐ魚たちって、見てると心がすーってなるじゃん? あれ、めっちゃ整うよ」
「うん、あの静かで青い空間、確かに“座道感”ある」
「イルカショーとかも癒し効果あるよね!」
「座道というより……レジャー感強めだけど……」
私がつっこむと、奈々りんは「まあまあ」と笑った。
「大事なのは、みんなで楽しく過ごして、心をほぐすことだよ!」
「うん……たしかに」
「遊園地、動物園、水族館……どうしようか」
三人で畳の上に座ったまま、じっと考える。
選択肢はどれも魅力的で、すごく迷う。
春の陽気の中で絶叫マシン。
ふわふわした動物たちに癒される。
それとも、静かな水の世界で心を澄ませる。
「……どれも、素敵」
ぽつりと、ゆはりんが呟いた。
私も心から同意する。
「だったら……」
奈々りんが、いたずらっぽく笑った。
「座道式、三択じゃんけんで決めよう!」
「えっ、そんなのでいいの?」
「いいの! こういうときこそ、直感と流れに身を任せるのが座道!」
なんでも座道にする奈々りんに、私たちは吹き出しながら──
それでも、ちょっとワクワクしながら、畳の上に手をかざした。
「せーの!」
*
そして──日曜日。待ち合わせの桜ヶ丘ランド前に集まった私たちは、制服ではなく、私服の姿。
「うわ、ゆはりん……めっちゃ雰囲気変わるね!」
「えっ、そ、そうですか?」
ワンピースに白いカーディガンという、きちんとしたコーディネート。まさに“育ちの良い令嬢風”だった。
「かおりもシンプルで大人っぽい感じ似合ってる!」
「奈々りんこそ、そのパーカーにジーンズ、元気系すぎでしょ……」
三人で笑い合ってから、入園ゲートをくぐる。
*
園内は、春の家族連れやカップルでにぎわっていた。
「まずはジェットコースターでしょ!」
「ちょ、いきなり……!」
「“動じない心”を養うには、絶叫マシンが最適って聞いたことあるよ!(嘘)」
ジェットコースターの列に並びながら、奈々りんが楽しそうに笑う。
私はドキドキしながらも、隣のゆはりんの緊張した顔を見て、なんとなく落ち着いてしまった。
「……ねえ、ゆはりん、手、握る?」
「えっ……は、はい……ごめんなさい……ちょっと汗ばんでるかも」
ぎゅっ──。
指先同士がふれる。
ゆはりんの小さな手は、ほんのりあたたかくて、たしかに少し汗ばんでいたけど──それがまた、生きている感じがして、なんだか胸が高鳴った。
「……だ、大丈夫。こっちこそ……冷たかったらごめんね」
そう言いながら、そっと力を抜いて、手を包み込む。
ゆはりんの頬が、春の桜みたいにほんのり色づいていくのが見えた。
奈々りんは、そんな私たちを横目で見て、にやっと笑う。
「ふふ、なんか……青春だねぇ~」
「な、奈々りん、からかわないでください……っ」
「からかってないって~! むしろ微笑ましい!」
私も、顔が少し熱くなった。
列はゆっくりと進み、遠くからジェットコースターの絶叫が聞こえてくる。
「……ねえ、かおりん」
「ん?」
「ジェットコースターって……膝とか、すごく近くなるんですか?」
「えっ、まあ……シート小さいから、自然とね……」
「そ、そうですか……」
ゆはりんが、そっと膝の上で手を重ねた。
なんだか、いろんな意味でドキドキしてきた。
普段はきちんとしているゆはりんの、ちょっと無防備な一面。
それに、私自身も気づかないうちに緊張していたみたいで──手が少し汗ばんでいる。
「……お互いさまだね」
私が苦笑まじりにそう言うと、ゆはりんも、恥ずかしそうに微笑んだ。
それだけで、胸の奥がじんわりと温かくなる。
*
そしてついに、ジェットコースターの乗り場が見えてきた。
シートは二人ずつ。
「えー、どうする? 誰と乗る?」
奈々りんが悪戯っぽく振る。
「わ、私、かおりんと一緒がいいですっ」
即答したゆはりんに、私は思わず笑ってしまった。
「うん、じゃあ一緒に乗ろう」
「私はおひとり様で叫んでくるよ~!」
奈々りんはひらひらと手を振る。
私たちは、手をつないだまま、ジェットコースターのシートへと歩き出した。
*
いよいよ、シートに深く腰掛け、ガチャン、と安全バーが降りた。
私はゆはりんの手をそっと握ったまま、心の中で小さく深呼吸する。
──これも座道、これも座道──
そう唱えていたけれど──
ごとん、ごとん、ごとん……
ジェットコースターは、カタカタと天に向かって登りはじめた。
頂上に近づくたび、緊張で手汗が増えていく。
「かおりん……高い……高すぎます……っ」
「だ、大丈夫、たぶんまだ助かる……!」
「助からないから覚悟してぇぇぇぇぇぇ!!」
奈々りんの叫びが、風に乗って響いた。
──そして、頂上。
視界いっぱいに広がる青空と、ほんのり桜色に染まった街並み。
その美しさを感じる間もなく──
ごおおおおおおおおおっ!!
「きゃあああああああああああ!!」
ゆはりんの澄んだ悲鳴が、隣で爆発した。
「ムリムリムリムリムリムリ!! これ絶対座道じゃないいいいいい!!」
「風が! 顔に! ぶつかるぅぅぅうう!!」
私も、理性が全部ふっとんで、ただ叫ぶしかなかった。
体がふわっと浮く、あの無重力の感覚。
「ぴゃあああああ!! かおりん助けてぇぇぇぇ!!!」
「こっちこそ助けてええええ!!」
奈々りんの声もどこからか飛んでくる。
急カーブで身体がぎゅっと寄る。
「うわああああっ!! ゆはりん、ち、近っ!」
「ごめんなさいぃぃぃぃ!! でも無理ですぅぅぅ!!」
ふわふわと、身体ごと転がされるみたいに振り回されるたび、二人で必死にバーにしがみついた。
「次! 次何くるの!? ねえ何くるのっ!?」
「下り坂ぃぃぃぃ!!」
「ぎゃああああああ!!!」
顔に風が叩きつける。
耳の奥がキーンとする。
涙も出るし、笑いも止まらないし、恐怖と快感がぐちゃぐちゃになっていく。
もう、座道どころじゃない。
「これ修行じゃなくて地獄絵図ううう!!」
「でもなんかっ、楽しいいいい!!」
最後の一回転。
頭がぐるん、と回って、視界が逆さまになった瞬間。
「しんだあああああああああ!!!」
「たすけてええええええええええ!!!」
全員、本気の悲鳴。
でも。
ぐるん、ぐるん、びゅうううん──
風に巻かれて、空と大地の間を転がって、
──ジェットコースターは、ゴールへとたどり着いた。
*
がちゃん、と止まると、全員、ぽかんと口を開けたまま。
「……た、楽しかった……!」
やっとのことでそう言うと、奈々りんも、ゆはりんも、うなずいた。
放心。放心。そして放心。
「でもこれ、確かに“整う”ね……」
「達観した感じある……」
「仏門の修行じゃないよね?」
息を切らしながらも、笑いが止まらなかった。
*
次は観覧車。
「これは……静けさあるかも」
「確かに……座道的スポット」
私たちは三人で一つのゴンドラに乗り込んだ。
ゴンドラは、静かにきしみながら、さらに空へと昇っていく。
窓の外には、春色に染まった街並みが、まるで絵本の挿絵みたいに広がっていた。
「……高いねぇ」
奈々りんが、ゴンドラの隅っこにぺたんと座り込みながら呟く。
その声すらも、なんだか小さく、穏やかだった。
ゆはりんは、膝の上に手をそっと重ねて、まっすぐ外を見つめている。
彼女の横顔は、まるで小さな菩薩さまみたいに、凛としていて──
私は思わず、少しだけ見惚れてしまった。
「……ほんと、静かだね」
つい、そんな言葉が漏れる。
「うん。絶叫マシンの後とは思えないぐらい……静か」
奈々りんが、にやっと笑った。
「でも、静かすぎて……なんか、変なこと言いたくなってくる」
「変なことって?」
私が聞き返すと、奈々りんは目を細めて、
「たとえばさ──“ここから叫んだら、誰か気づくかな”とか……」
お腹を押さえて笑いながら、
「絶対ダメだからね」とゆはりんが真顔でたしなめる。
そのやり取りすら、どこか心地いい。
*
ゴンドラが、てっぺんに差しかかったころ。
ふと──奈々りんが、何か思い出したようにぽつりと呟いた。
「ねえ、知ってる?」
「ん?」
「観覧車の一番上でキスすると、ずっと一緒にいられるって……そういうジンクス、あるんだって」
「えっ……」
ゆはりんが、ぱちぱちと瞬きをする。
「ほら、海外の映画とかでもあるじゃん。観覧車のてっぺんって、特別な場所だから……って」
奈々りんは、わざとらしく肩をすくめてみせた。
「なにそれ、ちょっとロマンチック……」
私は思わず、小さく笑った。
でも、心の奥が、そっと熱くなる。
──ずっと、一緒にいられる。
そんな約束みたいなジンクス。
少し照れくさいけど、なんだか、いいなって思った。
「でも、そんなこと言われたら、ドキドキしちゃいますよね……」
ゆはりんが、耳までほんのり赤くして、小さな声で言った。
私も、どこかくすぐったい気持ちになりながら、そっと答えた。
「たしかに。ドキドキするけど……たぶん、大事なのは“誰と一緒にいるか”だよね」
「うん……」
ゆはりんが、うなずく。
「じゃあ、誰が最初にする?」
──でも奈々りんはあきらめないようだ。
「まず、わたしがゆはりんにするね」
「え?え?ええ?」
ゆはりんが驚いて固まった。その隙に奈々りんがゆはりんの頬に
──ちゅ
「次にかおりんはわたしに」
──えーーマジか
──恥ずかしい……でも奈々りんの頬に……ちゅ
「じゃ、じゃあわたしがかおりんに!」
ゆはりんが急に乗り気になった。困るなあ。
──ちゅ
こそばゆい。
「今度は逆ね。わたしがゆはりんに」
──ちゅ
──ちゅ
──ちゅ
観覧車のてっぺん。
小さなゴンドラの中、誰にも邪魔されない、この空間。
何も起こらなくても──
ただ、こうして一緒にいるだけで、十分特別だったのに。
一生の思い出が出来てしまった。
*
ゴンドラが、ゆっくりと地上へ戻りはじめたとき。
私たちは、どこか少し名残惜しそうに、窓の外を眺めた。
「……かおりん、またこういう時間、作ろうね」
ふいに、ゆはりんがぽつりと言った。
小さな声だったけれど──
その言葉は、観覧車のてっぺんに届くくらい、まっすぐ胸に響いた。
「うん。絶対」
私は、にこっと笑って返した。
奈々りんも、軽くピースサインを作って、ニヤリと笑った。
──また、こうして来ようね。
心の中で、そんな小さな誓いを立てながら。
*
ゴンドラを降りたとき、少しだけ肌寒い風が吹いた。
でも、私たちは顔を見合わせて、そっと笑った。
──あったかいね。
言葉にしなくても、通じるものがあった。
*
昼食は園内のレストランで。
「遊園地のハンバーグって、なんでこんなにおいしいんだろう」
「きっと、いつもと違う空間で食べるからかな」
「非日常の調味料ってやつ?」
私たちは笑いながら、たわいもない話を続けた。
恋の話、学校のこと、これからの座道部のこと。
ゆはりんがふと、ぽつりと言った。
「今日……来られて本当に良かったです。なんだか、心がほぐれて……」
その言葉が、何より嬉しかった。
*
午後はメリーゴーランド、アスレチック迷路、アイスクリームと続いた。
笑って、走って、叫んで、ほっとして。
夕暮れ、帰宅……観光バスのシルエットが空に沈む。
一日が終わっていくそのとき、ゆはりんが手帳を開いた。
「今日のこと、日記に書きます。“座道部、心の解放修行”ってタイトルで」
「タイトル重っ……でも、好き」
私たちは笑いながら、ゲートを後にした。
空が金色に染まって、風がやさしく頬をなでた。
畳のない遊園地で、私たちはまたひとつ、座道の「道」を歩いたのだ。




