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第29話「テスト勉強」

「……はああああぁ、無理、頭が爆発しそう……」


 午後の部室、畳の上にばったりと倒れ込んだ奈々りんの声が、静けさを少しだけ乱した。


「奈々りん、まだ30分しか勉強してないよ」


「でもその30分がめちゃ濃かったの。英語の仮定法と、数学の確率が同時に頭に来ると、脳がバグるの」


 私は苦笑しながら、彼女に冷たいお茶を差し出した。


 今日は放課後の“座道部特別活動”──テスト前恒例の“静寂勉強会”の日。


 畳の部室に机を出さず、座布団と筆記用具だけで挑む。正座、呼吸、沈黙。そして、集中。


「この空間、静かすぎて逆に集中できるっていうか……でも、ちょっと怖い」


 奈々りんはふふっと笑った。


「わたし、家だと弟がテレビ見てたりして集中できないから、ここだと落ち着くの」


 と、ゆずはちゃん──ゆはりんがいつもの丁寧な口調で話す。


 彼女の前には、びっしり書き込まれた英語ノート。


「さすが、座道の申し子……」


「やめてください、そんな大げさな」


「いや、ほんとすごいと思う」


 私たちは、自然と円を描くように座り、それぞれの教科書を開いた。


 畳の上に本。シャーペンの音が、時間の流れを刻む。



「……“would have+過去分詞”って、どんな意味だっけ?」


奈々りんが小声で尋ねる。


「“もし~だったら……していただろうに”っていう、過去の仮定だよ」


「え、そんなさらっと出てくる? やば、かおりん先生やん……!」


 私は笑いながら、「じゃあ問題出すね」と言って、即席の英作文問題を出した。


「“もし昨日雨が降っていたら、私たちは遠足に行かなかっただろう”」


「……えっと、“If it had rained yesterday, we…… wouldn’t have gone on the trip”!」


「正解!」


「やったーっ! 座道効果かも!」


「たぶんそれは、地道な努力の成果だよ」


「それを“座道”って呼んでるの、今うちの部だけかもね……」


 みんなが小さく笑う。



「ねえ、ちょっとだけ“呼吸タイム”入れよう」


 わたしがそう提案すると、三人は教科書を閉じて、自然と目を閉じた。


「息を吸って……吐いて……自分の中心を感じて……」


 静けさが部室を包む。


「お菓子食べたい」


 重厚な静けさが、奈々りんの一言で崩された。


「そうねえ……」


 たしかにお腹空いてきた。頭を使うと腹が減る。昔の人は言ったものだ。


「一休みして、おやつ食べましょうよ。私お茶用意しますね」


 さすが、ゆはりん。テキパキとお茶を点て始める。

 わたしは鞄をごそごそと探り、小さな包みを取り出した。


「じゃーん。今日は特別に“座道部・おやつ用”持ってきたんだ」


「えっ、なにそれ、気になる!」


 奈々りんが顔を輝かせる。

 わたしが広げたのは、和菓子屋さんで買った「春の詰め合わせ」。


 薄紅色の桜もち、ころんとした形のいちご大福、小さなきんつばに、かすかに金粉がのった上生菓子──


「わあ……! すごく、きれい……!」


 ゆはりんも、目を丸くして見つめている。


「ほら、“目で味わう”のも座道ってことで」


「かおりん、言い方うまい! 最高!」


 奈々りんがぴょんっと小さく跳ねた。


 畳の上に、お盆の代わりにハンカチを広げて、その上にお菓子たちを並べる。

 ゆはりんが淹れてくれたお茶の香りが、ふわりと部室を満たした。



「じゃ、いただきます」


 静かに手を合わせる。


 まずは、桜もちを一口。


 もっちりとした生地の中に、ほんのり塩気の効いた桜の葉。そして、甘さ控えめの餡。ああ、どこかで味わったもっちり感。そう奈々りんの……ゴホン


「……ああ、しあわせ」


 思わず声が漏れた。


 奈々りんも、いちご大福をもぐもぐしながら、うっとりしている。


「いちごが、じゅわって……餡といちごって、なんでこんなに合うの……!」


「春だからこそですね。旬のものをいただくって、心も満たされます」


 ゆはりんが、きんつばを小さな手で丁寧に持ち、きれいにひとくち。


「ゆずはちゃん、食べるときまで座道……」


「え、そんなことないですよ?」


 恥ずかしそうに微笑むその姿が、とても穏やかで、わたしまであったかい気持ちになった。



 お菓子とお茶で小休止した私たちは、自然と輪になって座り、のんびりと話を続けた。


「ねえ、テスト終わったらさ、またみんなでどこか行こうよ」


「うん! あ、前言ってたお祭りとか?」


「浴衣着てね!」


 奈々りんが目をキラキラさせる。


「でも、まずは目の前のテストだよね……」


「そうね……お菓子パワーで乗り越えよう」


 わたしは、お茶を一口含み、ほっと息をついた。


「じゃあ、続きやるかあ」



「ねえ、数学の“反復試行の確率”ってどうやるの?」


「それは“nCr×p^r×(1-p)^(n-r)”のやつだよ」


「え、ちょ、急に数式の洪水きた……!」


奈々りんの混乱した顔に、ゆはりんがやさしく説明を始める。


「たとえば“成功確率0.3で5回投げて2回成功する確率”って場合、n=5、r=2、p=0.3になるので……」


「おお……説明がゆはりん先生……!」


「ちょっと緊張しますけど、こうやって話すと、自分の中でも整理されます」


「わかるー! 誰かに説明するって、すごい勉強になるよね!」


 そんなふうに和やかに問題を解きながら──ふと、奈々りんがにやりと笑った。


「ねえ、ゆはりんってさ、絶対なにか隠してるよね?」


「えっ……?」


 ゆはりんの手がぴたりと止まった。


「いや、別に悪いことじゃないと思うんだけど~? なんかこう、座道ガチ勢なのに、ちょっと天然というか、抜けてるとこあるっていうか……」


「うんうん、わたしも思ってた」


 わたしも乗っかると、ゆはりんはますます焦った顔になる。


「な、なにも隠してなんかないですよ……!」


「逆に怪しい!!」


 奈々りんが身を乗り出す。


 わたしたちもじりじりと距離を詰めると、ゆはりんは耐えきれず、小さく声を絞り出した。


「……じつは……」


「じつは?」


「わたし……」


「うんうん?」


「……家で、ぬいぐるみに名前つけて、お茶を点てる練習してます……っ」


「……」


「…………」


 一瞬、時間が止まった。


 そして──


「か、かわいい!!!」


 わたしと奈々りん、声を揃えて叫んだ。


「えええ!? どんなぬいぐるみ? どんな名前!? ねえ教えて!!」


「え、えっと……くまさんで、“小次郎”っていうんですけど……」


「小次郎!!」


「しかも……正座させようとするんですけど、ぬいぐるみだからできなくて……それでも、“はい、小次郎さん、お辞儀です”とか言いながら……」


 ゆはりんの耳まで真っ赤になっていた。


 かわいすぎる。反則だ。


「そんなの、尊すぎるよ……っ」


 奈々りんが泣きそうな顔で両手を握りしめる。


「でも、わたしにとっては練習相手なんです。座道って、相手を思いやる気持ちも大事だから……小次郎さんに、感謝してるんです」


 ゆはりんは、ちょっとだけ胸を張って言った。


 その言葉に、わたしの胸がじんわりとあたたかくなる。


「……いいね、ゆはりん」


「うん、最高だよ」


 お菓子とお茶の香りが残る部室で、私たちはまた少しだけ、ゆはりんの新しい一面を知った。


 やがて、わたしたちはそれぞれの教科を教え合いながら、黙々とノートを埋めていった。



 夕方、窓の外がほんのり朱に染まりはじめた頃。


「……ふぅ、もう2時間経ってるのか」


「こんなに集中できたの、久しぶりかも」


 奈々りんが伸びをしながら、嬉しそうにつぶやいた。


「わたし、もうちょっとだけ残って復習してってもいいですか?」


 ゆはりんが、おずおずと聞いてきた。


「もちろん。わたしも少し残るよ」


「じゃあ、私も付き合う!」


 ふだんの部活とは違う静かな一日。でも、それはそれで、ちゃんと“部活”だった。



 帰り道。


 三人で並んで歩く。


 風が少しだけ冷たくて、でも肌に心地よかった。


「今日の座道、すごくよかったね」


「え、座道なの、これ?」


「うん。静けさの中で、自分と向き合って、心を整えて、誰かと共に進む……これ、座道の本質でしょ?」


「……たしかに。じゃあ、テストも“座道の段位”だと思って頑張ろうかな」


「“段位テスト”って言われると、急に武道っぽい……」


 私たちは笑いながら、校門を出た。


 春の陽が、まだ少しだけ空に残っている。


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