第26話「ミステリー映画」
「じゃあ、今日はミステリーでいこうか」
夕暮れの和室教室。
畳の香りと、障子越しの柔らかな光に包まれながら、私たちはいつものように円になって座っていた。
和室には今日も4人。
私、ひかりん、法学部の山野くん、文学部の安達さん。
それぞれが座り慣れた場所に落ち着いている。
「今日の作品、何かリクエストあります?」
「俺、ミステリーとかどうっすか。和室でミステリーって、雰囲気出そうじゃないです?」
「いいね。静けさの中で謎が深まる感じ……座道的にも面白そう」
ひかりんが楽しげに笑った。
「じゃあ、クラシックなやつにしましょうか」
そう言って、私は準備していたDVDを手に取る。
『オジデンス急行殺人事件』
アガシ・ウリスティの名作。
列車内で起こる密室殺人。
緻密なトリックと、登場人物たちの心理戦が魅力の作品だ。
私は、ふと、ひかりんを見る。
「……ミステリー、大丈夫?」
「うん。たぶん」
そう言いながらも、彼女の目が少し揺れているのを、私は見逃さなかった。
*
映像が始まると、和室はぐっと静まり返った。
障子を閉めて、ランタンライトを一つだけつける。
畳に正座して、深く息を吸う。呼吸を整える。
さっきまでほんのり温かかった空気が、音と光によって、ひんやりと冷たくなる。
雪に閉ざされた列車。
乗客たちのざわめき。
そして、密室での殺人。
緊張と緩和が交互に訪れる中、ふと、ひかりんが私の袖をつまんだ。
「……ちょっと、怖いかも」
その声はとても小さかった。
私はそっと彼女の手を握った。――少し冷たい
その指は冷たくて、でも細くて、かすかに震えていた。
――温めてあげたい
そういえば、妹――かおりんにもこうして手を握りながら、怖い映画を見た覚えがあった。ふと思い出して、ふふっと笑った。
「今笑ったでしょ」
ひかりんが少しふくれ顔でこちらを見る。
「……可愛いね」
――今のは二人に言った言葉だ。
ひかりんが目を見開くと少し頬を赤くしていた。
映像が進むにつれて、登場人物たちの秘密が明らかになっていく。
それぞれが何かを隠している。
その緊張感が、和室の空気にも伝わってくる。
ひかりんの手が、私の手を強く握りしめた。
その温もりが、私の心を落ち着かせてくれる。
物語がクライマックスに近づくと、探偵が真相を語り始める。
その語り口に引き込まれ、私たちは息を呑んで聞き入った。
そして、真相が明らかになったとき、
私たちは思わず顔を見合わせた。
「……すごいね」
「うん。まさか……」
ひかりんが驚いた表情を浮かべる。
私は、彼女の手をもう一度ぎゅっと握った。
*
エンドロールが流れ始めた頃。
和室にふわりと、違和感のある風が通った。
外は無風。
窓も閉めてある。
障子の隙間から漏れる光も、夕暮れに溶けて、もうほとんど見えない。
なのに、どこか、空気が「揺れた」気がした。
私は思わず、ひかりんの手をぎゅっと握り直す。
「……今、感じた?」
小声で尋ねると、ひかりんはほんの少し、うなずいた。
他のふたり、山野くんと安達さんも、微妙な顔をしてスクリーンから目をそらしていた。
「なんか……変な感じ、するよな」
山野くんが、ぽつりと漏らした。
「うん……気のせい、かな……?」
安達さんの声も、不安げだった。
その時だった。
――カタリ。
ちゃぶ台の上に置いてあった、誰かの水筒が、勝手に倒れた。
「……え?」
全員が、同時に固まる。
誰も、触れていない。
何も、振動もなかった。
なのに、まるで誰かが、そっと押したかのように、静かに水筒は倒れた。
和室の空気が、ぎゅうっと収縮する。
今見た映画と、目の前の現実が、奇妙にリンクしている気がした。
「……これ、さ、誰かがイタズラしてるとか……」
山野くんが、無理やり明るい声を出す。
でも、誰も笑わなかった。
*
上映が終わり、ランタンの明かりだけがぼんやりと和室を照らす。
「ちょっと、荷物、確認しよっか」
私が言うと、みんな無言でうなずいた。
座布団の下、ちゃぶ台の上、隅々まで探す。
……でも。
「ない。……これ、誰の?」
安達さんが、小さな紙片を拾い上げた。
それは、見覚えのない、古びたメモ紙だった。
そこには、ボールペンでこう書かれていた。
《次は、あなたの秘密》
――ぞくり。
寒気が、背筋を走った。
「え、なにこれ……映画の小道具?」
「いや、そんなの用意してないよ……」
全員が顔を見合わせる。
スクリーンの中で暴かれた「秘密」。
そして、現実に現れた「次はあなたの秘密」というメッセージ。
偶然にしては、出来すぎていた。
*
「……とりあえず、今日は解散しよう」
山野くんが、おどけたふうに言ったけど、誰も異論はなかった。
荷物をまとめて、足早に和室を出る。
戸を閉める直前、私はふと、部屋の奥を見た。
そこには誰もいないはずなのに、
畳の上に、うっすらと誰かが正座した跡のようなものが、残っていた。
……誰か、いたのかもしれない。
*
「……あー、面白かった」
安達さんと山野くんがぽつぽつと会話を交わす中、私とひかりんは無言だった。
「次はあなたの秘密」
あれは私とひかりんの秘密の事だろうか。それともかおりんとの。




