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第23話「映画鑑賞」

「じゃあ、今日はホラーでいこうか」


 夕方の和室教室。

 畳の匂いと、夕暮れの斜陽に包まれながら、わたしたちはいつものように円になって座っていた。


 和室には今日も4人。

 わたし、ひかりん、法学部の山野くん、文学部の安達さん。

 みんなそれぞれ、座り慣れた場所に落ち着いている。


「今日の作品、何かリクエストあります?」


「俺、ホラーとかどうっすか。座道でホラーって、逆に新鮮じゃないです?」


「いいね。静けさの中にある恐怖……座道的に深めがいがあるかも」


 ひかりんが面白がるように笑った。


「じゃあ、クラシックなやつにしましょうか」


 そう言って、私は準備していたDVDを手に取る。


『4月13日の金曜日』


 スラッシャーホラーの古典。

 血が出る。叫び声もある。でも、そのすべてが80年代らしい、ちょっとレトロで、どこかリズムのある恐怖。


 わたしは、ふと、ひかりんを見る。


「……ホラー、大丈夫?」


「うん。たぶん」


 そう言いながらも、彼女の目が少し揺れているのを、私は見逃さなかった。



 映像が始まると、和室はぐっと暗くなった。


 障子を閉めて、ランタンライトを一つだけつける。

 畳に正座して、深く息を吸う。呼吸を整える。


 さっきまでほんのり温かかった空気が、音と光によって、ひんやりと冷たくなる。


 湖畔のキャンプ。

 ティーンたちの軽薄な笑い声。

 そして、ナイフのきらめき。


 緊張と緩和が交互に訪れる中、ふと、ひかりんが私の袖をつまんだ。


「……ちょっと、怖いかも」


 その声はとても小さかった。


 私はそっと彼女の手を握った。


 その指は冷たくて、でも細くて、かすかに震えていた。


 映像が始まった瞬間、和室の空気が変わった。


 障子を閉めきった室内。

 明かりは、床に置かれた小さなランタンひとつ。

 その弱い光が、畳の織り目をかすかに照らしていた。


 私たちはそれぞれの場所で静かに正座し、無言でスクリーンを見つめていた。

 呼吸を整えながら、姿勢を保ち、心を落ち着ける。


 ──映画の中の世界と、私たちの身体が、少しずつ重なっていく。


 画面には、遠くからゆっくりとズームされる、静かな森のカット。


 風が木々を揺らし、湖の水面がきらりと光を反射する。

 その何気ない風景に、すでに“何か”が潜んでいる気がして、無意識に息を詰めてしまう。


 BGMは、ほとんど聞こえないレベルのかすれたストリングス。

 その不協和音が、少しずつ、胸の奥にじわじわと染みこんでくる。


 気づけば、私の手の中に、ひかりんの手がある。


 さっきまで、袖をつまんでいただけだったのに。

 彼女の指が、そっと絡んでくる。冷たい。でも、その冷たさが、逆にリアルだった。


 それを振りほどく理由なんて、どこにもなかった。


 物語は進んでいく。


 キャンプ場に集まる若者たち。

 くすくす笑いながらふざけあう姿。その軽さが、逆にフラグのように感じられてしまう。


 スクリーンの中で、ひとりの女の子が湖のほとりを歩いていた。

 水面に手を伸ばすその瞬間、カメラは彼女の背後に忍び寄る“視線”に切り替わる。


 BGMは一瞬止まり、代わりに、息づかいだけが響く。


 ドッ。


 奈落の底に突き落とすような音が、突如として鳴り響いた。


 私は、ぴくんと身体を跳ねさせた。


 ひかりんの指先も、ぴしりと緊張した。

 手のひらが少し汗ばんでいて、それを感じた瞬間、彼女がわたしよりも緊張しているのが伝わってくる。


 殺されるシーンの描写は、思っていたよりもあっけなかった。


 ナイフが肩口に突き刺さる。血が噴き出す。

 けれど、なぜか“死”そのものよりも、その一瞬前の“沈黙”の方が、よほど怖い。


 ひかりんが、かすかに口を開いたまま、言葉を飲み込んでいるのがわかった。


 その横顔を横目に見ながら、わたしはそっと彼女の指をもう一度ぎゅっと握った。

 心がどくどくと鳴っているのを、誰にも聞かれたくなかった。


 中盤、画面が急に真っ暗になる。


 キャンプ場の電気がすべて落ち、

 キャラクターたちが手探りで懐中電灯を持ち歩くシーン。


 その無音に近い映像の中で、私も、ひかりんも、息をひそめた。

 障子の向こうの木々のざわめきすら、映画の演出の一部に聞こえてしまう。


 そのとき。


 コツン……


 教室のどこかで、何かが落ちたような音がした。


「……っ!」


 ひかりんの手が、私の腕にぎゅっとしがみついた。


「だ、大丈夫……きっと風とか……たぶん」


 そう言いながらも、私の声も震えていた。


 映画の中では、キャラクターのひとりが首を傾げながら物音の方へ歩いていく。


 そして、カメラが突然、視点を切り替えた――


 影が走る。


 ナイフが振り下ろされる。


 耳元で、ひかりんが、小さく息をのんだ。


 場面が転換され、画面が一気に明るくなったとき、

 わたしたちはふたりとも、ふぅ、と息を吐いた。


 緊張の糸がふっと切れた瞬間。

 それが、どれだけ張り詰めていたかをようやく実感する。


「……正座、してたの、つらくなってきたね」


「うん……でも、崩せないって感じ、わかる?」


「うん、わかる。なんか……この姿勢が、映画の世界に溶け込んでいく感じ」


 小声でささやき合う。

 それすらも、物語を壊さないように、そっと。


 映画の中の登場人物が追いつめられるように、わたしたちの心もじわじわと追い詰められていく。


 ラスト。


 唯一の生存者の女の子が、湖に浮かぶボートに逃げ込むシーン。


 ようやく朝が来て、霧が晴れ、光が差し込んで、

 観ているこちらも「ああ、助かった」と思ったその瞬間――


 水面から、突然手が伸びて彼女を引きずり込む。


 「――っ!」


 ひかりんの手が、私の手を強く握りしめた。


 叫び声はなかった。

 でも、わたしたちの心臓は、ほとんど同時に跳ねたと思う。


 数秒後、映画は静かにフェードアウトしていく。

 エンドロールが流れ始めても、わたしたちはしばらくその場から動けなかった。



 そして。


「……あのさ、ひかりん」


「うん……?」


「わたし、こういうホラー観ると、いつも最後に思うことがあって」


「なに?」


「誰かと、こうやって手をつないで観たら、きっと怖さも半分になるんじゃないかなって……」


 ひかりんは、私を見て、すこし照れくさそうに笑った。


「それ、今日……実感したかも」


 その笑顔に、私の胸がじんわりと温かくなった。


 恐怖の余韻のなかに浮かび上がる、やさしさ。

 それは、映画よりも鮮やかな“シーン”だった。



「……あー、こわかった」


 安達さんと山野くんがぽつぽつと会話を交わす中、わたしとひかりんは無言だった。


 というより、言葉にしたくなかった。


 ホラーのあとに生まれる静けさって、なんだか不思議だ。

 怖さがまだ残ってるのに、同時に人の温もりが恋しくなる。


 心が、すごく、やわらかくなる。


「今日は……ここで終わりにしよっか。残りの片付け、わたしがやるから」


 そう言ったのは、ひかりんだった。


「手伝うよ」


「……一緒にいたいだけでしょ?」


 くすっと笑うその顔が、いつもより少しだけ艶っぽく見えて、私の胸が跳ねた。



 他の部員たちが帰ったあと。

 和室には、私とひかりん、ふたりだけ。


 畳の縁に並んで座り、スクリーンをたたみ、コードを巻く。


 でも、ふたりともまるで“片付け”なんてどうでもいいことのように、心ここにあらずだった。


 ひかりんが、ふとわたしの膝に頭を預けた。


「……こわい夢、見そう」


「見るかもね」


「しおりがいれば、平気になる?」


「うん。たぶん、わたしも怖くなくなる」


 沈黙。

 でも、いやな沈黙じゃない。


 私たちは、畳の上でぴたりとくっついて座っていた。

 映画の中の恐怖と、現実のやさしさが、ゆっくりと混ざっていくような時間。



 そのあと、わたしたちは畳に寝転んで、天井を見つめた。


 真っ暗な和室。

 薄い光が障子越しに差し込んでいて、世界がまるで水の底みたいにゆれて見えた。


「しおり、眠くなった?」


「ちょっとだけ……」


「じゃあ、目、閉じて」


 そう言われて、私はそっとまぶたを閉じた。


 すると、頬にあたたかな唇の感触がした。

 それは優しくて、でもちゃんと熱を持っていて、

 わたしの心に、ひとつ火を灯してくれた。



 帰り道。


 わたしは、春の夜の風に吹かれながら、スマホを開いた。


 かおりんから、新しいLINEが届いていた。


《見学に来てくれた子がいたよ。緊張したけど、奈々と一緒にがんばった》


《お姉ちゃん、わたし……ちょっとずつだけど、“座道”をちゃんと続けられそう》


 そのメッセージに、胸があたたかくなった。


 返事は、シンプルな一言だけにした。


《かおりん、偉いよ》


 それだけでいい。

 きっと、伝わる。


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