表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
22/97

第22話「もう一人」

 いつもの事だが、今日は部室で二人きり


 座道についての何気ない話の後、奈々が手を握ってきた。


 ……いつもより緊張している……


 わたしたちはしばらく何も言わなかった。

 でも、手は離れなかった。


 指先がそっと重なるだけで、胸の奥がじんわりと温かくなっていく。

 鼓動の音が、お互いの中で共鳴しているような気がした。


「……かおり、なんで目、閉じたままなの?」


「奈々の声、聞いてるだけで落ち着くから」


「そんなこと言うと、またくっついちゃうよ?」


「……うーーん」


 わたしは目を開けずに、ほんの少し微笑んだ。


 畳の上で、制服のスカートがかすかにふれ合う。

 奈々の髪の香りが近づく。

 呼吸の音が、わたしの耳に落ちてきた。


 そのとき──


「……あの……失礼します」


 部室の戸が、こんと控えめに叩かれた。


 私たちは、反射的にぴたりと距離を取って、顔を見合わせた。奈々は驚きながらも笑いをこらえている。


「ちょっと……このタイミング……!」


 私は顔を赤くしながら、立ち上がって扉の方へ向かった。



「……こんにちは」


 戸を開けると、そこには小柄な女の子が立っていた。


 長めの前髪に、きれいに整えられた制服。肩に小ぶりなトートバッグをかけて、胸元には真新しい名札。


 目が合った瞬間、彼女はぺこりと頭を下げた。


「一年の、三宅ゆずはといいます。掲示板で“座道部、活動再開”って書いてあるのを見て……あの、見学って、まだできますか?」


「もちろん、どうぞ」


 わたしがそう言うと、ゆずはちゃんはほっとしたような表情を浮かべて、部室に入ってきた。


 中を見回しながら、そっと畳の端に座る。


 その姿勢がとても自然で、美しかった。


 足の揃え方、背筋の伸ばし方、目線の落とし方。

 まるで、もともとこの部屋にいたみたいに、馴染んでいた。


「……えっと、もしかして、経験ある?」


「はい。中学のとき、茶道部に入っていて……正座とか、礼の作法とか、好きで。雰囲気が似てるかなって思って……」


「……うれしい。」


 心の中で姉の名前を呼んだ。


 座道部は、ちゃんとまた“生きよう”としてるよ。



「じゃあ、今日の座道部……三人で、ちょっとやってみよっか」


 私はそう言って、部室の真ん中に戻った。

 奈々とゆずはちゃんも、それぞれ自分の位置に正座する。


 春の光が差し込む、静かな和室。

 その空間に、わたしの声だけが、やわらかく響く。


「まず、呼吸から。背筋をまっすぐにして、両手は膝の上……ゆっくり、吸って……吐いて……」


 その言葉に合わせて、三人の身体が静かに揺れた。


 呼吸のリズム。

 肌にふれる空気の温度。

 畳の感触。

 すべてが、まるで“見えない音楽”みたいに溶け合っていた。



 ふと目を開けると、ゆずはちゃんが、じっと奈々の姿勢を見ていた。


「……奈々さん、肩が……少しだけ上がってます」


「えっ? あ、ほんと?」


 奈々が思わず首をすくめたような声を出すと、ゆずはちゃんは慌てて手を振った。


「ご、ごめんなさいっ。えっと、悪いって意味じゃなくて、すごく綺麗なのに、ちょっとだけ緊張してるのかなって……」


「そ、そっか……なんか、見られてると余計に意識しちゃうな……」


 奈々が照れたように笑い、肩を落とす。

 その様子があまりに可愛くて、わたしもつい笑ってしまった。


「でも、わたしも最初はうまくできなかったよ」


「嘘だ。かおり、最初から“お姉さん式”だったじゃん」


「お姉さん式……?」


 ゆずはちゃんが首をかしげる。


 奈々は少し得意げに答えた。


「かおりのお姉さんって、座道部の創設者で、もう卒業してるけど……かおり、完全にその流派を継いでる感じ」


「流派って……」


 わたしは笑いながらも、ちょっとだけ誇らしくなった。



 そのあとも、呼吸と姿勢の練習を30分ほど続けた。


 ほんの短い時間だったけど、三人の間には確かに“何か”が芽生えはじめていた。


 言葉にしなくても通じる気配。

 動作ひとつに宿る、やさしさと美しさ。


 座道って、やっぱりすごい。

 ただ座るだけで、誰かと繋がれるんだ。


「ねえ、これからも来てもいいですか?」


 ゆずはちゃんが帰り際、小さくそう尋ねた。


「もちろん。これから、“座道部”なんだから」


 わたしはそう言って、彼女に向けて軽く頭を下げた。


「ようこそ、わたしたちの場所へ」


 そのあと、奈々とふたりで部室に残った。


 夕陽が差し込む畳の上。

 片付けを終えてから、わたしは自然と奈々の隣に腰を下ろした。


「ねえ……今日のゆずはちゃん、どうだった?」


「うん。すごく素直で、なんか……空気を崩さない子だったね」


「うん……でも、ちょっとだけ褒めすぎてなかった?」


「え? なにそれ、嫉妬?」


 奈々がにやっと笑った。


 その顔がちょっと憎らしくて、でも嬉しくて。

 わたしは黙って、奈々の肩にもたれた。


 奈々の身体が、ぴくっと震える。


「……かおり、また急に……」


「うん、急に。だって、今の奈々、ちょっとかっこいい顔してたから」


「もう、ずるいなあ……」


 奈々の声が、耳元でやわらかく揺れる。


 畳の香りと、春の夕暮れ。

 心の中で静かにゆれている、気持ちの色。



 その日、帰り道で、わたしはスマホを開いて姉にメッセージを送った。


《今日、見学に来た子がいたよ。すごく真面目で、いい子だった》


《奈々とも、少しずつだけど、ちゃんと“部活の仲間”になれてる気がする》


 送信してすぐ、既読がついた。


 しおりんからの返事は、ひとことだけだった。


《かおりん、すごいね》


 それを見た瞬間、目の奥が少しだけ熱くなった。


 わたしは今、ちゃんとここで息をしてる。


 畳の上のこの空間に、わたしの時間と、わたしの想いが刻まれていく。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ