表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
20/97

第20話「座道部」

 放課後、私はひとりで校舎を歩いていた。


 というのも、心の中に一つ決めていたことがあったから。


 ──座道部。


 それは、しおりんが高校時代に立ち上げたちょっと変わった部活だった。

「座ることを極めるなんて、変だけど、すごく奥が深いの」

 そう語っていたしおりんの横顔が、今でも印象に残っている。


 正座、胡座、椅子の座り方、姿勢、所作。礼儀作法や表情の作り方まで、すべてを「美しく座る」という一点に注ぐ部活。


 でも、その座道部は去年で活動停止になった。しおりんの卒業とともに、部員がいなくなったから。


 ……という話だけれど……本当にあった部なのかな?


「誰もやらなくなっちゃうの、もったいないよね……」

 そう話した私に、しおりんは言った。

「じゃあ、かおりんがやればいいじゃん」


 ……やっぱり、あのときの言葉、冗談じゃなかったんだな。


 私は、奈々を誘って旧部室があるという棟へ足を運んだ。

 ドアの前で深呼吸。緊張で足が少し震えたけど、ノックしてからドアを開けると、そこにはひんやりとした空気と、畳の匂いが漂っていた。


 きれいに片付いた和室。

 窓から差し込む午後の陽射しが、畳の縁をやさしく照らしている。


 ──ここで、しおりんも毎日練習?してたんだ。


 そう思うと、自然と背筋が伸びた。


 奈々が怪訝な顔をしていたが、気にせず足を踏み入れる。

そして部屋の真ん中に正座して、静かに手を膝に置いた。


 目を閉じて、耳を澄ます。春の風の音。遠くから聞こえる吹奏楽部の練習。


 ──そして、自分の呼吸。


「私もやる」


 奈々も同じように部屋の真ん中に座る。


「……ここから、また始めるんだ」


 小さくつぶやく。


 やってみせる。

 新入生勧誘ポスターも、しおりんが使ってた資料も、ぜんぶ引き継いで、伝統として続ける。


 その先に、どんな仲間と出会えるのか、どんな経験が待っているのか、わからない。

 でも、きっとそのすべてが、高校生活を彩る色になる。



 もう一度立ち上げり、空いていた部室のドアを閉める。

ドアが静かに閉まると、外の喧騒が嘘みたいに遠のいて、部室の中にぽっかりと空間が生まれた。


 畳の香り、ほんのりと湿った春の空気。そして、窓の隙間から入り込んでくる柔らかな陽の光。


 私は畳の真ん中に、もう一度ゆっくりと正座した。


 静かに、深く、呼吸をひとつ。


「──これが、“座る”ってことなのかもね」


 思わず、そんな言葉が口から漏れた。


「んー……よくわかんないけど、なんか落ち着くかも」


 横に座っている奈々が、ちょっと照れくさそうに笑う。その表情を見て、私は少し安心した。


 誰かといっしょに“無言の時間”を過ごすって、案外すごいことだ。言葉がなくても、気持ちが通じてるような気がする。


 しばらくそうしていると、奈々がちょっと膝を崩しながら、こちらをちらりと見た。


「かおりってさ、意外とこういうの、真面目にやるよね」


「なにそれ、失礼だなあ……」


「だって、最初は“座道部”って聞いて、正直笑いそうだったもん。“座る”ってなに、って」


「わかるけどさ……でも、お姉ちゃん、ほんとにこれに真剣だったんだよ」


 そう言って、部室の奥にある木製の棚に目をやる。そこには、しおりんが使っていたという資料や、座り方の基本を書いたプリント、活動記録みたいなノートがきちんと整って残されていた。


 ──本当に活動してたんだ


 私はそっと立ち上がって、そのノートを手に取る。ページをめくると、丁寧な文字でこう書かれていた。


「座り方は、心の形を写す」


 その言葉に、ぐっと胸が締めつけられる。


 ──やっぱり、しおりんはかっこいいな。


「ねぇ、かおり。お姉さんって、どんな人だったの?」


 不意に、奈々がぽつりとつぶやいた。


 私は少し驚いたけど、口元に微笑みを浮かべながら、ゆっくりと答える。


「優しくて、厳しくて……ちょっとだけ意地悪。あと、すごく綺麗で、真っ直ぐな人」


「ふーん……なんか、“憧れの先輩”って感じする」


「うん、たぶん……わたし、お姉ちゃんにずっと憧れてたんだと思う」


 そう言って、思わず口を閉じた。


 本当は、「憧れ」だけじゃなかった。


 しおりんの隣にいると、どきどきして、変に胸が苦しくなって……

 同じ制服を着ていた頃は、その理由がよくわからなかったけれど、今はなんとなく、わかる。


 あれは、きっと「好き」だったんだ。


 そんな私の心を読んだように、奈々がそっと身体を寄せてきた。


「……ねぇ、かおり。なんかさ、あたし、ちょっとだけ嫉妬してるかも」


「嫉妬?」


「だって……かおり、お姉さんのこと、すごく想ってる感じがする」


 その言葉に、私はびっくりして奈々の方を見た。


 でも奈々は、目を逸らさずにじっと私を見つめていた。いつもみたいな冗談っぽさはなくて、ちょっとだけ泣きそうな目だった。


「……ごめん、変なこと言って」


「変じゃないよ。でも、奈々がそんなふうに言ってくれるの、嬉しい」


 私も奈々を見返す。


 彼女の髪の間からのぞく白い首筋。制服の襟元から少し見える鎖骨。その全部が、いつもより近くに感じた。


「……じゃあ、さ」


 奈々が、小さな声で言った。


「かおりが、あたしのことも、ちょっと……」


「奈々……」


 わたしの言葉は、そこで止まった。奈々の手が、そっとわたしの指に触れてきたから。


 その指先はすごくやさしくて、少しだけ震えていた。


 私たちは、畳の上で向かい合って座ったまま、しばらく無言だった。だけど、その沈黙は不安じゃなくて、あたたかかった。


「かおり……目、閉じて?」


「え……?」


「お願い、ちょっとだけ」


 奈々の声が、ほんのり掠れている。


 私は、ゆっくりと目を閉じた。

息が止まりそうになった。心臓の音が、耳の奥でバクバク鳴ってる。


「……さあ、帰ろう。おいてきぼりー」


「ああっ、ひどい」


 春の風が、窓を揺らした。遠くで吹奏楽部の音が聞こえる。まるで映画のワンシーンみたいな、ゆったりとした時間。


 畳の上、和室の静けさの中で、ふたりの気持ちはゆっくりと溶け合っていく。


 しおりんが遺してくれた“座道”の場所で──


 私たちは今、少しずつ“自分”を知っていく。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ