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第19話「入学式の姉」

 電車の中で、ヒールのつま先がコツコツと床を鳴らす。ぎこちない。わたしは窓に映る自分をそっと見つめる。


 柔らかく巻いた髪。グレーのセットアップ。目元を少しだけ強くしたメイク。


 制服じゃなくなった自分に、まだ慣れない。


 今日は大学の入学式。

一人きりで電車に乗るのも、知らない駅で乗り換えるのも、久しぶりだった。


「かおりんは、もう学校に着いたかな……」


 そうつぶやくと、少しだけ緊張がほどける。


 妹のかおりんは、今日から高校一年生。


 あの子は新しい制服を着て、早起きして、きっと緊張しながら登校してるはず。


「高校デビューってやつだな~」


 そう言いながら、鏡の前で前髪を巻いてた姿が目に浮かぶ。


 ……うん、大丈夫だよ、かおりん。

あんたはちゃんとやれる。わたしが保証する。



 大学の最寄り駅に着くと、人波の中にまぎれた。


 黒、紺、ベージュ、グレー。


 スーツ姿の新入生たちがわらわらと歩いていて、みんな、どこか緊張している。それが少しだけ、救いだった。


「すみません、経済学部ってどっちですか?」


声をかけてきた女の子は、わたしと同じくらいの背丈で、ピンクのリップが似合っていた。


「わたしもそっち。ついてきて」


「ありがとうございます!ほんと助かります~」


 見知らぬ子と並んで歩くのが、こんなに安心するとは思わなかった。


「一人で来たんですか?」


「うん、妹は高校の入学式で。そっちも今日なの」


「え、奇遇!うちの弟も今日から高校生。なんか、変な感じですよね」


「うん……『姉』って、いつまでたっても慣れない」


 会場に着くまでの短い会話が、すごくあたたかくて、

少しだけ大学って場所が、怖くなくなった気がした。



 式典は広い講堂で行われた。

きちんとした服に包まれた大人たちが、壇上で話をしている。


 わたしはその声を、なんとなく遠くで聞いていた。

心の中では、ずっとかおりんのことを考えてた。


 ……うまくクラスに馴染めてるだろうか。


 ……部活、どうするんだろう。


 ……またお昼、コンビニのパンで済ませてないだろうか。


 ……うるさいかな。


 もう高校生なんだから、放っておいてもいいはずなんだ。

でも、心配してしまう。

それは、たぶんわたしが「姉」であることから逃げられない証拠。


 ――思えば、あのプールの日から、あんまり経ってないのに。

笑いながら泳いで、ふざけて、ジュースの罰ゲームとかやって。

あのときのかおりんは、まだ中学生だった。

でも、今はもう……同じ制服じゃない。


 同じ時間を、別々の場所で生きてる。


 わたしは、ちゃんと姉として見守れてるかな。


 大事なこと、伝えられてたかな。


 講堂の天井をぼんやり見つめながら、そんなことを思っていた。



 式が終わると、キャンパスの外は人であふれていた。

グループになって写真を撮る子たち、親と来ている子、スマホで地図を確認する子。


 わたしは、人の波から少し離れたベンチに腰を下ろした。

バッグを開いて、スマホを取り出す。


すると、一通のLINEが届いていた。


《しおりん、無事入学した?あたしも入学した》


 かおりんからだ。


 短いメッセージなのに、胸がじんわり熱くなる。


《無事、大学生になりました。こっちも入学おめでとう。制服の写真、あとで送って》


 すると、すぐにスタンプが返ってきた。照れてるパンダのやつ。ちょっと笑って、わたしはもう一通送った。


《あんたなら大丈夫。ちゃんと高校生になれる。っていうか、あたしもまだ大学生になりきれてないけどね》


 それは、自分への言葉でもあった。


 不安はある。

知らない教室、知らない授業、知らない人ばかり。

でも、ここから新しく始まるんだ。


 わたしの毎日も、かおりんの毎日も。



 朝のあの緊張はどこへやら。わたしは少しだけ、足取り軽くキャンパスの中を歩いていた。入学式が終わったあと、構内のサークル棟に案内されて、いくつか気になるサークルのチラシを手にした。


 その中に、一枚だけ、目を引いたものがあった。


「映画研究会」

 女子歓迎。BL・百合・海外ドラマなんでもあり。

 観て語って、笑って泣いて、たまに飲み会。

 恋愛に疲れた人、恋に悩んでる人、フィクションに逃げたい人――

 おいで。


「……へぇ、ちょっと気になるかも」


 そんな軽い気持ちで、わたしはサークル棟の2階の一室をノックした。


「いらっしゃいませ~、新入生?」


 部屋の奥から声をかけてきたのは、グレーのパーカーにタイトなジーンズ、そしてラフに結ばれた短い髪の女の子だった。


 一瞬、男の子かと思った。だけど、声とまなざしの柔らかさが、わたしを「女の子だ」と確信させた。


「あ、うん……あの、映画研究会ってここで合ってますか?」


「うん、正解。わたしは副代表の篠原ひかり。みんなには“ひかりん”って呼ばれてるよ。しおりちゃんは?」


「しおり、です……経済学部の一年です」


「しおり、いい名前だね」


 その言い方が、あまりにも自然で、あたたかくて――思わずドキッとした。


 サークル室はこぢんまりとしていて、壁にはポスター、机の上にはDVDの山。ひかりんはわたしを隣に座らせて、活動内容をざっくり説明してくれた。


「基本、月に2~3本映画観て、感想語ったり、本読んだり……あとは、まったり雑談とか」


「……語ったりするんですか?」


 わたしがそう聞くと、ひかりんは少し口元をゆるめて、くすっと笑った。


「わたしの初恋は二次元の女の子だったよ。あと、リアルの先輩にも憧れてた」


「先輩……?」


「うん、ちょっとだけ“そういう”関係だったかもしれない」


 ひかりんの目が少しだけ遠くを見ていた。恋の匂いがする瞳。その空気に、わたしの心臓がほんのり跳ねた。



 ひかりんは、サラッと自然に距離を詰めてくる子だった。腕と腕が触れる。小指がふいにあたる。ふとしたタイミングで髪を撫でてくる。


 そして、わたしの名前を呼ぶ声が、やけに甘い。


「しおりって、触れたくなる雰囲気あるよね」


「えっ、なにそれ……」


「ちょっとだけ、ね?」


 そう言って指先が、わたしの耳の後ろにふれた。微かに、ぞくりとするような感覚が背筋を走った。



 わたしたちはサークル室で、映画を一緒に観ることになった。


 タイトルは『青い花の咲く頃に』。

 女子高生同士の微妙な恋愛模様を、淡く描いた作品だった。


 終わったあと、しばらくふたりとも無言だった。


 静かな時間。スクリーンにはエンドロールが流れ続けている。


 そのとき、不意にひかりんが言った。


「……ねえ、しおりって、キスしたことある?」


「えっ?」


 その唐突な問いに、心臓がドクンと跳ねた。


「……い、いきなり何……」


「映画観てて、思っただけ。あのふたりの、手が重なるシーン……ドキッとした?」


「……うん、した。なんか……胸がぎゅっとなった」


「わたしも」


 ひかりんがゆっくりとわたしのほうを向いた。


 その瞳は、いつものようにふわっとしてて――でも、いつもより深くて、まっすぐだった。


「キスって、そんなに特別なことじゃないと思うんだ。想いがあるなら」


 その言葉のあと、彼女の手がわたしの頬に触れた。熱い。わたしの呼吸が、浅くなる。


「……しおり、今、ちょっとだけ目が潤んでる」


「……うそ……やだ」


 恥ずかしくて目をそらす――



 その夜。


 ひとりで帰る電車の中、わたしはスマホを開いた。


 かおりんからのLINEが届いていた。


《部活、まだ迷ってる。明日、吹奏楽と写真部見てくる》


 その一文に、わたしは小さく笑った。


 同じ制服じゃなくても――


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