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第18話「入学式の妹」

 通学路。しかもわたし一人きり。電車を降りて、駅の改札を出て、制服のスカートの裾を軽く直しながら、わたしは朝の風に少しだけ身震いする。


 春って、もっと暖かいと思ってた。


 今日から高校一年生。中学の卒業式からわずか数週間で、わたしは新しい制服に袖を通して、電車に乗って、たった一人で通学路を歩いている。


「はぁ……」


 つい声が漏れる。緊張、というよりは、妙な孤独感。制服はまだ体になじまなくて、肩に変な違和感がある。だけど、それよりも、空気が変わってしまった感じがして、落ち着かない。


 春休み中だけ、姉と同じ制服を着て遊んでいたことを思い出す。姉の卒業した制服と私の入学する制服は同じものだ。


――同じ学校だもの――


 いっしょに笑いあっていた姉は、今日はもう大学生。新しい街、新しい人間関係、新しいリズム――


「大学、思ったより遠いわ〜、でもキャンパス広くてさ、カフェもあるし、あと男子がさ〜」


 と、昨日の夜もベッドでニヤニヤしてた。


 しおりんは、ちゃんと大学生してる。


 じゃあわたしは――ちゃんと高校生、できるのかな。



「かおりー!」


 名前を呼ばれて振り返ると、そこには中学からの同級生、奈々(なな)がいた。制服姿で手を振って、駆け寄ってくる。


「もうっ、なんで連絡くれなかったの!同じ駅から登校できるのに!」


「……なんか、バタバタしててさ」


「なにそれ!初登校なんだし、ちょっとくらい一緒にいてよ~」


 そう言って腕を絡めてくる奈々の匂いは、相変わらずほんのり甘いシャンプーの香り。中学の頃からずっと同じ匂いなのに、制服が変わっただけで、なんだか大人っぽく見える。


「緊張してる?」


「ちょっとだけ……奈々は?」


「わたしは楽しみ!だって、高校生って響き、かっこいいじゃん?」


「たしかに」


 笑いあう。少し、ほっとする。


 そういえば、こういう何気ない会話を、中学のときは毎朝してた。制服が変わって、通学路も少し長くなったけど、変わらないものもあるんだって思えた。



 学校の門をくぐると、そこには眩しいくらいの新しい世界が広がっていた。


 桜並木。真新しい制服の群れ。緊張で強張った顔、無理に作った笑顔。誰もが「新しい場所」に足を踏み入れたばかりで、お互いの存在を測りかねてるようだった。


「かおりさん?」


「えっ……あっ、はい!」


 クラス名簿を確認していた先生に呼ばれて、思わず声が上ずる。自分の名前が貼り出されたクラスに向かいながら、奈々が小声でつぶやく。


「やば、先生イケメンじゃない?」


「え、マジで?」


「あとでチェックしよ」


 わたしたちは、こそこそ笑いながら列に並んだ。


 入学式は、なんだか夢の中みたいだった。


 校長先生の話はあまり耳に入らず、周りの子たちの髪型とか、バッグのブランドとか、そんなものばかり目についていた。


 入学式が終わると、新しいクラスに案内された。廊下には、まだぎこちない笑顔の一年生たち。隣を歩く奈々が、ひそひそ声で話しかけてくる。


「ねえ、席って自由かな?」


「うーん、どうだろ。でも、早く座ったもん勝ちだったら、一緒の列がいいな」


「じゃあ窓際狙おっ!」


 奈々に引っ張られるまま教室に入ると、すでに数人の生徒がいて、緊張した面持ちで机に座っていた。


 わたしたちはすぐに空いていた窓際の後ろから二番目と三番目の席に滑り込んだ。外の光がちょうどいい角度で入ってきて、なんだか、ドラマみたいな雰囲気。


「ねえ、後ろの男子、見た?めっちゃ背高くない?」


「え、あ、うん……でもちょっと怖そう」


「こわいって!あれは“クール”っていうの!」


 奈々はそう言いながらわたしの耳元で笑って、ふわっと髪が揺れた。その瞬間、制服のスカートの裾がわずかに上がって、太ももの肌がちらっとのぞいた。


 すぐに奈々は気づいて、ちょっと照れたように裾を押さえる。


「やだ、スカート短すぎたかな……」


「……だ、大丈夫。たぶん、似合ってるし」


 わたしまで変にドキドキしてしまって、心臓がくすぐったくなった。


 ホームルームが始まった。担任の先生は、入学式で名前を呼んでくれたあのイケメン風の先生だった。名前は「水嶋先生」。20代後半って感じで、爽やかな感じ。けど、黒板に名前を書くときの横顔が、ちょっとだけ近寄りがたい雰囲気もある。


「自己紹介の時間を取りたいと思います。一人ずつ、前に出てお願いします」


 教室中がざわついた。やっぱり初日って、自己紹介なんて定番だけど、緊張する。


 次々と前に出て、名前と趣味を言っていく生徒たち。そのたびに笑いが起きたり、拍手があったり。少しずつ、空気が柔らかくなっていった。


 そして、わたしの番。


「は、初めまして……かおりです。中学では吹奏楽部に入ってました。クラリネット吹いてました。えっと……この学校では、まだ部活決めてないですけど……よろしくお願いします」


 言い終わって顔を上げると、水嶋先生がにこっと微笑んでいた。


「クラリネット、いいですね。音色、きれいです」


 なぜか、その一言に心が跳ねた。



 放課後、部活紹介が体育館で行われた。


 先輩たちがステージに立って、ダンスを披露したり、演奏したり、応援団が大声を出したり。にぎやかで、なんだか文化祭みたいな雰囲気。


「うわ、ダンス部かわいい……」


 隣の奈々が、目をキラキラさせていた。


「ねえ、かおりはどれが気になる?」


「んー……やっぱり吹奏楽部かな。中学と同じだけど」


「そっか。でも、かおりなら何でも似合うよ。バトン部とか、制服にめっちゃ映えそう」


「え、そんなことないってば……」


 でも、奈々にそう言われてちょっと嬉しかった。


 その後、校内を自由に見て回っていい時間になったので、奈々と一緒に音楽室を見に行くことにした。窓から差し込む西日が、グランドピアノを黄金色に染めていた。


「ねえ、かおり。吹奏楽部の見学、今度一緒に行ってみよ?」


「うん、行こっか」


 そのとき、不意に背後から声がかかった。


「吹奏楽部、見学ですか?」


 振り返ると、白衣を着た男性が立っていた。メガネをかけた、ちょっと無愛想そうな感じだけど、顔立ちは整っている。


「あ……はい、見学してもいいですか?」


「どうぞ。ただ、今は誰もいませんけど……」


 そう言って、部屋の鍵を開けてくれた。ドアを開けると、ほんのり木の香り。譜面台が整然と並び、棚には楽譜がぎっしり。


 その奥にある小さな防音室――試しに中をのぞいてみた。


「うわ……なんか秘密基地みたい」


「ほんとだ。ここで練習するの?」


 わたしたちは中に入って扉を閉めた。


 すると、急に音が消えた。外の音も、先生の声も。防音室って、こんなに静かなんだ……。


 その瞬間、ちょっとしたいたずら心がわたしをくすぐった。


「ね、奈々……なんかさ、ここで内緒話とかしたら、誰にも聞こえないんだよね」


「え、やだ、なんかドキドキする……」


 奈々が顔を赤らめて、わたしの肩にちょっとだけもたれかかる。


「……ほら、かおりって、なんか……こう、肌が白くて、柔らかそうっていうか……」


「な、何それ……」


 ふいに奈々の指先が、わたしの制服の襟に触れた。


「……ねえ、制服の下、どんなブラしてるの?」


「な、奈々っ……!」


「うそうそ、冗談。でもさ、こういうのって、ちょっとだけ……秘密の時間って感じじゃん?」


 わたしの顔が熱くなるのを感じながら、奈々はいたずらっぽく笑った。



 音楽室を出るころには、すでに日が傾いていた。窓から差し込む西日が、廊下をオレンジ色に染めている。


「ちょっと、かおり。さっきのマジで怒ってる?」


 廊下を歩きながら奈々が、少し不安そうにこちらを見上げてくる。


「……べ、別に怒ってないよ。びっくりしただけ」


「だって、なんか……かおり、可愛かったから、つい」


「……もう、バカ」


 わたしが頬を染めてそう返すと、奈々は安心したように笑って、わたしの腕にそっと自分の腕を絡めてきた。


「これからも一緒に、いろんな部活とか見に行こ。あと、制服の着こなし研究もしなきゃね~。今日は反省、スカート短すぎたかも」


「うん……でも、奈々なら似合うよ」


「ほんと?それ、ちゃんと覚えててね、あとで!」


 この軽口のやり取りが、なんだかすごく心地よくて、わたしの中にあった緊張が少しずつ溶けていく。


 翌日からの授業は、教科書配布に自己紹介、校内オリエンテーションと、いかにも新学期らしい内容だった。慣れない教室、慣れないクラスメイト。だけど、隣の席の奈々の存在があるだけで、どこか安心できた。


 昼休み。教室の隅でお弁当を広げていたわたしたちのもとに、一人の女の子が声をかけてきた。


「えっと……ここ、空いてる?」


 見ると、小柄で、黒髪のショートボブが印象的な子。少し伏し目がちで、控えめな感じ。


「うん、もちろん。いっしょに食べよ!」


 奈々が気さくに答えて、わたしも微笑んでうなずいた。


「ありがとう。わたし、立花まゆっていいます。中学は隣の学区で……」


「わたしは奈々。で、こっちがかおり!」


「よろしくね、まゆちゃん!」


 まゆちゃんは少し緊張した笑顔を見せて、それでもほっとしたようにお弁当のふたを開けた。中身はきれいに詰められた卵焼きと梅干しご飯。


「わたし、料理苦手だから、お母さんに手伝ってもらったの」


「えー、全然上手だよ!わたしのなんて、見てこれ、おにぎり一個だけ」


 奈々が笑って見せると、まゆちゃんも声を上げて笑った。こんなふうに、新しい友達ができていく感じ……ちょっと嬉しい。


 放課後。今日は部活見学の第二弾。


 わたしたちは体育館に向かっていた。目的は、バドミントン部と女子バレー部。アクティブな部活も見てみたくなったから。


 体育館の中は、空気が少し熱を帯びていて、女子の掛け声やラケットの音が響いていた。


「うわ、なんかカッコイイ……!」


 ネット越しにシャトルを打ち合う先輩たち。ジャージ姿で汗を流すその姿が、制服姿のわたしたちとはまるで別世界にいるように見えた。


 そのとき、バレー部の練習の合間にジャージ姿の先輩がわたしたちに近づいてきた。


「見学?一年生?」


「は、はい!えっと……まだ迷ってて」


「そっか、気になるなら体験もできるよ。今日、ジャージ持ってる?」


「うーん、持ってない……」


「なら、貸しジャージあるけど、サイズ合えば着てみる?」


 先輩の笑顔は優しくて、ちょっとドキッとした。


 更衣室。


 先輩にもらったジャージに着替えることになったけど、サイズは少し大きめで、裾が長かった。奈々はというと、ぴったりサイズを引き当てたらしく、鏡の前でポーズを取っている。


「ねえ、かおり……このジャージ、地味に透けてない?」


「え、うそ……?」


 慌てて鏡を見ると、たしかにうっすらと、下に着ているインナーのラインが浮かんでいるような……


「うわっ、ほんとだ。ちょっと……恥ずかしいかも」


「でもさ、これって……男子がいたら、やばくない?」


「き、気にしないで練習に集中しよ……!」


 わたしたちはお互いに顔を赤らめながら、それでもなんだか笑いが止まらなかった。こんなドキドキも、たぶん「高校生」だからこその時間なんだろう。


 家に帰る電車の中。


 制服姿のまま吊り革につかまって揺れていると、背中にふと誰かの視線を感じた気がした。だけど、振り返っても誰も見ていない。


 奈々は座席でうたた寝していて、頭がコクリコクリと揺れている。今日は疲れたのかな。


 ふと、わたしの胸元に手が伸びてきた――と思ったら、寝ぼけた奈々が無意識にわたしの肩に頭をもたれかけてきただけだった。


「……ん、かおり……」


「ちょ、奈々……?寝言?」


 そのまま顔をすり寄せてくる奈々の髪が、わたしの首筋に触れる。くすぐったくて、でも……ちょっとだけ嬉しかった。



 帰り道

 わたしは、スマホを取り出して、しおりんのLINEを開く。


《入学式終わったよ。新しい制服、似合ってたかな》


 そう送ると、すぐに既読がついた。


《絶対似合ってるに決まってるし。あとで写真送って♡》


続けて、こんなメッセージも。


《かおりんは、ちゃんと高校生になれる。大丈夫。あたしが保証する》


 そう、進む道は空いている。わたしの前に、ちゃんとまっすぐに伸びてる。


 でも、それを走るかどうかは、わたし次第。


「……よし」


 誰かと競争するわけじゃない。


 でも、負けないように、自分に。

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