第17話「温水プール」
「こっちこっちー!空いてるよ!」
かおりんの声が、プールの壁に反響する。
春休みも終わりが近づいた、ある日の午後。外はまだ肌寒いけれど、館内に入るとほんのり暖かい湿気に包まれた。
温水プール独特のやわらかい蒸気と、塩素の匂い。
わたしは少し浮ついた気分で、水着の肩紐を直す。ミントグリーンのセパレートタイプ。ヘソはぎりぎり見えないけど、気を抜くと肌の露出に意識がいってしまう。
「ほら、しおりんもこっち来てよ~」
かおりんはスレンダーな体にパステルピンクのワンピース水着。まだちょっと幼さが残ってるけど、最近やけに視線を集めるようになってきたのが気になる。本人は全然気づいてないっぽいけど。
そして、今回のプールに一緒に来ているのが、かおりんの同級生で仲良しの真菜とえりか。
真菜は少し勝ち気な顔立ちで、青いハイレグっぽい水着が大胆。短めの髪が水に濡れると、まるでスポーツ雑誌のグラビアのようにキマって見える。
えりかは色白で、ロングヘアをお団子にまとめている。ふわっとした胸元が印象的な白地のフリル水着で、見た目はおっとり系なのに、意外と毒舌。
そして――4人の視線が、自然と25メートルプールの端に集まる。
「さっきから気になってたんだけど……あれ、空いてるよね?」
真菜が指を差す。
「25mのまっすぐのレーン。貸切じゃん、今!」
「……ってことは、やるしかないね」
かおりんがにんまりと笑う。
「勝負?」
「勝負っしょ!25m、全力!誰がいちばん早いか!」
「負けた人は、ジュースおごりとか?」
「それとも、罰ゲーム?」
「えー、何それ、気になる!」
女子4人の目が一斉にきらりと光った。
そうして、プールサイドに並んだわたしたち。
肌に張りつく水着。水滴が太ももを伝って落ちる感覚。
湿度と水の冷たさ、そしてちょっとした緊張感が、やけにリアルに身体をくすぐる。
「じゃ、並ぼうか!」
スタート地点。4人並んで、それぞれ軽くストレッチ。
わたしは肩を回しながら、さりげなく隣を見る。
えりかの胸元が、水着越しにふわっと上下してて……ちょっと目のやり場に困る。
「しおりん、見てたでしょ~」
「なっ、見てないし!」
「ふふふ、照れてる~」
「……気のせいじゃない?」
真菜は胸を張って、堂々と前屈をしている。その動きで背中のラインがくっきり浮かぶ。下半身の引き締まり方が、明らかに運動部。
かおりんはというと、膝を抱えてしゃがみながら、「おなか冷たい~」と自分の腹を押さえている。スカート型の水着の裾から、太ももがちらちらと見えてドキドキする。
「よし、準備OK?」
「いつでもいける!」
「じゃあ、スタートコールはえりかお願い!」
「了解~。じゃ、いくよ。Ready……Go!!」
水しぶきが一斉にあがった。
*
最初に飛び出したのは、意外にも――かおりんだった。
「うそっ、はやっ!」
水面をスムーズにかく手、しなやかに伸びる腕、バタ足の水飛沫が小さいのに進みが早い。
あの子、部活では帰宅部じゃなかったっけ……?
「これは……姉の威厳がかかってる……!」
わたしは必死で追いかける。けれど、水の中では視界が限られて、スピードの感覚が狂う。どれくらい差がついてるのか、まったくわからない。
真菜の泳ぎは力強く、まっすぐに水を割って進む。フォームがとにかくきれい。さすがだ。
えりかはというと、スタートは遅れたけれど、途中からスルスルとスピードを上げてきた。水中のしなり方が独特で、柔らかい動きなのに推進力がある。
「……負けられないっ!」
わたしは自分の体のラインを意識して、ぐっと背筋を伸ばす。肩の使い方、水の押し出し、太もものバタつき――全部がつながって、少しずつ加速していく。
耳に水の音しか聞こえない。
でも、その静寂の中に、確かに4人の息づかいがあった。
息継ぎのたびに、となりをちらっと見る。真菜がこちらに気づいてニヤリと笑う。
「抜かせるなら、抜いてみな?」
その顔が、くそ、かっこいいじゃないか……!
わたしは必死で追いつこうと、腕を伸ばす。
水着が肌に密着して、ちょっとだけ胸のラインがずれる感覚――無視無視!
「あと少し……!」
プールの底の青いタイル。視界にゴールラインの壁が近づく。
「……っ!」
最後の一かき、全員が同時に手を伸ばす――
バンッ!
水しぶきと同時に、ゴールの壁に手が触れた。
息を切らしながら、わたしたちは顔を上げた。
「……っ、どう……だった?」
「見た!?見てた!?誰1位だった!?」
「たぶん……1位、真菜!」
「やったああああ!」
真菜がガッツポーズ。水滴が腕を伝って肩を濡らすその姿が、もう絵になりすぎ。
「2位は……しおりん!」
「よしっ!姉の威厳は守った……!」
「3位……かおりん!惜しい!」
「え~~~!出だし完璧だったのに~~!」
「えりかは?」
「ふふ、わたしはビリ。でもいいの。全員の後ろから、水着のお尻じっくり見てたから」
「は!?なにそれ!」
「変態発言きた!」
「真菜も揺れてたよ?」
「ばっ、ばかっ、それ言うなって!」
顔を赤らめて笑いあいながら、わたしたちはぷかぷかと浮かびながら並んでプールの端に寄った。
水着からちらりと見える肌、汗じゃなく水滴が流れていく感触、そして競争のあとの高揚感。
全部が、今だけの宝物みたいだった。
「もう一回、やろっか」
「次は背泳ぎ?」
「それとも、水中騎馬戦?」
「しおりん、今ニヤッてしたよね?」
「してないしてない!」
「してたしてた~~!」
笑い声が、水の中で広がっていく。
春休みの終わり。
わたしたちは、濡れたまま、何度でも競争する。
誰が速くても、誰が勝っても、
この時間が続けば、それだけで――勝ち。




